3日前「カンボジア・ベトナム旅行のエピローグ」の記事で、「てるみくらぶがちょっと変だ」と書いたのが残念ながら的中してしまった。「何があったのだろう」と書いたことも、週が明けて少し判明してきた。
Macchanは営業系の仕事が多かったので、取引先の倒産を何回か経験した。 所属していたY社は組織で対応してくれたお陰で、修羅場はくぐらなくて済んだが今でも思い出すことがたくさんある。
経験に基づいて「倒産」要因を振り返った時に、今回のファンだった「てるみくらぶ」のケースで思い当たることがいくつもある。先ず急成長を遂げている時に、基本的な経営資源と手段である「資金繰り」と「人員の手当て」「プロモーション」はどうしていたのかということだ。
「てるみくらぶ」は創業から20年近く経過しているが、急成長したのはこの5~6年ではないか。7~8年前Macchanが初めてお世話になった時は全く無名で、超格安の台湾旅行は余りの安さ(確か3泊4日で2万円位だった)で「騙されてもいっか?」くらいの乗りで参加した。
その時すでに感じたのは、かつてまずまずのビジネスホテルだったのを時流に乗ってやるべき改装をやらずに人気を失ったところを安く契約しているなということだった。ネット化のインフラ投資も遅れていた。それでも7~8時間寝るだけに使うホテルはこれでいい、というニーズには十分だった。
更に航空券も大型飛行機が就航する路線でオフシーズン、空席が目立つ時期にあるロットで押さえて買い入れ、宿と並んで格安ツアーに仕立てているなと感じていた。この1~2年は世界各地でテロが勃発して、事件と余り関わりのない地域でツアーを多く組んでいることもフォローウィンドになっていたのだろう。この数ヶ月は口コミネット販売でコストが安く済んでいたにもかかわらず、新聞などのマスプロモーションをかけて勝負に出たのもコスト急増に拍車をかけたのではないか。
ここまでは無責任で勝手な想像だが、事業が回らなくなってきたなと思ったらやるべきことは他にあったのではないかと感じる。新興勢力が多く競争が激しい急成長業界だが、業界内での経営者同士の交流はなかったのだろうか。もしあったとすれば無理な拡大に破綻が来そうな予感があった時に、互いに助け合うような話し合いができなかったのか?
倒産が確実になった時点でも、先輩格のTrapics、HIS、クラブツーリズムなどが手を貸して自らが拡大発展のチャンスになったはずだ。まだこれから失業した従業員の救済、各種システムをそのまま受け入れる可能性はあるかもしれない。安く楽しい旅の市場発展の可能性は、まだまだ無限にあると思うのは贔屓過ぎる見方だだろうか。
もう一つ今回感じたのは、クレジット決済のこと。Macchanも近頃は頻繁にネット通販でクレジットを使うが、物品の場合には決済と実物到着の時差はわずかで、せいぜい一週間だ。一方旅行の場合は通常1~3ヶ月前に申し込み、旅行出発前に決済されてしまうことが多い。今回も信用不安が広がった時には、もう支払い中止の手を打てなかった顧客が大半だっただろう。今後の支払いタイミングを熟慮したい。
記事中無関係な各種水仙の花が登場したのは、三ケ日の「遊び小屋」庭で4~5年目を迎える今盛りのもの。


我が家の居間のグリーンカーテンにしている、アーマンディーが早くも咲き始めた。可愛がっているかみさんの指摘で気がついたが、花は4弁5弁6弁と混在している。植物では珍しいことだが、まさかこの花粉は悪さはしていないだろうね。
先ずは市民の胃袋ベンタン市場を見て回る。昔からかくやと思わせる肉や魚や野菜の生鮮市場だ。肉の販売は冷蔵庫もない売り場で、固まり肉をおばちゃんが切り出した端から市民に売れていく。魚は活き魚か氷の上に置いた状態で売られ、ここもおばちゃんが鱗を落としたり切り身にしたりして次々に捌いていく。昔のどこの町にもあった場末の市場を見るようで、何故か懐かしい風景だ。市内には大きなショッピングセンターやスーパーが増えているようなので、こういう風景は早晩化石になってしまうのだろう。







