団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後16年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

お座敷ならぬ「おテラス天ぷら」

2016-09-29 | 「遊び小屋」を遊ぶ
「遊び小屋」の建築DIYが完成して3~4年経過するが、ヘルプ陣を中心とした仲間に声をかけている「遊び小屋」デーは週一のペースで続いている。それでもMacchanが団長を務めている浜松男声合唱団が今月は2回の客演をこなすとか、数日の国内旅行をするなどの予定が入って半分の2回に減らさせてもらった。

ということで昨日は9月2回目の「遊び小屋」デー、案内はするが車で送迎の約束をする仲間以外は基本的に出欠の返事をしないで気ままに参加するという不文律がある。浜名湖漁民のさだちゃんが数十年続けた自船保有をやめてちょっと元気がなくなったなと思ったら、なんと珍しく「沢山釣れた浜名湖ハゼを持参する」と事前通告があった。

参加者は結局うーさん・さだちゃん・まっちゃんの3人、雨の予報があったので「お座敷天ぷら」にしようと決めて家を出たら何と蒸し暑いが雨が降らず。「遊び小屋」では「テラス=ベランダ」がメイン食事会場なので、「おテラス天ぷら」でしょ。

ガス火で真鍮天ぷら鍋でいつもやってるけど、「遊び小屋」での昭和30年代の生活再現のコンセプトに反するが、「天ぷらモード」がついた新兵器IHコンロを使ってみようと思いついた。鍋は限定されるので、鉄製フライパンだ。特上の白身ネタのハゼが当日朝釣り上げの40匹を入れて100匹以上になったので、他の天ぷらネタはピーマンのみでナスは煮付けにする。主食も夏の名残のそーめんだけのシンプルさ。

それでも「揚げながらの会食」は珍しく、話はいつもながらに弾んだが話題の中心はGolichan差し入れの庭産カボスをかけて美味しく頂いたハゼのこと。今年浜名湖では数年ぶりによく釣れていて、半世紀以上のキャリアがある三ケ日出身の「浜名湖漁民」のさだちゃんは、午前中の2時間で15cm以上を半分含む40匹以上をちょちょいのちょいで釣り上げてきた。

缶ビールを1~2本ずつ飲んで、昼寝も入れて半日に及ぶ楽しい集い。帰りには20匹ずつお土産を持たせてもらって、夕食はかみさんにも揚げたての天ぷらを振舞って喜びを分かち合ったのだった。

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秋冬野菜の準備

2016-09-27 | 農作DIY
日本列島は8月末から台風に連続襲撃され、場所によっては風水害にも見舞われて気の毒なことだった。浜松は被害こそなかったが、ぱっとしない天気が続いてまだまだ秋になった実感が伴わない。

それでも三方原の広い畑を耕作する農家は、大根の種蒔きや白菜苗の植え付けをほとんど終えたようだ。リタイア1年前からそれまでの畑を借り増して、この10年は120坪の菜園と格闘しているMacchan。
芋や豆類を増やしてなるべく手がかからないようにしているが、実情は耕作しているというより草と格闘している方がはるかに多い。

9月に入ってからも雨が多く高温が続いているので、夏野菜はナスとピーマンを残して終了したがまだ秋冬野菜の準備が出来ないでいた。
昨日は暫くぶりの夏日の中ゴーヤとキューリとトマトを片付けて除草し、苦土石灰を撒いて耕運機を入れた。かみさんから催促を受けていたので、そのまま大汗をかきながら施肥をして長い2畝を作った。

来週にはベランダで発芽させた白菜やブロッコリの植え付けと、大根や葉物類の種蒔きがやっと出来るだろう。かろうじて滑り込みセーフというところかな?
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懐かしの代々木上原・三田界隈ぶらぶら歩き

