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団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

大正女の生命力(その6)終にお迎えが来た

2017-06-29 | 母の介護

特養入居中の92歳を迎えた母が、昨年来転倒事故や尿路感染が原因の発熱などがきっかけで体調が悪化し機能が徐々に衰えていったが、持ち前の「生命力」とも思える体力で危機を乗り越えてきた。もはや感動ものの生命力を、賞賛を込めて「大正女の生命力」という題のシリーズで何回か投稿したが、その最終回を書かなくてはならなくなった。

6月25日(日曜日)の朝、施設から突然「呼吸停止」の緊急連絡が入った。前日原因不明の高熱の報告があって見舞ったが、朝は解熱剤が効いて平温に戻ったのでシャワーを使って着替えさせているうちに呼吸が止まっていることに気がついたという。

4月初めに担当医から「看取り介護」段階に入ったこと、老衰と認知症進展から心肺腎臓機能の低下で浮腫が進み、数日か持っても数週間だと宣告があって家族として覚悟していた。それが「運がよければ月単位」の命をまた授かり、やっぱり「大正女の生命力」は凄いと感じていた矢先だった。

歳のわりによくがんばった。それまで本人は苦しがっていなかったので、以前投稿で表現していた「蝋燭の火」が弱い風にゆらゆら煽られて自然に消え入るように命が途絶えたのだろう。間もなく13回忌を迎える父がそれまでも何回かお迎えに来たように思えたが、母はうなり声を上げて追っ払っていたように感じたことがあった。今回は素直に従ったのだろう。

本来なら27日の葬儀予定が、「友引で火葬場が休日」とのことで28日になった。お陰で3泊4日葬祭センターの和室を借り切って、兄妹夫婦が交代で寝泊りして母とつきあい合宿スタイルの小ぢんまりした家族葬を行うことができた。

母は3人の子供、7人の孫、15人の曾孫を授かり、それぞれの連れ添いを含めて30人に及ぶ親族一同が集って見送った。「にぎやかな集い」を好み、自ら遠くの親族や子供の友人たちを自宅でもてなしてくれたことを思い出話にする人々も数多い。最後の4日間を存分に楽しんで思い残すことなく旅立ってくれたと、Macchan兄妹3人夫婦は納得確信したのだった。

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大正女の生命力(その5)看取り介護の合間をぬって

2017-06-18 | 母の介護

92歳の母が幸いなことに、4月初めの担当医の「数日か数週間、運がよければ月単位」の終末宣言の、運がよい方に傾いている。

有難いことではあるが宣言された家族にとってはそれほど緊張感は続かず、2ヶ月を過ぎた今月初めからは小康状態を見ながら交代介護に甘えて、旅行には行かないまでも郊外の「遊び小屋」には出かけている。

小屋の建築を手伝ってくれた仲間と、「遊び小屋デー」を2ヶ月ぶりに復活して楽しみ始めた。もちろん日帰りだが、溜まった話に花が咲いて集った4人とは昼食をはさんだ中身の濃い4時間を楽しんだ。

そのほか自家製ビールの仕込みや、小屋庭の草取りなどでかみさんとは週に2回は往復している。畑と小屋庭に分けて旧A畑の花菖蒲を4~5年前に分割したが、両方ともに花が小さくならず頑張って咲いている。通常のアジサイに少し遅れて、ただいまガクアジサイが元気。

掘り上げて根を分割するのはなかなかの作業になるので、今年の開花時期が終了した後はそのままもう1年過ごすかどうか逡巡している今日この頃だ。

 

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大正女の生命力(その4)看取り介護

2017-05-14 | 母の介護

遅く訪れた今年の春はあっという間に晩春になり、早いもので木々の緑が初夏の装いに変わってきた。

5週間余り前の記事「大正女の生命力(その3)」で長年介護してきた母が弱って、1年9ヶ月お世話になっている特養の担当医師から「看取り介護(ターミナルケア)」ステージに入ったと宣告があったと書いた。余命は「数日から数週間、運がよくて月単位です」とのこと。