続いて統一会堂、戦争証跡博物館、サイゴン大教会、郵便局と、フランス統治時代からの現役を含めた施設を見て歩く。

戦争証跡博物館は国民にとっては理不尽な東西冷戦下の、それぞれの陣営のバランス下で繰り広げられた、いわば受難の戦争の歴史を刻んだ貴重な歴史資料館。半世紀前の新聞記事ではよく目にした、従軍写真家が残した画像が多く展示されていたが、Macchanの世代では感慨のあまり涙なくしては見られないものばかり。その後も世界中で超大国のエゴによる悲惨なシーンが、懲りもせず何度も繰り返されている。
郵便局では地元の有名人らしい90歳を超える手紙の「代書屋」のお爺さんが、今もかくしゃくとして文字が書けない人々の貴重なピンチヒッターとして活躍しているシーンを目の当たりにした。いや~時代の生き証人だなあ。

最後のツアー食の昼食をみなで食べてからは、夜半過ぎに出発する帰国便まではフリータイム。
なべちゃんとまたまた3人で、ダウンタウンをぶらぶらする。ホーチミン市レベルではもう大都市化まっしぐら、日本のゼネコンも加わる地下鉄の工事現場をすりぬけながら、世界でも有数の69階建て高層ビルの展望フロアに上がってみる。入場料が1500円以上だったらやめような、と根拠不明の申し合わせで訪れるもシニア割引で650円。地元の物価からはまだまだ高いが、某国のスカイツリーよりよっぽど割安なので喜んで昇ってみる。クレジットがききにくい国なのに、持ち合わせが無くなったベトナムドンの代わりにカードで支払いOK。昨日楽しんだメコン川の蛇行が手に取るようによくわかり、急速に都市化する市街地も一目瞭然だ。
ぶらぶら歩き回るとなぜか腹が減る。地元の市民しか入らないような食堂で、ベトナム最後の晩餐。数種の炒め物と地元ビールの333(バーバーバー)やサイゴンなどを選んで、4本の缶を開ける。いや~ハノイに続くベトナム体験は満足したが、次は大都市化する市街地はパスだねと意見一致。中部ベトナムが次の狙い目かな?
真夏のカンボジアとベトナムをぶらぶら歩いていたら、もう旅は残り2日になった。ベトナムの公共交通機関はまだまだ発展途上、朝夕の混雑時の道路はおびただしい数のバイクで占領される。圧倒的シェアを誇るホンダが、バイクの呼び名そのものになっている。
それでもさすがに亜熱帯地域だけあって、町の緑は豊かでビルごとグリーンに包まれているものも。





午後は名物の水上人形劇を鑑賞する機会もあった。一昨年のハノイでもこの劇場を見かけたが、どうやらベトナムの伝統芸術のようだ。昔から農村の田んぼの中で行われていた民族芸だったそうだが、工夫が繰り返され今や常設劇場で年中行われ洗練された芸術に高められている。それにしても、腰までの高さの水中で複数の人形の素早く繊細な動きをどうやって操っているかは、一時間半見ていても分からず。でもそれでいいのだ。




夕食はメコン川クルーズをしながらの船上ディナー、ベトナムの音楽舞踊を楽しみながら優雅にホーチミン2日目の夜を過ごす。船上から見る市街の夜景は、増え続ける高層ビルの電飾が美しい。それにしても、安上がりのパック旅行にこんなに充実したメニューがついていてもいいのか?今までのトラピクスそして最近のてるみくらぶ、各社スタッフの新企画の研究開発力は凄まじく、それに乗っかって人生の刹那を遊ぶ爺婆一行は驚きと嬉しい悲鳴の連続だ。
4日目の夜にホーチミンに入り、自由食だったのでホテルのレストランでベトナムの庶民料理の試食を兼ねて遅い夕食をとる。今回のツアーはかつてまあまあクラスのホテルが古くなって、このような安いツアーに提供されているらしい。目覚めたら市街のど真ん中、「人民委員会庁舎」すなわち大きなホーチミン像のある公園の正面で、110年前のフランス植民地時代の豪奢な建物が手に取れるような近さに驚き瞬時に覚醒した。



