自治会(町内会)の歴史は古く、太平洋戦争前の戦時体制構築のために国家命令で「隣組(となりぐみ)」制度が作られたのが発祥だと聞く。敗戦後GHQの指示で制度が一度廃止になったが、行政的な観点から間もなく形を変えて復活したそうだ。
市町村広報誌の各戸配布、各種ごみ収集場の維持管理、街灯の保守・管理と電気代負担、防災訓練および器具用品の保守点検、保健体育振興、日本赤十字ほか募金活動、行政・学校関連イベントへの出席などなど、これらは補助金や交付金をからめて行政下請け的な仕事がとても多い。
一方核家族化や共働き化による地域より家族、さらには個人主義化によって地域自治会活動を疎んじ避ける傾向が顕著のように思う。結果自治会加入率は半強制感があり横並び感が強い国民性をもってしても、現在は70%程度に減っているようだ。
都市化に伴うマンション化でも、町内自治会に代って「管理組合」という名の自治会的な活動が主力のようだ。マンションの場合は「修繕積み立て金」を元にした修理建て替えのニーズが強いから、考え方によっては従来型の戸建て住民自治会よりは否応なしであれ本来の「自治」の性格が強いかもしれない。
Macchanが楽しんでいる「遊び小屋」がある三ケ日Tリゾートでは、別荘としてではない永住世帯が次第に増加して全戸の4分の一を超える勢いだ。中には従来の住宅の自治会組織を嫌って移住してきた方々も多いと聞く。
そこまでして嫌われる自治会、今後はどうなるのか? Macchanも社宅の借家時代から勘定するともう延べ40年近く自治会活動に関わって、会計役2回そして数回の班長や3年間の防災委員もこなしてきた。「昔は役所がやってた仕事だよな」とか「なんでこんなことをやらなきゃならないのか?」という疑問があり、活動を批判的に感じたことも数多い。一方で自治会活動を通じて得た住民の輪や、住民の和を楽しいやりがいと感じたこともある。
古希を迎えて「孤独死」や「災害時の助け合い」のニュースを度々知り、やはり地域の少なくとも班レベルの隣保とはお節介にならない程度に、日頃の親しいつき合いが必要だとも感じている。そんなところに音楽好きで男声合唱をやっているMacchanに、「みんなで歌おう」という集いをやるので歌唱指導をしてほしいというリクエストが舞い込んだ。ちょっと考えて、指導は無理だが「みんなで歌を楽しむ」のを一緒にやるならやらせて下さいと引き受けた。
先週は同じく地域の面倒をみる役を以前からやっている伴奏のSさんと共に2~3回のリハーサルをやって、1時間の楽しいひと時を20人の参加者と共に過ごしその後のティータイムも楽しんだ。飲食物を持ち寄ってカジュアルに楽しめる「仲良しクラブ活動」が増えるなら、今後も協力したいなと思った。
(参考=「自治会活動」に関する過去記事)
自治会活動の感想(その1)
自治会活動の感想(その2)
自治会活動の感想(その3)
市町村広報誌の各戸配布、各種ごみ収集場の維持管理、街灯の保守・管理と電気代負担、防災訓練および器具用品の保守点検、保健体育振興、日本赤十字ほか募金活動、行政・学校関連イベントへの出席などなど、これらは補助金や交付金をからめて行政下請け的な仕事がとても多い。
一方核家族化や共働き化による地域より家族、さらには個人主義化によって地域自治会活動を疎んじ避ける傾向が顕著のように思う。結果自治会加入率は半強制感があり横並び感が強い国民性をもってしても、現在は70%程度に減っているようだ。
都市化に伴うマンション化でも、町内自治会に代って「管理組合」という名の自治会的な活動が主力のようだ。マンションの場合は「修繕積み立て金」を元にした修理建て替えのニーズが強いから、考え方によっては従来型の戸建て住民自治会よりは否応なしであれ本来の「自治」の性格が強いかもしれない。
Macchanが楽しんでいる「遊び小屋」がある三ケ日Tリゾートでは、別荘としてではない永住世帯が次第に増加して全戸の4分の一を超える勢いだ。中には従来の住宅の自治会組織を嫌って移住してきた方々も多いと聞く。
そこまでして嫌われる自治会、今後はどうなるのか? Macchanも社宅の借家時代から勘定するともう延べ40年近く自治会活動に関わって、会計役2回そして数回の班長や3年間の防災委員もこなしてきた。「昔は役所がやってた仕事だよな」とか「なんでこんなことをやらなきゃならないのか?」という疑問があり、活動を批判的に感じたことも数多い。一方で自治会活動を通じて得た住民の輪や、住民の和を楽しいやりがいと感じたこともある。
古希を迎えて「孤独死」や「災害時の助け合い」のニュースを度々知り、やはり地域の少なくとも班レベルの隣保とはお節介にならない程度に、日頃の親しいつき合いが必要だとも感じている。そんなところに音楽好きで男声合唱をやっているMacchanに、「みんなで歌おう」という集いをやるので歌唱指導をしてほしいというリクエストが舞い込んだ。ちょっと考えて、指導は無理だが「みんなで歌を楽しむ」のを一緒にやるならやらせて下さいと引き受けた。
先週は同じく地域の面倒をみる役を以前からやっている伴奏のSさんと共に2~3回のリハーサルをやって、1時間の楽しいひと時を20人の参加者と共に過ごしその後のティータイムも楽しんだ。飲食物を持ち寄ってカジュアルに楽しめる「仲良しクラブ活動」が増えるなら、今後も協力したいなと思った。(参考=「自治会活動」に関する過去記事)
自治会活動の感想(その1)
自治会活動の感想(その2)
自治会活動の感想(その3)





