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団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

人生第4コーナー、「古希」の誓い(その2)

2018-03-09 | 還暦・定年

前回の続きです。

定年後も働きたいと考えている周囲の人たちの動機は、いくつかに分けられるのではないか。と「定年の考え方様々」のタイトルで書いたことへの実体験に基づく「フォロー解説」です。

1)生活レベルをできるだけ落としたくない  住む家さえ確保できていればなんとかなりますぞ。年相応の生活ダウンサイジングは必要ですがーー。
2)リタイアしてやることがなくなるとボケるのが怖い  こればかりはリタイアしてから決めるのでは遅すぎですね。少なくとも5~10年の助走が必要?
3)子供の教育や家のローン返済がまだ残っている  その分青春を謳歌できたわけですから、少々のことは我慢我慢。
4)家や地域にいても過ごし方がわからない  等等  自分が自主的にやることを考えきることは仕事よりも簡単で楽しい、がんばって!

私は、「どうにかなる」「反骨精神=へそまがり」の主義で、上記の理由付けをする先輩仲間に対して、自分なりの生き方を考えた。



1)十分でなくとも年金をもらえるなんて有難い  現役時の収入の3~4分の1でも十分やっていける、考え方・価値観の変換が必要だ。
2)生活レベルが落ちたって衣食住に困らない  年齢と体力と残った将来人生の長さ(せいぜい20年前後?)を考慮するべし。
3)幸いなことに3人息子は独立し、家のローンもぎりぎり返済を終えた  綿密な予測計算をしたわけではなかったが、これはありがたかった。
4)やりたいことは趣味を中心に山ほどある   結果的に泣く泣く切り捨てる(整理する)くらいでちょうどいい。
5)趣味は消費系より創造生産系が多く、収入にはならないが出費は助かるはず  消費系趣味はどこまでやっても満足の限界がない、その点創造生産系は自己満足が働くし何より安上がりでいいぞ。

そして何より、われわれは親の世代ほどではないが公的年金がまあまあもらえている世代だ。将来がさらに不安な子供の世代など、若者の職を結果的に奪うようなことはしないで早くリタイアし、少ない年金で工夫しながら暮らすことに楽しみを見出す方がいいぞ。

ということで今後の10年、<「傘寿」までの生活構想>は? = これまでの10年やってきた生活の延長線で行ける限り行く

但し、「創造生産文化活動」は体力精神力勝負のところあり、ここは重ねる年齢と相談しながら無理せず国内外の旅行など他の消費型の楽しみへ少し重点シフトかな? 少々金がかかっても(Macchanの場合は知れているが)余生を楽しむ方に回りたい。周囲を見回すと必要な体力知力精神力が保てる平均はせいぜい75~80歳まで。それ以上できたらもうけものと考えよう。

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人生第4コーナー、「古希」の誓い(その1)

2018-03-07 | 還暦・定年

10年前の会社定年時に書いた「還暦」の誓いから早10年、70歳「古希」の誕生日からも既に4ヶ月経過した。定年を迎える直前、少々肩に力を入れながら真剣に考えた「定年後の生活構想」と「具体的な生活項目」というタイトルで書いた「誓い」、10年経過後の総括をしてみよう。

 <定年後の生活構想>
☆平均寿命の80歳まで20年間を元気に、自分の意思と知力体力で生きる。 10年間はまず合格かな。
☆給料を得て働くのは、60歳でやめる。 人に言われて勉強する働くのはこれで御免こうむる、は正解でした。
☆基本的に、今後の収入は年金だけでやりきる。 これはやればやれるものですよ。公的年金だけではなく個人年金も少々掛けていましたがーー。
☆文化活動を続けるが、消費文化ではなく主に創造生産文化に関わりたい。 当ブログで見ていただいているとおり、まだまだ楽しんでいます。
☆幼少期の昭和30年前後の、貧しくも素朴な中に喜びがあった生活を再現したい。 結局最大の喜び満足は「遊び小屋」建築DIYと、そこで家族・親友と「遊ぶ」ことに尽きる。

<具体的な生活項目>
1)農作DIY(豆芋雑穀、四季の野菜を無農薬&できるだけ有機栽培で自給)
2)大工DIY(遊び小屋の建築、自家および自分とかみさんの実家修繕DIY)
3)男声合唱(週一回の練習、年数回の演奏会、月一回の仲間との飲み会)  以上は予定通り実施、まずまず合格点でしょうね。
4)料理DIY(酒の友燻製作り、かみさんとシェアする食事作り)  40年に亘るかみさんの城」でのトライ&エラー、まだ課題が残っていますがね。
5)スポーツ(ウォーキング、自転車、水泳、スキーなどは続ける)  水泳・スキーは実績ゼロ、少々欲張り過ぎでした。しかしテニスが加わりました。
6)旅行(時に世界&国内の安上がり旅行で非日常体験を楽しむ) ここは結構いけましたね。よかったら「旅行」カテゴリーをご覧ください。
7)社会貢献活動(只今他薦お勧め何件かあり)  地域の自治会活動と国勢調査員の活動を進んでやりました。
8)1~7項目で共に楽しむ家族&友人との楽しい語らい  ここも存分にやれています、満足です。