2日間のホーチミン観光も、朝から忙しいスケジュールですぞと嬉しい悲鳴。ホーチミン(最近は昔懐かしいサイゴン名が復活しつつある)といえば、大きな三角州(デルタ)があるメコン川ですがな。午前中はそのメコンデルタを手漕ぎボートで巡るクルーズ。
昔も今も変わらず水辺で暮らし、今は豊富な果物を育てみやげ物にして生活をしている住民たち。市街地とは船でしか往来できないが、少ないながら車もバイクもある。しかし朝からハンモックに寝転がり、来客に媚を売ることもなく気ままに過ごす老人たちが大勢いた。




昼食はデルタから市内に戻って名物料理を出す大きなレストランで、エレファントフィッシュの唐揚げを豪快にほぐして生春巻きにして食べさせてくれたり、米粉のパンを上手に揚げて風船のようにした見ても食しても楽しめるランチだった。いいなあベトナム料理、ビールも安くて美味いしMacchanは庶民の生活が見える旅先にすぐ惚れてしまう。
朝食を終えたら3日間部屋を共にしたヤモリ君とお別れして、なべちゃんと3人連れでカンボジアのタクシートゥクトゥクを拾ってシェムリアップの街へ繰り出す。

トゥクトゥクはメーターが無いので、料金は乗車前に運転手と交渉する。当然のことながらカーナビは付いていないが、街中では同業仲間とよく会話し携帯で情報交換しながら目的地に連れて行ってくれる。庶民の脚で圧倒的に多いのはバイクで、家族3~5人で1台に詰めて乗っているのはあたりまえ。

道沿いに咲く花は名も知らないがやっぱり熱帯だね、なんとも言えぬいい感じのトロピカルカラー。酒のつまみで普段食べているカシューナッツは、こんなふうに生ってるんだね。
街中を流れる川はけして清流とはいいがたいが、小魚も子供たちも嬉々として泳ぎ家族がのんびり散歩している。

市場には小魚の干物や珍しい加工品が芸術的に並んでいる。道端で販売しているのは何とドアノブ専門店?ああ何時間歩き回っても、興味は尽きないなぁ。
昨夕の山頂遺跡からの夕日見物に続いて、早朝5時に起きてアンコールワット遺跡を背景に昇ってくる朝日の見物に出かけた。旅の一行は17名だったのに昨日の炎天下の徒歩見物はみんな疲れてしまったらしく、希望者で参加したのはわずか2組4名のみ。早起きした甲斐があって、塔の先端からダイヤモンドに輝く日の出を見られた。信心も何もないMacchanも暫し神々しい気持ちになったのだった。







朝食後は紅色砂岩の美しい彫刻で有名な、世界遺産群「パンテアイスレー」を見学する。遺跡を発掘する作業に邪魔になった樹木を焼き払ったために、遺跡の一部は黒焦げになっているところがある。各遺跡には彫刻した素焼きの陶器をはめ込んだものと硬い岩に軟らかい砂岩を貼り付けて彫刻したものとの2タイプがあるようだ。いずれも細緻な芸術性があり、美術センスをもった彫刻家を大勢どうやって集め養成したのだろうと感じた。









午後も広大なアンコール遺跡群をぶらぶら歩き回る。比較的中小規模の遺跡タブローム、タケウ、スラスランなどを次々に訪れる。王宮が遺棄された後の数百年で、苔むしたどころか熱帯樹林に覆われ取り込まれた遺跡群。千年前後の歴史を当時のまま振り返ることができるのは、石文化のお陰なのだろう。どれがどれだったか一週間しか経っていないのに、残念ながら撮影した写真を見ても定かではない。外国人が京都や奈良の世界遺産寺社仏閣を見て回っても、同じように感じるのだろうか。


