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団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

「遊び小屋」の近況

2015-06-27 | 「遊び小屋」を遊ぶ
沖縄では早々に梅雨が明けて、九州他県ではまだ梅雨明けとは言えないもののこの2週間豪雨の連続のようで、まるで梅雨末期の様相だ。浜松では幸か不幸か梅雨入り後雨量は比較的少なく、爽やかな日が多いので過ごしやすい。

東海地方は月初に梅雨入り後、三ケ日の「遊び小屋」オフィシャルデーは東北旅行に出かけた週を除いて週一ペースで開催し、相変わらず仲間と楽しんでいる。小屋完成後この1~2年は建築作業がなくなったので、3~6名位の集いは2時間前後の昼食タイムとお茶タイムを除いて、それぞれが気ままに自分の好きなことをやって過ごすのが習慣になった。

オフィシャルデー以外にも週2日平均Macchanは単独かかみさんと共に小屋を訪れ、時節柄草取りをメインにこれまた気ままに滞在する。今日はそんな中で、ちょっと気にとまった近況をお伝えしよう。

昨年かずさんからもらった「ぶどうの苗」、今年は肥料をやって剪定したので形よく成長している。春に花が咲き実を付けそうになったが、結実しなかった。枝が何本も伸びて、先ずは二股だけに剪定して幹を太くしている。数年して実が生りそのまま食べるか、ワインにしてやろうと楽しみにして思いを馳せる。今年は昨年と違ってオレンジ色の毛虫が取り付いて葉を食っているのを発見し、写真に撮って退治した。

樹木が成長するスピードの倍以上の速度で、庭の雑草は生長している。訪れる度に、2~3時間は最低草取り作業に追われる。それでも嫌にならないのは、春先に皐月の手入れをして根元に生えていた芽を移植しておいたのが元気に根付いて、おまけに今日は1ヶ月遅れで開花しているのを見つけた、などのハプニングで喜ばせてくれるから。

今日は好天に恵まれそうな予報だったが、雨模様にもなった。東北はまだ梅雨入りしていないそうなので、東海地方が直ぐ梅雨明けするとは思えないが、来週からは本格的な梅雨の天気に見舞われるのだろうか。
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飲み会のはしご

2015-06-26 | 団塊世代
飲み屋のはしごというのは、ちょっとしたのん兵衛には珍しいことではない。しかし「飲み会のはしご」はどうだろう、現役時代の義理世界では時々あるかもしれない。リタイアして早7年半過ぎ、専らつきあっていて楽しく気持ちがいい関係だけに専念できる今日この頃に、珍しく「はしご」をやってしまった。

これには少し説明が必要だね。昨日記事の「クラス会」、日帰りができるとてそのまま黙って帰るのはちょっと寂しく物足りない。首都圏に集中している「ハーゲンクラブ」の仲間2人、たかちゃんとふみちゃんを誘ってみようと数日前に思い立った。ハーゲン四人衆の一人てっちゃんは再就職しアンマンに単身赴任しているので、残り3人で町田で一杯やろうという魂胆だ。二つ返事で快諾を得た。

前もって町田のたかちゃんから「またうちに泊まってゆっくりやってよ」という有難い申し出の安全牌を握り締め、夕方5時に小田急町田駅北口で落ち合うことにした。Macchanは62年前なまじ小田急線沿線の代々木上原を起点に18年都内に住んだ思い込みで、日比谷近くの駅から小田急直通の地下鉄に少し自信をもって悠々と乗り込んだのだった。しかし町田に近づいたと思い始めた頃、見知らぬ景色と見知らぬ駅名に不審感を覚えながら終着駅唐木田に着いてやっと間違いに気がつく。小田急に多摩線というのができていたのを知らなかった。頭をかきながらたかちゃんに言い訳の電話して、V字型乗り換え10分遅刻で二人と合流する。

