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団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

浜松「あらたまの湯」はいいぞ!

2007-09-29 | エコ生活
浜松市浜北区の「あらたまの湯」は今年春オープンし、万葉集に2首詠われている浜北地域の「あら玉」の名称から銘々された。アルカリ質の昔で言う「重曹泉」で、金にまかせて掘った温泉としては源泉の温度も比較的高いし、ヌルヌルつるつるしていて入浴後の満足度が高いぞ。

「あらたまの湯」は、旧浜北市が浜北区四大地の灰の木地区に、一般廃棄物最終処分場の環境整備事業の一環として計画され、浜松市が昨年12市町村合併時に、旧浜北市の事業計画を引き継いで完成したものだ。昨年度既に新浜松市の「市建設計画」に掲載されていて工事が進み、今年春総工費12億円をかけて堂々オープンした。

どこの自治体にもあると思うが、「廃棄物処理場」「斎場」などの建設計画が持ち上がった時、最後は地元説得のための自治体経費の使い方で話が決まる。この灰の木地区も、「やっぱりそうきたか」と思うくらい単純なギブアンドテイクで解決案が出てきた。流行の「温泉」だ。今は金をかけて掘れば、日本中どこでも温泉が出る。

「あらたまの湯」は計画に則って着々と計画が進み、様々な「市建設計画」の中では内容の吟味が進む前に工事が終わって開業にこぎつけた。私が関わった市の行財政改革審議会でも、一地域の住民満足のための12億円投資に疑問符があったが、いくつかの桁が異なる問題点に比べるとプライオリティーは下位だったので、具体的な問題指摘事項には入らなかった。

そしてオープンして半年後の今まで、まずまずいい評価が聞こえてきていた。今日昼前思い立って、わが家から車で15分くらいのこの施設にかみさんと行ってきた。感想は冒頭の、「あらたまの湯」はいいぞ!になる。この10何年来、地方の各市町村に温泉が続々完成した。地元の産業振興と雇用創出が主目的だが、陰には我が国民の小旅行・温泉・風呂好きがあっただろう。浜松にも車で1時間以内のエリアには、評判のいい天然温泉はいくつもあるぞ。毎週のようにドライブを兼ねて訪れるファンは、私の知り合いにも何人もいる。

「あらたまの湯」の入浴料は600円、70歳以上と子供は300円。浴場は露天風呂をはじめいくつも種類があって、周囲の自然ともよく調和し、清潔で快適だ。最寄の浜北駅からは無料シャトルバスも出ていて、安価で一日ゆっくり快適に遊ぶことが出来る。多くの市民に機会均等、弱者に対する福祉施設としても合格点。課題は、投資した固定資産分の減価償却費を費用に参入する「企業会計制度」を早く公式に導入して、費用対効果を市民に情報公開することで多くの客観的な評価を得ることだろう。

今日も話が「ぬるま湯」になってしまって、どうもすんません。「あらたまの湯」はほんとにいいから、みんな湯にゆっくり浸かって、税金の使途評価をしようじゃないかいね!
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秋は何故赤い??

2007-09-28 | 日々雑感
この写真は何でしょう?第2弾ですよ。前回と粒々は似てますが、明らかに植物ですよね。お彼岸が過ぎて、秋の木の実が熟す季節。少し黄色味がかった粒の皮一枚下は鮮やかな朱赤の実が隠れている「蔓梅(つるうめ)もどき」ですよ。クリスマスや正月の飾りにも重宝されてますね。

なんですよ?今日の暑さは!! 東京で32℃? 静岡で34℃!! 浜松も31℃だったそうだけど、朝晩はともかく昼間は暑くてちょっとやる気失ったなあ。「ISO14001を遵守していても、職場って快適なんだよなあ!?」とは、家の近所で今春先に退職した市役所のOBの先輩と、午後会った時に異口同音に発した小市民同士の感想だ。軟弱軟弱!!それでも確実に秋は深まって行く。

田圃や畑の畦道、里山の山すそを見てご覧よ、毎年暑いの涼しいのと騒いだって、ちゃんとカレンダー通りに真っ赤な「彼岸花」が集団で咲き乱れる。柿の実ばかりではなく、唐辛子やピーマンだって次々に赤く色づき、収穫を待つ。

毎年、百舌の声が高くなり始めるこの季節になると、ちょっと気もそぞろになることがある。普段何箇所か目論見をいれてある場所に、ある実がうまくなっているかどうか?まだ誰にも先を越されていないかどうか?というささやかな懸念心配が沸き起こってくるのだ。「蔓梅もどき」という、この地方では「めじろもも」とも、何とも愛らしい名前で呼ばれている木の実だ。皮がめくれて赤い実が露出してしまうと、多くの鳥や活け花愛好者の眼にとまって、あっという間に無くなってしまう。だから緑色がほんの少し黄色味がかったころ合いを見計らって、蔓を引っ張り取って自宅に持ち帰る。まだ緑色の葉っぱをむしり取って、三日間も放置しておくと皮がはじけ、中から濃い朱色の実が次々に顔を出す。これが秋から正月にかけての室内飾りに、実にいい感じなんだね。

「蔓梅もどき」があそこにあるなということは、夏前に葉が茂るころから見当をつけるけど、必ずしも実がなるとは限らないんだよね。株にはどうやら雄雌があるらしい。秋の完熟実を鳥がついばみ、落とした糞から生えてくるんだけど、ざっと見た感じでは実がなる雌株は10%位だろうか。だから実がなる蔓は貴重品だ。運良く実のついた蔓を収穫できても、根こそぎ採ってはいけない。鳥が食べる分を残して、また来年楽しめるようにしなくてはねーーー

