特養入居中の92歳を迎えた母が、昨年来転倒事故や尿路感染が原因の発熱などがきっかけで体調が悪化し機能が徐々に衰えていったが、持ち前の「生命力」とも思える体力で危機を乗り越えてきた。もはや感動ものの生命力を、賞賛を込めて「大正女の生命力」という題のシリーズで何回か投稿したが、その最終回を書かなくてはならなくなった。
6月25日(日曜日)の朝、施設から突然「呼吸停止」の緊急連絡が入った。前日原因不明の高熱の報告があって見舞ったが、朝は解熱剤が効いて平温に戻ったのでシャワーを使って着替えさせているうちに呼吸が止まっていることに気がついたという。
4月初めに担当医から「看取り介護」段階に入ったこと、老衰と認知症進展から心肺腎臓機能の低下で浮腫が進み、数日か持っても数週間だと宣告があって家族として覚悟していた。それが「運がよければ月単位」の命をまた授かり、やっぱり「大正女の生命力」は凄いと感じていた矢先だった。
歳のわりによくがんばった。それまで本人は苦しがっていなかったので、以前投稿で表現していた「蝋燭の火」が弱い風にゆらゆら煽られて自然に消え入るように命が途絶えたのだろう。間もなく13回忌を迎える父がそれまでも何回かお迎えに来たように思えたが、母はうなり声を上げて追っ払っていたように感じたことがあった。今回は素直に従ったのだろう。

本来なら27日の葬儀予定が、「友引で火葬場が休日」とのことで28日になった。お陰で3泊4日葬祭センターの和室を借り切って、兄妹夫婦が交代で寝泊りして母とつきあい合宿スタイルの小ぢんまりした家族葬を行うことができた。
母は3人の子供、7人の孫、15人の曾孫を授かり、それぞれの連れ添いを含めて30人に及ぶ親族一同が集って見送った。「にぎやかな集い」を好み、自ら遠くの親族や子供の友人たちを自宅でもてなしてくれたことを思い出話にする人々も数多い。最後の4日間を存分に楽しんで思い残すことなく旅立ってくれたと、Macchan兄妹3人夫婦は納得確信したのだった。



そのほか自家製ビールの仕込みや、小屋庭の草取りなどでかみさんとは週に2回は往復している。畑と小屋庭に分けて旧A畑の花菖蒲を4~5年前に分割したが、両方ともに花が小さくならず頑張って咲いている。通常のアジサイに少し遅れて、ただいまガクアジサイが元気。
掘り上げて根を分割するのはなかなかの作業になるので、今年の開花時期が終了した後はそのままもう1年過ごすかどうか逡巡している今日この頃だ。
認知症の進展に老衰が加わって心肺腎臓機能が急激に衰えたためという診断だったが、この2ヶ月は目を閉じたまま眠っていることが多くなった。何とかドロドロに調理された食事と飲料を、1時間前後の時間をかけて介助者の差し出すスプーンで飲み込むことができているので奇跡的に命を長らえている。大連休中には母の孫家族も次々に訪れ見舞ってくれた。
しかし顔や手足はもちろん全身が見るに耐えないほどパンパンに腫れて、心肺への負担が増し続けているようで咽喉のゼイ鳴や咳き込みが時に襲ってくる。この数日は心臓ショックのリスクを抱えたまま3段階で増量した利尿剤が少し効いてきたらしく、腫れた顔と手にほんの少し皺が生じてきた。しかし症状のわずかな緩和にすぎず、根本原因が治癒できるわけではないので予断できない。


浜北区御陣屋川沿いの50年を越える古木の桜、西友浜北で買い物をしたついでにぶらぶら歩いた。小河川だが、ここは桜並木保護のためか、今や当たり前のコンクリート護岸になっていないのが景観にもプラスになっている。多数の大きな乗っ込み鯉が上流を目指して泳ぎ、清流と共に風情を高めている。弁当もまして酒も持たない夫婦連れは、暫し川岸に腰を下ろして短い春を無言で見送る。

そして今日は恒例の週一テニスを満開の桜の高丘公園で仲間と楽しみ、



昼食の介助を終えた後またかみさんと示し合わせ佐鳴湖公園まで足を伸ばして散り始めた桜も堪能した。近所の珈琲店で一休みしながら、テニス仲間のAちゃんが習っている絵画教室主催の作品展も楽しめた。


前回の投稿から1週間以上時が経って、世の中は弥生3月が終わって新年度が始まった。遅れていた桜もここに来てやっと開花が進んで、週末には満開を迎えるだろう。忘れっぽさは置いといて、浜松で開花が4月にずれ込んで、見ごろが月半ばまで持続するという経験はなかったように思う。