2016-09-25 | 旅行
週末は町田在住のハーゲンクラブ孝ちゃんを訪ねて、駅前の何でも¥280の「鳥貴族」で5時間しこたま飲んだ。これだけ食って飲んで長居させてくれて割り勘4千円ちょいだったから、年金族にはちょ~ありがたい。近況や日常行動から人生訓まで、話は多岐にわたるが飽きることはない。

クラブ総会は(ま、飲み会ですわな)いつもは文ちゃんを加えて3人のワイガヤだが、初めて二人の「差し」で飲んだ。もっとも案内された4人席はエアコンの風がハーゲンにもろに当たって寒く、カウンターに変更してもらったから「差し」ではなく「並び」とでもいうのかも知れないな。

前々日に予約したPM9時~AM9時滞在時間限定割引3千円(こんなのあるんだよね!)のシングルベッドに身を横たえたが、悲しい性と言うべきか単なる加齢か7時には目が覚めシャワーを浴びてコンビにで朝刊と朝食を買出し本日の作戦一人会議。そうだ小田急沿線なんだから、60年前に4年間暮らした渋谷区代々木上原駅近辺を歩いてみよう。ちなみにMacchanが浜松のY社に就職するまで18年間の東京在住は、その後5年間の港区赤坂表町と9年間の目黒区八雲の計3箇所の父の社宅住まいだった。

まずはこの10年脚光を浴びている「下北沢駅」に下車して、縦横に発展した駅前商店街を歩き回る。TVのタレント探訪番組で何回か見た小劇場や飲食店が見つかったが、あまり興味はないのでパス。幼少時のテリトリーの東北沢・大山町から笹塚・幡ヶ谷をぶらぶら歩き、1~4年生でお世話になった代々木西原小学校へ。
10年以上前に一度立ち寄ったことがあったが、今回も守衛さん(今はガードマンか?)に断って許可を得て構内に入った。校舎や校庭は全て建て替えられて懐かしい面影はなし、玄関脇に60年前と変わらぬ「校歌」が音符付きで掲示されていて思わず口ずさむ。徐々に思い出せたが3番は覚えなし、多分公式行事では2番までしか歌わなかったのだろう。

そのまま歩いて当時住んでいた代々木上原駅近くに移動する、当時住んでいた辺りはイメージよりずっと狭く通りと住宅はほとんど変わっていて特定できない。かろうじて馴染みの蕎麦屋と菓子屋の店名が残っていて、この辺だっただろうと想定する。中では野球をやったりトンボ釣り(下駄を投げ上げると留まって落ちてくる)をやった「雲照寺」が、洗練されてはいたが古い鐘楼と共に残っていて最も懐かしかった。

心配していた雨が本格的に降り始め、今日の最終目的地の三田に向けて地下鉄に乗った。このところ1年に1回やっている大学の財政学大島ゼミのOB会が、母校のカフェテリアで開催される。少し早いので神谷町で下車して三田までのぶらぶら歩きを楽しもうとしたが、雨脚は強まるばかり。かなり濡れそぼって一時間早く到着。
それでも暇なのが多いのかな、顔なじみも含めて早めの乾杯練習をしているうちに60人近くが集い、来年米寿を迎えるかくしゃくとした先生を囲んだ。前後3年の仲間9人と2次会まで誘って4時間しっかり楽しんで、また来年の再会を約して長い長い2日間の旅を終えた。
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「夢一夜(ひとよ)」サボテンの花

2016-09-22 | 四季折々の花華

かみさんが一手に面倒をみている我が家の植栽、鉢植えの「サボテン」もその一つだ。何種類かあるが10数年前に亡くなった岳父が育てていたものと、通りすがりに始末しようとしていたお宅から貰って来て育てているものがある。

後者はこの数年一年に一回開花するようになったが、昨年は大切にするあまり移動させる時に蕾を落としてしまって楽しむことができなかった。
そして今年は晩夏がやけに暑く、この数週間は台風の上陸騒ぎで雨が多かったが、花が咲くほうのサボテンは健気にまた蕾をもった。

いよいよ開花しそうになった一昨日の夕方、Macchanは頼まれて植木鉢を玄関に取り込んで開花過程をじっくり観察することができた。棘と硬い皮に包まれたサボテン本体の、どんなところから花芽が出てくるのかはさっぱりわからない。おおよそ無骨で花とは無縁な姿の一部から、ある日突然花芽が出てかなりのスピードで大きく育っていく。

どこにこんなエネルギーを潜ませていたのか、本体の細胞やDNAからどうしてこんなに似ても似つかない花を咲かせることができるのか。疑問や驚きが連続する。玄関から更に明るく見やすい居間へ移動させ、15分おき位に観察を続ける。そうだサボテンの花は「一夜限り」だということを想い出し、南こうせつさんがその昔「夢一夜」という歌を自作して歌っていたのが突然頭に蘇った。

あ・・ 夢一夜  一夜限りに咲く花のよう  匂(にお)い立つ
あ・・ 夢一夜  一夜限りと言い聞かせては 紅(べに)をひく

「一夜限りの花」は香りのよい南方系が多いような気がするが、サボテンの花は華やかで妖艶ではあるが無香だ。歌詞を調べていて、なんとこれも阿木耀子さんの作詞だと知った。理性では律しきれない恋する女の揺れ動く心を、一夜限りの花に例えた。畏るべし阿木さんの才能!見事としか言いようがない。

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お彼岸には彼岸花

2016-09-21 | 四季折々の花華

暑さに参った8月、そして発生は遅かったが次々に日本列島特に北海道や東北を直撃した台風に悩まされている9月。自然や季節の異変かと、長生き社会になったとはいえ一世代せいぜい7~80年しか生きていない現代人はすぐ騒ぎ立てる。

しかし少なくとも人類よりは地球上に長く生存している自然の生き物は、もっと泰然と自らの一生を過ごしているようだ。「暑さ寒さも彼岸まで」とは古人はよく言ったもの、戦後の記録史上2番目に多い6個目の上陸台風が過ぎ去った後はかなり涼しくなった。

彼岸といえば彼岸花、昔は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼ばれたようだが、最近は赤色に黄色や白色の園芸種が加わって秋の野は彩り豊かだ。桜前線は2ヶ月近くかかって列島の南から北へ、海岸線から高度の高い山国に向かって上って行く。しかし北海道に咲くかどうかはわからないが、山里にポッと咲く彼岸花の開花時期はそれほど長きには渡らないかもしれない。精々2週間ではないか。

先々週仲間と賑やかに訪問した山陰地方では、松江城下の堀巡りで今季初めて目にしたからまだほんの10日ほど前だ。明日は秋分の日すなわちお彼岸の中日、浜松でも平年と数日も違いなく咲いている。我が家の庭や三ケ日の「遊び小屋」庭には紅白の彼岸花を植えてあったはずだが、今年は家の玄関先の白が数本開花しただけ。三ケ日の紅白の株は酷暑にやられたのか、残念ながら花は一つも出てこなかった。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といえば、サンスクリット語の「マンジュシャカ」から名づけられたと聞く。もう40年も昔になるか、山口百恵さんが「マンジュシャカー」と歌っているのを聞いて違和感をもったものだ。その後作詞があの阿木燿子さんと知り、「曼珠沙華(マンジュシャカ)」はもっと宗教的哲学的な意味を盛り込んだ詩だと悟った。毎年この時期になると想い出す、風物詩ではある。

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母、少々復活

2016-09-20 | 母の介護
母が特養にお世話になり始めてちょうど1年経過した暑さ真っ盛りのころ、体調が優れず機能の衰えがあって食が進まなくなった。家族が入れ替わり出かけ、一日一回1時間以上かけて食事介助をしてきた。その他の食事は介助スタッフが十分な時間をかけられないこともあり、完食できないことが多く必要十分な栄養補給ができていないと思われた。