ここまでは、10年間2千回以上に亘って書き留めた記事で報告してきた通り、皆さんにはどう評価していただけたかな? 失敗を含めた自分の生き甲斐成果発表と衰えていく記憶力補充の備忘録ではあるが、なんとか8割方構想どおりやれてきたのではないだろうか?といつもどおり自分に甘~いMacchanの自己採点。

(続く)

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ありがとう、長い間お世話になったね

2010-05-16 | 還暦・定年
タイトルを見て、余り気を回していただかなくても大丈夫。Macchanはブログをやめるわけではないし、まして辞世の言葉でもない。

五月晴らしい上天気が続き、今日は気温も高めで過ごしやすい。冷たい天気が続いていたので夏物への入れ替えを逡巡していたが、午前中は思い切ってタンスの衣替えを行った。単に入れ替えるだけではなく、リタイア後3年近く袖を通していない衣類を思い切って45Lの専用ゴミ袋に入れた。

リタイア直後にスーツやYシャツなどビジネスに使用していた衣類を数十着処分した後、もしや着る機会があるかもと思ってキープしていたコートやスーツやネクタイなどを全て処分した。自分で購入した物はもちろん、裕福な先輩や父親から譲り受けた物も今回は区別しなかった。3年間に3人の息子達にも声を掛けたが流行やテイストも違うのだろう、ネクタイの数本を除いて全く手が挙がらなかった。

思い起こせば新入社員の頃、初任給が4万円台の時にスーツは3~5万円した。今はデザイナーブランド品でなければ、1~2万円台で十分にいいものが手に入る。日常衣料ならその10分の1だもの、お下がりを有り難く受け継ぐなんて誰もほとんど考えないだろう。

今日思い入れがあっても使わないものは処分しようと決めたのは、最近生活を住居と共に思い切ってダウンサイジングした棟梁のうーさん夫妻の影響が大きい。11歳後輩のMacchanも、そろそろそういうことを考えなくてはいけない歳になった。こういうことは、或る日突然実行できるものではない。

物を大切にする心は重要だが、必要以上の「物に対する思い入れ」は今後の人生を駄目にするかもしれない。昔の車のコマーシャルの名文句ではないが、「物より思い出」ではないだろうか。それでも最後のスーツを記念に!と思って、ゴミ袋に入れる前に思わず並べて写真に撮ってしまった。ありがとう、長い間お世話になったね!
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「五黄の寅」の集い

2010-03-13 | 還暦・定年
かみさんのKちゃんが1月末に還暦を迎えた関連記事は、何回か書いた。3人の息子達の夫婦が、お祝いに皆で旅行に行こうという企画をたててくれたのは昨年の晩秋だった。年末に長男の嫁さんHちゃんの妊娠がわかって「つわり」がひどく、旅行は延期にしようということになった。

それが今日、旅行ではないが該当者全員が我が家に集った。母と孫2人を入れて、11人の賑やかな夕食だ。いやHちゃんのお腹には、身動き始めた6ヶ月の命が宿る。どうも検診では「女の子」らしい。

久々に皆揃った夕食時、「五黄の寅」の話題が出た。かみさんKちゃんが60年前の該当者。この7月に生まれてくる孫3号が診たて通りの女の子なら、60年ぶりの「五黄の寅」になる。昔から気が強いしっかりものの女性の代名詞として、この60年に一度の強運の女性が何かにつけてそう呼ばれた。

Hちゃんが「この子もそういうことになりますかね?」と、お腹を撫でながらちょっと複雑な顔つきで訊ねる。Macchanはすかさず、「女性は生まれ年に関係なく、皆しっかりしてるよ」とあまりフォローになってない言葉を返す。4ヶ月後には姿を現す孫3号も、孫1・2号に負けないくらいの話題を集めて食卓を賑わせた。

近くのピアノの上に飾られたHちゃんの親父さんTちゃん(よくこのブログにコメントしてくれる「すーさん」)作のお祝いの寅の置物(写真)が、11人半の賑やかな食卓を見下ろしていた。

【3月14日訂正】
長男Dのネット検索により、五黄の寅は「丙午」などの干支とは別の36年に一度巡る「星」だということが判った。60年ぶりの「盛り上がる話題」は、一晩だけの「誤解」だったけど楽しめた。
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リタイア後を素敵に暮らす(そのⅡ)

2008-11-07 | 還暦・定年
昨年8月25日付で書いたブログ記事「リタイア後を素敵に暮らす」に登場して、私のリタイア後の生き方に少なからぬ影響を与えてくれたNNさんの個展が開かれた。雨上がりの午前中、かみさんと家の裏の(借景で我家の2階の庭のようになっているお宅)奥さんOMさんと誘い合って出かけた。