10数年に亘って妹2人の家族と続けてきた5週間ずつ輪番のそれぞれの自宅介護に続いて、入居したわが家の近所の特養でもほぼ毎日の介助を交代で続けてきた。大正女の生命力はしたたかで、数度の怪我や病気による入院にもめげず92歳の長寿になったが、昨年後半からの急激な体重減に続いて今春に入ってからは反転し浮腫(水脹れ)による20Kg以上の急激な体重増で60Kgを超えた。

認知症の進展に老衰が加わって心肺腎臓機能が急激に衰えたためという診断だったが、この2ヶ月は目を閉じたまま眠っていることが多くなった。何とかドロドロに調理された食事と飲料を、1時間前後の時間をかけて介助者の差し出すスプーンで飲み込むことができているので奇跡的に命を長らえている。大連休中には母の孫家族も次々に訪れ見舞ってくれた。

しかし顔や手足はもちろん全身が見るに耐えないほどパンパンに腫れて、心肺への負担が増し続けているようで咽喉のゼイ鳴や咳き込みが時に襲ってくる。この数日は心臓ショックのリスクを抱えたまま3段階で増量した利尿剤が少し効いてきたらしく、腫れた顔と手にほんの少し皺が生じてきた。しかし症状のわずかな緩和にすぎず、根本原因が治癒できるわけではないので予断できない。

それでも2ヶ月ぶりに少し目を開けて瞬いたとか声を発したというだけで一喜一憂している現状で、苦しまず静かで安らかな最期を迎えてほしいという家族の願いは変わらない。

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看取り介護、合間の連続花見

2017-04-13 | 母の介護

母の容態が悪く、一日中ほとんど目を閉じて眠っている。食事の時には大きな声で覚醒を促すが、食事は差し出したスプーンから口をすぼめてちゅーちゅーと吸う程度で、飲食合わせると一食一時間以上かかる。

10人の入居者を一人の介護者がみてくれている介護保険制度下の特養ホーム体制では、一人に1時間以上かけて毎食面倒看てもらえるのは期待することに無理がある。10日前に担当医師と看護師に容態の説明を受け、終末の「看取り介護」段階に入ったことを理解し、昼夕2食の介助を兼ねて残り少ない限られた時間を共に過ごすようにしている。

「最短あと数日」の危機は乗り越えたが、「最長数週間運がよくても数ヶ月」の余命は変わっていない。認知症と老衰による心肺腎臓などの機能低下で浮腫(体のむくみ)が起こり、この2週間で10Kg近く体重が増加している。一日1回から2回に増やした利尿剤の効果は、少しは効いているが下半身はまだかなり腫れている。

それでも救いは本人が苦しまず痛がらず眠りこけていること、たまに問いかけに頷いたり単語で反応があること、時間がかかりながらも自分の口で飲食を継続できていることだ。平均をかなり上回る92歳まで生きてきたのだから、ろうそくの灯火が揺れながらふと消えるような安穏な終末を迎えさせてやりたい。残された家族のわがままで、ベッドに横たわり心肺だけが動かされているようなチューブ医療のお世話にはならないようにしたい。

日曜日の近所の花見に続いて雨が止んだ後の昨日と今日、食事介助の合間をぬって近場の桜名所を2日連続で花見ウォーキングした。母の命と同様残り少なくなった桜花の姿を、慈しむように心に刻んだ。

浜北区御陣屋川沿いの50年を越える古木の桜、西友浜北で買い物をしたついでにぶらぶら歩いた。小河川だが、ここは桜並木保護のためか、今や当たり前のコンクリート護岸になっていないのが景観にもプラスになっている。多数の大きな乗っ込み鯉が上流を目指して泳ぎ、清流と共に風情を高めている。弁当もまして酒も持たない夫婦連れは、暫し川岸に腰を下ろして短い春を無言で見送る。

そして今日は恒例の週一テニスを満開の桜の高丘公園で仲間と楽しみ、

昼食の介助を終えた後またかみさんと示し合わせ佐鳴湖公園まで足を伸ばして散り始めた桜も堪能した。近所の珈琲店で一休みしながら、テニス仲間のAちゃんが習っている絵画教室主催の作品展も楽しめた。

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大正女の生命力(その3)

