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佐久島へ(3)

2022-10-27 00:00:34 | たび
佐久島の東港から西港に向かって歩き、さらに小さな森を抜けると新谷海岸に出る。海の向こうにいくつかの起伏のある陸地が見える。一見すると島々のように見える。



ところが、島々のように見えるのは渥美半島で、ここで見ている方が島なのだから、倒錯的だ。さらに問題は新谷海岸の砂。「紫の砂浜」と言われるそうだ。日本ではここだけ。

どういうことかというと、砂に交じってムール貝の貝殻が細かく砂状に広がっていて、これが紫に見える原因だそうだ。特に夕方には紫度が高まるそうだ。

実際には「紫と言われれば、そう見えなくもない」という感じだった。秋なのに30度近い日だったし、紫外線にあたると黒く変色する眼鏡をかけていたからあまり映えなかったかもしれない。この砂浜の紫の砂は「恋愛に効く」といわれているそうだが、「効く」というのはどういうことだろうか。「効く」は「病気に効く」とか「ブレーキが効く」というような場合に使うのだが、「恋愛」にはどのように効くのだろうか。いずれにしても砂を薬の用に飲まないと効かないのだろうか。



そして近くにあるのが平子古墳群。5つの古墳が集まっている。佐久島にはなんと40以上の古墳があるそうだ。それも多くは単独配置でさらに横穴型。平子古墳群はめずらしく5つの古墳があり、当時の平均年齢を考えれば5個というのは100年ほどの間に古墳を作るほどの実力者の家系がいたということになる。



実際。佐久島だけではなく伊勢湾の出口や三河湾の出口の島にも古墳がある。本来は地元の高校や大学が調査しそうなものだが、高校も大学もこの島にはない。古墳への神秘的な森の小径の整備は地元中学生の手入れだそうだ。案外、島の住民の先祖かもしれない。



そしてとうとう島とお別れ。西港の岸壁には人懐こい猫が待ち受けていた。近づいてき何か人の声のような鳴き声(というか喋り声)を出して話しかけてきた。あいにくネコ語は少ししか理解できないのだが、「この島に飽きた。本土に連れてってくれ」ということらしい。

連れていくことはできそうだが、そもそもネコ語が間違っているかもしれない。

佐久島へ(2)

2022-10-26 00:00:02 | たび
佐久島の南側のメインロードがフラワーロードと命名されている。長い海岸線が島の西部と東部をつなぐ。東寄りの場所には「ノンとビリー」という二頭のヤギがいるはず。いうまでもなくのんびりとした島時間を象徴する命名だろう。



まず、登場したのは「ビリー」。小屋の中でお休み中。横浜の自宅近くでも雑草処理が目的のヤギさんがいるが、あまりのんびりしているようには見えないが、「ビリー」は小屋の中で何を考えているのだろうか。もっとも気温は30度に近い季節外れの暑さ。まいっているのかもしれない。



そして、「ノン」は、今年三月に永眠されたということが掲示されていた。10歳だったというので、ヤギの平均寿命15歳からいえば、早すぎたとも言える。ビリーの年齢はわからないが同じく10歳とすると人間でいえば50歳といったところだろうか。新たな相棒が欲しいのかどうか微妙な年齢かな。むしろ、もっと立派な家が欲しいのかもしれない。



そして、アート的には道沿いにクラインガルテン ウエルカムスペースというミニ庭園がある。看板はタイル張りで山の形を表現している。作家は松岡徹氏。佐久島アートの中心を占める人物のようだ。



そして、島の西側には長く佐久島の鎮守である八劔神社がある。正式には八劔神社・神明社と二つの神社が合同になっている。もともとは平安時代に造られたようだ。この神社には二つの祭りがあり、一つは1月8日に、鬼と書かれた凧を、矢で射落とす神事を行う祭りと、秋の大祭があるそうだ。正月の祭りが神様に近づく内省的な儀式で、秋の祭りは島民と神様が一体化する祭典ということのようだ。秋まつりの2日前だったが、祭りの日は雨が予想されていた。うまくいっただろうか。豊作と大漁が祈願されるそうだ。

佐久島へ(1)

