
温泉街がマンション街になった例は東横線の綱島温泉にもあるが、鶴巻では、何とか数軒は生き延びているようだ。多少迷ったが、駅から細い道で徒歩5分のところにある。そして、そこには将棋関係者なら何度も聞いたことがあるだろう「陣屋旅館」がある。現在でも時折タイトル戦の舞台になっているが、歴史的ハイライトは1952年2月18日王将戦第6局木村義雄名人対升田幸三九段戦で起きた。いわゆる「陣屋事件」である。
当時、王将戦は名人戦に継ぐ序列のタイトル戦であり、名人戦との差を演出するため、「指込七番勝負」を標榜していた。どういうルールかと言えば、普通の七番勝負なら片方が4勝した時点で、相手方の勝数にかかわらず、ゲームセットとなるのだが、それを必ず7試合しようということだ。さらに、3勝差がついたら勝った方が香落ちで指すという屈辱的なルールである。プロレスの3本勝負で2-0となったのに勝者がリングシューズを片足だけ脱いで、さらに3本目を始めるようなものだ。
そして、この年の王将戦は、5戦目までで升田が4勝1敗とタイトル奪取に成功したのだが、そうすると、6局目が升田の香落ちで指されることになる。その対局場が、この鶴巻温泉の陣屋旅館だった。対局は朝からなので、関係者一同は前日から宿泊することになるのだが、当日は大雪。一方、升田の自宅は中野区の白鷺にあるのだから、新宿から小田急線に乗ったのだろう。東京では大雪の予感がなかったのだろうか、足元は長靴ではなく、高下駄だったらしい。そして、駅から雪の中を陣屋旅館に到着したものの、玄関のブザーを押しても誰も出てこない。そのため、「非礼じゃ!」と怒り、近くの別の旅館に行って宿泊手続きをする。驚いたのは、その別の旅館の方で、あわてて陣屋に連絡すると、関係者一同が升田を迎えに行くが、頑として応ぜず「対局拒否宣言」を発してしまう。
後日、升田に対しての処分が検討されたが、トップ棋士を処分すると困るのは自分達なのだから、まあ、うやむやに終わり、その後、「指込七番勝負」はコトバの上だけの定冠詞になり、王将戦の権威も賞金額も大失墜して、現在に至っている。
本で読んだだけでは、駅から旅館まで、長い道のりを歩いた結果、吹雪の中で、下駄で進退困難な升田のイメージがあったのだが、実際、行ってみると、駅からすぐだ。下駄履きでもサンダル履きでもたいしたことは起きないだろう。名人位に傷を付けたくないための対局拒否の理由が「ブザー無視」という言い訳だったのだろうと感じた。
実は、この陣屋旅館だが、宿泊すると物入りだが、平日午後には、食事付き日帰り入浴コース1700円と言うのがあるそうだ。そのうち、平日に来て、内部の様子を調べたいものだと思う。将棋盤は1800円強で貸してもらえるようだが、その値段では、升田幸三サイン入り本カヤ6寸盤時価500万円を使わせてもらうことは、きっとできないだろう。

飲み屋の代金を払えず、自宅まで店主が集金についてくることを「つけ馬」というが、本作は、「つけ竜」だ。最後に竜と玉の距離が離れたと思ったら、すぐに財布を押さえられた。なお、5手目に飛車が成らずに7手目に成っても詰むが、こういうのは補正できなかった。最初から竜を配置するのが定法だが、本作では使えない。

穴熊を引っぱり出して、仕留めたと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記載いただければ正誤判断。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます