ということで昨日は9月2回目の「遊び小屋」デー、案内はするが車で送迎の約束をする仲間以外は基本的に出欠の返事をしないで気ままに参加するという不文律がある。浜名湖漁民のさだちゃんが数十年続けた自船保有をやめてちょっと元気がなくなったなと思ったら、なんと珍しく「沢山釣れた浜名湖ハゼを持参する」と事前通告があった。
参加者は結局うーさん・さだちゃん・まっちゃんの3人、雨の予報があったので「お座敷天ぷら」にしようと決めて家を出たら何と蒸し暑いが雨が降らず。「遊び小屋」では「テラス=ベランダ」がメイン食事会場なので、「おテラス天ぷら」でしょ。
ガス火で真鍮天ぷら鍋でいつもやってるけど、「遊び小屋」での昭和30年代の生活再現のコンセプトに反するが、「天ぷらモード」がついた新兵器IHコンロを使ってみようと思いついた。鍋は限定されるので、鉄製フライパンだ。特上の白身ネタのハゼが当日朝釣り上げの40匹を入れて100匹以上になったので、他の天ぷらネタはピーマンのみでナスは煮付けにする。主食も夏の名残のそーめんだけのシンプルさ。それでも「揚げながらの会食」は珍しく、話はいつもながらに弾んだが話題の中心はGolichan差し入れの庭産カボスをかけて美味しく頂いたハゼのこと。今年浜名湖では数年ぶりによく釣れていて、半世紀以上のキャリアがある三ケ日出身の「浜名湖漁民」のさだちゃんは、午前中の2時間で15cm以上を半分含む40匹以上をちょちょいのちょいで釣り上げてきた。
缶ビールを1~2本ずつ飲んで、昼寝も入れて半日に及ぶ楽しい集い。帰りには20匹ずつお土産を持たせてもらって、夕食はかみさんにも揚げたての天ぷらを振舞って喜びを分かち合ったのだった。


芋や豆類を増やしてなるべく手がかからないようにしているが、実情は耕作しているというより草と格闘している方がはるかに多い。
昨日は暫くぶりの夏日の中ゴーヤとキューリとトマトを片付けて除草し、苦土石灰を撒いて耕運機を入れた。かみさんから催促を受けていたので、そのまま大汗をかきながら施肥をして長い2畝を作った。
まずはこの10年脚光を浴びている「下北沢駅」に下車して、縦横に発展した駅前商店街を歩き回る。TVのタレント探訪番組で何回か見た小劇場や飲食店が見つかったが、あまり興味はないのでパス。幼少時のテリトリーの東北沢・大山町から笹塚・幡ヶ谷をぶらぶら歩き、1~4年生でお世話になった代々木西原小学校へ。
10年以上前に一度立ち寄ったことがあったが、今回も守衛さん(今はガードマンか?)に断って許可を得て構内に入った。校舎や校庭は全て建て替えられて懐かしい面影はなし、玄関脇に60年前と変わらぬ「校歌」が音符付きで掲示されていて思わず口ずさむ。徐々に思い出せたが3番は覚えなし、多分公式行事では2番までしか歌わなかったのだろう。

そのまま歩いて当時住んでいた代々木上原駅近くに移動する、当時住んでいた辺りはイメージよりずっと狭く通りと住宅はほとんど変わっていて特定できない。かろうじて馴染みの蕎麦屋と菓子屋の店名が残っていて、この辺だっただろうと想定する。中では野球をやったりトンボ釣り(下駄を投げ上げると留まって落ちてくる)をやった「雲照寺」が、洗練されてはいたが古い鐘楼と共に残っていて最も懐かしかった。
それでも暇なのが多いのかな、顔なじみも含めて早めの乾杯練習をしているうちに60人近くが集い、来年米寿を迎えるかくしゃくとした先生を囲んだ。前後3年の仲間9人と2次会まで誘って4時間しっかり楽しんで、また来年の再会を約して長い長い2日間の旅を終えた。
そして今年は晩夏がやけに暑く、この数週間は台風の上陸騒ぎで雨が多かったが、花が咲くほうのサボテンは健気にまた蕾をもった。
いよいよ開花しそうになった一昨日の夕方、Macchanは頼まれて植木鉢を玄関に取り込んで開花過程をじっくり観察することができた。棘と硬い皮に包まれたサボテン本体の、どんなところから花芽が出てくるのかはさっぱりわからない。おおよそ無骨で花とは無縁な姿の一部から、ある日突然花芽が出てかなりのスピードで大きく育っていく。
どこにこんなエネルギーを潜ませていたのか、本体の細胞やDNAからどうしてこんなに似ても似つかない花を咲かせることができるのか。疑問や驚きが連続する。玄関から更に明るく見やすい居間へ移動させ、15分おき位に観察を続ける。そうだサボテンの花は「一夜限り」だということを想い出し、南こうせつさんがその昔「夢一夜」という歌を自作して歌っていたのが突然頭に蘇った。
先々週仲間と賑やかに訪問した山陰地方では、
2週間前から結局、看護師や介護士や栄養士などのチームが提案するやり方に切り替えた。それが功を奏したのか、短時間で介護スタッフ担当の2食を完食することが増えたからか、母は次第に食欲を取り戻してきた。
数少なくなった男声合唱団ではあるがお陰様で市内で随一?の評価を頂いている我が団は、この5~6年客演依頼が増えて年に数回はお応えしている。先々週の遠州地方同志の「湖西市合唱祭」に続いて、今日は市内の「コールあおい発表会」にお招きいただいて楽しく一日を過ごした。
全国有数の各種音楽活動が盛んな都市で、客演のきっかけは100近くも存在する市内の合唱団の中で伴奏ピアニストが共通なこと。4ヶ月前に話を頂いて我が団も、大きな演奏会向けに準備している演奏曲に加えて聴衆に応じて楽しんでいいただける曲を選んで先々週に続いて臨んだのだった。
9月4日の「湖西市合唱祭」の演奏曲4つのうち一曲を入れ替えて、団員のうち16名がまたまた暗譜で全力を尽くした。市街中心地の市営施設クリエート1Fの「創造活動室」は元々レストランだったところ、120席の観客席だったが友人家族たちが集って、友情出演を入れた3合唱団と2時間の共演をした。