2022-10-25 00:00:35 | たび
三河湾旅行の目的の一つが「佐久島への渡航」。三河湾は伊勢湾の中にもう一つの湾があるような構造で伊勢湾の入口から北に向かって右手側(東)に湾がある知多半島と渥美半島に囲まれている。その三河湾の入り口付近にあるいくつかの島の中で最大規模の島だが東西に5キロ、南北に3キロでクロワッサンのような形の島。島の西と東に船着き場があり、島内は、現在は「アートの島」となっている。



アートの島といえば瀬戸内海の直島、犬島、豊島などが有名だが、島内観光の足は直島:車、バス。犬島:徒歩、豊島:アシスト付き自転車ということになるが、この自転車というのが大問題で島の周回道路というのは大変に起伏がきつい。絶壁の場所があり、その地点は島の内部を通るため上り下りが多くなる。ということで佐久島の移動は、徒歩かアシストなしの自転車ということで、迷わず徒歩を選ぶ。そもそも島中廻って全部のアートを見る元気もないし、アーティストには申し訳ないが、出会うかで会わないかは時の運のようなこと。



ということで、一色さかな広場の近くにある高速艇乗り場から乗船。あまり大きな船ではなく、おりからの旅行振興策で観光客が増加しているようで臨時便となる。そして予想を上回るような高速で10キロほど先の島に20分で到着。最高速度は30ノット(時速55キロ)あたりだと思う。知床の船の3倍の速度だ。ちょっと早過ぎる。いずれ何かが起きなければいいが。そして、タイル張りの灯台まで歩いていくと、後続船が白波を立てて走ってきた。



次のアートは黒壁地区。壁の黒い家並みが続く。この黒壁だが、本当は「焼杉」の板を外装に張るわけだが、旧家や空き家はともかく、立て直した家の中には「杉を焼くのはなく、板を黒く塗っただけのもの」もある。とにかく家並みが黒くなければならない。



そして到達したのが、海辺にある「おひるねハウス」。3×3の分割された空間に入ってお昼寝することがテーマになっている。なんとなくサウナ付属の宿泊施設に似ている。

豊橋市公会堂の目的は

2022-10-20 22:00:00 | たび
豊橋の吉田城の隣には歴史的な建物がある。有形文化財として国が指定している立派な建築物で、豊橋市公会堂である。昭和6年の竣工。今年で91歳だ。



設計は中村與資平。辰野金吾の事務所からはじまり独立。朝鮮半島で活躍した後、日本で設計を続ける。本公会堂の最大の特徴は正面の柱。様式はコリント式と呼ばれるギリシア調。一部、アラビック(あるいはスパニッシュ)であり、柱の上に鷲を配置するのは米国式。米国の大学にはこういうデザインが多い。



実は昭和6年の竣工の一年前に日比谷公会堂も竣工。その頃、公会堂建設ラッシュがあったようだ。

その目的だが、大正デモクラシーだそうだ。当時の国民は政治家の生の演説を聞きたがっていた。いまとは真逆だ。そのため、政治家の講演を聞くための公会堂が必要だった。

もっとも世の中は逆説だらけで、公会堂ができた年に満州事変が勃発。民主主義は徐々に劣勢になっていき、日本はとんでもない方向に進んでいった。

「すかなごっそ」で湘南ゴールド購入

2022-05-13 00:00:35 | たび
三浦半島シリーズ最終回は湘南ゴールド。神奈川県だけで栽培されている柑橘。「かながわ旅割」という補助金利用のミニ旅行についている2000円のクーポン。宿泊した民宿の方に聞くと、勧めてもらったのがJAよこすか葉山の産直販売所の「すかなごっそ」。語源は「横須賀の新鮮野ごちそう」ということだそうだ。

三浦半島は、水はけの良い土地と温暖であること、周りが海なので海面による太陽光の照り返しということで植物の生育がいい。ハワイ島のコナコーヒーと同じだ。一方、長野県の嬬恋キャベツのような、温度が低く、湿度があって光が弱い効果で葉が柔らかい野菜というような方向性とは全く違う。

キャベツを一玉買ったのだが、今まで出会ったことがないように重たい。地雷のごとく重い(地雷を持ったことがないので、単にイメージ比喩だが)。鉄製のキャベツではないかと思うほど葉が詰まっている。その他、いくつかの野菜を購入しても直売店で2000円も買うのは大変だ。(葉山牛を買えば100gも買えるかどうかだが。)