昨年と同じ浜松酒造の天神蔵の中で最も古い「明治蔵」を改装して造られたギャラリーでの展覧会、初日開場の10:30を待ちわびて入場したらNNさんはもう招待者を迎える態勢に入っていた。一年ぶりの再会を喜び合って、握手握手。挨拶もそこそこに、昨年の画風とは一味違った作品の前で問わず語りの解説。北海道や神戸、金沢など遠方から近郊までの旅先の幅広い素材がスケッチの対象になっている。

速い筆運びを想像させるいつもの大胆なタッチと意表をつくアングル、そして昨年より幾分鮮やかさを増した彩色、挿入された絵のように書かれた言葉が作品の魅力度を数倍アップさせている。今回は小品が多いが、一つ一つの作品に「ほ~ぅ」と頷ける能書きがつく。大きな寺の山門にはつきものの「仁王様」をスケッチする時も、自然光しか当てにできないので天気と陽が差す方向を前もって調べてスケッチするのだという。ほんまに、すげーなぁ!

そんなところに会社の先輩で、性格が違いながらも意気投合することが多かった(一人合点かも)HMさん夫婦とも1年ぶりにお会いした。あごひげをためて現役の時より何倍も活き活きした表情で、リタイア後に始めている四国お遍路巡りの話を聞いた。家も比較的近いこともあり、私の自転車旅行と合わせて一杯やりながら近いうちにゆっくり語り合う約束をした。

会場では同時開催されている手芸作品の展示即売会に、奥様が出品するのに手伝いに来たという次男の高校野球部父母会で一緒だったONさんとも再会して話が弾んだ。息子と一緒の地域ソフトボールチームに加わって、現役で活躍しているそうだ。金融関係の激務とストレスで糖尿病を患って少し早く現役を退いたとのことだったが、酒を呑まずにランチでリタイア後の情報交換をしようと連絡先を交換して別れた。

リタイア後を素敵に暮らしている知り合いは、かくも沢山いるものだ。この1年は自分のやりたいことを一途にやってきたが、「同志」とは時には情報交換しながら更に楽しくやるのもいいなと感じた一日だった。
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リタイア1周年!

2008-10-14 | 還暦・定年
今日は61歳の誕生日、リタイア1周年記念日でもある。めでたい、めでたい!(自分で騒いでどうするの!)

そうか皆に祝ってもらった還暦の定年退職日からもう1年か、いやまだ1年しか経っていないのか? 正直どちらも、ない交ぜの気持ちだな。最近はトーンが少し和らいできたが、かみさんを含めたいろんな人たちから「飛ばしすぎだよ~」と言われるくらい、この1年は様々なことをやってきた。

私にとっては大きなプロジェクトである、「遊び小屋」建築にも着手できた。退職記念に、息子達夫婦と九州やタイに旅行した。そうそう首都圏往復、700Kmの自転車旅行もやって楽しかった。農作も男声合唱も地域交流も料理DIYも、特別なことではなく日常生活に普通に組み込まれるようになった。確かにリタイアした最初の頃は、これらのことを少し構えて「仕事っぽく」こなしていたように思う。30分単位くらいで一日に色んなことをやるのが当り前だった会社人生から、誰に指示されるわけではなく自分の好きなことだけできる幸せを噛みしめながらやっていたな。

最近は少しずつ力が抜けていいペースをつかみつつあるが、やりたいことへのパワーや時間配分がまだまだ不規則で、結果的にストレスが溜まることがままある。自然流で行けるには、もう少し時間がかかるだろうな。明日からは、いよいよ「作業小屋」の棟上作業だ。色んな試みがうまく蓄積されて、来年からの「遊び小屋DIY」へ繋げられるか? 楽しみは限りない。

(写真は、ジャガイモの皮を剥いていて発見した「猪の子供(うり坊)」の顔だ。記事の内容には何の関係もないが、猪年の私の誕生日にはちょっと関係あるかな?)
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確定申告やって、落ち込みました!

2008-03-15 | 還暦・定年
昨年10月に定年退職して、会社での「年末調整」のサービスを受けられなくなったので、所得税の「確定申告」をしてきました。住宅借入金特別控除を受けた、16年前以来の申告でした。

今の時期、浜松にある2税務署は手狭なので商工会議所や各区役所などでの税務相談会場で、申告を受け付けるサービスをしている。会社の源泉徴収票と年金受給証明、社会保険料と各種生命保険料の支払い証明書を持参して、しおらしく係官の前に進み出た。おや、税務署員ではなく市役所職員じゃないか。こんなところにも借り出されて、ご苦労なことだ。

退職後、確定申告が初めてになる旨を告げると、係官はとても親切に一から手をとるように教えてくれる。次々に差し出す資料を瞬時に判別したり、テキパキとした指示や受け答えは、お役目とはいえ鮮やかなものだ。

30分余りあれこれ教えてもらって記入し、さあ計算だ。今年はいくら還付されるかな? 今までの年末調整は毎年10万円前後還付があったな、昨年は11月以降所得は激減だから、今回の還付はそれ以上だな。意地汚くも、とらぬ狸の皮算用が頭の中をよぎる。あれれ、係員がテキパキ書き込んだ2桁万円の「申告納税額」の頭に△印がないじゃん! ガーン!なんでやねん!!

