団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

庭木の伐採

2015-08-31 | 日常
今年2回目の大型台風が先週も2つ並んで日本列島に上陸&接近して以来、1ヶ月余りに亘って悩まされた猛暑が去って朝晩を中心にかなり涼しくなった。

数日前から畑と遊び小屋や自宅の庭の草取りにまた精を出し始めたが、今日は思い立って庭木2本の伐採をすることになった。20年位前にかみさんが友人からもらった種を播いて育てたザクロと、同じ頃に野鳥の糞から発芽して裏庭の片隅に根付き近年ザクロと同様3m以上に成長したヒメシャラだ。

裏庭隅に育ったが日照が不足しているのか、ザクロは毎年数輪の花は咲くが結実は数年に1個、ヒメシャラはついに花一輪さえも咲かず。かみさんと相談して、気の毒だけど他の植栽のためにも処分しようと決めた。

庭木を伐採する時は最初に根元から切るものではないということは、プロの仕事を見たりこの20年余りのDIY生活で身に着けた知恵だ。今回の3m余りの立ち木の場合は、手を伸ばして届く2m位の高さで先ず剪定用ノコギリでカットする。剪定バサミでカット出来る枝は10~20cm程度に切り刻み、家庭用ゴミ袋に詰め込む。剪定バサミでは手に負えない太さの枝は、剪定鋸で切り刻み同じくゴミ袋に。

最初のザクロのここまでの段階ですでに汗だく、次に7~8cm径の幹をゴミ出し基準の60cm以内に切る段階で、汗はもう飛び散るほど。給水タイムを少しとって2本目のヒメシャラに挑戦し、同じ段取りで進んでいく。ただしヒメシャラはザクロより硬く太い分、汗も作業時間も多目になった。かくして滝のように噴出す汗でシャワーを浴びたようになったが、昼食タイムは昨日に続いて母の食事介助にかみさんと行くことになり本物のシャワーを浴びる。

酷暑の日陰や夕刻に草取りは続けてやってきていたが、これほどの汗はかかなかった。すっきりした裏庭を見ながら、疲れたけどMacchanにはやっぱり大汗が似合ってるなと思った。
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実りの秋がやってきた

2015-08-28 | 日常
地球の温暖化が加速したか加齢による体力低下か、昨年を上回る連日の猛暑でこの1ヶ月は本当に参った。しかしこの数日は2つの大型台風の影響か浜松でも驟雨があり、朝晩は25℃前後そして日中も30℃前後で真夏日どころか、かろうじて夏日にもならない過ごしやすい日が続いている。

どっこいこのまま秋になるほど自然は甘くないと思うが、数日前まで鳴いていたツクツクボウシは静かだし、宵には秋の虫の声が日に日に元気になってきた。散歩すれば晩生栽培が多い近くの田んぼでも稲が穂を垂れ始め、畑に行けば先日剪定したピーマンやナスが質のよい実を付け始めた。

まだまだ暑さはぶり返すだろうが、何となくだらだら過ごしていた夏の日々に終止符を打って、ウォーキングやテニスそして今までより更に小屋庭や畑の手入れに身体を積極的に動かして行こうぞ。
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パソコンはストレスの本?

2015-08-26 | 日々雑感
パソコンやスマートフォンで情報をやり取りしたり日常生活に活用することは、若い世代はもちろん熟年世代でも珍しくなくなった。車内でも歩行中でもチャリをこぎながらでも、老いも若きも四六時中スマートフォンをいじっているのを見ると、楽しんでいるというよりまるでそれなくしては居られない中毒患者のようにも見える。

かくいうMacchanもパソコンに一日1時間以上世話になっているので、アラ古希世代としては情報手段として活用している方だろう。PCを始めたのは20数年前、バブルが弾けて所属していた会社の業績が悪化し業務内容や組織のリストラが始まった頃だった。業務のアシストをしてくれる社員が減って、マネージャーといえどもコピーはもちろん会議の資料作りも自分でやらざるを得ない状況になった。

元々足腰が軽く何事にも興味津々だったので、当時はまだ個人毎にPCが使えなかったがパソコンが堪能な若いスタッフにうるさがられるほど頻繁に質問して教えを乞いPCが使えるようになった。だから50歳を過ぎて、出張&立替精算や各種レポートや各種会議などの予定管理も各自に支給されたPCでやる時代が到来しても、幸いにうろたえることがなかった。

その頃から自宅でもマイパソコンを購入して、通信や各種情報収集を始めるようになった。最初は電話回線を使って、2台目からはADSL回線を有線で使っていた。海外出張が多かったので少し小型になったノートパソコンをホテルの部屋で電話回線を使いながら、本社の留守番スタッフと情報交換した。スピードが遅く毎晩寝不足になることにストレスを感じていたし、一日に何千円も通信費で使ってコストに見合った仕事をしているかと疑問に感じながらも、情報最先端機器を使っているだけで同時に満足感も感じていた。

最近はどうだろう?仕事を離れて間もなく8年、自分の趣味だけに使っていても時にストレスを感じることがある。それはPC本体や付属機器がいつも万全の状態ではなく、時に動きが緩慢になったりフリーズしたり運が悪いと購入して3~4年で故障して修理買い替えを迫られること。最近も調子が悪くなったプリンターを買い換えて、無線LANで使えるように設定したら無線ルーターもフリーズして使えなくなってしまった。デジタル機器を使いこなしているつもりで、まんまと罠にはまってストレスは日ごとに上昇。悪いことは重なるもので、安く性能がよかたオーディオ用デジタルアンプも同時に故障して早速ネット購入する。

手続きをした翌日には物が届き、昔と違ってセットアップもPCの指示通りに次々やればものの10分でスラスラ使えるようになった。これはこれで素晴らしいことだが、同時に使っている機器が故障して最新ソフトが入っている物に買い換えると、たちまち他の機器がストライキに突入し今回のように使えなくなるものも出る。日進月歩の機器を便利に使いこなしているつもりでも、何てことはない文明の利器に使われ奴隷に成り下がっている自分に気付く。
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母特養の夏祭り

2015-08-25 | 母の介護
母が特養にお世話になり始めてちょうど2週間、ペースが出来てきて主に夕食の介助をするついでに話しかけをしている。お陰さまで食欲もあり90歳でも歯が27~8本あるので普通食なのだが、最近は自分では食べられなくなっているので3~40分かけてスプーンで食べさせている。認知症状が進んでも遠慮体質は変わらないので、ユニット10人の面倒を一人の介護士がみる夕食時は完食できるかどうか疑わしい。

同じユニットには入居1~2年の先輩が何人かいるが、新顔の母はラッキーなことに10日余で夏祭りのイベントを迎えた。夕食はかき揚げや海老天の付いた4色そうめんのご馳走だと分かり、保護者も事前に申し込めば一緒に食べられたのにちょっと残念! 昨年は屋外で流しそうめんだったそうだが、天気が今一だからか規則がやかましくなったのか皿に盛り切りだったけどなかなか美味そうだった。

当日はいつものかみさんに加えて市内在住の上の妹も合流して、母を囲んで次々に話しかけながら世話をする。
食後は職員手作りの花火大会で、他のユニットの入居者と同数以上の家族が中庭に集まって楽しむ。怖がったり無関心が多い入居者より、むしろ家族や職員の方が楽しんでいるかも。先日の近所の梨畑訪問に続いてのイベント、年間には節目に何回も楽しい企画を組んでくれているようでとてもありがたい。

介護保険の規則でデーサービスのリハビリ機能をショートステーや特養介護には組み込めないのだそうだが、こうした職員の工夫努力で施設の特色を出そうとしているように見受けられる。保護者側も施設に任せおんぶしたきりではなく、できるだけ食事介助や散歩に連れ出すことなどを通じて母に刺激を加えて症状の進みを遅らせるようにしていきたいと思った。

同じ日の朝、母の介護当番で使用していた敷布団を、燃えるごみ出しの規則に従って60cm以内に切り刻んだ。この1年くらい何回もの「おねしょ」(紙パンツやパッドから漏れたり自分で外して)で、濡れたり乾いたりを繰り返したもので家族といえどもう使えないと見切った。3百円払えばそのまま引き取ってもらえる選択肢もあったが、いずれ母の介護の思い出になるかもしれないと汗をかいて少し頑張ってみたのだった。
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バテてませんよ

2015-08-21 | 日常
昨年の夏も暑かった記憶があるが、今夏はそれを更に上回る長い猛暑約1ヶ月。アウトドア大好きでリタイア後の生活も主流にしているMacchanだが、旧盆休み前後にはちょうど高校野球の全国大会が行われる。

朝8時から夕暮れまで毎日毎日全試合を同じネット裏の最前列で衣装換えしながら観戦する名物小父さんたちの何分の一しか観ていないが、Macchanはエアコンを入れていない居間とはいいながら座椅子に深々と居座り、時には居眠りしながら連日TV中継で観戦していた。特にベスト8が出揃ってからは連日好試合が続き、今年は準決勝からは全試合を楽しんだ。それにしても高校野球のレベルの上がったこと! 有力選手は是非勧誘を受けたら、大学野球の寄り道をせず国内でも大リーグでも即戦力で全力を尽くしてほしいな。

リタイア直前の8年前から2千回以上もしたためてきた当ブログ、3日も休むと「どこか具合が悪いのでは?」とか「またどこか旅行にでも行っているのかと思った」というレスがある。いずれにせよ有難く、励みに(ん?禿げみか?)なりこそすれ悪い気はしない。ということでMacchanはバテてもいなければ、旅行にも行っていないぞ。

その間に特養に移った母の具合をチェックしながら、かみさんと毎日食事のアシストをしに散歩を兼ねて出かけている。昨日は近所の梨畑に散歩に連れて行ってもらってかぶれたのか、蕁麻疹が出たようだが薬が効いたのか何事もなかったように食欲旺盛。人間いつでもそうだと思うが、母の年齢になると食欲がある時は大丈夫元気、逆になくなるとあっという間に衰弱してしまう。

猛暑が続くがこの2~3日のお湿りで、裏庭の真夏の花々がまた元気を取り戻してきた。人間様もまったく同じ、夜のつかの間の涼しさで少し体力が回復してきている。明日からまた猛暑日になると、天気予報が警告している。
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渇水の草叢から生り物が

2015-08-17 | 農作DIY
梅雨明けから3週間も連続して猛暑続き、人間様だけではなく畑の作物もかなり参っている。それでも畑を覆う雑草類は総じて元気で、夏入りしてから2~3週間に1回は草取り草刈りを心がけても既に膝丈の長さに生い茂っている。

Macchan畑は通常の家庭菜園よりは広い100坪余りで耕作しているが、夏野菜のカボチャ・スイカなどの瓜類を畑の真ん中で蔓を茂らせながら作るほどの余裕はない。今年もこぼれ種で発芽したカボチャやタイガーメロンそして畑を借りているMさんから頂いたスイカの苗は、畑の周囲や堆肥の山に這わせるように植えておいた。

植えた当初は愛おしく根元を藁で囲ったり水をやったりしていたが、やがて根付き蔓が草叢に向かって成長してからは関心がやや薄くなった。そして昨日夕方、翌日から2日間まとまった雨が降るという予報を聞いて、草刈機を軽トラに積んで2時間逞しい草との格闘をした。

伸びに伸びた草は何度も草刈機の歯とガードの間に挟まり、その度にエンジンを止めて取り除く手間が加わった。うんざりし始めた頃、思わぬところからスイカとカボチャが2つずつ顔を出し、危うく振り回す草刈機でスッパリやってしまうところだった。両方ともまだ完熟とは言いがたい状況だったので、もう少しそこだけ刈り残した草叢で寝ていてもらうことにした。

以前Macchan畑は手をかけた作物よりも「勝手に生った」作物のほうが優秀なのが多いと、畑作のプライドも何もなく書いたことがあった。今回は「勝手に生った」わけでもないが意識はそれに近く、まぁどちらにせよ近いうちに有り難く収穫して美味しく頂こうと思った。
カラスに見つからないように、もう少し草を足してカムフラージュしておくとするか。
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ああ夏休み、2015

2015-08-14 | 日常
毎日が休みだから、Macchanには「夏休み」の実感はあんまりない。しかしとっくに独立して自活している3人の息子達の家族には、幼稚園や小学校に通い始めた子供達と親の会社の夏休みには特別の感慨があるだろう。

いとこどうしの再会は喜びの創作ダンスで。



今年も会社の夏休みに合わせて帰省してくる家族、大勢が集まって食事を囲み孫達の遊びに合わせて接触する機会はすくすく成長している証しがそこかしこに見られて、なんともはや眩しく嬉しいものだ。