シェムリアップはカンボジア第2の都市だと聞いているが、街の中にはのんびり暮らす犬たちが多い。中国や東南アジアの、のんびりした街の風物詩のひとつだ。街角にはトラック廃タイヤを利用した屑かごがたくさん置いてある、アイディア賞!
農家のおばちゃんが手作りで「椰子の花」から採った蜜を煮詰めて、素朴な砂糖に固めて椰子の葉で包んだ土産を売っていた。一家総出の労力で、50円100円単位の手作り品を生産販売している。こういう生活もいいなあ。
夕食は伝統舞踏を見ながらの伝統料理のバイキングを地元のビールと共に楽しむ。伝統文化の存在を認めない1970年代のポル・ポト政権時代を経て、音楽や舞踏の伝統が途絶えそうになったとのことだが、今では学校も作って保存伝承に努めているそうだ。文化は平和があってこそのもの。
カンボジアの産業の半分以上を担う、アンコール観光の本拠地だ。後に圧倒される壮大な遺跡群とは異なり、シェムリアップの空港は何故かほっとするのどかな地方空港だった。搭乗機から数百m歩いて平屋の民族建築風空港ビルに入っていくのだが、否が応でも古都にやってきた気持ちが高まる。





到着翌朝からは、東京23区に匹敵する広大な範囲に広がるアンコール王朝の遺跡群を訪ねる。まずは遺跡すべての共通3日間通用入場券を62US$で購入、その場で撮った顔写真が組み込まれ首からぶら下げる。最初は有名なアンコールトム、幅100m以上の堀と一辺3Kmの城壁に囲まれた「大アンコール」という意味の最盛期を誇った12世紀末の王宮跡だ。世界的に最も有名なアンコールワットを規模ではるかに上回り、神々に守られた王宮の回廊には当時の民衆の暮らしがレリーフで見事に表現されている。



規模の壮大さに圧倒されながら炎暑の中をぶらぶらと歩き回る。春とはいえまだまだ寒さが残る浜松からの温度差はなんと30度。この王朝の各代の王はそれぞれが王宮を建築したというが、ローマやトルコの帝国と異なり海外遠征勝利で連れてきた奴隷が大勢いたわけではない状況で、財と知恵や労力はどうやって集めたのだろう。










午後はアンコールワット(寺院)に移り、大きな池を渡る参道から三重の回廊を目指す。この古寺遺跡は12世紀前半に30年以上の歳月をかけ建築された王の墳墓らしい。アンコールトムと同じく回廊の彫刻には戦闘の様子や数々の庶民の生活の様子が彫刻され無言で歴史を語る。王朝が滅亡してからは各建築物は放置され500年以上の年月土砂や木々で覆われていたという。
19世紀以降発掘作業が進んだが、内戦などで破壊や略奪の被害に遭った。近年日本を含む各国の協力で修復が進み、有数の優れた遺産として世界的に有名になった。炎熱の中アップダウンに富む広大な遺跡を精力的に見て回るのは、せめて60歳代に実行せよとの先輩たちの教えはなるほどこういうことかと納得できた。Macchanはかろうじて間に合ったが、70代から80歳に手が届いたツアー一行のメンバーも休み休み頑張って見て回っていた。
300人制限の三聖山の一つプノンバケン山頂遺跡から美しい夕日を見送り、観光の初日は暮れた。

3月9日から一週間、アンコール遺跡群で名高いカンボジア&


2年前に北部ベトナムをなべちゃん夫婦と旅行したのは別会社だったが、今回あこがれのカンボジアともう一度行きたかったベトナムのホーチミンがセットになったツアーを、このてるみくらぶが更に格安で企画していた。なべちゃんと相談して飛びつくように前回と同様夫婦同士で申し込んだ。
何故か歯が抜け出してから自分の指や手のひらを嘗め回し、タオルやエプロンやおしぼりをやたらに噛むようになった。今週は先週に続き2枚目の着ているトレーナーの右袖に穴を開けてしまった。報告してくれた看護士さんには、食いちぎって飲み込まないように注意はしてほしいが少しの穴はもう仕方がないから放置しましょうと伝えた。
昨今は月に2回ペースになったが、「遊び小屋」デーは続いていて毎回2~6名くらいが集い一日ゆっくり過ごす。暦上も弥生3月完全に春になったが、この日も冬将軍がまだ頑張っていて外では寒く、一日薪ストーブと炬燵を囲んで持ち寄った食事をしたり少しのビールで楽しんだ。