すぐに口を尖らせながらも冷静さを装って、今まで還付があったこと、11月から所得が減ったんだからもっと税金が安くなってもいいはずじゃあーーと聞いてみた。係官はちょっと悪そうに、「税源委譲で所得税を低く見過ぎていた分を、本来は下期の源泉徴収で調整するはずだったのですが、退職された方はそうもいかず結果的に追加納税していただくことになった、と考えてください」と説明した。

まあ、痛いと思うくらいの追加納税は人生最後かな? それにしても、退職直後の住民税7か月分の前納金額(聞いてはいたけど、これが半端な金額じゃないんだよな)といい、今回の追徴金額といい、年金生活者としてはとてもじゃないけど、やっぱ痛すぎるよなぁ~。
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定年後の或る日(そのⅠ)

2007-10-17 | 還暦・定年
これはなんでしょう?シリーズ第3弾。最近は高所作業をする「とび職」か、祭の若い衆が履いているくらいかな? 正解は「地下足袋」ですよ。私は30年近く前、浜松凧祭に参加するのに買いましたが、いまだに(ちょっと先が破れてきたかも)健在ですよ。

先日佐久間の山で、「遊び小屋DIY」用の杉の木の太さ別本数をかみさんの従姉兄と勘定しに行った時に、急な斜面歩きに久々に重宝しましたよ。最近のウレタン底のシューズでは、余り使用してなくても年月と共に脆くなってボロボロになっていたでしょうね。昔から伝統的に使われている品は、耐久性も機能的にも大したもんだね。

一連のお祝いしてもらったパーティーが終わって、昨日から今日にかけてこれからの定年後の典型的と思われる?「或る日」を送ったのでレポートしよう。ハクビシンと競争で収穫してきた落花生の最後の畝を片付けて、苦土石灰と堆肥を入れて手押し耕耘機を往復させた。堆肥の山からはカブトムシの巨大な幼虫が10数匹も出てきたので、また戻してやった。午前中、篠原のSIさんちに行って頂いてきた玉ねぎの苗を200本(プロに教わり自分で掘り取らせていただいた)と、春に収穫して干しておいたラッキョウを植えた。自主的に生育した冬瓜もまだまだ20数個、茂った雑草やミニトマトの間からごろごろ出てきた。

そして、「退職後にしか手続きできない書類」の準備と手続き。健康保険証の返却、会社の健保への2年間限定任意継続、会社のOB会への入会と会費払い込み、退職後保障付積立金不足額入金、等々。在職中のように、アポを手帳に付けて15分刻みのスケジュールというわけではないので、精神的にいらいらすることなくのんびりまったり、チャリンコで市内のあちこち2時間、交通安全と順法の小旅行でござーる。健康にもいいはずであーる。

因みに、在職中通勤にも使用していたこれから主役?になるはずの自転車は、長男が10数年前まで使っていた高校通学用。修理して親の私が使おうと思って、5年前自分で直せないところを自転車屋に持って行ったら、「これは今では皆無の、部品まで全部日本製だから、大事にした方がいいよ!」と言われたもの。そして農作業は「地下足袋」ではやっていないが、1足1000円以下の中国製ゴム長だ。30年近く前購入の地下足袋は、何処の国製だったか記憶は無いし、今は調べようがないよね。
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「もういいかい?」「まあだだよ」「もういいかい?」「もういいよ」

2007-10-15 | 還暦・定年
畑の近くを流れる馬込川の土手や、あちこちの空き地に生えた「セイタカアワダチソウ」が、この時期になると黄色味が増してくる。「ブタクサ」とも呼ばれ、一時アレルギーの原因ともいわれて皆から嫌われたものだが、最近は色んな種類のアレルギー源が発見されて「一人悪者」にされることはなくなったように見える。知人のタイ人の奥さんが、「こんなにきれいな色の花を見たことがない」といたく感激していたのを毎年思い出す。

10月14日は、私の還暦の誕生日だった。昼に「還暦・退職祝い」をやってくれると言って、前日夕方から首都圏在住の息子たち夫婦も集ってきた。当日は朝から準備があるので、「お父さんとお母さんは、2~3時間畑にでも行ってて」と追い出されてしまった。ハクビシンと競争で収穫している落花生や味噌豆の枝豆を、今日の土産に持たせようと思っていたので、「ちょうどいいわい」と減らず口をきいて出かけた。

もうそろそろいいだろうと家に帰ったら、三男が玄関で見張りをしている。「もういいかい?」「まあだだよ」トイレにも行きたいのに家に入れない。10分位して、「もういいかい?」「もういいよ」と、やっと家に入ったら何やらいいにおい、「ジャーン」、一斉に「おめでとー」の大合唱!!