この春以来3ヶ月ぶり3ハーゲンの「飲み会」は営業開始直後の駅前「鳥貴族」からスタート、最近首都圏で幾何級数的な増殖を図って成功しジャスダックに上場した株価はうなぎ昇りの成功店、安さ美味さとてきぱきした気持ちのよいサービスでコストパフォーマンス抜群だ。3ヶ月のうちにふみちゃんは起業していて滑り出しはまずまずの様子、元気な姿と自信ありげな口ぶりは見違えるよう。あっという間に4時間以上経過して、島を替えた先もなかなか元気のよい海鮮酒場(名前は忘れましたぁ~!)でまた2時間半、呑んだ酒はビール・ハイボール・ワイン・ホッピーまたビールと数知れず。

ふみちゃんが幸先のよいスタートを切った商談やたかちゃんが収穫したトルコ麦の今後のことも、一緒くたにわいわいがやがやどうどう巡りのエンドレス。ついに隣接の相模原市に住むふみちゃんの終電を心配してやっと解散。いや~昼の12時から小休止をはさんで12時間に及んだ「飲み会のはしご」、たかちゃんの家まで歩いて帰りおかみさんのおとみちゃんに暖かく迎えられてまた一杯。何時に寝たのかよく覚えてましぇ~んでしたが、猛烈楽しい丸一日がなんと3日にも3時間にも感じられたのでした。
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ランチクラス会

2015-06-25 | 団塊世代
週初めにランチクラス会が催されて、東京まで行ってきた。昭和41年卒業都立H高校の仲良しクラスで、毎年秋には輪番の幹事がクラス会を開いてくれるのだが、ボストンの大学でまだ教鞭をとって頑張っているA君が一時帰国しているというので有志が急遽集まった。

早めに着いた東京駅から爽やかな天気に誘われてMacchanはぶらぶら散歩しながら、会場の日比谷公会堂前のプレスセンタービルへ到着。集った仲間は7名、国会議員のY君とA君以外は既にリタイア組で12時からランチをとり、階下のクラブルームへ島を替えて都合3時間余。

話題は昔話に始まってそれぞれの近況や世情や政経状況まで多岐に亘り、A君を送りまた秋の本番クラス会での再会を約して別れた。「ランチの集い」といえば暇になった女衆の専売特許という認識だったが、リタイア後の最近はMacchanも時々お世話になり始めた。さしづめ、「女もすなるランチ会というものを男もしてみんとてするなり」といったところかな。ランチ会のいいところは、遠方の参加でも日帰りしやすい、健康的(ほんまかい?)で比較的安いというところか?

今回はマスコミ出身でいまだに記者クラブに顔がきくI君のお陰で、都心の一等地で長居できた。持つべきものは友達、本当にありがたいこった。
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これが飛蚊症というものか?

2015-06-21 | 健康管理
前回の大町エコノミスト村環境委員会活動の時だから4月中旬だったか、左眼の前に小さな黒い糸くずのようなものが現れ気になり始めた。はっきり見えるわけではないのだが、最初はまつげにごみが付いたと思った。目をこすっても落ちるわけではなく目玉を左右に動かすとついて来る。

これがもしかすると飛蚊症いうものかもしれないと、ネット検索してみた。老化現象とか屋外・紫外線の影響などという文字が飛び込んできたが、病気の症状も考えられるので甘くみてはいけないとも。さっそく仲間に次々とインタビューを試みたら、ニヤニヤしながら半数以上がおれも飛んでるよとのこと。中には三匹も飼っている人もいて、薄くなったり増えたりもするそうだ。

それを聞いて少し安心したが、眼医者に診てもらっても目薬を処方してくれるだけで完治はしないらしい。老化現象だとすると、整形外科系の治りにくい多くの症状と同じなのか。やれやれだね。11年前に亡くなった父が晩年顔の前で何か浮かんでいる物を指で捕まえようとしたり、糸を手繰り寄せようという仕草を時々見せていた。認知症が進んでいて会話が成立しなかったので確かめようがなかったが、もしかしたら同じ症状だったのかも知れない。

あくまでもイメージで、こんなにはっきり見えているわけではないのだが意識がはっきり?しているうちにスケッチしておこう。生まれたてのめだかの子が2匹顔を寄せ合って丸くなり、糸でぶら下がっているという感じかな。2ヶ月前に比べると薄くなった気もするが、めだかは増えるかもしれない。医者にも行かずに自分でもほとほと横着者だと思うが、もう少し様子を見てみるとしよう。
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南三陸の美味し食、うまし酒