先週末浜北の「岩水寺星まつり」の実況を当ブログでもお伝えしたが、今日は暖かい日和の中で行われた週一テニス仲間の話題はメンバーMさんの畑と近くの「東大山町桜まつり」の「河津桜」で盛り上がった。Mさんの畑はまだ1~2分咲きだそうだが、


主役の河津桜は木によって1~2分から4~5分まで開花し、美しい色のコントラストのインスタ映えを狙った?菜の花もいい感じに咲き誇っていて、まだまばらな花見客に混じって下見をしてきた。昨日は全国的に温暖な天気に恵まれ開花が促進されたようで、週末は早くも花見で賑わうことだろうね。
下見が予想より成功し、うれしくてたくさん撮った写真をどうぞ楽しんでくださいな。

そんな豊川には多分戦前から庶民や交易商人たちから愛された「昭和の食堂」が健全だった。同じくSさんから教わったのだが、「サンヨネ豊川店」近くの「金屋食堂」がそれ。「安くて美味しくて懐かしいよ」というお勧め言葉どおり、家族経営でお馴染みにも一見客にも愛想がよく親切、各種定食はほとんど6~700円で味もボリュームも言うことなし。地元名物のメヒカリと思しき上品な白身魚のフライ定食600円に、腹いっぱいになりながらサービスデザートのコーヒーゼリーも完食。買い物と同様、「遊び小屋」に行ったらまたわざわざ寄りたいと思うのこころだ~。
おうおう何年か前に植えられた河津桜がかなり開花し歓迎してくれているわい。
境内広場には既に餅まきや歌謡ショーイベント目当ての
辛うじて継続しているかみさん3姉妹家族のお札を受け取り、世話人特典の「昼食券」をゲットして好物の素朴な手作り掻き揚げうどんと漬物とお茶を頂く。これを食すと、あ~春が来るなと感じる。Macchanはパブロフの犬か!
参道の屋台の賑わいを確認して、寺奥の「旧石器時代の人骨」が発見された根堅遺跡を徒歩でうろつく。
原人ではなかったが三ケ日といい浜北根堅といい、人類大祖先たちにとっても気候温暖で食物豊富なこれらの地は生活しやすいところだったのだろう。江戸時代からの歴史ある石灰岩(消石灰原料)採掘が優先されて、貴重な発掘現場が保存展示されなかったのが口惜しいね。
遺跡見学後、最ローギアでも息を上げながら到着したのは森林公園最上部の「森の家」、やや霞んではいるものの遠州灘や浜松市街地まで見渡せる上々の景色。



昨年はかみさんとウォーキングを楽しんだ浜北森林公園を上り下り一周して35Kmのミニチャリツアーを終え帰宅すると、まだまだ恒例仲良しグループと味噌作りの真っ最中だった。練炭七輪で豆を炊き始めた前日からの手作りシーンを一気掲載。糀(こうじ=米麹を意味する日本漢字だそうです)と赤穂の塩は購入ですが、大豆と黒豆は毎年Macchan畑で自給。「美味しい!」と言ってくださる方だけにプレゼントするかみさんのささやかな楽しみなり。

浜松駅近くの地ビールレストラン「マインシュロス」付設のギャラリーにて、『村上剛木版画展』2月12日(火)~17日(日)11時~18時(最終日は17時終了)入場&駐車場無料。
父親譲りの絵のセンスはリタイア後趣味で磨き、6年前からは市内の版画クラブに在籍してあっという間に腕を上げ、静岡県下はもとより東京国立近代美術館での美術展に入選するほどになった。今回はその「あっという間」の最近3年間に、お気に入りの旅行先フランス・ドイツ・オランダなどの水辺で建物やヨットをモチーフに制作した作品を展示して、毎日自ら来場者に薀蓄を説明する力の入れよう。1年前は心臓の病で1ヶ月入院したとは思えない元気さ。
「好きな事に打ち込む姿」ってなかなかいいね、うれしそうに語る若々しさは70歳代半ばとは誰も判らない。

