徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

徳島駅1968年

2008-03-16 18:57:55 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

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’68年7月の徳島駅佐古方デス。画面中央は’66年新製のキハ45が既に配属されています。
画面左手は給炭台がありましたが、その奥の気動車区建物と城山は今もそのままです。

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給炭台にいたC58-243号機。機関士さんが「お召し機やで。これ撮れェ」と言ってくれました。
給水温め器の飾り帯やステンの握り棒に面影が残っています。ネットで調べてみると243号機は’66年4月の愛媛植樹祭において249と重連でお召し牽引の記録があり、その名残でしょうか。

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給炭台の反対側で333号機。前配置は多度津で徳島で見られたC58で唯一250W前照灯付きでした。これに重油タンクもついてればなぁとよく思っていました。

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日中、C58の牽く高徳本線下り列車は小松島に回送することなく転線・引き上げ後転向して給炭台で整備・補給し次の仕業に備えていました。

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整備の終わった121号機が給炭台を離れ上り貨物を牽いて発車していきます。

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最初の方で整備中だった243号機は326レを担当。この頃、高徳本線の上り客レは朝の322レと夕方のこの326レでした。ということはもっと昔、日中に324を名乗る客レがあったのだと思います。

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池田行き423レです。小松島の項で書きましたが、小松島発の貨物がウヤの時423レの回送前位にC11が付いて来てその徳島での様子ですが、解放されることなくこのまま発車していきそうな感じです。徳島本線上り貨物の仕業でもあるのでしょうか?徳島本線の貨物は撮ったことはおろか見たこともありません。蒸機全廃後も’86年11月まで貨物営業が続けられたそうでうが・・・

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気動車を2枚。何れもひどい逆光ですがスキャナで補正してなんとか表情が出ました。湘南顔のキハユニ15は気動車王国四国でも徳島区にだけ5と12が配置されていました。キユニ17は高松所の所属です。このころは未だ背後に見える木造の信号扱所がありました。

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今度は二軒屋方、徳島公園の前で突放中のC58-110号機。徳島のC58で唯一集煙装置を付けていませんでした(翌年装備)前配置は関西線の王寺で先の121と一緒に異動してきたようです。

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最後にレア物。軌道試験車ヤ210です。軌道試験車というとマヤ34が有名ですがこちらは3軸の「貨車」で貨物列車に連結して中級以下の路線を測定する車両だそうです。左手、城山の手前の建物は懐かしい県立図書館。右手奥には市立図書館もあった時代です。

 

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