その2ヶ月前くらいに施設側からミキサー食半量にして栄養補助食を加えることに変更する提案があったが、刻み食を70%くらい確保してもらい時間をかけても完食するやり方を続けてもらうことにした。体重減は止まったかにみえたが元気がなくなり、食に対する意欲(口の開き方や飲み込み方)が減退した。

2週間前から結局、看護師や介護士や栄養士などのチームが提案するやり方に切り替えた。それが功を奏したのか、短時間で介護スタッフ担当の2食を完食することが増えたからか、母は次第に食欲を取り戻してきた。

明らかに食事中眠ってしまうことが減り、口を開けることも増えて飲み込みを忘れることがなくなった。結果食事時間が30~40分平均になって、一日3食の完食率が増えたようだ。もう一喜一憂することはあまり意味がないような気もするが、言葉がさらに少なくなってもお愛想笑いのような笑顔を見せてくれるだけで少し嬉しくなる。
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今月2回目の客演「コールあおい発表会」

2016-09-17 | 男声合唱(合唱)
先週の山陰旅行に次いで、今週は今月2回目の合唱客演に精力を注ぎ込んでいた。リタイア後のMacchan人生の主力の一つ、浜松男声合唱団の活動だ。

この10数年は2年に一度の自主演奏会と、毎年の他団客演や友情出演と浜松市合唱祭に専念している。芸術と味覚の秋になり、今月は急に勢力を増しながら上陸する台風情報に参っているが、それ以上に気を配っているのが一ヶ月に2回も請け負った合唱客演だ。

数少なくなった男声合唱団ではあるがお陰様で市内で随一?の評価を頂いている我が団は、この5~6年客演依頼が増えて年に数回はお応えしている。先々週の遠州地方同志の「湖西市合唱祭」に続いて、今日は市内の「コールあおい発表会」にお招きいただいて楽しく一日を過ごした。

全国有数の各種音楽活動が盛んな都市で、客演のきっかけは100近くも存在する市内の合唱団の中で伴奏ピアニストが共通なこと。4ヶ月前に話を頂いて我が団も、大きな演奏会向けに準備している演奏曲に加えて聴衆に応じて楽しんでいいただける曲を選んで先々週に続いて臨んだのだった。

9月4日の「湖西市合唱祭」の演奏曲4つのうち一曲を入れ替えて、団員のうち16名がまたまた暗譜で全力を尽くした。市街中心地の市営施設クリエート1Fの「創造活動室」は元々レストランだったところ、120席の観客席だったが友人家族たちが集って、友情出演を入れた3合唱団と2時間の共演をした。

他団も我が団と同様、初秋の季節感を意識した演奏曲を並べて日ごろの練習成果を発表するだけに留まらず、自分たちも精一杯楽しんだ。ピアニストHさんを招いて、いつものように2箇所での「打ち上げ」を10人で心から楽しんだ。解散してもまだ7時半だった。

〔コールあおい発表会演奏曲〕

* イギリス民謡、山口隆俊作詩、エマーソン編曲 「Annie Laurie 白百合」

* 近藤吐愁作詩、平井康三郎作曲 「秋の日ぐれ」

* 長渕剛作詞・作曲、源田俊一郎編曲 「乾杯」 

* 岩谷時子作詞、弾厚作作曲、源田俊一郎編曲 「海 その愛」
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鳥取・島根、青春18切符の旅(その2)

2016-09-11 | 旅行
Iさん差し入れの地酒と焼酎の一升瓶を7~8割がた空にして、三日目の朝は少々頭の隅に残る痛みを意識しながら昨晩の宴会の快い会話を想い出していた。夜中からの本降りの雨がまだ残る中、Iさんはまたワンボックス車で迎えにやって来てくれた。

観光2日目は出雲大社と松江城、昨日に続く送迎案内が無かったらそう気楽には一日の旅程に組めない欲張りな目的地だ。伯耆大山(ほうきだいせん)は相変わらず深い霧と雲の中、少し残念な気持ちで出雲の国へ向けて出発。するとどうだろう一時間余のドライブで出雲市に入ると、「出雲」の地名どおり霧や雲が沸き立つように山の上に向かって消えていく。ああ、神話の国にやってきたのだ。

