団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

自転車旅行日誌(そのⅢ)

2008-05-31 | チャリツアー
(5月9日 小田原~横浜~東京~浦安=105km)

6:30 出発  前輪の空気がやや抜けていたので、空気入れボンベ(百均で購入)で補充。二宮から太平洋自転車道を走る。(素晴らしい整備)

8:00 大磯港手前の見晴らしがよいところで休憩。釣り人が何人か浜釣りを楽しんでいる、のんびりした良い風景。併走している西湘バイパスが少々うるさいのが難点? 膝が痛い。

10:00 藤沢バイパスで閉め出され、白旗神社前のダイソーでパンク修理剤や東京の地図、飲料を購入。途中また横浜新道で閉め出され、(突然歩道が無くなり、民家の軒先のようなところを通って道に迷い、転倒するが怪我なし)旧1号を行く。

11:40 保土ヶ谷手前の小さな公園で休憩。都会に近づくにつれて信号多く、迂回させられる箇所も多く時間かかる。微妙なアップダウンも多い。

13:00 東神奈川(第1京浜)ローソンでおむすび2ケ買い、店頭で昼食。

14:00 東京都に入ってすぐの東六郷で、膝が痛くまた休憩。

15:40 日本橋着。人や信号多く時間かかる。道路元標で写真撮影。

17:40 浦安の三男夫婦宅に到着。嫁さんYちゃんに3日間の洗濯物をお願いして、すぐ風呂に入らせてもらい、湯上り缶ビール2本枝豆付き。Hit a spot!! 

19:00 三男帰宅し、夕食に合流。Yちゃん手作りの、鰹たたき・新じゃがジャーマン風・もずく胡瓜酢の物・サラダ・ごはんの夕食を頂く。

23:30 ブログ2発入れて、就寝。


(5月10日 浦安~東京~相模原=60km)

7:00 起床。パン、ハム、チーズ、サラダのたっぷり朝食。

8:30 出発。首都圏の休日の早朝はすいていて気持ちがよい。

9:45 大手町、日比谷から皇居沿いに半蔵門へ抜け、休憩。まだ雨が降っていなかったので、麹町小中学校~清水谷公園(写真は大久保利通哀悼碑)~赤坂など昭和30年代を過ごした町を懐かしく探索。青山~渋谷~二子玉川などの繁華街の歩道を走って246号線をひたすら西へ。雨が強まってきた。

12:45 川崎市から横浜市に変わったところで、雨宿りを兼ねて中華料理屋で昼食。焼ビーフン+ごはんとスープ、美味かった! 余裕があったのはここまで。

13:30 弱まらぬ雨の中出発するも、当初は修行僧のようにひたすらこぐが、手足がびしょびしょに濡れて冷たくなってきた。顔面がこわばって相模原の長男に携帯で道を尋ねるも、うまく喋れない。

15:30 ずぶぬれで相模原長男夫婦宅到着。洗濯物を嫁さんHちゃんにお願いして、風呂に入らせてもらう。

16:30 Hちゃんの両親あうんさん&すーさんが合流。わざわざ酒好きのために買ってきてくれた津久井の地酒相模灘を飲りながら、Hちゃん手作りの蓮根のキンピラ、肉じゃが、ゴーヤチャンプル、刺身盛り合わせなどでなし崩し的宴会開始。1時間前は遭難しそうな気分だったのに、嘘のようだ。

23:00 ブログ2発入れて、就寝。

(つづく)








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自転車旅行日誌(そのⅡ)

2008-05-30 | チャリツアー
(5月8日 清水~三島~箱根~小田原=90Km)

6:00 起床。あんぱんと水の朝食。

6:40 身支度とトイレに時間かかったが出発。少し霞んでいるが気持ちよし。昨日からケツもあまり痛くない。Gelシートさまさまだ。興津から由比までは太平洋自転車道を走る。名前はいいが、路面が悪く汚い。由比からは旧国道の歩道を走る。宿場町の古い街並みを残している蒲原で小休憩。美しい景色の富士川を渡る。魚道が確保されていて、魚をじっと狙う鷺が絵になる。富士からは、1号線バイパスに沿って細い側道が続いて走りやすい。富士山は全貌は見えるが、霞んでいる。