北国ではこぶしが咲き、梅や桜や杏など花々が一斉に開花していくのだと聞いたことがある。浜松ではそこまで極端ではないが、居ながらにして北国の人々の春の訪れを喜ぶ気持ちを今年はなんとなく解ったような気がするのだ。
しかしこの数週間前から日中もとろとろと眠ることが多くなり、一週間くらい前から手足にむくみが出始めた。浮腫は全身に広がり、この一週間で体重は6kg増加した。医師の診断では、老衰による心肺腎機能の低下が原因だろうという。利尿剤の効果が少し出て、浮腫は少し軽減したが余命は数日から数週間レベルで家族も覚悟したほうがよいとのこと。
今週は10数年前の認知症発症から輪番で介護してきた兄妹3人が集まり、残り少なくなった母との時間を共有している。長寿社会になった今日90歳は珍しい長生きでもなくなったが、よく頑張って生きてきたなと思う一方いよいよ来るべきときが来たかとの感慨がない交ぜだ。
何故か歯が抜け出してから自分の指や手のひらを嘗め回し、タオルやエプロンやおしぼりをやたらに噛むようになった。今週は先週に続き2枚目の着ているトレーナーの右袖に穴を開けてしまった。報告してくれた看護士さんには、食いちぎって飲み込まないように注意はしてほしいが少しの穴はもう仕方がないから放置しましょうと伝えた。
今日昼食時4日ぶりに出かけると、箸と茶碗を持って既に食事を始めていた。一瞬目を疑ったが、介護士Mちゃんの発案だった。こんな一度退化した能力もちゃんと引き出しにしまってあって、暖かくなった春間近の今日取り出してきたのだ。ゆっくり茶碗を口にあてて箸で流し込むという感じだが、箸の持ち方も流儀に適っている。恐るべし大正女の生命力!
母は体力を快復し食欲も増して、自分でスプーンを持って口に運ぶまで機能が回復した。父の時からの経験では「認知症状」は小波を繰り返しながら大きなトレンドでは悪化する一方だと思い込んでいたが、一度無くした機能はある日突然隠された引き出しから飛び出てくるように再出現することがあると気がついた。双方意見交換型の施設にお世話になったお陰で、実現できたと感謝している。
茶碗の固めのおかゆに誤嚥を防ぐためにとろみをつけたミキサー食を載せて食べさせているが、食欲の本能が勝ってスプーンを忘れて茶碗から直接全てを飲み干そうとする行動に出ることが多い。しかしゆったりした気持ちで介助すると、お陰さまで3~40分で完食できる状態が続いている。何とか今年は生き延び、2月の建国記念日に92歳に到達できる可能性が増した。ありがたいことだ。
母はお陰さまで食欲があり、スプーンと茶碗を持たせると自分で口に運ぶまで回復した。3週間前よりさらに表情が豊かになり、意味不明でも短い言葉をしばしば発するようになってきた。2~3ヶ月前は口も開かず咀嚼もせず飲み込むのも忘れて、一時は先行きが長くないなと観念したほどだった。
しかし「美味しいねえ」とにこにこしながら食べている姿を見ると、短時間ながら食事介助に出かけるのが楽しみになるものだ。

職員のみなさんが手作りで催してくれるお祭りは8月の花火大会以来で、ビンゴやフラダンスにたこやき・焼きそば・フランクソーセージの出店もあり家族も十分楽しめた。
ビンゴで一等賞になりたまたまその日84歳の誕生日を迎えた同ユニットの仲間に送られるやんやの拍手に、母もつられてわけもわからずニコニコしながら拍手していた。
そしてこの2週間は自分で飲み物やスプーンに手を伸ばして、自分の口にゆっくりながら運ぶようになってきたのだ。量は50%+補助栄養食ながら、食事時間は健常者と同程度の20分前後で食べ終わるようになった。意味不明が多いものの、短い言葉をまた発するようにもなってきた。
しかし持ち前の生命力というのか、この数週間の復活は目覚しく半月前の当ブログで報告した食事摂取の意欲が更に向上した。先週末からは口の開き方が改善したほか、何と自分で飲み物を容器ごと手にもって口に運ぶことやスプーンに載せた食事を口に運ぶことさえも時々出来るようになった。
2週間前から結局、看護師や介護士や栄養士などのチームが提案するやり方に切り替えた。それが功を奏したのか、短時間で介護スタッフ担当の2食を完食することが増えたからか、母は次第に食欲を取り戻してきた。

母には3人の子供と7人の孫と今年15人目を授かる曾孫がいる。今年の夏はそんな母の状況を察して、見舞いがてら孫の家族がひ孫を連れて続々とやって来た。先週末も母の孫2号H君が富山から娘を連れて、孫6号Sちゃん夫妻が東京から娘を連れてやってきた。Sちゃんは留学先の縁で
その妹が先週末から4泊5日で施設の夏祭りの時期に我が家に合宿し、職員のみなさんの心尽くしの手作り花火会を楽しんだ。
法定費用内でできる10人のユニットで平均1名の介護士では、一人の入居者に1時間以上かけて食事を食べさせることなど望外のこと。結果先日施設と話し合って総量の50%から75%程度に増やした食事も、食べ終わるまで時間がかけられる家族介助の時以外は完食できないことが増えた。
先週末は下の妹が我が家に3泊4日滞在し、母の食事介助をした。盆が近づいて父の墓参りをしたり、介助の合間に畑で野菜を収穫し食事を作り合って楽しんだ。まるで何かのクラブ活動の合宿のような感じだった。
生き仏様は暑さとともに体力がなくなって食事中に眠気が増し、自主的に口を開いたり咀嚼嚥下することが段々難しくなってきた。3~40分で食事を終えられる時もあるが、1時間半かかっても既定量が食べられない時もある。一喜一憂しても仕方がなく、残された日々をできるだけ有意義に過ごしたいと思っているところだ。