2015-06-18 | 旅行
2万人近い尊い命が犠牲になった3.11の地震津波災害を、しっかり記憶に留めたいと希望して実現した大町エコノミスト村環境委員会の仲間との2泊3日のツアー。名コンダクターKさん夫妻の緻密な企画のお陰で、連日驚愕し息をのみ眼が潤んだ。被災の実体験を肉声で伝えるボランティアの語り部や生々しい写真を集めた情報館の多くは、残念ながら撮影禁止で記録には残っていない。しかしこの体験は多分死ぬまで呆けるまで、脳裏に焼きついて忘れることはないだろう。

不便を強いられている被災者にはお気の毒だが、歩き回るとやっぱり腹は減るものだ。地元でご馳走に舌鼓を打ち、美酒に酔いしれることで旅の満足度は高まり、間接的に復興のお手伝いになったかも知れないと我田引水。三陸の海の幸の数々、名物の牛タンと蒲鉾、お酒が進むものばっかし。「生きてるだけで幸せ」と感じることも、被災地を視察させていただいたお陰、これも我田引水。

(気仙沼市唐桑半島「民宿唐桑御殿つなかん」での昼食)
おしゃべりの美人女将が熱く縷々説明してくれるメニューの中で、〆の炊き込みご飯は皿貝(養殖のホタテ貝に寄生して繁殖する外道の貝)が入っていて珍しい上になかなか味わい深かった。

(気仙沼市漁場料理屋「福よし」での夕食)
豪快な囲炉裏炭火でじっくり焼かれる「吉次(きちじ)=(きんき)」は特筆もの。これでもかの海産物オンパレードには、常識では季節外れの大粒の牡蠣の串焼きも。店の名前と名物大将のサイン入り地酒、うますぎて何本もお替りしましたわさ。記念撮影には昼間の視察では決して出ることがなかった、笑顔笑顔と万歳&ピースサイン。まあ、いいっしょ。

(石巻市牛たん屋「利久」での夕食)
牛タンは薄くスライスした網焼きしか食べたことがなかったが、豪快なタンステーキやゼリー寄せや牛たん屋でのホヤは未体験ゾーン、やっぱり三陸だわ。美味さついでに南アフリカの赤ワインも行っちゃいました。まあ、いいっしょ。

(石巻市の蒲鉾工場「白謙」の見学と試食)
笹蒲鉾は仙台土産しか食べたことがなかったが、能書きをたっぷり聞いて出来上がったばかりの熱々や珍しい種類を試食すると殿様でなくとも「笹蒲は石巻に限る」と思えてくる。工場見学はいいね。

2泊3日の寝食を共にする特別な旅に出て、お陰で村の仲良し同志の絆はさらに深まった。石巻駅前で解散になったが、暫し立ち去り難しの思い。Machan帰りもMira e:sで670Kmのドライブ、9時間がかりで自宅に着いたのは日付が変わって2時過ぎ。眠いのなんの、旅程と美味かった食事の数々を次々に思い起こし、かみさんと大きな声で復唱して睡魔を追い払ったのでした。



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南三陸の被災地を訪ねる

2015-06-17 | 旅行
出羽三山と瀬見温泉そして松島の2泊3日のぶらぶら歩きを終えて、今回の東北旅行のきっかけになった大町エコノミスト村の仲間と「南三陸の被災地を訪ねる」旅に翌朝落ち合うため石巻に車を置いて鉄路で一関に入った。Macchan夫婦を除いて13名は皆首都圏住まいなので、朝10時半の一関駅集合には当日出発で間に合うらしい。浜松からはどう工夫しても前泊が必要なので、それならと集合前に3日間の前のり旅行を加えたのだった。

仲間との3日間の南三陸旅行は、メンバーのKさんが経営していた会社の石巻支店が津波被害で流失してしまったことがきっかけ。4月の村の環境委員会活動の時、次回の旅行は三陸の被災地を訪ねようということになった。4年前の大惨事を、老い先短い?記憶に留めようという気持ちが共通していたのだろう。当のKさんの企画でとんとん拍子に話が進み、6組の夫婦+3名がツアーに加わった。