なになに? ガラスに、「長い間お疲れさまでした。お父さん、お母さんありがとう」の泣かせる文字が入ったフォトスタンド、そしてなんと大画面デジタル液晶TV。「エエッ、おまえら無理しちゃって!」、思わずありがとうの言葉より先に口について出てしまった。いいにおいの素は、4種類の手作りのパスタだった。3種類のスパゲッティとピッツァ。よくも短時間にこさえたなあ。いつまでも子供だと思っていた息子たちが次々に2年間のうちに所帯をもって、娘が3人も一気に増えた喜びに浸っていたら、こんな形で親を喜ばせる術も心得ていた。

折角の緻密なデジタル画面も、時々霞んでピントが合わない。潤んだ目頭をごまかすために、先日の総務部のお祝い時に団塊ブログの元祖HRさんに頂いたフランス産高級白ワインを、昼間から一人で空けてしまった。
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定年退職祝い第2弾、これが本番だぞ!

2007-10-11 | 還暦・定年
10月9日(火)退職日4日前に、在籍している総務部のメンバー33人による「退職祝い」のパーティーを開催してもらった。33人の寄せ書きあり、今年3月までの市行革審でサポートしたIS社長(現会長)の自書メッセージもいただいた。見事な花束、何がいいかと問われて希望したこれから何年も愛用できるスポーツウォッチ、ウォーキングシューズ、そしてジョーク好きの現総務部長AYさんの「中国産肉まん入りダンボール箱」など、盛りだくさんのプレゼントを頂いた。結婚式以来の「一日スーパーマン」になれた至福のひと時だった。

10月9日は最後の出社日。朝礼で最後のご挨拶をして、退職手続きの残りを人事部始め金融機関や保険会社と行ってもまだまだ時間があったので、IS会長やお世話になった先輩に退職の挨拶をして10時半には既にやることがなくなったので、事務所や前庭など思い出の風景をスナップして帰宅した。夕方6時半にアクトシティー34F最上階のパーティールームで総務部の皆が祝福?してくれるという。ほんとに有難いことだ!

数日前から、お返しの品(引き出物?)は何がいいかと真剣に考えて、結局ハクビシンと競争で収穫した「落花生新豆」と最近朝食で気に入っている地元三方原産「3種類の蜂蜜お試しセット」をかみさん手作りの紅型染のハンカチで風呂敷風に包んだ。わたしゃ浜松で骨を埋めるぞ、というメッセージを少し込めた。開会1時間前に会場に運び込んでおいた。

改めて開会15分前に会場に着いたら、元役員の上司でもあり20数年前から研修や経営企画室長としてリゾートの経営分析などで付き合いをしていただいたHS先輩が、わざわざ東京から出席してくれたことを知って恐縮した。2年前まで2年半担当した来客会館長の後任KHさんがが司会してくれ、自らピアノをひいてくれ会館スタッフの7名のレディーの楽器伴奏で、こういう場面に相応しい森山直太郎の「さくら」も歌わせてもらった。次々に続く「ヨイショ」のスピーチ、こういう場面でしか聞けない多分最初で最後の有難い言葉だった。懐かしくも楽しいひと時だった。

先日のブログにも書いたとおり、3月に行革審が終わり7月には運営スタッフで入った「浜松ジャズウィーク」の仕事が終わって、夏休み以降各種休暇を使って週一平均の出社だった。お陰で本来の厳しい仕事を徐々に忘れ?退職に向けて徐々に軟着陸ができた。上司や仲間に頂いた、何にも勝る37年間のご褒美だった。仕事は忘れても、これらの身に余るご厚情は決して忘れることなく永く思い出として残るだろう。
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定年10日前の心境

2007-10-04 | 還暦・定年
野に咲く花と地酒を愛で、四季の移ろいに涙す!?