すいか割りは部屋の中でもやっちゃった~い。種飛ばしはちびから爺婆まで全員夢中に。


長いものは一週間近く短いものは都合で一日、それでも特別なことをしなくとも毎日毎日子供達夫婦の交流や孫達の交流を見ているだけで十分楽しい。
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母無事退院&特養入居

2015-08-13 | 母の介護
先々週の土曜日(8月1日)に発熱して緊急入院した母は、様々な検査と治療を経て昨日多くのスタッフの方々のお陰で無事退院することができた。

今回は各病院が休診だった週末にもかかわらず、ショートステー施設浜北A園と浜松日赤病院の連係プレーのお陰で事なきを得た。病名は最初の急患検査の時の診たてと同様、尿路感染による腎盂腎炎だった。

連係プレーといえば、8月3日から入所予定だった和合A園Hサテライトのマネジャーが同じく入院先と連絡をとりあって退院見通しを把握し、入居部屋を確保してくれていた。特養に申し込んでも1~2年の待機は普通の時代、何とも有り難き幸せだった。

そして退院と同時に「終の棲家」となるはずの施設に、スムーズに移動入居することができたのだった。文章にすると何ともシンプルな出来事だったが、関係者の親切配慮と共に様々な幸運にも恵まれた2週間だった。

それにしても最近の介護施設と病院のソーシャルワーカーを入れた連携と、家族への情報開示説明の何とも気持ちのよい対応よ、大いに感心し感謝した2週間でもあった。

一夜明けて今日午前中、盆休みで帰省していた長男家族と共に4世代の長である母にそろって面会した。父も含めた4世代の頭をずっと刈ってきたハサミで、少し伸びすぎた母の髪をカットした。「若くなって58歳に見えるよ」のMacchanジョークにも反応せず、暫くぶりに大勢に囲まれて始終ニコニコしていた。
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芥川賞「火花」を読む

2015-08-10 | 日々雑感
純文学と呼ばれる作品を読んだのは、何十年ぶりだろう。「お笑い」のピース又吉(又吉直樹)さんが芥川賞を受賞し、200万部も売れた作品とはどんなんだろうという野次馬根性で文芸春秋9月号を買ってきた。

余命10年か20年になって読み終わった本を本箱にとって置くのはとっくに止めたし、こんなに人気がある本は当分図書館で借り出すことは不可能だろうと、毎年受賞作を載せる雑誌にしたのだった。

この1~2週間の猛暑、部屋でごろごろしていることが多いので100ページ足らずの小品は、二日に分けて数時間で読み終えた。花火祭りの舞台で漫才を演じた異なるコンビの二人は、互いに漫才の高みを目指すセンス考え方に惹かれる。この小説の重要な部分である心理描写や、漫才のネタそのものと思われる二人の掛け合いは、読み出すと止まらないほどの含蓄と面白さがある。

しかしあまりにも高度かつ濃密で、普段おやじギャグで自ら楽しんでいるレベルのMacchanとしてはかなり疲れたことも否めない。又吉さん自身も述べているが、太宰治に影響されたということはMacchanも高校生の頃ファンで作品を次々に読んだのでよくわかる。あの頃は嫌悪感を抱きながらもまた次の作品にチャレンジしたが、又吉作品は気分が悪くなることはない。

それにしても漫才師の多くがそうであるように、又吉さんも多才で感性が半端ではない。このまま漫才師としても更に才能を伸ばしてほしいが、脚本家としてもいけそうだし次の小説にもチャレンジしてもらいたい。大作家と後世呼ばれるようになる可能性も秘めているようにも思える。しかしテレビのお笑いで開花したような求められるままのスピードで、ファンに応えようとしないことだ。5年や10年で気まぐれなファンから忘れ去られる、消耗品のようにはなってほしくないのだ。



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南三陸被災地への想い新た

2015-08-09 | 日々雑感
6月中旬に大町エコノミスト村環境委員会のメンバー15人で、遅ればせながら被災4年目の南三陸を訪れ大きな衝撃を受けた様子をレポートした。それから約2ヵ月、ひょんなことから現居住地域のS小学校が岩手県大船渡小と被災後交流が出来て、大船渡市の新旧小中校長の被災体験講演会が開催されることを昨年度関わった自治会活動の仲間から知った。