一関で2台の大型ワンボックスレンタカーに分乗して、陸前高田市・気仙沼市・南三陸町・女川町・石巻市を訪問する視察旅行が始まった。被災地は4年余が経過して瓦礫はすっかり片付けられていたが、まさに復興の真っ最中。他地域のボランティアの助けに加えて、被災者自らが被災状況を語り自立していこうという気概が強く感じられた。まだまだ完全復興には時間がかかると思うが、復旧と新たなふるさとづくりに向けてなんとか頑張ってほしい。

訪問した5市町は立地も被災状況も異なり、住民の希望も反映されて復興の仕方が大きく異なることにやがて気がついた。国民の多くが篤志で募金をし、所得税にプラスして復興税を納めている。それらがどう使われているかを見届けることにも意味がある。総じて言えば小さな市町は被災地を復旧するやり方で平地全体を5~7mの大規模嵩上げ、16万人居た石巻市では10%人口が減ったが居住地と事業用地を峻別して復興しているように見える。皮肉なことに行政主導の復旧を待たず、割り切って自力で早々に見切り復旧した地域が事業も生活も生き生き復活していた。

それぞれ事情があるので部外者はうかつに評論することではないが、復旧と意思のある復興では結果が大きく異なるのではないかと思えた。具体的には神戸型のベルトコンベア土石運搬かトッラク運搬かの違いがあれ、「復旧」に巨額の国税を使ってもどれだけの住民が元に戻るのか、単に希望があっても生活基盤である産業の復興が伴わなければ意味がないだろう。その点石巻市に見られる津波防護壁嵩上げと道路嵩上げに留めて、住宅は基本的に高台に移転し平地の水産加工場や冷凍倉庫など産業建築は4~5階以上の高層にして、その代わり外階段を作って屋上を避難場所にするという案が実利的だと感じた。

(陸前高田市)
あっと驚く、15m以上の津波到達点を示すガソリンスタンド看板。

陸前高田市の被災建物と居住地総嵩上げ大規模工事現場。枯れてプラスティックで固められた「奇跡の一本松」も遠望できる高台から眺めると、工期を3分の一にできるというパイプライン状のベルトコンベアが無機質な巨大龍のように見えてくる。工事終了後は解体されるとのこと。

(南三陸町)
南三陸町の被災庁舎と家屋。防災無線で避難を呼びかけていた職員も犠牲になった。骨組みだけになった三階建の看板には皮肉にも「防災対策庁舎」とあり、Macchanは突っ込むこともできずにただ泣けた。

仮設商店街&仮設警察署。郵便局さえも移動型の仮設、まだまだ我慢の日々が続く。

(石巻市)
大きな激励看板は近隣のベニヤ工場から流された板を使って、被災直後住民自らが作成したという。当初は非難する人もいたらしいが、今では復興の原動力になっているそうだ。

全壊し74名の児童が亡くなった北上町大川小学校。河口から3Kmも離れているのに、ここまで壊滅的な打撃が加わるとは誰も予想できなかったのだろう。学童が描いたと思われる地元出身宮澤賢治の詩の一節が残されているのが空しく、ただただ残念無念。


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ああ松島や、ぶらぶら歩き

2015-06-16 | 旅行
浜松を出て3日目の朝、最上町瀬見温泉の宿を出て松島へ向かった。Macchanは中学の修学旅行以来50余年ぶり、かみさんも20歳頃に来たことがあるというからうん十年ぶり。4年前の三陸津波では奇跡的に大きなダメージを受けなかったと聞いているが、どうなっているかの興味もあって仲間との合流前日にぶらぶら歩いてみた。

広大な東北地方も知らないうちに高速道路網が縦横に完備して、主要観光地間の移動には非常に便利。Macchanの愛車にも出発直前に初めてポータブルカーナビを購入したので、迷うことなく目的地に到着出来る。今まで40年余お世話になった、カーナビ(かあちゃんナビ)の出番はもうおまへん。