2017-04-06 | 母の介護

前回の投稿から1週間以上時が経って、世の中は弥生3月が終わって新年度が始まった。遅れていた桜もここに来てやっと開花が進んで、週末には満開を迎えるだろう。忘れっぽさは置いといて、浜松で開花が4月にずれ込んで、見ごろが月半ばまで持続するという経験はなかったように思う。

北国ではこぶしが咲き、梅や桜や杏など花々が一斉に開花していくのだと聞いたことがある。浜松ではそこまで極端ではないが、居ながらにして北国の人々の春の訪れを喜ぶ気持ちを今年はなんとなく解ったような気がするのだ。

生きとし生けるものたちの生気がみなぎってくるこの時期、2ヶ月前に92歳になった母の元気がなくなってきた。特養にお世話になって1年9ヶ月、その間転倒による怪我や尿路感染による腎盂腎炎を経験したが、生命力が強い大正女はそれらを克服して生き延びた。

しかしこの数週間前から日中もとろとろと眠ることが多くなり、一週間くらい前から手足にむくみが出始めた。浮腫は全身に広がり、この一週間で体重は6kg増加した。医師の診断では、老衰による心肺腎機能の低下が原因だろうという。利尿剤の効果が少し出て、浮腫は少し軽減したが余命は数日から数週間レベルで家族も覚悟したほうがよいとのこと。

今週は10数年前の認知症発症から輪番で介護してきた兄妹3人が集まり、残り少なくなった母との時間を共有している。長寿社会になった今日90歳は珍しい長生きでもなくなったが、よく頑張って生きてきたなと思う一方いよいよ来るべきときが来たかとの感慨がない交ぜだ。

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大正女の生命力(その2)

2017-03-10 | 母の介護

元気を回復して自分でスプーンを持って積極的に食器から食べていたころに比べると、母は最近はまた眠っている時間が多くなったがそれでも食べさせると積極的に口を開き食事を完食する機能は問題ない。

先週昨年末に続いて2本目の歯が抜けた。朝起こしに行ったら、歯はベッドの上に転がっていたらしい。前回と同様根っこは折れたのか歯槽膿漏で溶けてしまったのか、歯には付いていない。上前歯の左右対称位置が歯抜けになった形だが、92歳にしてまだ25~6本の歯が残る。

何故か歯が抜け出してから自分の指や手のひらを嘗め回し、タオルやエプロンやおしぼりをやたらに噛むようになった。今週は先週に続き2枚目の着ているトレーナーの右袖に穴を開けてしまった。報告してくれた看護士さんには、食いちぎって飲み込まないように注意はしてほしいが少しの穴はもう仕方がないから放置しましょうと伝えた。

それでもしばしば噛み付く原因だけは知りたいが、ベテランの看護師さんも思案投げ首でいまのところ対策はないらしい。元気なことは結構なことだが、幼児レベルから子犬レベルになってきたようにも思え少々複雑な気持ちだ。

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大正女の生命力(母近況)

2017-02-20 | 母の介護

母が家の近くの特養Hサテライトにお世話になり始めてから、ちょうど1年半経過した。入居が決まってからも、尿路感染による腎盂腎炎を発症して入院し入居を1週以上待っていただいたことがあった。

それ以来順調に過ごしていたら元気が余って車椅子から2度、ベッドからも1度立ち上がって転倒し怪我をした。その間も尿路感染や原因不明の下痢が続き52Kgあった体重が15Kgも減少し、体力がなくなったためか経口の食事に口を開かない、無理に押し込んでも噛まない飲み込めないが続いた。食事を流動食に替えて2人がかりで箸とスプーンで唇の隙間から流し込み、飲み込むのを待つ食事介助には最長1時間40分かかったこともあった。

栄養とカロリーがプラスで補える補助栄養ドリンクを加えて1ヶ月余り経過した昨年9月、母は突然元気を取り戻し全量に戻した食事を時には自分の手でスプーンを使って口に運ぶようになった。認知症患者は認知度合いも身体&内臓機能が徐々に悪化して元に戻ることはないと、父の介護時代から20年間ずっと信じていたMacchanはびっくりするやら嬉しいやら。一時は年明け2月の92歳の誕生日どころか、年内までもてばいいかなと覚悟した時もあった。