先日の現地訪問旅行体験がなかったら、スルーしていたかもしれなかった。前夜はその自治会活動仲間と遅くまで一杯やって、まだ余韻が残るうちに地域の公民館(最近は協働センターと言うらしい)へチャリで駆けつけた。2百人近く入るホールには、開始時刻の10時にはほぼ満員の盛況。今春発足した「地域の受援力を高める」活動をするNPO法人積志かがやきカフェがこの講演会の開催に大きな尽力をしたことも初めて知って、700Km以上も離れた被災地との絆がわが町にもあるのだと単純に驚いた。

大船渡小被災時のK校長の生々しいメモを基にした講演、そしてそこの生徒全員がより高台へ緊急避難して全員が無事だった因縁の大船渡中のK現校長の自作の歌を交えての講演、パソコンのパワーポイントを駆使してのリアルな説明に6月の現地体験が重なりまた何度も眼が潤む。生まれて68年目の今夏、短い人生でも世の中はますますドライにビジネスライクに進んでいると実感しているが、どっこい未曾有の災害を通じて人の心や人の絆は捨てたものではないことを悟った。

大切な命を守るのは「てんでんこ(一人一人がめいめいに)」、そして普段は地域の仲間隣近所といかに仲良く交流をもっているかということに尽きるのだそうだ。





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半月振りの雷雨は「干天の慈雨」になったか?

2015-08-07 | 日常
梅雨明け後の浜松は全国の有名な猛暑地点ほどではないが、連日の暑さに喘いでいる。猛暑日といわれる35℃前後になるこの数日は、何もしなくてもぐったり家で過ごすことが多い。

昨日は仲間と楽しんだ「遊び小屋デー」、浜風が通りやすく暑くても木陰で昼寝もせず元気に過ごせた。在宅の今日は朝から快晴、クマゼミの姦しさ(鳴いてるのは雄だけだろ!)にうんざりだが耳を傾けるとアブラゼミの比率が増し、午後には今夏初めてのミンミンゼミが加わった。夏が深まると毎年辿る蝉の声の変遷の規則正しさ、「暑い暑い」と言っているのは地球50億年近くのわずか数万分の1の、人類の歴史のほんの少しのぶれ幅で騒いでいるだけなのでは?

午後3時過ぎには黒い雲が拡がってきたと思ったら、雷鳴と共ににわか雨が! 朝ネットでチェックしたローカルスポット天気予報が当たって、「干天の慈雨」を絵に描いた様。しかし庭や畑の地表は、1時間後には何事もなかったようにカラカラ。本来の意味とは異なるが、「暖簾に腕押し、干天の慈雨」という新しい格言を作って恨めしい天の神に捧げたい。

それでも夕刻にはこのところ経験がないほどの涼しい風が立ち、母の入院先へのかみさんとのドライブは久々にエアコンなしの窓全開。昨日は「遊び小屋デー」でかみさん一人に介護を頼んだが、元気になってきた母は昨日から4人部屋に移動したとのこと。それでもやはりベッドには寝ておられず、起き上がっては徘徊での転倒防止のために車椅子で軽く拘束されスタッフステーションでおとなしく?していた。夕食時だったので許可を得て本来の部屋に連れ戻し、かみさんと食事介助をする。食欲はますます旺盛、30分足らずで完食した。同室の患者仲間は認知は母よりずっとましだと思うが、「まだ食べられん」とか「食事はいらん」と言って看護師の勧めには応じない。

病気の重篤さや元々の食の太さの違いもあると思うが、母の回復度といつもながらの食に対する貪欲さが戻ったのは何にも代えがたく有難い。病室からはやや秋色を帯びた美しい夕焼けが!

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猛暑の中の「遊び小屋」

2015-08-06 | 「遊び小屋」を遊ぶ
最近は「母の介護」日誌などスペシャル記事が続き、「遊び小屋」関連の記事などの日常化した記事は少し疎かになっていたかもしれない。「遊び小屋」建築DIYが2年前にほぼ終了して、完成した小屋はそこでどう過ごすかがテーマになってきた。幼少時代を過ごした昭和30年前後の、貧しくとも楽しかった日々を再現しようとハード面もなるべく当時のように簡素に不便に作り上げた。

水洗洗浄トイレは譲れなかったが、エアコンはあるわけがなく薪風呂にはシャワーもない。この数週間の猛暑でさぞ過ごしにくいかと思いきや、快適とまではいかないが室内は比較的涼しく特に土間が涼しい。オール杉の木で建てた小屋は、折角無垢の板が息をしているのだからと、屋根と床には発泡ウレタンの断熱板を入れたが壁は15mm厚板を内外二重に張っているので敢えて断熱材を入れなかった。

