Macchanがリタイアして数ヵ月後に「遊び小屋」建築DIYが始まったのでもう8年余り昔のことだが、うーさんは最も初めからこのプロジェクトに加わった大御所だ。材料の材木が届くまでに始めた駐車場作りの土工事では、一回り近い兄貴分だが驚異的な体力とやる気をもったアラ古希だということが先ず判明した。以来5年間駐車場に使った枕木も、柱や梁の太い材木も一緒に運んだ。当ブログ開設以来最も多く登場した仲間なので、読者の方々は「あ~あのうーさんね」と実際に会ったことがない人にとっても有名人だ。
そのうーさんは先月めでたく傘寿(さんじゅ=傘の略字が八十と読めることから命名された)を迎えたが、2週間前に開催された浜松男声合唱団の演奏会の最後の猛練習に明け暮れていたために密かなお祝い計画は1ヶ月遅れて始動した。そして昨日は常連の一人ふくちゃんが残念ながら用事で休んだが、うーさんの次に長い仲間なべさんと休日開催の甲斐があって現役復帰のふるちゃんが久々に参加し、かずさんとGolichan夫妻が加わってほぼフルメンバーになった次第。内緒で企画したので、本人は何も知らず朝フルちゃんの車に乗って登場した。
「なんだ祝傘寿ってだれのことだ?」と、テラスの板壁に貼られた紙を見て最年長爺独特の一流ぼけかまし。和紙にはMacchanの母が元気な時に愛用していた硯と筆で、『祝傘寿 祈長生母上超 「あそび小屋」仲間一同』と前の晩したため準備した。うーさんの母上は、呆けずに102歳まで長生きし大往生を遂げた明治の人だ。
めで鯛! この後、鯛は汁に仕立てられた。

焼き芋器で焼かれた肉も畑で採れた野菜も並ぶ。とびきりのご馳走ではないが、メンバーが材料を持ち寄って作ったお祝いおかずを肴に先ず乾杯!そして延々4~5時間、8年間の想い出話を中心に小屋のテラスは半日盛り上がりっぱなしだった。37年前の浜松男声合唱団の創立以来のメンバーだったが、80歳を機に演奏会の打ち上げ席上で潔く退団を決意表明したうーさんだった。「遊び小屋仲間」は抜けないと確認して、みんな「よかったよかった」と言いながらますます強まった冬並の風の中お祝いは目出度くお開きになったのだった。




新2年生に進級した孫1号Kの家族誰でも授業参観できる日、爺婆も廊下から教室を覘いてきた。市立幼稚園に通う孫4号Tの休日保育も、怪しい爺と思われながら門から覘いてきた。元気で無邪気な二人は手を振ってくれた。もう数年も経てば「恥ずかしいから来ないで」と言われるかもしれない。今のうちに可愛い姿をまぶたに焼付けておかないと、そのうち爺の記憶が怪しくなるだろう。

日が変わって二人が通う音楽教室の発表会が市の小ホールで開かれるというので、市内循環の百均ミニバスで野次馬応援に行く。隣接の広場で開かれた市制35周年記念(それまではなんと郡部の小さな町だった!)の植木まつりを見て歩く。
浦安市のシンボルツリーはイチョウ、そして同じく並木に多いハナミズキは今新緑も楚々とした花も美しい。



前日からやや緊張気味で落ち着かない二人。それでも初舞台の独奏と父親との連弾をなんとか上手に終えたT、2年前に続いて2回目のKは独奏も友達との連弾も落ち着いて間違えずうまくこなしていた。丁度1歳半になった孫7号Oも大声で応援。
歴史の長い音楽教室は先生も生徒も多く、OB演奏を含めて実に4時間半。最後の記念撮影までは聴衆も解散させてくれない。
所属している浜松男声合唱団が2年に一回開催する演奏会が、昨日浜松市福祉交流センターホールで開催された。熊本地震の犠牲者を弔うように朝からシトシトと雨が降り客足が心配されたが、午後1時半の開演には定員6百人のホールが8割ほど埋まった。
2年前から練習を重ねてきたよく親しまれている「ロシアの歌」や東北の民謡をもとに高田三郎さんが作曲された「北国の歌」のアカペラ2ステージに加えて、男声合唱用にアレンジされた組曲「心の四季」(ピアノ伴奏付き)の合計3ステージ分18曲を披露した。
そして8年来5回目の友情出演をしていただいた西区雄踏町の「コール丘」に1ステージお願いし、全4ステージの構成になった。
団塊世代の青春時代どの大学にもグリークラブが一つや二つはあって、男声合唱は全盛を極めた。しかし昨今は混声や女声合唱はまだ元気だが、男声合唱を筆頭に合唱人気は下降気味で後継者不足が否めない。40年の歴史がある我が浜松男声合唱団も例外ではなく、入団した15年前からも平均年齢は順調に上がって今でもMacchanはほぼ平均年齢のままだ。
(第3ステージを前にした楽屋風景)
それでも「人生は歌と飲み会」をモットーにする我が団は、所属する35歳から80歳までまだまだ元気そのもの。昨日は団員22名のうち19名が壇上に上がって、日ごろの練習成果を発表させていただいた。比較的難曲が多く寄る年波でMacchanを含む多くのメンバーは暗譜に苦戦したが、なんとか正味2時間に及ぶ公演をやりきった。
そしてアンコール拍手も頂いて、前もって準備していた曲を1曲は「コール丘」と佐藤春夫作詩・大中恩作曲「秋の女よ」を、2曲目は我が団単独でシベリウス作曲の壮大な「フィンランディア」をアカペラで気持ちよく歌った。