夏休みが終わって一週間以上経った平日の名所はいくつもある大駐車場も空いていて、大社の本殿に最も近いところを選んで滑り込む。広大な境内を仲間とぶらぶら歩き、学生時代に一度訪れているはずだが初めて見るような気分で数々の巨木や立ち並ぶ社に感動する。
檜皮葺きの屋根から立ち上る雨上がりの水蒸気が、神さびた雰囲気を一層盛り上げている。

数あるお社にある賽銭箱全てには小銭が足りなくなって、途中は神様に不義理をする。最後の社にはとっておきの10円玉を投げ込み、二重にご縁(5円)がありますようにと厚かましいお願いをする。口の悪い仲間が、「千円札の両替機」が途中に置いてあれば大社の収入も少しは違ってきたのになあと、昨晩の悪乗りはまだ収まらない。
かなり歩いて腹も減った、地元で何回も来ているIさんお勧めの老舗の出雲蕎麦店「荒木屋」へ寄って、名物割子そばを5枚平らげる。

次は少し戻ってツアー最後の宿泊地になる松江市へ、目的地は経緯があって国宝から重文に格下げされ最近また国宝に復活した「松江城」。Macchanは城マニアでもないが69年の人生で4城既に訪ねているので、残った最後の国宝の城訪問になり少し嬉しい。
初めに城の内堀外堀を巡る乗り合い小舟での「堀川めぐり」、汽水湖の宍道湖とつながり水位の変化に備えて低い橋の下をくぐるために屋根を上下出来る工夫が面白い。
保存された古い街並みや小泉八雲の記念館は堀から見上げ、続いて松江城の本丸をじっくり見て回る。

こうしてIさんのお陰で中二日の観光を目一杯楽しみ、駅ビルで一行のリクエストのカツ丼をほおばりながら余韻に浸る。翌早朝松江駅を出発して、今度は山陽本線経由で浜松へ。7回乗り換え12時間半かかって、ようやく到着。お別れは浜松餃子&ラーメン(初日と同じやん!Macchanもやっと浜松人になれたのぉ)の遅い夕食を囲んで、「あっと言う間の4日間だったね」「近いうちに反省?会もやらなきゃね」と口々に言いながらまたまたビールで乾杯した。
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鳥取・島根、青春18切符の旅(その1)

2016-09-10 | 旅行
リタイア直前から来るべき「毎日が日曜日」の暮らしを想定して、年間3回発売される「青春18切符の旅」を始めた。昨年同時期は高知・徳島の旅、片道10数時間の鈍行の旅をかみさんと堪能した。

今年は4半世紀来の友人たちと2ヶ月前に夕食を共にした時、ひょんなことから山陰を旅する話が持ち上がった。次男Oの中学時代の野球部父母会で親しくなった友人たちで、そのうちの一人Iさんがリタイア後故郷米子に帰って10年、久々に訪ねて再会しようという話がまとまった。

気の合う仲間との懇親会企画幹事を趣味にしているMacchan、早速翌日からIさんと連絡をとり前向きに受け止めてくれたのに便乗して3泊4日の旅行計画を立てた。「青春18切符」未経験の仲間にメリットを強調して説得し、毎年夫婦でやっている安上がり旅行を提案し合計6名のツアーが成立した。

初日は浜松駅から米子駅まで山陰本線経由で、12時間かけた鈍行(快速含む)乗り換え9回の長旅。空路なら欧米まで行ける時間がかかったが、旅程の大半は景色を楽しみながら飲んで喋り笑い転げる。全行程の3泊もネット検索で見つけた、格安のビジネスホテル。夜9時前に到着した米子にはチェックイン後、皆のリクエストに応じてラーメン餃子とビールで旅の始まりに乾杯。