夏休みが終わって一週間以上経った平日の名所はいくつもある大駐車場も空いていて、大社の本殿に最も近いところを選んで滑り込む。広大な境内を仲間とぶらぶら歩き、学生時代に一度訪れているはずだが初めて見るような気分で数々の巨木や立ち並ぶ社に感動する。
檜皮葺きの屋根から立ち上る雨上がりの水蒸気が、神さびた雰囲気を一層盛り上げている。
数あるお社にある賽銭箱全てには小銭が足りなくなって、途中は神様に不義理をする。最後の社にはとっておきの10円玉を投げ込み、二重にご縁(5円)がありますようにと厚かましいお願いをする。口の悪い仲間が、「千円札の両替機」が途中に置いてあれば大社の収入も少しは違ってきたのになあと、昨晩の悪乗りはまだ収まらない。
かなり歩いて腹も減った、地元で何回も来ているIさんお勧めの老舗の出雲蕎麦店「荒木屋」へ寄って、名物割子そばを5枚平らげる。
次は少し戻ってツアー最後の宿泊地になる松江市へ、目的地は経緯があって国宝から重文に格下げされ最近また国宝に復活した「松江城」。Macchanは城マニアでもないが69年の人生で4城既に訪ねているので、残った最後の国宝の城訪問になり少し嬉しい。




初めに城の内堀外堀を巡る乗り合い小舟での「堀川めぐり」、汽水湖の宍道湖とつながり水位の変化に備えて低い橋の下をくぐるために屋根を上下出来る工夫が面白い。
保存された古い街並みや小泉八雲の記念館は堀から見上げ、続いて松江城の本丸をじっくり見て回る。


初日は浜松駅から米子駅まで山陰本線経由で、12時間かけた鈍行(快速含む)乗り換え9回の長旅。空路なら欧米まで行ける時間がかかったが、旅程の大半は景色を楽しみながら飲んで喋り笑い転げる。全行程の3泊もネット検索で見つけた、格安のビジネスホテル。夜9時前に到着した米子にはチェックイン後、皆のリクエストに応じてラーメン餃子とビールで旅の始まりに乾杯。
2日目はIさんが8人乗りのワンボックス車でホテルまで迎えに来てくれた。Iさんお勧めの鳥取砂丘へ向けていざ出発も、雲が低くシンボルの雄大な大山が山頂まで姿を現したのは一瞬だけ。

日本三大砂丘と無理やり豪語する我が浜松中田島砂丘のたっぷり10倍規模の、「日本一の鳥取砂丘」には1時間余で到着。靴では砂が入って歩きづらくなるので、無料のサンダルを借りたがそれでも急な砂丘では苦戦の連続。結局裸足になって登り降り。
あれれ、Macchanってほんとは色白じゃん。(足先だけかよ!)ここでは自販機も砂丘模様だ。
賀露漁港で海鮮丼続いて道の駅で今盛りの名物二十世紀梨に舌鼓を打ち、早めに宿泊先の皆生(かいけ)温泉のホテルへ到着。1時間かけ流しの温泉でゆっくり汗を流し、Iさんの息子さんが料理長の「和処五季(わどころいつき)」へ。四季折々の素材にプラスアルファして、オーナーのIさん自ら名づけたそうだ。
地魚メインの刺身舟盛り初めの豪華料理の数々に、Iさん差し入れの上等な地酒&焼酎で昔話に盛り上がること3時間。「いや~元気に生きててよかったね」とみんな異口同音。

母には3人の子供と7人の孫と今年15人目を授かる曾孫がいる。今年の夏はそんな母の状況を察して、見舞いがてら孫の家族がひ孫を連れて続々とやって来た。先週末も母の孫2号H君が富山から娘を連れて、孫6号Sちゃん夫妻が東京から娘を連れてやってきた。Sちゃんは留学先の縁で