先ずは観光ガイドブックの一押し「多聞山」のビューポイントを訪ねる。松島全体まで一望できるわけではないが、観光船に乗らずともかなり絶景を楽しむことが出来る。「ああ松島や」のぶらぶら歩きのスタート。なるほど点々と見える島々には、津波のダメージはほとんど感じられない。2ヶ月前のベトナム旅行のハロン湾に比べればダイナミックさには欠けるが、芭蕉を筆頭に先人達が称えた非日常の繊細な景色は流石だ。津波被害がほとんどなくて良かった良かった。

何て読むんじゃ、「鹽竈(しおがま)神社」? 地名は塩竃なのに日本語は難しいのぉ。奥州一宮として1200年以上の歴史がある重要文化財。天気が良すぎてぶらぶら歩きも暑いぞなもし、昼も大分過ぎて腹も減ってきたしーー。松島さかな市場で海鮮三昧の昼飯じゃ。
明日からの仲間との南三陸の旅でも、地場産の海産物をふんだんに味わえる予定なので、バッティングしないメニュー(穴子丼とマグロ三昧丼)を選ぶ。うまい旨い美味い安い上に、かなりのボリューム。マグロ刺身は三重乗っけで、めくってもめくっても酢飯が出てこんぞ。

昨日に続き、満腹を抱えて五大堂と瑞巌寺をぶらぶら。
さすがに伊達家の菩提寺、1200年の歴史と趣きが半端ではない。ここも震災・津波の影響が無くてよかったなと立ち去ろうとしたら、参道の杉の大木が何本も切り倒されているではないか。たまたま地元の方の声が耳に飛び込んできた、なんと津波はここまで押し寄せて潮水に浸かった古木は体力切れで次々に枯れてしまったのだという。何でも聞かないと分からないもんだね。





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出羽三山ぶらぶら歩き

2015-06-15 | 旅行
5泊6日の東北旅行をかみさんと楽しんできた。きっかけは大町エコノミスト村環境委員会活動の仲間との、2泊3日の南三陸被災地視察の旅に3日先行して乗り込んだ。

初日は9時間かけて浜松からMira e:s(軽自動車!)で山形市入り、中心市街地七日町商店街での夕食のついでに若き日にY社のスキー用品営業で取引があった川井スポーツを薄くなった記憶を頼りに訪ねてみた。店は休業日だったが懐かしい古い看板が駐車場に残っていて、暫しのノスタルジーに浸った。

東海地方は既に梅雨入りしていたが、東北地方はまだ爽やかな晴れ間が多く、翌日は出羽三山のうち湯殿山と羽黒山をぶらぶら歩き回った。冬は15mの積雪に閉ざされる月山は山開き前だったが、麓の月山湖では山の残雪をバックに驚異の112m大噴水を眺めた。
湯殿山は神霊が石に宿る修験の場、バスに乗らず雪解け後の高山植物を眺めながら往復一時間の散策を楽しんだ。

おなかが空いたら地場産そば粉10割を使って太めに切られた蕎麦をお好みで選べ、初の体験「板そば」(ざる3枚分くらいの量)と熱々の天ぷらを食す。
サラダ代わりの各種野菜の浅漬けバイキングが彩りよくなかなか美味し、おかげで動きづらくなるほど腹いっぱい

最後は出羽三山の三社の神を祭った羽黒山、他の二山よりはるかに低い山ながら麓から2446段の階段を上がり下りして大汗をかいた。全山を覆う杉の大木、国宝の五重塔や重文の本堂や鏡池、1400年に及ぶ信仰文化と大自然が織り成す世界遺産級の観光資産と見た。

下山後最上町の瀬見温泉に入り、明治・大正・昭和と三時代の歴史ある木造建築で営業している「喜至楼(きしろう)」に投宿。古きよき時代の宿と名湯をゆっくり楽しむことができた。
大広間にはこの後南三陸の被災地視察ツアーで一緒になるKさんの祖父が残した書画が飾られていた。Kさんの短歌や書などをたしなむ粋な趣味は、ご先祖譲りの血筋だったのだと腑に落ちた。