ということで今年は第一候補地は、蔓が絡んでいる樹木そのものがきれいに剪定されていて空振り。第二候補地で、いつも実がなっている蔓より10Mくらい奥で運良く収穫できたので、このように余裕の感想になった。これからの季節は秋茜が飛び交い、木の葉も赤く色づいていくものが多くなる。秋のイメージは圧倒的に「赤」じゃないかと思うんだけど、「秋は何故赤いのか?」という最初の疑問は、今後の「サンデー毎日」の研究課題にするとしようか。
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玉ねぎの植え付け準備

2007-09-26 | 農作DIY
この写真は何でしょう? 月面写真? ブブー! 4週間後の玉ねぎ植え付け準備のための、2種類の肥料を畑一面に撒いたところですよ。

浜松市西区篠原(しのわら)地区は、美味しい早生玉ねぎの名産地。北海道ほど大規模生産ではないので全国的に出回るわけではないと思うが、美味しくどこよりも早く出回ることで、大都会のホテルやレストランではエシャロットと並んで、知る人ぞ知る有名ブランドだ。農作DIYのカテゴリーに今エントリーしてはいるもののこれはDIYではなく、篠原で代々玉ねぎを作ってきた先輩SIさんの畑に、この何年か手伝いに行っているのだ。篠原がエシャロットや新玉ねぎで有名なのは、海岸に近いためか畑が砂地で、これらの生産にそもそも適していることと、長い歴史の中で特産地として切磋琢磨しあって、美味しいものを作るノウハウを蓄積していったのだろう。

だからこの玉ねぎ畑を手伝って収穫物を頂けるようになってからは、自分の畑でDIYするのは空しくなるほど味が違うことをはっきり認識できたので、もう自分の畑ではあがかないことにした。今日は来月の苗植え付けに先立って、畑の準備作業を行った。作付け面積は畑1枚(1反=300坪)に鶏糞主体のぼかし肥料10袋=200Kgと、粒状苦土石灰4袋=80Kgだ。砂地なので肥料の歩留まりが良くないのか、美味しい玉ねぎ作りのためのノウハウなのか、かなり肥料を入れるなぁと感じた。

SIさんはわが社での先輩であると同時に、たまたま大学の先輩でもある。だから代々農家だった家で育ったのに、農作業はほとんどやらない。農地を沢山保有しているが、耕作はプロに頼んで一部は玉ねぎのように「植え付け」や「収穫」など、素人ができる「おいしい部分」を多くの知人友人に声をかけて、作業の真似事をやらせてくれている。こういう企画や色んな手配は、書道家で人の面倒見がいい奥様の独壇場だ。プロ耕作者への謝礼や肥料代などの経費をかけて、皆を楽しませてくれる奉仕活動みたいなもの。短時間の作業を手伝うだけで、昼食とおやつ付きで収穫物は全て来訪者に土産で持たせてくれるのだけれど、いつも感謝しつつちょっと申し訳ないような気持ちもある。

まぁ、「おだいさまだで、いいっつら」 (浜松の方言で、「お金持ちだから、いいじゃないか」)



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定年退職祝い第一弾

2007-09-25 | 還暦・定年
定年退職祝い?第一弾は、最も長く在職したスポーツ事業部の仲間が開催してくれた。どうです?このわだかまりも何もなく、屈託ない集まりの人々の顔つきは?ーーいいでしょう?!!

10月13日の退職日が近づいてきた。今日は、解散した昔のスポーツ事業部の仲間が一応私の定年を祝って?急遽集まってくれた。50数歳以上の層は、私と一緒に事業部の盛衰を経験した人達。最も若い層は、新入社員の採用時に私が面接に立ち会った人たちもいる。18:30ごろから三々五々集まって4時間近く、堅苦しいセレモニーがあるわけでもなく、ぐだぐだ昔話や最近の話を色々しあって解散した。

一部では、私の定年ブログをよく見てくれている人たちが話題にしてくれていたが、集まった38歳から61歳までの幅広い年齢層には、一つの話題に集中できるわけも無く、次に定年を迎える人たちのために、半年後にまた集まろうと誓い合ったのだった。一方、いつまでこの会が続くのかという疑問が解けないままだったが、こんなんでいいんじゃないかな?人生の節目の集まりはーーー

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彼岸中日の大混雑

2007-09-23 | 日々雑感
家から車で10分位のところに、親父の墓がある大規模な市営の墓地がある。今日は彼岸の中日で墓地もご覧の通りの大賑わい?だ。

本家の次男で転勤族だった親父が2年前に亡くなって、いまさら親父の故郷の奈良に墓を作るのもちょっとないかなと思い、市民なら誰でも権利がある浜松市営墓地に新規に墓を作った。家から近いこともあって、命日や盆には檀家にはなっていないが縁のある寺の和尚様にお経をあげていただき、月命日にも欠かさず墓参りをしてきた。

両親が故郷を遠く離れた転勤族だった家で育った私は、先祖の墓を訪れるのはすごく特別のことだった。しかし故郷浜松で生まれ育ったかみさんと結婚して以来33年、3回の転勤で延べ7年浜松を離れたことはあったが、仕事も含めて浜松の葬祭に関わることが多くなった。先祖の墓近くに住む者たちが、当り前の様に折にふれて墓参りすることに新鮮な印象を持ち、そのうち自分自身が当り前のように受け入れ実行するようになった。