数ヶ月経過して好不調を繰り返しながらも、茶碗に次々よそってあげたものをスプーンで流し込むような食べ方だが、自分で茶碗を持って時には直接口に流し込むような仕草をしながらも食欲が旺盛なときが多い。ありがたいことで、おかげ様で体重も40Kgをなんとか回復している。

平日はMacchan夫婦が交代で週末は市内在住の上の妹が食事介助にあたり、月に数日東京在住の下の妹も介助にやってくるというペースができてきている。以前のような義務感を持って5週間ずつの輪番在宅介護をしていた頃に比べると、どちらにしてもそう先行きが長くなさそうな母との限られた時間を共有できる介助と考えられるようになった。

今日昼食時4日ぶりに出かけると、箸と茶碗を持って既に食事を始めていた。一瞬目を疑ったが、介護士Mちゃんの発案だった。こんな一度退化した能力もちゃんと引き出しにしまってあって、暖かくなった春間近の今日取り出してきたのだ。ゆっくり茶碗を口にあてて箸で流し込むという感じだが、箸の持ち方も流儀に適っている。恐るべし大正女の生命力!

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母はどっこい生きています

2016-12-30 | 母の介護
母が昨年夏に特養にお世話になって以来、怪我をしたり認知症状が進んだことを月1回位の割合で近況を報告してきた。エアコンに管理された施設は我が家よりよほど快適だと思えるが、夏の暑さに参ったのか母は秋の初めには眠りこけることが多く食欲も口を開かず飲み込まずの最悪の状態になって、年内まで生きられるかどうかと覚悟した。

しかしお世話になっている施設のいいところは、看護介護介助に携わっているそれぞれの担当責任者が決まっていて、しかるべき責任者に相談をもちかけるとプロの立場から真剣に対応を考えてくれることだ。Macchanは家が至近距離のこともあって昼食を中心にかみさんと毎日のように介助に行って状況を把握していたので、素人ながら父の介護の時から15~6年以上の経験を踏まえてあれこれと相談を持ちかけた。

保護者としての要望に呼応してくれて、スローながら母の症状に対する試行錯誤が始まった。一番のポイントは食事(栄養摂取)内容だった。早くから半量の刻み食と補助栄養食に切り替えたいという施設側の意見と、時間がかかってもいいから介助しながら自主的に咀嚼し飲み込める機能を維持させたいという当方の希望との食い違いが目立った。

しかし家族が面倒をみられる一日一食に1時間半かけて完食出来ても、基本的に10人の入居者を一人の介護士が面倒をみる体制なので毎食手厚い介助を期待するのは難しい。1~2ヶ月の試行錯誤を経ても体重増に結びつかなかったので、その後のスタッフの意見を入れて消化のよいミキサー食と補助栄養食に切り替えた結果著しい改善があった。

母は体力を快復し食欲も増して、自分でスプーンを持って口に運ぶまで機能が回復した。父の時からの経験では「認知症状」は小波を繰り返しながら大きなトレンドでは悪化する一方だと思い込んでいたが、一度無くした機能はある日突然隠された引き出しから飛び出てくるように再出現することがあると気がついた。双方意見交換型の施設にお世話になったお陰で、実現できたと感謝している。

茶碗の固めのおかゆに誤嚥を防ぐためにとろみをつけたミキサー食を載せて食べさせているが、食欲の本能が勝ってスプーンを忘れて茶碗から直接全てを飲み干そうとする行動に出ることが多い。しかしゆったりした気持ちで介助すると、お陰さまで3~40分で完食できる状態が続いている。何とか今年は生き延び、2月の建国記念日に92歳に到達できる可能性が増した。ありがたいことだ。
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認知症患者も進化する(2)

2016-11-15 | 母の介護
3週間前に弱った母が体力を回復して、見違えるほどの食欲を見せるようになったことに感謝して「認知症患者も進化する」という記事を書いた。

母はお陰さまで食欲があり、スプーンと茶碗を持たせると自分で口に運ぶまで回復した。3週間前よりさらに表情が豊かになり、意味不明でも短い言葉をしばしば発するようになってきた。2~3ヶ月前は口も開かず咀嚼もせず飲み込むのも忘れて、一時は先行きが長くないなと観念したほどだった。

