もしもコロンブスが日本を見つけていたら

2015-01-01 00:00:23 | 市民A
最近読んだ本「マリタイム・エコノミクス(マーティン・ストップフォード著)」の中で、15世紀後半の世界の話があった。大航海時代が始まる直前である。その中で、当時の世界には、四つの独立した文明があったと書かれている。少し驚きの内容だ。

maritime


文明1はヨーロッパで、7500万人の人口。
文明2はインドで1億1000万人の人口。
文明3は中国で1億2000万人の人口。
そして文明4は日本で、1500万人の人口。

だそうだ。

そして、ヨーロッパとインドの間はカイロと紅海を経由した細いルートがあり、ヨーロッパと中国の間にはもっと細い絹の道があっただけだ。

そしてヨーロッパ人は、主食の肉の腐敗臭を消すための香辛料を求めて、インドを目指したわけだ。

一人はコロンブス。1492年、1493年に、大西洋を渡ってインドと誤認してアメリカ大陸を発見。現地人数万人を虐殺。元々、奴隷商人だ。

もう一人はバスコ・ダ・ガマ。1498年にアフリカ南端を回ってインドに向かう。

たぶん、それぞれの行動の計画性を考えれば、コロンブスは右脳派でバスコ・ダ・ガマは左脳派だったのだろう。


そして第4の文明の日本は、どうかというと「黄金の国」と思われていた。13世紀のマルコ・ポーロ氏のおかげだ。コロンブスは、本当はインドだけではなく日本も探していたわけだ。その後のインカ、マヤ帝国の運命を思えば、金銀財宝を得るためには、皆殺し方法が手っ取り早いと思っていたのだろう。

そして、三角貿易。大航海時代の特徴は、この三角貿易である。ヨーロッパの工業製品を西アフリカに運び、奴隷を積んでアメリカにわたり、綿花やたばこをヨーロッパに運ぶとか、お茶と綿花とアヘンとか・・

まあ、コロンブスに占領されたら酷いことになっていたに違いないだろう。悪魔のディスカバー・ジャパン。

まずいことに当時の日本は、応仁の乱の後で、室町幕府の支配力が地に堕ちていた。そして、ちょうど北条早雲が小田原に本拠を構え、戦国時代ゲームが始まるところだった。

もっとも、コロンブスがアメリカ大陸のこちらにある日本に来るためには、マゼラン海峡を通らなければならなかったはずだし(そうなるとコロンブス海峡と名付けられただろう)、南方面からの風に乗って帆走したとすると、九州か高知か伊豆半島あたりに上陸したのではないだろうか。

とはいえ、日本は既に人口集積国家になっていたわけだし、かなり地方分権でもあった。おそらくは、商売好きの北条早雲なら、交易相手として利用したのだろうと想像。たぶん、16世紀の中頃には北条家が国家統一して将軍になっていたかもしれない。が、バスコ・ダ・ガマも別の戦国武将を見つけて西日本に拠点をつくったかもしれないわけだ。関ケ原で、ガマコロの戦いとか・・