浜松市郊外にある広大な敷地の市営墓地は、明るい公園のような環境の中に墓石の規格はあるものの、宗教宗派を問わず何千かの墓石が整然と並んでいる。在住の市民にしか建立の権利がないためか、訪れる墓参者はいつも途切れることがなく、管理する市の都市公園課のメンテナンスもよい。

今日は彼岸の中日で、物知り人の言うことには暫く振りに日曜日に重なった。その為か、墓地はめずらしく大混雑だった。先ず墓参用の花を購入するのに20分、墓地の駐車場に入るのに20分、墓参りをし終わるまでに往復入れて1時間半かかった。買い物でも何でも、30分単位で済ますことが当り前のように生活していたが、この混雑は初めての経験だった。それでもアポがあるわけでもなし、ゆっくりのんびり死者の思い出を語りながら参ることができたのは、それはそれでよい機会だった。

家からは逆方向だったが、その足でかみさんの両親や祖先が葬られている寺の墓地にも参った。こちらは小規模なので混雑は全くなかったが、代々墓を守っている本家のもてなしを受け、これも恒例行事になっている彼岸の手作り「おはぎ」や屋敷内の落ち栗を使った「栗蒸し羊羹」を土産に頂いた。祖先を守るということは、傍で考える以上に気苦労が多いと思うが、いつも気持ちよく迎えてくれるのが本当に有難くうれしい。

新憲法が制定されて60年、家族のあり方が変化し墓の在りかたも変化してきたが、同時に権利と義務のバランスの中で先祖の墓を守る習慣も大きく変化してきていることも事実だと思う。人それぞれのルーツや、アイデンティティーに関わりが深い墓の在り方について、これから人々の考え方やり方はますます多種多様になっていくのではないか。現存する墓の在り方とは別に、「気持ちが繋がっている」ことの方が重要だということに共感が持たれて、記録的な大ヒットを遂げた「千の風になって」のような考え方をする人々が増えているのは厳然とした事実だ。そんな人たちはこれから先自分も含めて、具体的には一体どんな形で実現していくのだろうか。
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見よ!この夏負けしない逞しさを!

2007-09-21 | エコ生活
これは1階ではなく2階のベランダの景色だ。まだまだ続く残暑にめげるどころか、西洋朝顔は盛夏の頃より勢いを増している!

以前、「エコ生活」カテゴリーで紹介した、1階居間の前に作った「ガレージ屋上緑化」の花壇に植えた西洋朝顔が、この時期えらい勢いで繁茂している。わずか20cm程度の厚さしかない花壇の土から水分と栄養を吸い上げて、真夏こそ一寸元気をなくしていたが、いつまでも続く猛烈な残暑も物かは、最近は毎朝100を越える花を開いている。

今年の夏はみんな言っているけど、やっぱりちょっと変! 梅雨明けは7月一杯かかったし、8月は度肝をぬく35℃以上を連発! 日本新の40℃以上も何箇所かで記録した。9月に入っても毎日30℃以上は当り前、還暦直前のおやじにとっては自宅にいる時間が増えたこともあって、「9月ってこんなに暑かったかやあ!?」と感じている。

そんな中で、真夏よりみずみずしくいきいきしているのは、花壇の西洋朝顔と畑の茄子だ。西洋朝顔君は今や在来の朝顔を席巻して、厚かましささえ感じるほど逞しく、熱帯化しつつある日本風土に適合して繁茂している。咲いた花は、昼過ぎになっても萎まない。ものすごいパワフル! ちくるわけじゃないんだけど、一緒に茂って居間の日除けになればなあと考えて植えたゴーヤなんか、死んじゃいないけど気後れして成長ストップ、実の一つだに無きぞ悲しい。一方畑の茄子君は、今年の真夏は雨が極端に少なく、息も絶え絶えになって少しなった実もひび割れてひどい状態だった。こりゃだめだと思って、例年よりも強く剪定し根元の敷き藁も大目にして追肥もたっぷりやった。このところになっていい枝を沢山伸ばし、やっと茄子らしい茄子が実るようになった。何もしてやらなくて自力で繁茂している西洋朝顔とはえらい違いだが、頑張っていることでは大関格だ。

同じ「生きとし生けるもの」として、どうしてこんなに勢いに違いができるんでしょうかね? 毎朝寝ぼけ眼に、わたしゃ夕べは1階に寝たんだっけ?と思わせる2階ベランダの景色を見て、今日も元気に生きようと自分に活を入れるこの頃だ。
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鉛筆削りの女王は今?

2007-09-19 | 団塊世代
「星飛雄馬グッズ」に続き、今日はバージョンⅡともいうべき掘り出し物をゲットしてきた。昭和30年代当時、5円で買えた「ボンナイフ」だ。

9月11日付のエントリー「身辺整理中の感慨」では「星飛雄馬」をタイトル画像に登場させたが、星飛雄馬を我らが団塊世代傑出の英雄とは認めるものの、彼が活躍する姿を「少年マガジン」で認識したのは20歳頃だったし、TVアニメに登場したのは更に後だったので、懐かしさはあるものの同年代の意識はちょっと薄く、「タメ」とは呼び難いところがある。

定年を一ヶ月後に控えた11日以降も、会社には一日出ただけで「かみさんの実家整理」を続けている。その間排出した一般ごみを、搬入指定先の浜松市南清掃事業所に、既に軽トラでなんと5杯も運び込んだ。そんな中で、ひときわ感慨深かったのは今日ゲットした「ボンナイフ」だ。団塊世代初年度の私は、小学校1~2年生ごろは母親に鉛筆を削ってもらっていたと思うが、3~4年生にもなるとクラスの中に「鉛筆削りの女王」ともいうべきスーパーウーマンがいて、確かそのころは「肥後の守」でクラス中の男の子何人分もの鉛筆を、何回かの休み時間にニコニコしながらなんとも器用に削ってくれていた。