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それで、6個540円の『湘南ゴールド』を購入。実は、何時間か前に三崎港にあるミサキドーナツ店で湘南ゴールドを使ったドーナツを食べたところ絶品だった。大きさは通常の温州ミカンより少し小さい。直径4センチ以上5センチ以下といったところだ。

食べ方は自由だが皮ごと1/4サイズにカットしてから外皮をむいて内皮はそのまま食べられる。色がレモンのように鮮やかなので、レモンのように酸っぱいと想像しそうだが、温州ミカンよりも少し酸っぱい程度で甘みは温州ミカンと同じぐらいだ。つまり甘酸っぱい。

温州ミカンと神奈川県の西部でとれる「ゴールデンオレンジ」を交配して作ったそうだ。ゴールデンオレンジは実が小さいので温州ミカンと交配して果物らしくなったようだ。

でこぽんと同じように収穫後、しばらく寝かせると酸味が減っていくそうだ。が、それを知る前に全部食べ切ってしまった。

「うらりマルシェ」でマグロの追加

2022-05-06 00:00:35 | たび
三浦半島先端の城ケ島の民宿で『マグロ尽くし』料理をいただくが、マグロ尽くしというのはマグロの全部の部位を食べるということではなく、料理のすべてがマグロの部位という意味のわけだ(冷静に考えれば当たり前だが)。



となると、別の部位を探しに翌朝は城ケ島大橋で半島側に戻り三崎港に行く。コロナ前は市場内のマグロの解体が見られたそうだが、現在は市場には入れない。隣接する『うらりマルシェ』というマーケットに行くと、数多くのマグロ専門店が並んでいる。業者ではないので長さ40センチの冷凍の胃袋とか買うわけにはいかない。



しばらく歩き回って、自宅で食べきれるサイズの「うらホホ」と「尾の身」を計2500円位で購入。ほっぺの身とセリ前に切り落とされる冷凍マグロのシッポで、どちらも普段は手に入らない。

アイルランドのマグロだそうだ。



ということで、後日、「うらホホ」は、付属の調理レシピに従い、一口サイズにカットして馬刺しのようにニンニク醤油で食べることになる。馬刺しよりも少しあっさりしている。マグロだからだ。赤ワインに合う。結構な量になる。



一方、尾の身だが、ハーフサイズにカットされていたので、付属レシピを参考に、そのままオイル焼き。脂の量が多いが、トロを炙って食べるようなものだろうか。断然ビールが最適となる。屋外バーベキューでマグロ部位を焼けば、河原や海岸にあふれる焼肉派や焼きそば派、豚汁派、シチュー派などに対して優越的気分になれるだろう。(ノンアルドリンクを忘れずに)

ところで、「うらりマルシェ」には、さかな館とやさい館があるはずなのだが、やさいの販売店は一店だけだったので、がっかりして次の目的地の油壷の温泉に向かったのだが、途中で画像を調べると、やさい館は2階にあったようだ。ということで、三浦半島名産の野菜を探しに行く。

ミサキドーナツ三崎本店で

2022-05-04 00:00:54 | たび
三浦半島を代表するスイーツというと、マーロウのビーカー入りプリンとミサキドーナツのドーナツだろうか。もちろん、メロンとスイカという大物は別枠としてだが。

マーロウの方だが、本店はプリン屋ではなくフランス料理店なので、今回は寄らずに三崎港にある「ミサキドーナツ三崎本店」に向かう。マグロで有名な三崎港の市場エリアから徒歩ですぐの場所。



で、今回、店内というか店外のテーブルで食べたのは、「湘南ゴールド」という柑橘系のドーナツ。いわゆるドーナツの穴(本当は穴ではないのだが、作る過程で生地に穴を開けるため穴だと思っている人が多い)。が小さいタイプだ。

これが、人生で出会った最高のドーナツだった。季節限定で「湘南ゴールドのジャム」と「ヨーグルトソース」を包んだそうだ。おいしいドーナツを食べると、幸せな気分になって、何もしたくなくなるので、Do Nothing というのが短縮されてドーナツというようになったという説があるが、本当かもしれない。「湘南ゴールド」の件は、別途。