しかしこの暑さでも特に問題はないようで、南側は欄間に網戸もついているし北側や東側の高窓と合わせて常に開放しているのも効果がありそうだ。土間は大地の一部が露出しているので、気化熱を奪う効果もあるのか単に北側だからか他の部屋より温度が少し低いようだ。犬を飼っていたら多分土間か、「遊び小屋」と「水周り小屋」の間の狭い風通しのよいスペースに寝ているだろう。

今日はうーさんとなべちゃんが参加して「何もしない日」を楽しんだ。昼食は持ち寄ったおかずに、ゴーヤとキュウリのチャンプルと庭の紫蘇をトッピングしたそーめん。会場は暑いテラスは避けて室内へ移動しようとしたが、南京はぜの木陰が涼しそうだったので急遽変更。今年は昨年に続き暑いが、なぜかオニオコゼ(イラガ)などの悪性の毛虫がいない(少ない?)ので快適だ。

2時間近くいつもの通り取り留めもない話で沸いたが、食後は誰も昼寝せずやっぱりちょっと作業。うーさん&なべちゃんは半年前からの課題ふるちゃん稲籾を木臼でゴリゴリと汗をかきかき剥いている。Macchanは目に付く草取りを、日陰部分から始める。小屋はやっぱり何か「作業」をしたくなる雰囲気なのだろうか。それでも「家にいるより快適」と異口同音に意見一致、帰る前には薪風呂に入ることは欠かせない。



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猛暑には夏野菜のピクルス

2015-08-05 | 料理DIY
ああ、いつまで続く猛暑ぞ。朝起きてから何時間も経たないうちに南東に面した居間の温度は30℃になり、家の中の涼しいところを探してうろうろ。これじゃまるで昔庭に放し飼いにしていた犬と一緒じゃわい。

いつもは昼食後小一時間昼寝をするのが日課になっているが、今日は午前中から最も涼しい母の部屋でごろごろして一眠り。昼食後も同じスタイルで来春演奏会用の、バリトンパートの譜読み&音チェックそしてまた昼寝。

高温日照り続きで畑の作物は元気がないが、夏野菜たちもキュウリやトマトのように寿命を縮めて既に終盤に入ったものがある。ナスやピーマンも小粒化し元気がないので、少し強めに切り詰めて初秋の再起を期した。

小粒になった夏野菜も美味しい使い途があると、かみさんが埼玉在住の親友Tちゃんから教わって来て早速実行してみた。ゴーヤとピーマンにミニトマトとキュウリをざく切りにして、庭のレモンバームとローズマリーを加えて瓶に詰め、今回はラッキョウ酢が余っていたのでそれを注いだだけ。一日で美味しく食べられるようになり、朝のパン食にも昼の麺類にも夕食の晩酌にもつまんで重宝している。

少し甘味と塩味が強いが、野菜から水分が染み出てくるとちょうどよくなる感じ。好みで酢や出汁を足して薄めてもいいと思う、ピクルス本来の保存食としては期待していないので美味しいうちにどんどん食べればよろし。

少し日が翳り始めた頃、今日もかみさんと母入院の日赤病院を訪れた。今日はスタッフステーションではなく、ベッドで軽く拘束されていた。起き上がって徘徊し始めるので転倒を防止すること、点滴を外してしまうのでミットまで着けているが、いずれも打ち合わせで保護者としては了承事項。訪問時から「これなんだろう?」「Iさんこれ引っ張って」と会話は意味不明だが、直裁的な訴えは少しまともになってきた。

夕食が配膳されて、どのようにして食べるのか見守ってやろうと思ったが、看護師の「自分で召し上がってますよ」の言葉とは裏腹に訪問者を意識したのか全く手を付けず食べ方もわからない様子。「元気になったからお祝いに食べさせてあげるね」と見かねたかみさんの介助であっという間に完食した。

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母、劇的な症状回復

2015-08-04 | 母の介護
ショートステー滞在中は週2~3回の面会と昼食介助だったが、土曜日に高熱が出て救急で日赤に入院してから心配で毎日病院を訪れ母の様子を見守る。我がかみさんながら感心&感謝なのは、母の介護に関しては特にMacchanが行き届かない配慮をしてくれ進んで直接面倒をみてくれている。