前回の記事でも感慨を述べたが、機能は完全に損なわれるのではなく栄養が行き渡り体力がついてくると、隠れていたものが現れるように回復することを知った。とはいえ年明けには92歳になる年齢的なものもあり、またいつ何時食べられなくなる時がくるかもしれないと感じている。

しかし「美味しいねえ」とにこにこしながら食べている姿を見ると、短時間ながら食事介助に出かけるのが楽しみになるものだ。

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認知症患者も進化する

2016-10-24 | 母の介護
昨日は母がお世話になっているHサテライト主催の秋祭り。特養と機能リハビリのデーサービスが併設された、比較的小型の施設だ。市内在住の上の妹の介助当番にジョインした。
職員のみなさんが手作りで催してくれるお祭りは8月の花火大会以来で、ビンゴやフラダンスにたこやき・焼きそば・フランクソーセージの出店もあり家族も十分楽しめた。
ビンゴで一等賞になりたまたまその日84歳の誕生日を迎えた同ユニットの仲間に送られるやんやの拍手に、母もつられてわけもわからずニコニコしながら拍手していた。

母が29床ある特養に入居して15ヶ月、当初の半年はまだ体力があったのか車椅子から不意に立ち上がるなどの転倒を繰り返し、その度に身体機能がかなり低下した。その後は特に食に対する意欲が薄れ、口を開かない咀嚼しない飲み込まないことが多くなった。両親x2の4名の介護をしてきた夫婦の目からは、経験的に食べられなくなると先行きが短いということが分かっていた。来年2月の92歳の誕生日くらい迄か、もしかしたら今年一杯しかもたないかもしれないと一時は覚悟した。それが夏が終わってこの1ヵ月半で、残された生命力がメラメラと蘇ってきた。

一時は2人で口に無理やり流し込むように食べさせても1時間半はかかっていた食事が、時々口を開くようになって45分で完食できるようになった。
そしてこの2週間は自分で飲み物やスプーンに手を伸ばして、自分の口にゆっくりながら運ぶようになってきたのだ。量は50%+補助栄養食ながら、食事時間は健常者と同程度の20分前後で食べ終わるようになった。意味不明が多いものの、短い言葉をまた発するようにもなってきた。

同じ認知症だった父の時からもう20年以上介護経験があるが、悪化しながら次々に失われた機能はもう2度と回復しないとずっと思い込んでいた。しかし母のこの2ヶ月の状況を観察していると、完全に失くしてしまうのではなく一時的に引出しのような所にしまい込まれるだけなのではないかと思えるようになった。

交代で一日1回は食事介助して無理でも完食を続けたことが効いたのか、施設スタッフのミキサー食化や補助栄養ドリンク補給のアドバイスが効いてきたのか、いずれにしても基本的には体力の回復が機能復活に役立っているように思う。早々と諦めずによかったなと感じつつ、スタッフに感謝しながら何となく嬉しさがこみ上げてくる自分がいる。
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母、さらに復活

2016-10-07 | 母の介護
年明けには92歳になる母はお蔭様で一族では最長寿記録を更新しているが、1年少し前から特養にお世話になり始めて以来この数ヶ月の持病の認知症状の進み具合と食事摂取障害による体力の低下で、一時は新たな誕生日はもう迎えられないかもしれないと覚悟した。

しかし持ち前の生命力というのか、この数週間の復活は目覚しく半月前の当ブログで報告した食事摂取の意欲が更に向上した。先週末からは口の開き方が改善したほか、何と自分で飲み物を容器ごと手にもって口に運ぶことやスプーンに載せた食事を口に運ぶことさえも時々出来るようになった。

一回の全食事時間も最悪時期は全介助で1時間から1時間半かかっていたのが、30~40分に短縮しこの数日は30分以内に終えられるようになった。表情もよくなり食事中に眠ってしまうことがなくなったし、相互会話は成立しないものの笑顔と共に短い言葉を頻繁に発するようになった。とても有難く嬉しい。