9:30 原(沼津の西)あたりの千本桜並木下の小川脇ベンチで、魚を見ながら休憩。(写真)

11:00 箱根上り入口、三島の7~11でおにぎりなど昼食と飲料多めに仕入れ。

11:15 上り開始。30分こいで10分休みのペース。途中おにぎり1個と水分じゃかじゃか補給。

13:30 峠まであと3kmくらいのところで前輪パンク。持ち合わせた瞬間修理材の世話になる。幸いにも効果があった。山中城跡で全国2週目自転車ツアーをしているちょっと年長のおっさんに会った。野宿だそうだ。横浜から伊豆半島一周しての帰途のおっさんもいた。我らおっさんパワー全開だ。

14:25 箱根峠着。よく上ったもんだ。頑強な身体に産み育ててくれた両親に感謝。芦ノ湖の絶景が見渡せる「箱根峠道の駅」で昼食。実に爽快!

15:30 出発。少し下ってまた上ると「国道1号線最高点」。下る一方だと思っていた小田原までは、上りもある。

17:30 小田原着。オレンジホテル(¥5700)泊。駐輪場が無く、ホテル前の空きテナントビルのテラスに自転車を置く。

18:00 駅前探索。立ち飲みの焼鳥屋で軽く一杯後、餃子の王将でレバニラ定食(餃子付き)と紹興酒の夕食。隣席に80歳台と思われるお婆ちゃんが一人、私が入出店する間中ラーメンをちびちび食べていたのが印象的。小田急スーパーで朝食用のパン・チーズ・水を購入。三男夫婦の北海道旅行土産のNikka Whisky年代ものミニチュア瓶を昨日に続き水割りで飲む。いと美味し!

21:30 ブログを投稿して、就寝。

(つづく)

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自転車旅行日誌(そのⅠ)

2008-05-29 | チャリツアー
首都圏往復の自転車旅行から帰還して2週間、膝の筋肉痛は消えましたがその後の農作業や「遊び小屋」作業が続いて、その他どれがどの時の筋肉痛かさっぱりわかりません。旅行中に日誌をつけていたことを思い出して、目を通してみました。ブログを書くためのメモみたいなものですが、読み返してみるとリアルに思い出します。8泊9日の旅を数回に分けて、ご紹介します。

(5月7日 浜松~相良~清水=120km)

6:00 自宅出発  冷たい空気が歯に沁みる。取り付けた荷台がずれて、荷物の重さでフェンダーが下がり、タイヤにあたっている。反射テープで応急処置。

7:45 福田漁港で休憩。大小混ぜこぜの「しらす」が、何十箱もせりにかけられていた。その後浜松~御前崎自転車道を走る。途中平成3年完工の立派な自転車道専用橋(写真)が建設されているが、福田港東1~3km区間が崩壊していて通行止め標識を迂回。堆砂も所々あり、自転車に乗ったまま走れないので押し歩き。エイヤーの投資はするが、メンテはからきしダメのお役所仕事の典型。

9:40 浜岡砂丘で2回目の休憩

11:15 相良町、すーさんの母Kさん宅到着。嫁さんHちゃんから聞いていた通り、国道150号線を挟んで海水浴場から100m。小さい頃、水着のまま泳ぎに行っていたという話に納得。すーさんに事前にメール添付で送ってもらっていた地図は的確でわかりやすかった。Kさんと、互いにグァムでの結婚式参列以来1年半ぶりの再会を喜び合う。

12:00 名物の釜飯と手作りの竹の子の煮物をご馳走になる。缶ビール&紅乙女のいちごデザート付き。すーさんから電話が入り話す。昭和元年生まれ82歳のKさん、すーさんが幼いときに夫を亡くしたが、一人息子を阪大までやった苦労人だ。

12:50 Kさんがいとこの「ちゅーちゃん」に電話したら、すぐ自転車に乗ってやって来た。Kさんより4歳若い78歳、話に味があるなかなかいい人。15~6歳の頃には、自転車に乗って名古屋あたりに相良産の塩や海藻を売りに行っていたらしい。自転車では、栃木・群馬・長野あたりにもよく行っていたという先輩だ。酒好きで昔は日本酒一本やりだったが、最近は4L入り焼酎専門だそうだ。