入院翌日から点滴を外して急患用の病棟を歩いて看護師を困らせたと聞いて驚くやら嬉しいやら、昨日から一般病棟に移って更に元気になったと思う。先ず表情が違う、意味不明ながら言葉をよく発する。ショートステーに5週間の滞在をお願いして施設に感謝こそすれ、サービスに不満を言う資格はない。

しかし4週間目に転倒して目の下に打撲と肩に擦過傷を負っていたが、係員から全く説明はなし。家族の我々が指摘してやっと「寝ている間に転んだ」「畳で擦ったのではないか」と他人事。夜間は10人前後を一人の宿直が看ると聞いて了承していたので、目が行き届かなかったのを責める気持ちはないが怪我をしていることがわかったら、いち早く報告することは必要だ。

特に肩の傷は翌日、特養入所に向けての検診でS医院の看護師が発見してくれて、抗生物質入りの軟膏を処方してくれたのだった。母がショートにお世話になることはもうないと思うが、自分のことや状況を説明できない重度の認知症患者には相応しくない施設だろう。

尿が雑菌で汚れて腎臓機能に支障を来たしていた原因は、月曜日から行われている検査の結果を待つしかない。それにしても昨日からの母の症状回復は、劇的と言うべきだろう。一般病棟に移った昨日も今日も、面会に行った時は他に問題がありそうな患者1~2名とスタッフステーションに、点滴スタンドと共に車椅子に「かっこいい拘束用ベスト」を着けた母が居た。

病室に連れて行き、出来るだけ機能回復に役立つかもしれないと、意味不明の会話に付き合う。今日はなんと2ヶ月ぶりに「Iさん」と「Kちゃん」と、Macchanやかみさんに何回か呼びかける瞬間があった。眼が潤むほど嬉しかったが、その後また他人に話しかけるような口調。ま、ここまで意識と表情が回復したのはほんとうにありがたい。



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母の今日の様子

2015-08-02 | 母の介護
世の中には子供や孫可愛いいのブログが多いが、長続きすると「だから?」「それで?」みたいな「もうええわ」気分が頭をもたげる。それでも将来を背負う子供の日々はまだいい、楽しみも希望も少ない老老介護の日誌は本人の記録と自己満足以外ないと自覚しているので、そろそろやめにしたいが昨日は友人親族には心配をかけてしまった。

行きがかり上、母の今日の様子を報告しておこう。昨日の今日のことなので、計画していた仲間との「遊び小屋」での「三ケ日花火を楽しむ会」を急遽ドタキャンさせてもらた。

朝一にやったことは仲間への連絡、昨日世話になったショートステースタッフへの母の状況報告、そしてショートステーの引き払い。また明日から世話になる予定だった特養への連絡も済ませ、昼から面会ができる母が世話になっている浜北の浜松日赤病院へかみさんと出かける。

事前に午後は一般病棟に移ると連絡を受けていたので、快方に向かっていると安心していた。市内在住の上の妹が既に到着していて、まだ救急病棟にいた母の様子を見聞きした。さすがの救急処置が効いて母は元気を取り戻し、起き出して点滴の管を外し病棟内をそろり歩いているのを発見されて逮捕されたようだ。昼食も経口で頂いて、意味不明ながらも看護師さんに何やら一生懸命話しかけている。

訪れた娘息子嫁さんは認知できないものの、笑顔で何か話しかけてくる。いや~よかった、まだまだ検査は週明けからだが、ここまで元気を取り戻せるとは! スタッフステーションから近く目が届くところでという配慮で、個室に移ったがこの季節病院は母ならずともとても快適だ。最近は売店も食堂も完備して、見舞いの時間は何時間でも退屈せずに過ごせそう。ということでご心配をおかけしましたが、ひとまず母は元気を取り戻しました。明日からの検査治療で新たな局面になりましたら懲りずに報告します。

5月の連休にやってきた孫1号Kが都田公園で捕まえたトノサマガエルとミドリガメ(アカミミガメ)が元気だ。亀はかみさんが世話をし、蛙は庭で自力で生き延びている。この数日姿を現しているので、カメラに収めた。Kよ爺のブログ見てるか? 夏休みの宿題は「蛙と亀の観察日記」で決まりじゃん!

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