ところで、少し前に見た映画で1934年公開の米国映画「ある夜の出来事」の1シーンで、主演のクラーク・ゲーブルとクローデッド・コルベールが朝食を食べるときに、ドーナツをコーヒーに浸けてから食べていて大変驚いたのだが、ドーナツについて調査を進めているのだが、スペシャルドーナツをコーヒーカップに入れるはずはないので、普通のドーナツを購入して、帰宅後調べようと思ったのだが、このドーナツもあまりに美味で、そのまま全部食べてしまったので実験できなかった。ミスドのオールドファッションに外見は似ているが、もっとあっさりしているし、一回り大きい。やはりDo Nothingの味だ。

通販でも買えるのだが、偽サイトがあって詐欺被害が発生したようだ。横浜市内にも実在店舗があるのでどうしようか・・

城ケ島公園

2022-04-29 00:00:36 | たび
城ケ島の東半分は県立公園になっている。西側は商業地域であり東西分裂していて、車で移動すると公園の入り口で料金を払わないといけないが、歩いて移動すれば、特に門があるわけでもない。とはいえ、夜間に歩くのは大変に危険なので、まったく勧められない。



いかにも公園の外のように見えるところまで歩くとウミウの生息地が見える場所がある断崖に渡り鳥が飛来するのだが4月になるとロシア方面に帰還するそうで、一羽の姿さえ見えなかった。ロシアと三浦半島の間には他にも適当な場所があると思うが、「寒いのでもっと南に行こう」と南下政策を追求したものの、「ここから先には土地がないから」といって妥協したのだろうか。単に相模湾のシラウオが好物なのかもしれない。



そして旅のハイライトの一つが、「馬の背の洞門」。高さ8m、横6m、厚さ2mの自然にできた海蝕洞穴。明治時代に文学者が感想を記しているので、関東大震災でも崩れなかったことになる。といってもこの上を歩いては絶対いけないのだが、日本語の立札が一つあるだけだ。

洞穴のそばまで行ったが、足元の岩場は濡れていて、満潮時には潮が上がってくるのだろう。相当な高さの公園の平面からここまで降りて、また昇らないと行けないので、人生の前半と自認する年齢のうちに訪れた方がいいだろう。心臓が壊れるか、転倒して頭に穴が開く可能性がある。

馬の背というには洞門上部が細いようなので、百年単位で徐々に細くなっているのかもしれない。ホームコースとしているゴルフ場にも馬の背グリーンという嫌なものがあるが、足を滑らしても砂地に落ちるだけで、たぶんけがはしない。



次は、安房埼灯台。城ケ島の東端にある。西日本から東京湾に向かうには、城ケ島灯台、安房埼灯台を左に見て観音崎灯台方面に転針ということになる、見逃すと房総半島に激突する。灯台のデザインは実際には夜になると見えない。昼間、陸側から見るに過ぎないが、それぞれ個性的になっている。ここの灯台イメージは「カワイイ系」を意識したのかもしれないが、時節柄、「ICBM」に見えてしまう。何しろすぐ隣が横須賀で、日米両軍ともイージス艦の基地になっている。



帰り際に断崖の近くの展望台でテレビドラマのロケがはじまった。断崖=殺人事件に決まっている。都内には高層ビルという、もっとお手軽な犯行現場があるし、わざわざ断崖の上に殺されに行く犠牲者もいないだろう。駐車場ではパトカーの偽装工作が行われていた。神奈川県警なのに品川ナンバーとかパトカーの赤色灯の向きが90度ずれているとか、誰か気が付くのかな。

城ケ島灯台付近

2022-04-27 00:00:20 | たび
三浦半島は小さな半島だが灯台が多い。海岸は海水浴ができる砂浜もあればゴツゴツとした断崖もあれば岩礁だらけの岩場もある。半島最南端には小さな海峡をはさんで城ヶ島という東西に長い島がある。東西に長いために東西に灯台がある。西の方が城ケ島灯台、東が安房埼灯台。まず城ケ島灯台付近から。



海岸だが一面が岩礁で、こういう場所を好むのが魚類たち。そして釣人。職業としての漁民、旅館経営者、そして釣りバカ(いや、釣魚愛好家と言い直そう)。



千葉県南部(房総半島)南部の海岸でもこういう状態だが、水平に生成される地層が横倒しになり、さらに横向きに海に沈んでいくということは、順序は不明だが、地層が「横倒しになり」「90度横回転し」「さらに前後に傾いて沈下する(あるいは海面が持ち上がる)という三方向に動いたことになる。長い時間の間に動いたということは四次元的であるといってもいいかもしれない。