今朝起きて新聞を取り込みに行ったら、一晩中降り続いた春の雨がちょうど止み遠く望む天竜の山々から雲が沸き立っていた。数年前に訪れた

折から庭の八重桜「普賢象(ふげんぞう)」(花の中心のめしべが普賢菩薩が現れる時に乗ってくる象の牙に似ていることから名づけられたという素敵な名前)も雨に濡れ輝くようだった。
昨日は週に一度の「遊び小屋デー」、Golichan夫妻とふくちゃんが参加して4人でテラス「花見ランチ」としゃれこんだ。予期していなかったが、一週間ぶりに小屋へ行ったらお向かい庭の大きな山桜が満開になっていた。早咲きの河津桜よりピンクが薄いソメイヨシノより更に色薄く、やや逆光に透けて見える堂々とした大木の花は薄墨を混ぜたようにも見えなかなかのものだ。
いつもの持ち寄りおかずに加えて、今日は地域のりきちゃんが掘って持ってきてくれた筍と1ヶ月前さだちゃんが持ってきてくれた浜名湖天然カキを炊き合わせてみた。東京の美術展に亡くなった父君に続いて入選し、六本木の国立新美術館に版画作品が展示されるという栄冠に輝いたGolichanに先ず乾杯した。育った環境か、はたまた血筋か?
どうも最近は「賢者の思想や言葉」に惚れっぽく、惹かれてしまうようだ。恥ずかしながら、かみさんはよく読んでいる桐野さんの小説には全く目を通したことがない。演奏会が終わったら内田さんに続いて作品のどれかに触れてみよう。(写真は花冷えの中裏庭にひっそりと咲いたボタンと次々に開花した玄関先のモッコウバラ)
特養に隣接する梨畑は、つい先日剪定していたと思ったのに太目の枝から直接開花し、あっとう間に今日は満開になった。遅れた桜の満開、いつもと同じタイミングの梨の満開、自然の花々の満開は週違いで接近したり離れたり。所属する浜松男声合唱団の演奏会を一週間後に控え、母の介護と楽譜の最終チェックそして畑の耕しとMacchanはなかなか忙しない。
遅れて咲き始めたソメイヨシノや山桜を見物に家の周辺を何回か散歩したが、昨日は満開度が進んで早くも散り始めた桜木が目立った。
平安時代千年もの昔天竜川だった馬込川、その支流の染地川そしてそれに流れ込む名もない支流に地元の小さな桜名所は早くも散り始めた花びらによる花筏(はないかだ)が登場した。これを見ると古(いにしえ)人が、何故潔く散る桜花を愛でたかが少しわかる気がする。
既に満開を迎えた地域は花吹雪や花筏の風情を楽しんでいるだろう。今日は全国的に雨、アウトドア好みのMacchanはおとなしくして、いろんな資料を読んだり考えたりする時間があってそれはそれで楽しんでいる。先日来老人特有の「地球の行く末はどうなるのか」などの杞憂とも言える要らぬ心配をしているうちに、最近とても共感した
こいつが完成後3年以上も経過して庭土が詰まり、このところ雨水が溢れて逆流するようになった。土木部長のふるちゃんに相談したら、砕石を取り出して篩(ふるい)にかけ埋めなおすのが一番と明快な回答。ま、ドブ掃除をまめにしなさいということですわな。
そして暖かくなった今日、道具を揃えて土で埋まった砕石を掘り出し、篩にかけて砕石と土に分ける作業を数時間。昔のドブは生活用水も流れていたので、ヘドロの中でザリガニや小魚と遊ぶと泥だらけになって、母親にどこで遊んだかはすぐバレた。
今は生活用水は完全暗渠(下水管)、雨水はまだ明渠のところもあるが、もうヘドロもないし臭いもなく清潔なものだ。ということで少年のころ遊んだドブとは随分イメージが異なるが、でもドブ掃除の一種だろう。腰を悪くする予感があったのと古い篩が壊れてしまったので、今日は数メートル分やって終了。タンクに溜まった雨水の通水テストをやってみたが、まずまず良好。来週以降残った5m分に再チャレンジの予定。
現在は市内に住む上の妹が週末2日平均、Macchan夫婦が平日の5日平均昼を中心に一日一回の食事介助を心がけている。日々の小波はあるが、母は概ね元気に過ごしていて家族の認識は既にないものの、自分流の意味不明なお喋りでニコニコ穏やかな時が多い。
今日はトロミのついたポカリスエットに、久しぶりに自分で手を伸ばした。
昨年末から原因不明な消化不良便が続いて、歯はまだ27~8本あるので咀嚼機能は十分ながら消化のよい調理をした食事が量を減らされて出てくるようになった。少し可哀想だとも思うが、不満を言うこともなく介護士や家族の介助でスムーズに完食している。


