来島海峡

2012-06-12 00:00:26 | 歴史
少し前に、四国は今治方面から来島(くるしま)海峡を見降ろす展望台に行った。橋は世界に一つだけという三連吊り橋方式で、四国から大島までの間の小島を使って一つの橋脚を三本の吊り橋に分解して支えている。どうも吊り橋というと地震に弱そうだが、本当に弱いかどうかは地震が起きないとわからないのかもしれないが、阪神淡路大震災では鳴門、明石の大橋は一部変形しただけで、落ちなかった。もちろん橋は落ちなくても車が落ちるかどうかは別問題だが、もっともどこにいたって危険なのだから自身の強運を信じるしかない。

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この来島海峡は、関門海峡、鳴門海峡とならぶ日本三大急流で、潮流は最大10ノット(時速18キロ)にも達し、北流かと思えば南流に転じたりと複雑だ。四国寄りを西水道、その先を中水道と呼び、「順中逆西」というルールがあり、時間により南流の場合は左側通行、北流の場合は右側通行ということ。つまり、中水道の方が直線に近いので速力が増す場合は中水道と通り、逆流の方が西水道を通ることになっている。日本でここだけだ。

kurushima


そして、この南流、北流だが、瀬戸内海の潮流はすべて解明されていて、1000年前の源平合戦の時の潮流もわかっている。

そして、この海峡を含む海域は、古くから海賊の根城があった。有名なのが村上水軍。彼らは、小島の上で見張りをし、獲物が近付くと山頂に狼煙を上げて獲物の特徴を伝達していた。四国出身の村上という姓の知人がいるなら、夜道を二人で歩かない方が賢明だ。

そして、この海賊の手口だが、襲撃して身ぐるみ剥ぐようなことはしないで、行き交う船から通行税を上納させていた。現代のやくざのみかじめ料のようなものであるが、高速道路や本四架橋も同様に通行料金というみかじめ料を払っているものだ、と思うことにする。