私は当時、4年生までは東京都渋谷区立西原小学校に通っていたが、親父の会社の社宅の都合で5年生からは千代田区立麹町小学校に転校した。毎日放課後野球をやっていた仲良しや「鉛筆削りの女王」とも涙ながらにお別れして、新しい小学校に登校したらここにも野球少年は沢山いて、毎日放課後の校庭や空地で軟式野球やソフトボールをやった。そして驚いたことに、なんとここにも「鉛筆削りの女王」がいたのだ。5~6年生ともなると女性はぐんぐん先に大人になって、同い歳の男から見るとたくさんのお姉さんに囲まれたようなものだ。「弟分たち」のちびた鉛筆の芯の尖らせ方の注文を聞きながら、「肥後の守」で器用に削り出す女王さまの数はさらに増えた。

「肥後の守」は鉛筆削り専用道具ではない。当時、竹とんぼやパッチン竹鉄砲(水で柔らかくした紙やヤツデの実を詰めて弾にしていた)作りにも活躍する万能刃物だったが、刃渡りの大きいやつは今は持ち歩いているだけで「銃刀法違反」じゃないかな。そうこうしているうちに「5円のボンナイフ」が登場して、クラスの女王さまたちの筆箱の片隅には怪我をしやすい「肥後の守」に代わって、必ずと言っていいほど鎮座するようになっていった。

最近になって知ったのだが、私が確か中学1年生の時の超ショッキングだった日比谷公会堂浅沼稲次郎暗殺事件をきっかけに、肥後の守の持ち歩きさえも禁止されて、兵庫県の生産地は壊滅的な打撃を受けたそうだ。それから「ボンナイフ」はどれだけの流行生命を維持できたのか私はよく覚えていないが、「危険排除」という観点からクラスに手回しの鉛筆削り器が導入されても暫くの間、学校公認?の「文房具」として活躍したはずだった。

勉強が出来ることだけではなく、かけっこが速いことだけでもなく、当時は仲間の鉛筆を上手に削ることでクラス中の尊敬を集めたクラス仲間がいた。まぶしかった女王さまたちも還暦を迎えて、さー今はどうしているのだろうか?


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今秋の出演第1弾は「三遠南信合唱の集い」

2007-09-17 | 男声合唱(合唱)
9月16日(日)「三遠南信文化交流、合唱の集い」が開催され、所属している「浜松男声合唱団」は参加した11団体と共に楽しく演奏した。記事は17日の中日新聞朝刊に掲載された、我ら「浜松男声合唱団」の熱演写真。地元開催の地の利?だったかな。

先日当ブログの「男声合唱」カテゴリーで書いた通り、今秋から来春にかけて所属している「浜松男声合唱団」は、いつになく演奏機会が多い。その皮切りとして今朝新聞にも取り上げられた、「三遠南信文化交流」の一環として開催された合唱祭に参加し、心行くまで歌い楽しんだ。昔から三河、遠州、南信州は街道を通して交易が行われ人々が往き来した結果、様々な文化交流も行われて来た。そんな歴史的由緒ある三地域の文化交流の一環として、各地域持ち回り開催の合唱祭が10年来行われていて、今年は浜松の当番だったのだ。

参加11団体が3時間に亘って次々に演奏を披露し、最後は別々に練習した5曲を合同演奏するという趣向だった。演奏会自体も、他の地域の特に男声合唱団がどんなレベルでどんな活動をしているのか興味があったが、圧巻は演奏会終了後に行われた懇親会だった。50~60人入れば賑やかな雰囲気になりそうな部屋で立食パーティーが行われ、なんと100人以上が出席した。正に「熱気むんむん」というのは、こういう感じを言うのだろう。

型どおり主催者や各地域の代表挨拶が行われたが、誰もあんまり聞いていない。会費が安かったので食べ物も飲み物も質素なものだったが、そんなこと気にする風もなく、狭い部屋は初めから各所で盛り上がっていった。楽しかったのは、合唱で長く歌い継がれてきた曲が次々に自然発生的に出てきて、皆で大声で歌いハモったこと。合唱はやっぱり理論ではない、歌うことそのものが楽しいのだ。

遠来の下伊那飯田からは、片道3時間かけてマイクロバスで参加している。1時間余り盛り上がりに盛り上がったところでお開きになったが、今後も他の男声合唱団とは時々交流して、歌と飲み会で<人生これから>の楽しい時間をシェアしたいと思った。

今秋の活動は、9月30日(日)浜松市合唱祭、11月11日(日)豊橋TFM合唱団コンサート賛助出演、と続いていく。
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遊び小屋の構想そのⅡ

2007-09-15 | 遊び小屋DIY
この鬱蒼と茂る杉の木が、本当に「遊び小屋」の建築材料になるのか!?