写真で見ると分かるが、指先の爪の色が少し黄色い。これは紙オムツの中に手を入れてこねてしまう結果だが、四六時中介護に携わっている施設のスタッフの方々は「拘束不可」の規則に基づいて後始末も厭わず面倒をみていただいている証でもある。

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母、少々復活

2016-09-20 | 母の介護
母が特養にお世話になり始めてちょうど1年経過した暑さ真っ盛りのころ、体調が優れず機能の衰えがあって食が進まなくなった。家族が入れ替わり出かけ、一日一回1時間以上かけて食事介助をしてきた。その他の食事は介助スタッフが十分な時間をかけられないこともあり、完食できないことが多く必要十分な栄養補給ができていないと思われた。

その2ヶ月前くらいに施設側からミキサー食半量にして栄養補助食を加えることに変更する提案があったが、刻み食を70%くらい確保してもらい時間をかけても完食するやり方を続けてもらうことにした。体重減は止まったかにみえたが元気がなくなり、食に対する意欲(口の開き方や飲み込み方)が減退した。

2週間前から結局、看護師や介護士や栄養士などのチームが提案するやり方に切り替えた。それが功を奏したのか、短時間で介護スタッフ担当の2食を完食することが増えたからか、母は次第に食欲を取り戻してきた。

明らかに食事中眠ってしまうことが減り、口を開けることも増えて飲み込みを忘れることがなくなった。結果食事時間が30~40分平均になって、一日3食の完食率が増えたようだ。もう一喜一憂することはあまり意味がないような気もするが、言葉がさらに少なくなってもお愛想笑いのような笑顔を見せてくれるだけで少し嬉しくなる。
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長生きの母のお陰で大勢の親族が集える

2016-09-05 | 母の介護
母も父と同じ認知症とわかってから15年余、ちょうど11年前に父が亡くなった頃を境に母の認知症状が年々進んで、少しずつ「困った母さん」度が増していった。代々のケアマネージャーが異口同音に「珍しいケース」と表現した、兄妹3人が輪番で始めた介護にも改善を加えて5週間ずつのそれぞれの自宅介護に切り替えた。

それまでの1ヶ月毎の当番だと毎年夏休みと正月休みを、同じ者が担当しなければならないことが判明したからだった。浜松で10週間と東京で5週間のイレギュラーなデーサービスを受けられるように、当時のケアマネさんが粉骨努力してくれた。これらが効を奏したのか、この10年母の認知症度の悪化はゆっくりで父の発症以来10年86歳前で亡くなったのに比べると、大幅に長寿記録を更新すると思われた。

しかし米寿を過ぎ卒寿を迎えるころにはおとなしく優しくなったが、生活基本機能の衰えが目立ち始めた。この一年は食事さえも介助なしには難しくなった。そしてこの夏、お世話になっている特養施設はエアコンで年中27度の快適さ、風呂やトイレの介助はプロがやってくれるので安心できるのだが。残念ながら口の開き方が悪くなり、咀嚼も嚥下機能も著しく低下した。結果食事時間は1時間から1時間半かかる。食事内容も噛まないで飲み込める半量のミキサー食になり、補助栄養剤のお世話にもなり始めた。

かみさんの両親と父の計3名の介護歴をたどると、食が細くなり痩せて体力がなくなるとやがてローソクの火が風が無くとも揺れてやがて消えるように命の灯火が燃え尽きる。母のこのところの状態を見ていると、年明けの誕生日が迎えられるかどうかという状態だ。

母には3人の子供と7人の孫と今年15人目を授かる曾孫がいる。今年の夏はそんな母の状況を察して、見舞いがてら孫の家族がひ孫を連れて続々とやって来た。先週末も母の孫2号H君が富山から娘を連れて、孫6号Sちゃん夫妻が東京から娘を連れてやってきた。Sちゃんは留学先の縁でドイツ人Jさんと6年前に結婚して4年前に娘を授かった。偶然とはいえ珍しい組み合わせの親族が集って、そろって夕食を共にし特養の母を見舞ってくれ父の墓参りもしてきた。

Macchanは演奏会や旅行の計画をかきわけて、かみさんと久々の組み合わせの親族との楽しいひと時を楽しめた。
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特養入居後まる1年経過の母近況