展示は作品だけではなく、「木版画」制作過程や独自のこだわりを分かりやすく実物やパネルで説明する工夫もされている。
搬入搬出時には「Macchan軽トラと手を貸して」の声がかからないなと思ったら、画材屋のプロと交渉し展示場の平面図をもとに自ら展示作業マニュアルを作って指示しながら行うという器用さも持ち合わせていた。飾らぬ人柄とともに趣味のアートに情熱を傾け続ける市民芸術家の姿を、苦労?話を交えながら感じることができるぞ。運転とお急ぎでない方は、美味しい地ビール(これは有料)でのどを潤すことも可能。
例えば警察庁の統計では、「交通事故死者数」は約半世紀で1万7千人から3千5百人と20%程度に激減していることが分かる。大きなトレンドでは、自動車文化の成熟と道路整備や関係者の交通事故撲滅の努力が実を結んだ複合成果だろうと喜びたい。しかしどこかの時点でわが国の独自基準で、事故発生後24時間以内の死者数で統計基準が変更されていることで、半世紀の経年変化把握や国際比較の統計としては失格だ。
また近年増加し年明け後も痛ましい事件が相次いでいる「児童虐待」の実態はどうか? 昨日のニュースでは「昨年比20%以上の増加」としていて、「やっぱりな」「最近はひどい親が増えたもんだ」というのが視聴者の一般的な感想だろう。しかし「社会背景」を勘案すると、別の局面が見えてくる。厚生労働省管轄で政令指定都市以上に設置が義務付けられた「児童相談所」が増え、「駆け込み寺」としての機能を発揮しているのだろう。事件が増えマスコミが取り上げる頻度が増えると、悩みを抱えている市民の相談者が急増することも想像できる。ということで、統計的な数字の報道があると「ん?何か裏にあるぞ」という意識で、「統計」の数字は色んな要素を勘案して読み替えなければならないと思う。
Macchanは甘い自己評価ではバランスがとれた市民ではないかと思っているが、客観的に見るとやや「統計」フェチの変な老人のはずだ。好きな科目「地理」の延長で、5年に一度は高等地図帳を買い替え付録の「地理資料」で国内外の産業統計を「愛読」している。先に述べたように国による統計基準が異なり、産業では通貨価値が各国間時々刻々異なるので単純な比較は困難だが、大きなトレンドは把握できる。行政や企業のトップの思惑や指示・忖度が入らない真面目な「統計」を見て、世の中の流れの真相を深読みし、先行きを想像するのも楽しみの一つだ。
今回は「統計学」を解説するのが目的ではなく、あくまでも行政の「統計」に纏わる「大チョンボ」へ馳せた思いを書くことにある。「統計」は広辞苑によると「集団における個々の要素の分布を調べ、その集団の傾向・性質などを数量的に統一的に明らかにすること」とある。今回の問題は景気対策や社会政策の判断決定の拠り所になる、「中規模以上の企業従業員の賃金調査」が本来決められた方法から「手抜き」されて実施されたことが判明した。
「統計」はあくまでも調査手段、決められた前提条件や手法が人為的に「変更」「手抜き」されると、当然ながら「事実」と異なる結果が出る。基底にある「本来の目的」が常に明示され、調査は決められた方法で継続的に粛々と実行される必要がある。定期的に行われる大掛かりな調査はしっかりした組織で行われているはずで、今回の調査責任者答弁のように「組織的なミスとは考えにくい」というのは詭弁だ。
先週末は今年初めての東京へ、大町エコノミスト村の理事会が京橋区民館で開催されるというので滅多にない新幹線日帰りの旅をした。浜松の自宅からもかろうじて遠く見ることができるが、やっぱり富士山は間近で見ると迫力が違うね。今年は今のところ雪が少なく、山ひだや登山道が肉眼でも確認できる。太平洋側の沿岸低気圧通過による降雪で、もうすぐ真っ白になるはずだ。

「遊び小屋」は昭和30年前後の「貧しくとも心豊かだった時代」の生活を再現するコンセプトで建築したが、貰い受けた中古の建具の中で唯一使えてなかった「欄間」が長い間気になっていた。装飾性の強い芸術的な作品だったので、その間は自宅の階段踊り場に縦に並べて飾って楽しんでいた。「遊び小屋」は平屋作りだが天井がなく、大屋根の裏に板を二重張りにして吹き抜け仕様で暮らしている。昔の家のように土間を入れて田の字型に4部屋を設えているが、和室はなく貰い受けた畳を8畳分敷いている3部屋は板の間だ。ということで残念ながら欄間の出番は無かったのだが、完成後5~6年経過して時々暮らしながら室内を見渡しているうちに、鴨居の上に本来の「通気&採光」のためではなく単純に先祖リスペクトの装飾品として飾ろうと思いついた。
ということで昨日Tリゾート住民親睦週一テニス会に泊りがけで出かけたついでに、「欄間」の取り付けと破れていかにもくたびれた感じの障子の張替えをやった。お陰さまでなんだかいつもの見慣れた小屋内が、とてもいい感じになった。