浜松市は一昨年、周辺を含めて12市町村が合併した結果、全国で高山市に次ぐ2番目の面積を誇る?広域都市が出来上がったが、更に今年4月全国17番目の政令指定都市になった。当初の政令都市としての規定人口100万人に大分足りない約82万人で、新潟市と並んで承認された特例措置だった。昨今政府に金が無くなってきた結果、期限付きの補助金交付金と県並みの権限を担保する条件で、あとは自分でしっかりやりなさいという総務省の、窮余の突き放し政策だ。その結果、私が定年後「遊び小屋」を建てようと計画していた奥浜名湖三ヶ日町が、なんと現住所と同じ浜松市内になってしまい、非日常性に重きを置く小屋のコンセプトイメージが著しく削がれたことで、私は随分落胆してむくれていた。

そんなところへ、最近ちょっといい話が飛び込んできた。かみさんの母親の実家は昔から佐久間町の山奥で林業をやっていたが、この数十年で国内材が輸入材に押されて段々生業が立ち行かなくなり、集落は次々無人になって山林維持も人任せになって行った。つい最近、かみさんの従姉と会食する機会があり、いよいよ遊び小屋DIYを始める話をしたら、自分が生まれ育った佐久間のその家屋敷を購入することになったので、日当たりと景観確保のために周囲に生えている杉を切るから「材料に使ってよ」と言い出した。

もともと、どうせやるなら地元の間伐材で小屋を建てようと考えていたので、自分も30年来時々訪問して気に入っていた縁のある地の材料が使えるなんて、まるで渡りに舟じゃないか。問題は伐採費用、運搬費用、製材費用は負担しなくてはならないのだが、この際たとえ購入したのと同じくらい費用がかかったとしても、縁の方を大切にしたいと思う。

今日は祖先の墓参りを兼ねて、佐久間の山奥まで片道60Km(なんとここも今は浜松市天竜区だ!!)ドライブして材料を確認しに行った。初めて訪れた30数年前はまだ植えられたばかりだった杉苗たちが、暫く見ぬうちに鬱蒼と茂り周囲の山々の景観を遮るほどになっていた。樹齢から考えると、とても立派な材とは言えないが、「遊び小屋」用なら十分に間に合いそうだ。従姉は、この冬には切り出したいという意向なので、建設を少し遅らせてもここは「リーチ」ですね。

「禍福はあざなえる縄の如し」という古い中国の諺がある。非日常の昭和30年前後の生活を再現したい「遊び小屋」が浜松市北区になることが決まって、「なんだ隣の区になったのかよ」と私は正直ちょっとぐれていた。そんなところに、この大好きな天竜杉の本場が「浜松市天竜区」になって、「浜松トライアングル」としての新たな縁が出来た。棚ぼたの話と、ちょっとした考え方の違いとで、譬えは大げさかもしれないけど、今の私には「人間万事塞翁が馬」に似たこの格言の、まるで「あざなえる縄」になったようなこの頃の心境なのだ。
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身辺整理中の感慨

2007-09-11 | 団塊世代
かみさんの実家を整理中に、星飛雄馬グッズの「メンタム」をゲット!!

定年X-Dayを1ヶ月後に控えて、夏休み以降週1日出勤4日休み(実際は6日休み)のペースは順調に?続いている。総務部スタッフ職としてこの2年、社長(現会長)が市の行財政改革審議会委員を勤めた関係で、行革審事務局員としてサポート業務を行っていた。最近の数ヶ月は、毎年市が主催する「浜松ジャズウィーク」事務局スタッフとして開催運営業務も行った。個人的な関心や適性?にもうまくマッチして、全般的にはハードな会社人生としては「いい感じ」の最終着地ができつつあると感じている。従って会社における個人的な身辺整理は、退職日までにバッグ一つで簡単に済ませることができる予定だ。

一方で数日前から市内にあるかみさんの実家の、5年前と3年前に亡くなった「両親の身辺整理」に手ををつけ始めた。かみさんは3人姉妹の真ん中馬糞(懐かしい言い方!)、結婚後姉妹の中で唯一市内在住が長かった関係で、両親の生前から実家とは往き来が多かった。私や子供たちも、それぞれの人生の半分以上はなにかと世話になったから、思い出深い家だ。縁があってこの度、次男夫婦が転職でUターンすることになったので、3年間空き家になっていたかみさんの実家に近く引っ越すことになった。それで急遽、新婚家庭がとりあえず一階に住めるように、片付けをすることになったのだ。

思い立ってやる時、引っ越す時、そして親や連添いを亡くした時、人は時に自分や身内の身辺整理をする。思い出の品や写真が出てくる度に整理の手は止まり、人は暫しある種の感慨にふける。とても時間がかかるし、やるせない気持ちにもしばしば陥るので、近頃人によっては全て他人任せにしてしまうこともあるらしい。築後間もなく50年になるこの家に手を付け始めると、想像を超える物量だ。それぞれに想い出が込められているはずなので、「物量」という言い方は故人達にも遺族達にも大変失礼な言い方かもしれない。この家に出入りし始めて既に34年経つ私にも、「掘り出される或る種の物」は懐かしさを上回る感慨を度々もたらす。

戦後間もなくから小さな材木商を営んでいたかみさんの両親は、苦労しながら3人娘を育て東京の大学にも行かせた。「優良青色申告者」の表彰を誇りにしていたくらい真面目につけていた何十年分の伝票や帳簿が、段ボール箱にいくつもぞろぞろ出てきた。かみさんと結婚すると決まってから両親が亡くなるまでの、折に触れてやり取りした手紙や葉書が、それぞれの連添いの親の分も含めて、3姉妹分全てが几帳面に保存されていた。今日の片付け中何回か眼が潤んだのは、正直なところ埃っぽさのせいでも汗のせいでもなかった。人生ってこんなもんなんだなと、改めて考えさせられた。有史以来古今東西、権力者達は億万の金力を使用して自らの力と生き様を後世に残そうとしたが、99%の庶民達はこんなささやかな思い出を懐に抱えるようにして、生きた証を身近に大切にしながら亡くなっていったのだ。