13:50 相良出発

15:15 焼津八楠郵便局で、Kさんに頂いたお土産のお茶を自宅宛送る。

予定した日本坂トンネルが自転車通行禁止で、大崩海岸経由で行く。上りがきつく苦しい。車の通行量は思ったより少なく安全。そのまま「久能山いちご街道」脇の太平洋自転車道を東進。

18:30 清水着 新清水駅前のサンポートホテル泊(¥5250) 夕食はKさんが持たせてくれた手製のおむすび2個(しゃけ&梅)と竹の子煮物、7~11で購入した鶏唐揚と缶ビール2本。

携帯電話で自分のブログに旅行記を2発投稿して、22:30就寝。

(つづく)
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「遊び小屋」駐車場の擁壁が完成しました!

2008-05-28 | 遊び小屋DIY
先週の23日金曜日に次いで、三ヶ日の「遊び小屋」駐車場工事を棟梁のうーさんとやりました。地面を掘り下げて土を運び上げ床面を均して植木鉢を逆さに埋めこむ作業、そして擁壁用の枕木塗装を1月以来続けていましたが、10回目の今日の工事は最終工程の擁壁積上げでした。

幅210cm、長さ12m、高さ75cmの切削面に、長さが205~240cm幅も厚さもばらつきがある廃材になっていた古枕木を積上げていく作業だ。防腐のためにクレオソートやコールタールを何日もかけて塗り終えた様々なサイズの45本の枕木の中から、上手く擁壁に組上げられるように選出組み合わせするのにかなり手間取った。

何しろ二人で持ち上げるのにも往生するくらい重い枕木だ、気軽に現場あわせするわけにもいかない。最近はとんとやらない紙上計算をやりながら、枕木の山から適当な物を選出しながら組上げていった。朝10時から始めた作業は、地ならしが伴う一段目に手間取ってすぐ昼食になった。爽やかな風に吹かれて隠し持った?冷たい缶ビールもどきを一本! 「う~ん、皆が働いている時間に、なんともはや最高!」が二人の異口同音の第一声。

それぞれの手弁当、デザートの交換をしながらの昼食後は、脇目も振らずの積上げ作業だ。6時に鳴った有線の鐘の音を、5時と勘違いするほど一心不乱の作業だった。都合25本使った枕木が崩れないように「コ」の字型の金具を沢山打ち込んで、積んだ枕木の裏側に土を詰め込んで作業を終了した。今までの最長の、実質7時間の作業だった。

さあ、いよいよ来週からは「作業小屋」の建設作業に入るぞ!!
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ついにレッカー車の世話になってしまった

2008-05-27 | 日常
間もなく19歳になる老愛車パジェロは、故障がほとんど無くどちらかがくたばるまで乗り続けようと考えています。しかし一昨日雨の中をちょっと出かけて、家まで後1~2Kmくらいのところまで来た時に今まで経験したことがないことが起こり少々慌てました。

まず、バッテリーと水温の異常を示す赤いサインが点灯した。何事が起こったかわからなかったが、家が近いし車も引き続き動くのでそのまま運転を続けた。しかし、水温がどんどん上がってくる、ハンドルが重くなりブレーキも重く利きづらくなってきた。あと500m、300m、家までもって欲しい!という願いが通じて、やっとの思いでガレージに入れることが出来た。

ボンネットを開けたら、ファンベルト(Vベルト)が完璧に切れている。日曜なのでそれ以上騒がず、昨日月曜日になって普段点検整備をしてもらっている修理工場に電話した。JAFに入っていることを告げたら、「修理工場までは、JAFに運んでもらったほうが金がかからないですよ」と日ごろけちでうるさい客と知ってか、親切な?アドバイスがあった。

最近は一般損保の車両保険にも似たようなサービスがついていることがあってか、流石のJAF王国もうかうかしていられない。こんなにシステマチックになっているのかと思うほどテキパキした電話応対で、現場に来てくれたサービスマンも恐縮してしまうほど親切だ。