格好よく決めたつもりだけど、どうせ知っている人にはわかっちゃうので、白状しちゃおう。我がB畑と道の境界にかみさんが播いたコスモスが、畑の栄養と夏の暑さで背丈だけがぐんぐん伸びて、とっくに2メートルを超えたというのに2~3週間前まで花蕾さえつかなかった。他の家は目の高さ以下で可愛く咲いているのにーーーうちの子はだめだねーーー引っこ抜くか?? 風のたんびに傾いて、道行く人に迷惑かけるしーーー早まらなくて良かったよかった!! と言いながら、やっと咲いたのをねぎらうように(折角咲いたのを摘んできて、どこがねぎらっとるんじゃ!!)食卓に飾った。

「コスモス」って、混沌を意味する「カオス」の対の言葉で、「宇宙秩序」を意味すると、いつかどこかで聞いた気がする。宇宙秩序に素直に従うなら、愛でる気持ちを心底表現するために、花見酒だろう。(なんじゃ、こりゃ?)いつもは2リットルのパック酒だが、今日は気持ちを込めて?奥三河の銘酒「蓬莱泉」の特別本醸造でしょ、と我田引酒? ところでラベルの「テホヘ」ってなんじゃろ?? 苦労して咲き誇ったうちの子コスモスのお陰か、はたまた普段呑みつけない銘酒のお陰か、今宵は大層よか気分になりもうした。

何回かブログに書いているとおり、夏休み以降休暇を取得しながら定年退職X-Dayに向けて、軟着陸を試みてきた。あと10日!! 特別な心境の変化はあるか?? あるかないかを自分で語るより、今の心境を冷静に書いてみてみよう。

①出社する日をカレンダーと手帳に書いて忘れないようにしているが、仕事は大分忘れた。13日の定年退職日までに、出社するのはあと1日、9日(火)だけ。

②「定年決意ブログ」として立ち上げた当ブログではあるが、決意が多すぎてまだまだ整理が足りない。やる気満々、どこかで誰かに認められたい気が、まだまだギラギラしとるぞMACCHAN!

③家にいる時間が長くなると、いまさらながら「家事」って奥深く種々雑多でなかなか大変だ。会社で言う「総務部」みたいだ。手を抜いてもすぐには大勢に影響ないかもしれないが、要所要所をきちっとしないと、家も中の人間も(多分外から見た目も)だらっとなって歯止めがない。

④子育てを終えたかみさんは何年も前から今の私と同じように、定年退職(いわゆる仕事には就いていないが)の軟着陸体制に入っていた。ジェラシーの目で見ていたことは確かだが、私が大層に「決意ブログ」で並べ立てていることを、すでに「素と地」で、肩肘張らずにやっていた。世の中の女性陣は、多かれ少なかれ一緒だ。同輩の男たちよ!見習おう!!

⑤朝は会社に行っている時と同じか、早く起きるのを日課にした方がいい。こうして遅くまでブログを書いてたんじゃだめだに! そして、やるべきことをその日に考えるのではなく、年・月・週・日(できればゆるく時間)単位に計画した方がいい。とかく安易に流れ、計画を先延ばしにしたくなる。熟年はさらに老い易く、計画成り難し。

今日はどうした、なかなかいいぞ! やっぱり晩酌はパック酒や「ビールもどき」でケチらないで、いい酒買うか、ってか??


*蓬莱泉のラベルにあった、「テホヘ」の意味を調べた。(10月5日追記)

愛知県北設楽郡の3町村(東栄町、豊根村、津具村)の17地域に伝わり、保存されている「花祭り」の会場に設けられた「舞庭(まいど)」で様々な神事と舞が夜通し繰り広げられる。「テーホヘ、テホヘ」と観衆から掛け声がかかり始めると、神と舞い手と観衆が一体となって、祭りは最高の盛り上がりを見せるそうだ。
「花祭り」のHPは、http://side-b.jp/bunbun/hana/1hanakoun.html
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定年退職祝い第一弾

2007-09-25 | 還暦・定年
定年退職祝い?第一弾は、最も長く在職したスポーツ事業部の仲間が開催してくれた。どうです?このわだかまりも何もなく、屈託ない集まりの人々の顔つきは?ーーいいでしょう?!!

10月13日の退職日が近づいてきた。今日は、解散した昔のスポーツ事業部の仲間が一応私の定年を祝って?急遽集まってくれた。50数歳以上の層は、私と一緒に事業部の盛衰を経験した人達。最も若い層は、新入社員の採用時に私が面接に立ち会った人たちもいる。18:30ごろから三々五々集まって4時間近く、堅苦しいセレモニーがあるわけでもなく、ぐだぐだ昔話や最近の話を色々しあって解散した。

一部では、私の定年ブログをよく見てくれている人たちが話題にしてくれていたが、集まった38歳から61歳までの幅広い年齢層には、一つの話題に集中できるわけも無く、次に定年を迎える人たちのために、半年後にまた集まろうと誓い合ったのだった。一方、いつまでこの会が続くのかという疑問が解けないままだったが、こんなんでいいんじゃないかな?人生の節目の集まりはーーー

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(エピローグ)定年退職は手続きが一大事だ

2007-09-07 | 還暦・定年
9月2日に「定年退職は手続きが一大事だ」の書き込みをしたが、今日は定年退職式を終えてまだ手続きを終えていないものがあることを思い出した。折角休みをとっているのに、またまた書類揃えに半日がかりになってしまった。