そんな中で、かみさんと共にいくつかの「想い出」を頂き引き継ぐことにして、あとはこれからまだ数日はかかると思われる「物量」の整理廃却を、ある種の「割りきり」でやりきろうと決心した。しかし一方で自分たちの「生きた証」も、これから時間をかけながらこつこつと整理整頓して行こうと誓い合ったのだった。


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団塊世代だらけの法事

2007-09-09 | 団塊世代
昨日は親父の3回忌。仏壇には好物だった「ゆで赤卵」を供えたが、お経をあげてくれた「おっさま(和尚さま)」は、さぞ「たまげた」だろうな。

この10年来、団塊世代の知人友人から親の訃報をよく聞くようになった。そういうわが家も、二組4人の親が元気だったのは10年前まで。徐々に身体が弱り、病気になり、2年前までの3年間で次々に3人を見送った。介護看病を通じて、家族のこと、人間の一生や尊厳のこと、死生観のことなどを自分なりに考えることができた。

昨日は親父の3回忌。亡くなる10年前に痴呆症(認知症)を患い、最後は言葉も無くし家族の認識さえ出来なくなったが、本人は子供に帰り赤子に帰って「死の恐怖」や「世俗の煩わしさ」から無縁になって穏やかに息を引き取った。徐々に症状が悪化していく現実を、一番受け入れられずパニックになったのは母親だったが、その間私を含めて兄妹3人も色んなことでよくもめた。ぎくしゃくした関係が最悪になった時期もあったが、このところは残された母親の介護(まだ軽度だが一人暮らしは不可能)を、5週間ずつの当番制にして看ることを話し合い実行しだしてからは、いい関係が修復してきている。それぞれの連添い(私のかみさん、二人の妹のだんな達)の大きな理解と協力があったからだ。

親父の葬儀は色んなことを考慮して、孫の代までの身内だけで小ぢんまりと行った。今回の法事は兄妹で相談して、母親と兄妹3人の夫婦計7名で更に小さな単位で行った。母親は大正14年生まれの82歳だが、兄妹3組の夫婦6人はなんと皆団塊世代の、昭和22年から25年までの生まれだ。だからいい関係さえキープできていれば、育った時期が皆一緒だから通じない話はほとんどないし、義弟二人はもともと私の高校か大学以来の親友で40年来の飲み友達でもあるから、会えばぐだぐだ呑みながらの話は毎回深夜まで及ぶ。昨晩も街で法事の会食をした後は、わが家で母親も交えてワイガヤの2次会だ。話題は3組7人の子供達のうちの未婚の3人の縁談や、間近にリタイアを控えている我々3人の定年後人生のことに集中したが、最後は呑み潰れた者から勝手に寝ていく暗黙のルールなので、結局どんな話をして結末はどんなことになったのかは誰も覚えていないのだ。

今朝になってまだ酒が残っている頭を寄せ合って、昨日はどれだけ呑んだか数えてみた。墓参り後お茶代わりに缶ビール3本、会食でビール3本と鹿児島の芋焼酎「紅椿」ボトル1本。帰ってから、缶ビール多数と義弟が山で仕入れた「白馬錦雪中埋蔵」一升を、全て平らげたことが判明。互いに加齢によるいろんな症状が出始めてきてはいるが、相変わらずよー呑むわい。こうしてさらにまた、お陰さまで「関係完全修復」に一歩近づいたのだった。
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(エピローグ)定年退職は手続きが一大事だ

2007-09-07 | 還暦・定年
9月2日に「定年退職は手続きが一大事だ」の書き込みをしたが、今日は定年退職式を終えてまだ手続きを終えていないものがあることを思い出した。折角休みをとっているのに、またまた書類揃えに半日がかりになってしまった。

先日の書類は、「退職そのものの手続き」と「退職金がらみの会社内外の手続き」だったが、今日やったのは会社が毎年更新管理を肩代わりしてくれていた「総合保障保険」の退職後継続申し込みだ。総合保障保険には8コースがあって、子会社の保険会社を含む3社が取り扱いをしている。在職中は会社の人事部へ一括申し込みをして、会社が3社に振り分けて手続きしていてくれていたのだろう。料金は毎月給料天引きだったから、その苦労は全く知らなかった。そしてこれもよく知らなかったが、「退職後保障付積み立てコース」は「拠出型企業年金保険」だったようで、これを退職の際に脱退するか、継続するかでまた手続きが変わるようなのだ。

更にまた、今後の各コースの掛け金引落しが、「死亡保障コース」だけが会社の指定銀行になっていて、口座を持っていない私はわざわざ新たに開設しなくてはならない。なんと「みずほ銀行」に口座を作ることになった。「みずほ銀行」って元なに銀行?というのが団塊世代の感覚でしょ? Wikipediaで調べてみたら、第一勧銀と富士銀行と日本興業銀行が合併して「みずほ」になったらしい。ははーん、そうすると浜松駅前の第一勧銀が店を閉じて、斜め前の富士銀行が名前を変えているから、それが「みずほ浜松店」だなと見当をつけて台風一過の暑さがぶり返した午後、のこのこと出かけていった。

あったりーっ!喜びもつかの間、店に入ってとり付く島を探してきょろきょろしていると、ベテラン女性行員が声をかけてくれて教えてくれたが、受付番号票をもらって「眼の検査かぁ!?」と怒れるような細かい文字の口座設定申込書に記入して、窓口で2度面談してかかった時間が小1時間。引落しだけの口座なので、勧められても、キャッシュカードは「要りません」、マイレージクラブも「要りましぇ~ん」。1000円だけ払って口座を作っただけなのに、ボールペンとティッシューを頂いたんですが、いいんですかねえ。銀行も「やれやれ」だったでしょうが、私も「やれやれ」でしたよ。