そして、マグロ料理で有名な民宿に泊まる。

観音崎灯台付近を歩く

2022-04-25 00:00:25 | たび
観音崎という地名は日本各地にある。岬に〇〇観音があれば、地元の人は観音崎とよぶ。三浦半島から靴の踵のように東京湾に突き出した部分が観音崎。三浦半島の爪先はもう少し南の城ヶ島になる。この観音崎が東京湾の入り口ということで、観音崎を回って東京湾の外側にあるのが浦賀。ペリーの一回目の来寇時はやっとのこと東京湾の外側に上陸地を定めたが、翌年の日米和親条約締結地は横浜になる。現在は「来寇」ではなく「来航」と書くようになっている。安保条約を長く続けていることにより、米国が味方になり、(とは限らないが)文字が変わった。



そして観音崎灯台だが、近代的灯台としては日本最古といわれる。フランス人の技術者が設計した。米国から日本に来るには房総半島の野島崎で転針し、観音崎で再確認が必要だし、中国大陸や西日本から東京に向かうにはこの観音崎が転針地になる。曲がらなければ千葉県に乗揚げてしまう。



観音崎公園は海抜ほぼゼロメートルなので、小山を登ることになる。さらに灯台の中のらせん階段を上り見晴らしのいい頭頂部に出る。日本にはいくつかの登れる灯台があり、その一つだ。灯台の発光設備というのは、遠くから光が見えるように多くのガラスが複雑に組み合わせられている。基本的に周りを明るく照らす目的ではなく。遠距離でも悪天候でも見えるようにするのが目的となる。



灯台のような塔がもう一つ立っているのは、マーチスという海上交通管制センター。東京湾内に入るすべての船舶は、ここで管制されている。危ない、あるいは航路の怪しい船舶には直接電話で確認が行われる。



そして、海面上に見えるコンクリートの構築物は、戦前に作られた海中探聴塔。海の中の部屋で、敵潜水艦等のスクリュー音を監視していた。海面下にはレーダーは使えない。

同様の施設は海中ではないが紀伊水道の友ヶ島にもあった。目的は同じだ。実際には敵国が首都圏や京阪神に上陸することはなかった。上陸予定地は九十九里浜か鹿島灘だったようだ。ノルマンジーと同じような場所ということ。



そして、砲台跡。近くの猿島とか横浜の岸根公園の林の中には高射砲台があったが、あるいは東京湾に入ってくる敵艦隊に上から攻撃するつもりだったかもしれない。明治時代に遡り、広島県の呉の軍港を守るために作られた関門海峡の門司側の山の上にある砲台跡を見たことがある。

2ヶ月ほど前にはJR鶴見線の国道駅の施設に残る機関銃の銃撃痕も見たし、不意打ち的に戦争遺産に出くわすのは何かの予兆なのだろうか。

石原兄弟の海で何があったか

2022-04-20 00:00:02 | たび
週末に三浦半島のミニ旅行に行っていた。そして、・・・

三浦半島の最北部は東が横浜市、そして西が鎌倉市。鎌倉の南が逗子市でその南が葉山町。東西にまたがる横須賀市があって、最南端が三浦市だ。結構細かく分かれている。伊豆半島と同じように東側に人口が多く、鉄道もJRと京急と二本あるが、西側には鉄道はない。ただし、江戸時代になる前は西側にある鎌倉が東日本の政治の中心だった。

ところが、多くの人は横浜の南に横須賀があって、それで終わりと思っている。逗子とか葉山とかどこにあるのだろう???という感じだ。

ということで、今回は半島の西側のドライブ・マイ・カー。主語は「I」だ。マイカーじゃなければ自動車ドロだ。



そして、まず、逗子海岸で見るのは有名な「太陽の季節文学記念碑」。運転中に渋滞で止まった時に右側に見えた。手すりで文字が全部は見えないが、「太陽の季節 ここに始まる 石原慎太郎」と書かれている。芥川賞受賞50周年として2005年に完成。左上の金色の太陽は無論のこと岡本太郎の「若い太陽」。岡本氏は1996年に他界しているため、養女(事実上の妻)であった敏子氏が同意したのだろう。記念碑が完成した11月に先立ち、4月に他界されている。