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昨今の畑事情

2015-06-11 | 農作DIY
今週の月曜日、浜松も例年並みのタイミングで梅雨入りした。夏野菜と秋収穫の芋を植えた、Macchan畑の昨今の様子をレポートしておこう。

リタイアする前すなわち10年近く前までは、畑にはたくさんの種類の作物をあれもこれも作っていた。しかし家族も少なくなり、リタイアしてからは毎日食べても飽きない野菜類や保存がきく芋豆類に比重を移した。手間隙をあまりかけずに、家計の助けにもなる作物が中心になった。

今年の夏野菜も定番のキューリ・ナス・トマト・ピーマン・ゴーヤなどを5~10本ずつ、そして秋に収穫して冬中楽しめるサツマイモを先ず30本植えた。キューリとナスは早くも収穫が始まり、その他も成長が著しくこれから暑さに向かって毎日野菜を山盛り食べる。来る日も来る日も同じ野菜が続く。野菜カレーは水を入れなくとも、鍋いっぱいできるぞ。

しかし温度が上がり、雨が多くなると雑草も爆発的に育つ。3日畑に出ないと、人の畑と間違えたかと思うほど様相が一変する。梅雨明けまでには、味噌の材料になる大豆や黒豆の苗を育てて植え付けをしなくてはならない。これからは暑さと草との闘いにもなる。名残の菖蒲が色の少ない畑を彩る。
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紫陽花の季節

2015-06-08 | 四季折々の花華

東海地方はいかにも梅雨入り間近といった感じの天気だ。先日この季節にお似合いの花は菖蒲だという記事を書いたら、庭の紫陽花が少しむくれている。梅雨入りしたら「やっぱりこの季節の花の代表は紫陽花だね」と、ヨイショしようと思っていたのにね。

この数年の梅雨入り時にはいつも登場させているので心苦しいが、やっぱりアングルを変えて写真に撮ってしまった。最近はいろんな変種が開発されているが、Macchanちの代表格はミセスクミコと白紫陽花のアナベル。いずれも園芸好きのかみさんが、戴いたものを可愛がって育てている。

今夜からまとまった雨が降る。紫陽花たちはむくれずに、落ち込みがちなこの季節の人々の気持ちを癒してほしい。

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菖蒲の季節

2015-06-03 | 四季折々の花華

先々週の沖縄から梅雨前線が徐々に北上して、いよいよ雨の季節になってきた。東海地方も間もなく梅雨入りするだろう。

梅雨入りと言えば、雨の季節に似合う花は「菖蒲」ではないだろうか。庭が広い地域の友人から10年位前にもらった菖蒲が増えて、我が家では畑と三ケ日の「遊び小屋」に植えてある。夏に向かって花の種類が少なくなる頃、紫陽花と並んでブルー系を基調に様々な色で目を楽しませてくれる。

菖蒲は少し湿った土地を好み株で増えていくが、3~4年も経つと株は自縄自縛状態になって花は徐々に小型になっていくように思う。株分けすれば問題ないのだが、硬く固まった株をほぐして分けるのはなかなかの手間だし、咲いた花の色の区別がつかない季節に株分けするのでよほど目印に工夫しておかないと新たに植える時に意図的な分別ができないのが悩ましい。

今秋あたりそのタイミングにあたるのだが、あまりやる気が起こらずまた行き当たりばったりの作業をして、翌年どんな色が咲くのか楽しみだみたいな「まぁいいか」のご都合主義が早くも頭をかすめている。それにしても畑も遊び小屋庭も、きれいだね健気だね。

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Mira e:sの車検DIY

2015-06-02 | 日々雑感
平成元年から23年20数万Km愛用したパジェロからライフスタイルに合わせて、ちょーダウンサイジングした軽自動車Mira e:sに乗り換えて丁度3年。先週最初の車検を、ネットで事前予約した「ユーザー車検」でクリアしてきた。