会社は主たる取引先銀行に頼まれて指定したのかもしれないけど、これから「みずほ」が無い故郷の町に帰る退職者はどうするんだろう?そもそもこのコースの保険取り扱いは「住友生命」なんだけど、「みずほ」関係ないじゃん!昨日は総じて従業員に暖かい会社だと確信を深めたところだったが、ちょっとこれら一連の難儀な手続きは???疑問符3ケ。

前回の自習手続き3時間以上コースと、今日の延べ半日がかりの書類記入と口座開設を全て終えて、いよいよ来週月曜日は人事部に書類提出だ。追試がなきゃいいけどーーー少々不安が残りながらも、最近は仕事をやり遂げた喜びを暫く味わっていなかったので、ささやかな達成感を感じながら冷たいビールの一人乾杯をやったのだった。
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早くも定年退社式が行われる

2007-09-06 | 還暦・定年
10月13日の定年までまだ一ヶ月余りあるが、今日は早くも「定年退社式」が行われた。

定年後の自らの生活スタイルの方向性を決意表明しながら生き方を決めていこうと、このブログを始めてそろそろ一ヶ月が経つ。あれこれ色んな考えが浮かんでも決意しなければ実行できないので、こうして迷いながらも自分の考え方を文字にして表現するのは、とてもこれからの生き方に役立つような気がする。

今日はそんな中で、私を含む26名のための「定年退職式」が行われた。団塊の世代が退職を迎えるようになって、このところ毎月定年退職式が行われ、毎回20~30名が対象になっているようだ。ということは年間300名以上が退職していくのかーーー私が入社した後10年くらいは1万名を遥かに超える社員がいたが、この20年位のうちに生産が大幅に海外シフトしたり、不採算部門のリストラで早期退職を募ったり、音・音楽関連以外の事業の子会社化で、あっという間に本社は半分以下の5000人台のレベルに縮小した。従って、これから数年は毎年5%以上の定年退職者が出るということだ。このところ新卒や中途採用を増やしているようだが、2007年問題の特に技術伝承の対応は大丈夫かな?

今日は式が始まる前に、人事担当者から「多忙を極める社長のアポをとるのが難しく、今日は人によっては1ヶ月以上も前に退社式に出席してもらったが、悪しからずお願いしたい」という旨の話があった。先日の「定年退職準備セミナー」のところでも書いたが、わが社はこういうところはとても暖かい。毎月相手変われど主変わらず、社長も組合委員長も、お膳立てをする人事部スタッフも大変だが、丁寧に1時間半ものセレモニーを開き、社長自ら一人一人に感謝状と記念品の贈呈と「ご苦労さまでした」の言葉と共に握手だ。茶話会形式で、一人ずつ2分前後のお別れスピーチをさせてもらえる時間もあった。

15歳や18歳から40数年主に生産現場で働いてきた、今まであまり縁が無かった退職仲間の話を聞いて、会社の厳しい時期につらい仕事をしてきたのは自分だけではないこともよくわかった。そういう意味で、今日はかけがえのないよい機会にめぐり合ったことに感謝したい。

「遊び小屋を作ります」と宣言した人は私以外にいなかったが、私と同様に農作をやるという人や百名山の完登を目指すと宣言する人もいて、皆いろいろ考えながら今日を迎えているんだと思った。生産現場系と一部技術系の退職者は、半分近くが「シニアパートナー」と称する1年毎の「再雇用契約」の労使合意を取り付けはじめているようだ。メーカーにとっては待ったなしの技能技術の伝承と、法定の定年延長を制度面から徐々に実現していくよい機会になっているのかもしれない。

事が事だけに、今日はちょっとしんみり真面目口調になりすぎてしまった。定年退職式は行われたが、あと真の退職までに一ヶ月余り、週に一回程度と決めていてもまだ4~5回は出勤機会があるし、身辺整理やあの難儀な種々の退職手続きもしていかなくてはならない。あれもこれも書きたくてついつい長話になってしまうが、まだまだ退職までのブログの種は尽きまじという感じだ。
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秋色の伊吹山を行く

2007-09-04 | 旅行
今日は夏の暑さがぶり返したが、日本百名山の伊吹山は既に秋色が漂っていた。

先週の1泊2日の姫路、倉敷旅行に味をしめて?、今日も「青春18切符」を使用してかみさんと日帰りの伊吹山ハイキングをしてきた。実は先週の4回分以外にも2回分を隠し持っていたのだ。使用期限が迫っていたので気になっていたが、こればかりは予定と天気次第なので、あまり確信的に決めていなかった。季節の変わり目の前線の移動が気になっていたが、どうやら火曜日までは安定しそうだという見通しが立ったので、週が明けてから決めた。まさに定年後の予定決定スタイルを、定年直前の助走期間にすでに実行し始めたことになる。

昨晩は男声合唱の定例練習とスタッフ会議が夜10時半まで行われたが、今朝5時には起床して浜松を出発。9:00には関が原駅に降り立った。早いなー!同じJR東海でも、豊橋以西は各種快速列車が頻繁に走って実に早い。同行の青春切符旅行慣れしたと思われる、同年輩の女性グループの話をそれとなく聞いて見る。「豊橋以東と以西では(ローカル線での)旅行の早さが違うのよね。豊橋から西は、名鉄や阪急などの私鉄が併走しているので競争が激しくて、JRも快速を走らせたりのサービスが全く違うのよ。やっぱり競争は大切だよね」