2日目はIさんが8人乗りのワンボックス車でホテルまで迎えに来てくれた。Iさんお勧めの鳥取砂丘へ向けていざ出発も、雲が低くシンボルの雄大な大山が山頂まで姿を現したのは一瞬だけ。
日本三大砂丘と無理やり豪語する我が浜松中田島砂丘のたっぷり10倍規模の、「日本一の鳥取砂丘」には1時間余で到着。靴では砂が入って歩きづらくなるので、無料のサンダルを借りたがそれでも急な砂丘では苦戦の連続。結局裸足になって登り降り。
あれれ、Macchanってほんとは色白じゃん。(足先だけかよ!)ここでは自販機も砂丘模様だ。

賀露漁港で海鮮丼続いて道の駅で今盛りの名物二十世紀梨に舌鼓を打ち、早めに宿泊先の皆生(かいけ)温泉のホテルへ到着。1時間かけ流しの温泉でゆっくり汗を流し、Iさんの息子さんが料理長の「和処五季(わどころいつき)」へ。四季折々の素材にプラスアルファして、オーナーのIさん自ら名づけたそうだ。
地魚メインの刺身舟盛り初めの豪華料理の数々に、Iさん差し入れの上等な地酒&焼酎で昔話に盛り上がること3時間。「いや~元気に生きててよかったね」とみんな異口同音。






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長生きの母のお陰で大勢の親族が集える

2016-09-05 | 母の介護
母も父と同じ認知症とわかってから15年余、ちょうど11年前に父が亡くなった頃を境に母の認知症状が年々進んで、少しずつ「困った母さん」度が増していった。代々のケアマネージャーが異口同音に「珍しいケース」と表現した、兄妹3人が輪番で始めた介護にも改善を加えて5週間ずつのそれぞれの自宅介護に切り替えた。

それまでの1ヶ月毎の当番だと毎年夏休みと正月休みを、同じ者が担当しなければならないことが判明したからだった。浜松で10週間と東京で5週間のイレギュラーなデーサービスを受けられるように、当時のケアマネさんが粉骨努力してくれた。これらが効を奏したのか、この10年母の認知症度の悪化はゆっくりで父の発症以来10年86歳前で亡くなったのに比べると、大幅に長寿記録を更新すると思われた。

しかし米寿を過ぎ卒寿を迎えるころにはおとなしく優しくなったが、生活基本機能の衰えが目立ち始めた。この一年は食事さえも介助なしには難しくなった。そしてこの夏、お世話になっている特養施設はエアコンで年中27度の快適さ、風呂やトイレの介助はプロがやってくれるので安心できるのだが。残念ながら口の開き方が悪くなり、咀嚼も嚥下機能も著しく低下した。結果食事時間は1時間から1時間半かかる。食事内容も噛まないで飲み込める半量のミキサー食になり、補助栄養剤のお世話にもなり始めた。

かみさんの両親と父の計3名の介護歴をたどると、食が細くなり痩せて体力がなくなるとやがてローソクの火が風が無くとも揺れてやがて消えるように命の灯火が燃え尽きる。母のこのところの状態を見ていると、年明けの誕生日が迎えられるかどうかという状態だ。

母には3人の子供と7人の孫と今年15人目を授かる曾孫がいる。今年の夏はそんな母の状況を察して、見舞いがてら孫の家族がひ孫を連れて続々とやって来た。先週末も母の孫2号H君が富山から娘を連れて、孫6号Sちゃん夫妻が東京から娘を連れてやってきた。Sちゃんは留学先の縁でドイツ人Jさんと6年前に結婚して4年前に娘を授かった。偶然とはいえ珍しい組み合わせの親族が集って、そろって夕食を共にし特養の母を見舞ってくれ父の墓参りもしてきた。

Macchanは演奏会や旅行の計画をかきわけて、かみさんと久々の組み合わせの親族との楽しいひと時を楽しめた。
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