2016-08-25 | 母の介護
昨年8月の初め緊急入院騒ぎがあって少し遅れたが、母は施設の配慮で無事特養に入所できた。確か昨年も暑い夏だったが今年も晩夏になって、毎日が悩ましいほど暑くなった。歳を重ねてだんだん体力が衰えてきたことも一因だろう。

このところ一ヶ月に1回位の割合で母の近況を投稿しているが、残念ながらこの1年は転倒事故などもありステップを一段ずつ降りるように体調が悪化してきた。逆に考えると発症以来14~5年自宅でも怪我や体調を崩した時があったが、認知症状は父ほどは急激に悪化しなかった。

それにしても特養施設は快適だ。室温は年間を通じてほぼ27℃程度に維持されていて、自宅から介助のために訪れるとホッとするほどだ。施設柄臭ったり汚れたりしやすいはずだが、不快を感じたことはほとんどない。

1年前までの兄妹3人の5週間ずつそれぞれの自宅での介護当番から、入所後は平日はMacchan夫婦が週末は同じ市内に住む上の妹が一日1回昼食か夕食の介助を担当してきた。この数ヶ月は健康を回復した東京在住の下の妹も毎月のように数日やってきて、先が短くなってきたと思える母との限られた時間の共有をしている。

その妹が先週末から4泊5日で施設の夏祭りの時期に我が家に合宿し、職員のみなさんの心尽くしの手作り花火会を楽しんだ。昨年母は状況を理解できなくて花火に怯えていたが、今年はもうそれさえない。1ヶ月前くらいからは食事時に口の開き方が悪くなり、噛むことも飲み込むことも忘れる時が多く完食するのに1時間以上かかることが珍しくなくなった。

法定費用内でできる10人のユニットで平均1名の介護士では、一人の入居者に1時間以上かけて食事を食べさせることなど望外のこと。結果先日施設と話し合って総量の50%から75%程度に増やした食事も、食べ終わるまで時間がかけられる家族介助の時以外は完食できないことが増えた。

まあなんとか酷暑の夏は越せそうな気がするが、食が細くなり食べられなくなると命の灯火は風がなくとも揺れやがてスーッと消えてしまうことは、10数年来義父母と父の3人を看てきて既に承知している。残念だがしかたがない。
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仏と生き仏を参る

2016-07-13 | 母の介護
ちょうど1年前に似たような「仏にも生き仏にも参る盆の入り」タイトルで記事をしたためているので、少々気が引ける。母が特養施設に入居してから間もなく1年。昨年の今頃は入居が決まったすぐ後に母が腎盂腎炎を患って入院し、梅雨明け直後の猛暑の中を右往左往していた。

その少し前に10年以上続いていた兄妹3人での5週間毎の輪番介護が、下の妹の健康状態がすぐれず、1ヶ月のショートステーを使いながらなんとか当番を維持しようと考えていたところだった。結果的には入院で遅れた入居を特養側が10日ほど待ってくれて、ありがたいことに事なきを得た。

この1年平日はMacchan夫婦が、週末は市内に住む上の妹が食事介助をする新たな介護が定着した。東京に住む下の妹もこのところ健康を回復して、月に数日のペースで浜松に泊りがけでやってきてまた介助の輪に入れるようになってきた。

もう厳密な分担介護というイメージではなく、お互い多分先の短い母と面会できるチャンスを与えてもらっているという気持ちだと思う。また3兄妹連れ合いも含めて頻繁に交流が続けられ、合宿や会食をしながら昔の思い出や父母のことをゆっくり話し合って楽しむことができるようになった。

先週末は下の妹が我が家に3泊4日滞在し、母の食事介助をした。盆が近づいて父の墓参りをしたり、介助の合間に畑で野菜を収穫し食事を作り合って楽しんだ。まるで何かのクラブ活動の合宿のような感じだった。

生き仏様は暑さとともに体力がなくなって食事中に眠気が増し、自主的に口を開いたり咀嚼嚥下することが段々難しくなってきた。3~40分で食事を終えられる時もあるが、1時間半かかっても既定量が食べられない時もある。一喜一憂しても仕方がなく、残された日々をできるだけ有意義に過ごしたいと思っているところだ。
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