その通り、見知らぬ人々の会話を耳にしてMACCHANも「然り!」の相槌を無言で打っていた。浜松~横浜間も時々JRローカル線を使うが、浜松以東は乗換えが多く、快速列車はほとんど無い。トイレの無い列車も多く、乗車中ビールをよく飲む私には不便だ。最近は島田乗り換えになる接続が多いが、何と島田駅構内にはトイレが無い!!列車内にトイレが無く、接続駅に無かったらどうしろっていうのさ!島田駅は今改装中だから、改善を期待しているぞ。

JR東海は黒字指数日本一を誇る「東海道新幹線」を経営している。「こだま」を犠牲にして「ひかり」増発、さらに最近は「のぞみ」をばんばん増発して、快適な新車両も続々導入中。一方鉄道の原点であるローカル線はどうか?豊橋以西と違ってさしたる競合がない豊橋以東は、先程の熟年おばさんグループの話を待つまでもなく、穿った見方をすると利用者サービスはないがしろ状態だ。そうそう、5年位前仕事で産業の現場や遺構を見せることを観光資源にする「産業観光」のシンポジウムのパネラーとして、当時の「産業観光」提唱者であるJR東海須田会長とご一緒したことがあった。わが社は120年の歴史がある楽器メーカーだが、広く工場見学をしていただくことに入力していたことで、実例を紹介する機会に恵まれたのだった。

国鉄民営化をいち早く成功させた須田さんのことは実用書で知っていたので、昼食時に「青春18切符はファンが増えて、JRの経営にも寄与していると思いますが、年間通じて発売したらいかがですか?」と質問してみた。答えは、「当社ではありがた迷惑なんですよ。新幹線の潜在顧客が安い切符に奪われているんです」だった。当時既に青春切符の愛好者になりつつあった私は、「違うんじゃないかな?青春切符があるから旅に行ってみようと考える層は、無かったら同じ目的を新幹線で実現しようとは考えないのではないか。故に民営化当初のJRの発想どおり、ローカル線の稼働率アップに繋がっていて、新幹線の足は引っ張っていないよ」と心はつぶやいたが、口は「そうですか」と相槌打って、その場の会話を終えた。ことほど左様にドル箱をもって事業がうまくいっている会社の意識は、経営者からしてこれだから、「鼻くそ」のような経営マターには改善の手はなかなか及ばないのであろう。

しかし、JR在来線の豊橋以西の運営スタッフの仕事振りや、伊吹山と史跡の観光で生きると決心している関が原町の人々のサービスぶりは、淡々粛々としていながらもプロ精神に溢れていて、今日の秋色漂う高原のように爽やかだったのがとても印象的だった。
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夏の終わりのハーモニー

2007-09-03 | 料理DIY
いつも3食分はできてしまう、畑の夏野菜たちのぶち込みカレー。井上陽水&安全地帯のライブアルバムもいい調味料になったぞ。

9月に入って涼風が立つと、夏野菜たちが命を次世代に引き継ぐための種子作りを急ぐ。きゅうり、茄子、オクラ、ゴーヤ、ピーマン、トマトなど、皆一日収穫が遅れるともう筋張って種子が硬くなる。スーパーの野菜売り場では、この2ヶ月南から北へ、低地から高地へと急速に各々の産地が変化してきた。でも我が畑は場所が変えられないので、種まき時期に時差を設けて遅らせたり、弱った枝を剪定して追肥を施したり、はたまた根回りの乾燥を防ぐために敷き藁をしたりして、収穫を長く楽しむ工夫をしてきた。でも多くは実が小粒になったり不恰好に変形したり、種が苦になるほど硬くなったりで、だんだん人様に差し上げられるものではなくなってきている。

こんな時は、野菜の色や味をストレートに楽しめ、沢山食べられる簡単な料理に限るな。ピーマン、茄子、オクラは素揚げしてポン酢に浸しネギや紫蘇などの薬味を散らすと、鉢に山盛り食べられる。毎回3食は十分食べられるほど作る「MACCHAN特製野菜カレー」もいいぞ。購入した国産豚肉、カレールー以外の材料は全てB畑産の春夏野菜。

6月に収穫してベランダに干してあった玉ねぎ、にんにく、そして豚肉を炒めて、大きなざる山盛りの茄子、ピーマン、オクラ、ゴーヤ、ミニトマトを順不動にザクザク切って鍋に放り込んでいくだけ。更に昼に食べ残したトウモロコシ(気を付けないと虫が5~6匹は入り込んでるからね)を混ぜ、かみさんの実家で今年は珍しく沢山生ったいちじくを隠し味に入れてみた。水はほとんど入れなくても野菜から染み出てきた水気で鍋はいっぱいになった。味はどうかな?取り去らなかったオクラの種と筋が少し気になるが、皆うちの子たちだと思えばいとおしく美味しい。

今頃の季節の連想で、20年位前に神宮球場で行われた井上陽水と安全地帯のジョイントコンサートで歌われた「夏の終わりのハーモニー」という歌を思い出す。職場の後輩たちと仕事の打ち上げで、よくカラオケでハモった当時の十八番だ。数日前、安全地帯のメンバーだった玉置浩二さんが暫くぶりにテレビに出ていて、いい感じのおやじになってこの歌を全くオリジナルと違う曲想で披露していたっけ。役者も歌手も絵描きも、みな肩から力が抜けて更にいい芸人芸術家になっていく。私も見習いたいものだ。

今日のメニューは総ざらえのぶっこみだけど、謂わば畑の「夏の終わりのハーモニー」じゃないか。年輪を重ねて味が出てきた玉置さんと同様、ちょっとしんみりいい感じで味わったのだった。


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