リタイア後7年半、8年前に仲間のかずさんから譲ってもらった軽トラで数回経験してきたユーザー車検。いつもお世話になっている住まいの近くのTオートでは、20年以上の付き合いで整備や修理をお願いしてきた。リタイア前から自分でできる消耗品、例えばオイル交換やワイパーブレード交換そしてタイヤ交換やローテーションなど有料の作業はもうやらなくて結構ですと断ってきた。

そしてリタイア後はT社が自社整備工場でやっている車検代行費用1万円を支払うのが惜しくて、自分で車検を受けて諸費用を引いた7千円位をセーブして喜んでいた。安倍政権が唱えている政策には反しているが、限られた年金だけで暮らそうと決心したMacchanにとって、出費の代わりに自分の労役で済まそうという行為は極々自然なことと思う。GDPを増やし続け借金を続けなければ回らない資本主義は、どこか間違っているだろうと高をくくっている。

そして今回は所有する2台目の軽自動車Mira e:s、車検DIYも1年以上間が空くと要領を忘れるんだよね。書類手続きを済ませて車検作業場に並んで難しい指示をあれこれ受けると、聞き取れないことも含めてなかなかうまくいかない。係員は90数%業者相手、もたもたした素人は邪魔っけだ。何度もやり直しをされているうちに、並んでいる前の2~3台がいなくなってしまった。

「次は隣のレーンに並んでください」と呆れられて言われるも、「2年後にまた覚えていたらそうするね」と言い放ってささやかな溜飲を下げる。それでも手続きを含めて実質4~50分の手間で7千円を生み出せる作業は、リタイア後は極めて貴重。GDP増に貢献できなくても、生活防衛をして自己満足を増やせて美味い酒を飲めるのは一挙両得だと思うね。
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母の介護当番を終え孫たちと遊ぶ

2015-06-01 | 旅行
先週末5週間の母の輪番介護当番を終え、東京目黒の下の妹宅に母を送り届けた。最近ほとんどの身体機能の衰えが目立ってきたので、かみさんに同乗してもらって車で出かけた。250Kmを順調に3時間半で走り途中トイレタイムをとった際かみさんに身障者用の個室に一緒に入ってもらったが、トイレの認識ができない上に便器に座らせてもやりかたがわからず小便は出なかったそうだ。

今後は新幹線での移動も難しく車しかないが、同乗者がいてもこれだからとても一人で連れて行くことは困難だ。いよいよ輪番介護に破綻がくるのか。妹とは午後のお茶をしながら1時間半ほど話をして、5週間の状況を伝え今後の対応の打ち合わせをする。まあここは悩んでも仕方がないので、現在計画されている5週間の東京は予定通りにして、続く5週間は浜松でショートステー施設を使いながら過ごす予定だ。

その足で浦安在住の三男家族宅を訪問し、小1孫1号Kと年少4号Tと0歳7号Oらと5月の連休以来1ヶ月ぶりの夕食を共にする。まだまだみんな喜んで行きたがる回り寿司の「スシロー」へ、土曜日で学校イベントが多いらしく家族連れで大混雑の70分待ち。嫁さんYちゃんの携帯で予約をして、店での待ち時間はほとんどなし。便利な時代になったもんじゃの。1号4号のスイミング教室での昇級試験合格祝いを兼ねて、総勢7名(寿司が食べられたのは6名か)は満腹を抱えて歩いて帰宅。
浦安市は東京のすぐ隣りだけど正真正銘の千葉県、キャラクターの「ちーば君」の横から見た姿は県の形なのだそうだ。なるほど!

翌日は孫1号Kが所属する、地元少年サッカークラブ同士の試合を見に行く。浦安市は人工芝の市営グランドが完備していて、小さく3つに区切ったグランドで次々に組み合わせを変えて15分ハーフの試合を進めていく。1~2年前に比べると教わった試合での動きが、結構できるようになっていて少し感心する。予定を延長して日曜日も泊めてもらって、爺が腕を奮ってステーキカレー(カツの代わりにステーキを載せてーー)を作り皆に振舞う。カレンダーより一足早く訪れている真夏日の中で、プレーした者も観戦した者もなかなかくたびれたわい。爺は順調に成長している孫たちを相手に、連日冷たいビールもたっぷり飲んでだ~い満足!





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