この日のゲストは、うーさん&Golichan夫妻&かずさん&ふくちゃん5名。みんな大好きな揚げ物&ししゃもの七輪焼き&畑の産物新たまねぎスライス&茹でブロッコリー・カリフラワーの豪勢さ。ビールは昨年末仕込みの黒ビールボックと春らしいスペシャル缶。
お気に入りの音楽とこだわりの数々の会話で、あっという間に日が傾いていく。まだまだ寒いが、もう2週間もすれば待ちに待った桜の季節だ。2週間前かみさんが庭の桃の木に試しに架けておいた鳥籠のみかんと水カップに、小鳥が入ってついばんだ痕があった。面白い。
リーダーKさんが送ってくれた企画書や「立ち須の岩」からの景観を眺めて、ため息をつきながら暖かい2階の部屋にこもっていた。
そこで思い出したのが、「遊び小屋」仲間Golichanから招待された、浜松市美術館で開催されている「版画大賞展」のこと。よ~し体調が良くなったら美術館がある「浜松城公園」に行ってみよう。


昨日の日曜日、かみさんを誘って車で出かけた。本当は往復15~6Kmウォーキングすれば気持ちが良かったのにね。公園駐車場は、今年の「おんな城主直虎」のブームを予感していたような整備ぶり。桜の花の季節にはまだ3週間はあるというのに、人が大勢出ていて県外ナンバーの車や観光バスまでたくさん駐車していた。

家康の出世城から始まり観光要素が豊富とは言えない浜松が、また話題になっていることは悪くはない気持ち。かみさんは公園に隣接している市立中部中学校の卒業生。当時は公園内に存在した「浜松市動物園」の猛獣の鳴き声が聞こえ、放し飼いされている孔雀が校庭までよく飛んできたそうで、市中心街ながらのどかないい環境で育ったものだなと感じた。今は今春から併合開校する小中一貫校の準備が終わっていて、偶然とはいえ孫2号Kが閉鎖されるK小学校から転校してくるそうだ。
さあ主目的の美術館到着、Golichanの作品は大賞は逃したものの、他の入選作と並んで入場直後の一角にでんと展示されていた。旅行先オランダアムステルダムのハーバーの風景を、60x90cmの大型木版に仕上げた大作だ。とても版画を始めて5~6年の作品とは思えぬ立派な出来栄えで、遠近左右距離を変えながら暫し佇み普段は縁のない美術の世界を楽しんでみる。父親譲りの絵の才覚があるので、この先さらに新しい世界を自ら切り開いていくのを楽しみにしている。
バケツの水と大き目の消火器を脇に置いて、この冬風が強くてずっと出来なかった焚き火を始める。庭木の枝は種類にもよるが、南京はぜはほぼ生木でもよく燃える。調子が出てくると身動きと輻射熱で顔も体も熱くなり、サウナ3~4回分の汗汗汗。
凡そ2時間半ほどで、全てが灰になった。草木灰は樹木や畑の貴重な肥料になる。農作を始めた人類は焼畑農法で数千年来の歴史を持つし、日本でも「花咲か爺さん」が樹木に向かって灰を撒いて枯れ木に花を咲かせた童話が有名だ。これから暖かくなると、「遊び小屋」デーでは毎回のように竈で火を熾し食事を作ることになる。

先週末は晩冬でもあり、鳥には餌が最も少ないつらい時期でもあったのだろう。満開の梅や河津桜の花々はメジロの格好のおやつ、甘そうなミカンはヒヨドリの格好の食事になったのかすっかりつつかれて上手に皮だけ残されていた。
散歩後血行がよくなって気分がよいといつものビールが数段美味くなり、散歩中に見かけた生きとし生けるもの達の生活シーンを思い浮かべると全てが愛おしい。
こうなったら失われた生を再度吹き込む魔術師のうーさん登場に決まっていたのだが、待てど暮らせどいいアイディアがでてこないのか施術に入らない。これに痺れを切らせ?やって来たかみさんが「魔術師見習い」として採った策は、ホームセンターで購入した麻のロープで座面を編むこと。
もともと織物編物が得意だったこともあるが、試行錯誤しながら数日で写真のように復活させてしまったのだ。見事な修理に感心して、思わず「これでまた酔っ払いが踏み台代わりにして穴あけても大丈夫だね」と本音を言ってしまった。立場が逆ならば、「それ違うやろ」と即突っ込み返したに決まっている。