次に向かったのが、葉山の森戸海岸にある森戸神社(大明神)。源頼朝が三島にある三嶋神社から分社して興した由緒ある神社である。三嶋(三島)の地名は伊豆諸島という意味で、八丈島に流罪になった為朝や自らも伊豆半島に潜んでいたことから信仰することになったのだろう。鎌倉からは馬で一走りの場所でもあるし鶴岡八幡宮からは少し距離を置いたのだろうか。



そして、海を見渡せば神社の鳥居と並んで別名「裕次郎灯台」と言われる葉山灯台がある。ヨット仲間が集めたお金を寄付して作られた灯台だ。



そして、今度は石原裕次郎の記念碑。

夢はとおく 白い帆にのって 太陽の季節に実る 狂った果実たちの先達 石原裕次郎を偲んで 

慎太郎氏の筆である。

そして、まったくの偶然なのだが、沖合に大小たくさんのヨットが集まっていたのだが、これが慎太郎氏の散骨式だった。太平洋を使うのかと思っていたら、そこでしたか・・



あまり報じられていないが、式後にメモリアルについて記者から質問があり、長男と次男の話では、「灯台」を勝手につくるわけにはいかないので、長男からは次男の負担で銅像でも作ろうかという案が出たところ、次男は逗子市のマンホールの蓋でも・・と言っていたのだが逗子中のすべてのマンホールの蓋を顔入りにするとなると銅像よりもずっと高くなるのだろう。


ところで、散骨の件だが、今回は骨のすべてを粉にして海に散じたわけではなく一部だけだったそうだ。故人の希望なのか遺族の希望なのかは不明だ。

島原鉄道乗り倒し旅&ウクライナ急行?

2022-03-27 00:00:24 | たび
島原半島の旅には、島原鉄道(株)の『島原半島周遊パス』がお得という情報を直前に知った。それなら行く先を水増ししたくなるのが、非上級国民の性(さが)ということになる。パスを購入すれば、島原鉄道の事業(鉄道・バス・フェリー)の2日間乗り放題ができる。(元々は島原半島南部まで伸びていた路線を雲仙普賢岳の爆発以降、廃線にしたようだ。

このチケットは2日間のうち1日は土日祝が含まれないといけないのだが、そもそも目下のコロナ禍では土日祝でなければ観光地の食事処も開いていないことがあるので、平日に行くのはリスクがある。



ということで、まず、まもなく西九州新幹線の停車駅になる諫早駅で島原鉄道改札に向かう。周遊券は自販機で買えるのだが、間違いやすいので社員の方がアシストしている。二日券で3000円だが、1日券は2000円。実は諫早から島原まで片道1460円なので、往復するだけでも得なのだが、どうも売れていない。お得過ぎるチケットに釣られて旅行に来る人に売るものだから、一般客に押し売りするようなものでもないのだろう。

結局、1日目は、諫早→島原(鉄道)、島原←→原城跡(バス往復)
   2日目は、島原←→大三東(鉄道往復)、島原←→がまだすドーム方面(バス往復)
    さらに、島原→雲仙→小浜(温泉)→諫早(いずれもバス)

ということで、6880円分使用させていただいた。



ところで、1日目に乗った鉄道車両は赤を基調にしていたが、2日目に乗った車両は奇しくもウクライナカラーの黄色と青の二色使用。急いで塗り直したのだろうか。キエフ発オデッサ行きか。



よく見ると、行先表示の下に『ワンマン』の文字。偽装車両のおそれあり。

島原半島の温泉

2022-03-23 00:00:05 | たび
島原半島では、三か所の温泉場が有名だ。東から島原温泉、中央に雲仙温泉、西側が小浜温泉。情報を調べると、半島西岸の小浜温泉の下に105度Cの熱湯が上がってきて、その分岐が雲仙火山群の方から地下の硫黄分を含んで吹き上がるのが雲仙温泉、さらに東岸の島原温泉は多くの成分が含まれていると言われている。

今回の旅程では島原に泊まって雲仙、小浜と半島を横断し、諫早に戻ろうということで、温泉には雲仙で入り、小浜にある日本一巨大な足湯設備に浸かって海を眺めるつもりだったのだが、現地直前チェックで数日前に小浜の足湯が点検整備のため一時閉鎖されたことがわかる。