先日の書類は、「退職そのものの手続き」と「退職金がらみの会社内外の手続き」だったが、今日やったのは会社が毎年更新管理を肩代わりしてくれていた「総合保障保険」の退職後継続申し込みだ。総合保障保険には8コースがあって、子会社の保険会社を含む3社が取り扱いをしている。在職中は会社の人事部へ一括申し込みをして、会社が3社に振り分けて手続きしていてくれていたのだろう。料金は毎月給料天引きだったから、その苦労は全く知らなかった。そしてこれもよく知らなかったが、「退職後保障付積み立てコース」は「拠出型企業年金保険」だったようで、これを退職の際に脱退するか、継続するかでまた手続きが変わるようなのだ。

更にまた、今後の各コースの掛け金引落しが、「死亡保障コース」だけが会社の指定銀行になっていて、口座を持っていない私はわざわざ新たに開設しなくてはならない。なんと「みずほ銀行」に口座を作ることになった。「みずほ銀行」って元なに銀行?というのが団塊世代の感覚でしょ? Wikipediaで調べてみたら、第一勧銀と富士銀行と日本興業銀行が合併して「みずほ」になったらしい。ははーん、そうすると浜松駅前の第一勧銀が店を閉じて、斜め前の富士銀行が名前を変えているから、それが「みずほ浜松店」だなと見当をつけて台風一過の暑さがぶり返した午後、のこのこと出かけていった。

あったりーっ!喜びもつかの間、店に入ってとり付く島を探してきょろきょろしていると、ベテラン女性行員が声をかけてくれて教えてくれたが、受付番号票をもらって「眼の検査かぁ!?」と怒れるような細かい文字の口座設定申込書に記入して、窓口で2度面談してかかった時間が小1時間。引落しだけの口座なので、勧められても、キャッシュカードは「要りません」、マイレージクラブも「要りましぇ~ん」。1000円だけ払って口座を作っただけなのに、ボールペンとティッシューを頂いたんですが、いいんですかねえ。銀行も「やれやれ」だったでしょうが、私も「やれやれ」でしたよ。

会社は主たる取引先銀行に頼まれて指定したのかもしれないけど、これから「みずほ」が無い故郷の町に帰る退職者はどうするんだろう?そもそもこのコースの保険取り扱いは「住友生命」なんだけど、「みずほ」関係ないじゃん!昨日は総じて従業員に暖かい会社だと確信を深めたところだったが、ちょっとこれら一連の難儀な手続きは???疑問符3ケ。

前回の自習手続き3時間以上コースと、今日の延べ半日がかりの書類記入と口座開設を全て終えて、いよいよ来週月曜日は人事部に書類提出だ。追試がなきゃいいけどーーー少々不安が残りながらも、最近は仕事をやり遂げた喜びを暫く味わっていなかったので、ささやかな達成感を感じながら冷たいビールの一人乾杯をやったのだった。
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早くも定年退社式が行われる

2007-09-06 | 還暦・定年
10月13日の定年までまだ一ヶ月余りあるが、今日は早くも「定年退社式」が行われた。

定年後の自らの生活スタイルの方向性を決意表明しながら生き方を決めていこうと、このブログを始めてそろそろ一ヶ月が経つ。あれこれ色んな考えが浮かんでも決意しなければ実行できないので、こうして迷いながらも自分の考え方を文字にして表現するのは、とてもこれからの生き方に役立つような気がする。

今日はそんな中で、私を含む26名のための「定年退職式」が行われた。団塊の世代が退職を迎えるようになって、このところ毎月定年退職式が行われ、毎回20~30名が対象になっているようだ。ということは年間300名以上が退職していくのかーーー私が入社した後10年くらいは1万名を遥かに超える社員がいたが、この20年位のうちに生産が大幅に海外シフトしたり、不採算部門のリストラで早期退職を募ったり、音・音楽関連以外の事業の子会社化で、あっという間に本社は半分以下の5000人台のレベルに縮小した。従って、これから数年は毎年5%以上の定年退職者が出るということだ。このところ新卒や中途採用を増やしているようだが、2007年問題の特に技術伝承の対応は大丈夫かな?

今日は式が始まる前に、人事担当者から「多忙を極める社長のアポをとるのが難しく、今日は人によっては1ヶ月以上も前に退社式に出席してもらったが、悪しからずお願いしたい」という旨の話があった。先日の「定年退職準備セミナー」のところでも書いたが、わが社はこういうところはとても暖かい。毎月相手変われど主変わらず、社長も組合委員長も、お膳立てをする人事部スタッフも大変だが、丁寧に1時間半ものセレモニーを開き、社長自ら一人一人に感謝状と記念品の贈呈と「ご苦労さまでした」の言葉と共に握手だ。茶話会形式で、一人ずつ2分前後のお別れスピーチをさせてもらえる時間もあった。

15歳や18歳から40数年主に生産現場で働いてきた、今まであまり縁が無かった退職仲間の話を聞いて、会社の厳しい時期につらい仕事をしてきたのは自分だけではないこともよくわかった。そういう意味で、今日はかけがえのないよい機会にめぐり合ったことに感謝したい。