ということで、雲仙で足湯、小浜で温泉と入れ替える。

雲仙には観光協会が設置した共同足湯があり、これが結構、熱い。長く足を入れておくと、茹蛸のように真っ赤になる。赤くなるだけではなく、本当に茹で上がってしまうので、足を出したり入れたりしないといけない。



実は、一ヶ月ほど前から足の指を中心に、しもやけになっていて、少し痒かったのだが、完全に治った。ただ、温泉の成分が効いたのか、温泉の熱量のせいなのか。どちらが治療に効果があったのかは、わからない

そして、島鉄の鉄道バス乗り放題チケットを使って小浜に向かう。



直前に調べた情報で、屋上の温泉で、海が見えるという旅館で、ワンコインで1時間ほど温まる。さすがに湯質はサラサラで、何より眺望がすばらしい。

この1、2年眺望がすばらしい温泉によくあたっている。富士山、渓谷、海。よくいくサウナの屋外露天風呂は、外から覗かれないように高い柵や目隠しがあり眺望価値ゼロだが、ずいぶん違うものだ。

雲仙の地獄

2022-03-22 00:00:53 | たび
雲仙と言っても山に登らなければ、大変なことは何もない。普通の温泉地と変わらない。日本は火山が多いが、その中でも九州には阿蘇山、雲仙、桜島と巨大な火山が多い。そもそも九州の縄文文化は火山の爆発で全滅したとも言われる。火山や地震といったエネルギーの前では現代人も縄文人も大して差がないのだ。

そして温泉地にあるのが「地獄めぐり」。前もって調べたところ、雲仙の地獄は、別府温泉に比べると、まるで小さいと言われるらしい。

別府にはいったことがあるが、シーサイドの新しい別府の方だったので地獄めぐりはしていないので比べようもないが、北海道の登別の地獄めぐりよりは広いと思う。



その中でも壮大なのが、「大叫喚地獄」。嫌な名前だ。

というのも江戸時代初期にはキリシタン弾圧のため、宣教師や隠れキリシタンを、雲仙に連れてきて、転ばない場合、噴き出す熱湯の中に突き落として殺していたわけだ。



隠れキリシタンであっても殺されたものの記録が残っているというのは地下組織があって進行が続いていたということだろう。断定はできないが、一部の書物によれば、磔になる殉教者が増えれば増えるほど隠れキリシタン内の地区責任者の地位が上がるため次々と入信者を増やしていたとも書かれているのを読んだことがある。

明治政府も当初はキリスト教の禁止を続けていたのだが、不平等条約の改定を目指すなかで海外諸国から指摘されて、解禁することになった。もちろんその頃にはポルトガルやスペインといったカソリック国は力を失っていたということもあるだろう。

島原の子守唄、深い問題があるらしい

2022-03-21 22:14:03 | たび
島原鉄道の島原駅は、ある意味では市の象徴でもある島原城より立派に見える。もちろん天守閣は地元の人が直接的便益を受けるわけではなく、駅舎の方が実用的であるのは自明だから立派でも構わないが、他の島原鉄道の駅の状態からすると、千倍も立派な感じだ。

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そして駅前には銅像が立っている。『島原の子守唄』の像だ。

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なんとなく古来より歌い継がれた子守唄かなと思って、曲を思い出せずに後で調べると、

「おどみゃ島原の、」から始まる聞き覚えのある曲だった。

YouTubeでは、藤圭子さん他何人かのVIDEOが見られる。著作権等のことが不明なので、紹介だけだが、「この親ありてあの娘ありや」というように上手い(当たり前だが)。

なんとなく、悲しすぎる子守唄のように感じるのは、どうも古来からの唄ではなく、別の地方に伝わる似たような感じの唄が元になっているのではないかという指摘があるそうだ(基本的には、「似ている」というのはセーフだと思うが)。

そして、戦後に現れた子守唄のようだ。

明治時代から戦争が終わるまで、島原地方は貧しく、娘たちが東南アジア方面に娼婦として送られた「からゆきさん」の歴史を、歌詞に込めたということらしい。地元の観光バスのガイドさんがそう紹介していたという声が多い。しかし、直接的には表現されていないので、言われなければわかりにくい。

それでいいのか、島原。という気持ちにならないのだろうか。

あるいは、銅像は、日本の中の被害者として、観光客にアピールしているのだろうか。