「遊び小屋を作ります」と宣言した人は私以外にいなかったが、私と同様に農作をやるという人や百名山の完登を目指すと宣言する人もいて、皆いろいろ考えながら今日を迎えているんだと思った。生産現場系と一部技術系の退職者は、半分近くが「シニアパートナー」と称する1年毎の「再雇用契約」の労使合意を取り付けはじめているようだ。メーカーにとっては待ったなしの技能技術の伝承と、法定の定年延長を制度面から徐々に実現していくよい機会になっているのかもしれない。

事が事だけに、今日はちょっとしんみり真面目口調になりすぎてしまった。定年退職式は行われたが、あと真の退職までに一ヶ月余り、週に一回程度と決めていてもまだ4~5回は出勤機会があるし、身辺整理やあの難儀な種々の退職手続きもしていかなくてはならない。あれもこれも書きたくてついつい長話になってしまうが、まだまだ退職までのブログの種は尽きまじという感じだ。
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定年退職は手続きが一大事だ

2007-09-02 | 還暦・定年
定年退職の各種手続き書類の数々!これでも全てではなく、他にもまだまだある。

先々週、人事部から各種退職手続き書類を社内メール便で受け取っていたが、会社の執務中に記入するのもちょっと違和感があるなと感じて、家に持って帰っていた。しかし連日の暑さの中、とても細かい字の説明を精読して必要項目を記入する気にもなれず、提出期限が9月20日までということもあって放置してあった。月が明けて急に涼しくなり、カレンダーをめくって定年退職はいよいよ来月だという気持ちがわいてきて、今日は昼から書類作りを始めた。

昨年10月に会社から「退職準備セミナー」と称する一日がかりの説明会があり、私は定年はかみさんの協力があって無事迎えられるのだからと考えて、申込書の「夫婦で受講する」に○をつけ殊勝な気持ちで一緒に出席した。「退職後の心構え」という外部講師による1時間半の講義があったり、各種手続きの説明の間には弁当まで支給されたりと、とにかくここまでやってくれるのかというくらい至れり尽くせりの内容だった。これが子育てだったら「ちょっと過保護だな」と感じたかも知れなかった。

今回送られた書類封筒を開けてみると、あるはあるは「こんなに書かないと退職させてくれないの?」というのが第1感想。1年前の説明資料と当時のメモを取り出してきたら、確かに退職直前に改めて書類を送りますと書いてある。要は、余りにも書類の量が多く説明も複雑なので何度も説明機会をもって徹底し、さらにおかみさん達も巻き込んで情報を共有させて事務手続きがスムーズにいくように、という意図(いや、思し召し)が人事部にはあるのだろう。

書類を読み始めたら、「うーん、こんな説明も受けた気がするなあ」と少しは思い出すが、とても細微までは覚えていない。退職金も一時金でもらえるものと、年金で毎月支給になるものの比率を選んで申請するようになっていて、それぞれの支給元の会社や厚生年金基金にと別々に申請する。また選択比率によって所得税、住民税の控除も変わってくる。希望支給比率を決めたら、今度は会社、年金基金、税務署に申請書類を書き、振込み依頼書も数通書く。片方は銀行口座しかダメで、もう一方は希望する郵貯でもOKなので、分けて申請。「何々?誕生日証明をするために役所で証明を取って来い??」「振込み依頼書も書けってか?」午後はかみさんが留守だったので、銀行届け印や通帳も探して記入、捺印ーーー

全て記入し終わった時は、3時間以上経過!!これでもか、というくらい小さな活字を気合を込めて精読し、間違っちゃいかんと緊張しての記入の連続で、もうぐったり。休み無しで仕事を3時間やり続けても、こんなには疲れんよなあ、それにしても各種届け書類はどうしてこんなに難しくて厄介なんだろう。事務作業自体はプロではないが、37年間の会社人生のかなり重要な部分を占める仕事そのものだった。それなのに、毎年提出してきた「年末調整」書類、住宅取得して何年かの「確定申告」書類等々、当局との金銭関係確定書類の記入提出はかなり難易度の高い作業だと感じていた。今回は文字通り、その集大成なのかもしれない。

しかし、永年業務関連でこの種の確認作成作業をやってきた私がかなりの難しさを感じるのだから、他の人たちはどうなんだろう?うまくやっているのか?でもどの会社も、至れり尽くせりの説明会があるわけでもなかろう?それでも世の中、地球は回っている??それとも今回の社会保険庁や民間の保険会社ではないが、申請してこなかった者には「頬かむり」なのか?いずれにしても世の中、納めるべきもの(税金や保険)はどこまでも追っかけてくるが、権利を基に頂けるものを申請して手にするまではかくも難儀で努力が要るということなんだなと、改めて感じ入ってしまった半日だった。
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