致命的な故障じゃなくてまずはほっとしたが、自分が救急車で運ばれたような気分にもなった。
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製材が始まっていたぞ

2008-05-26 | 遊び小屋DIY
早起きして愛知県東栄町の製材所に、ZYさんとの打合せに行って来ました。なんと既に製材が始まっていて、作業小屋建築用の初回納品分がまとまって鎮座していました。

「遊び小屋」建築は終了まで何年かかるかわからないが、何せ建築物は全くの素人なので、練習を兼ねて3坪の「作業小屋」を先に建てようと思っている。3坪なら建築確認は不要だし、後に台所やトイレやシャワー室などの水回りに転用できると考えた。従って納品希望は作業小屋用が5月、本小屋分が10月と来年3月の3回だった。今日の打合せでは、初回分が6月中旬になりそうだ。

いざ打合せが進むと、FAXと電話のやり取りだけではなかなかニュアンスが伝わっていないところがいくつかあった。またプロの目から見て、材木のサイズを変更した方がいいと指摘されたところも何箇所かあった。伐採・搬出費用として、第1回目の支払い請求もあった。

いよいよ「遊び小屋」の船出だ。もう岸壁には戻れんぞなもし。
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原風景を取り戻した佐久間町の家

2008-05-25 | 遊び小屋DIY
昨日の記事の続きですが、佐久間町の家の前から鬱蒼と茂る樹齢35年の杉の木が200数十本切り倒されて、前山の雄大な姿や空を見上げられる空間ができました。

かみさんの従姉IMさんが先祖の家を買い取ってくれたお陰で、縁がある木材が入手できて「遊び小屋」の材料にできる上に、これからもこの素晴らしい自然に溢れた景色を折りに触れて楽しむことができる。市町村合併でここも浜松市天竜区になってしまって、住所からの非日常体験の気持ちは薄れてしまったが、素晴らしいものは素晴らしい。

昨日も持参したおむすび弁当を食べながら、炉辺でIMさんがここで育った頃の思い出話がはずんだ。一緒に住んでいた亡き義母や伯父叔母をはじめ、我々の結婚式にも出席してくれた祖父母の思い出話も続々と出てきた。東栄町の地酒が少々入ったこともあるが、それもこれも古い残った家や、当時を彷彿とさせる景色のなせるわざだと妙に感心した。
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ああ、これが遊び小屋の材木か??

2008-05-24 | 遊び小屋DIY
製材所のZYさんの打合せを明後日控えて、かみさんの従姉のIMさんの誘いで、急遽今朝から佐久間町の「遊び小屋」木材調達場所に次男夫婦にも声をかけて行ってきました。35年前かみさんと一緒になると決心した頃に訪れた先祖の山の風景が一旦は失われていたのですが、今回の木材伐採でほぼ原風景を取り戻していて、感激が多かった3時間の滞在はあっという間に過ぎていきました。

古い家の庭先の木々が200数十本無くなって、前山を雄大に眺めることが出来るようになっていた。ということは上空に空いた空間からは、以前のように銀河宇宙が幾重にも重なっていることが手に取るように確認できるようになった、いうことだ。

伐出を終えて製材を待つ杉材の山が、近くの林道に野積みされていた。そうかこれが遊び小屋になるのか、と改めて感慨がこみ上げてきた。
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遊び小屋建設、いよいよ本スタートできるか?

2008-05-23 | 遊び小屋DIY
4月25日以来、今日はほぼ1ヶ月ぶりに遊び小屋建設関連の作業を棟梁のうーさんと、ゲスト?のかみさんと共にやりました。やり残していた枕木の防腐塗装と、駐車場床面への岳父が残した「植木鉢逆さ埋め込み」作業(本ブログ3月30日および4月23日記事参照)です。

古い枕木で防腐剤の吸収がとてもよいので、既に塗布したクレオソート9Lとコールタール18Lに加えて、今日コールタール18Lを買い足して作業に入った。かみさんは、自宅の庭で育てていた白梅とアーモンドを移植しようと、つるはしとスコップで地面と格闘している。

ちょっと喉の潤しが加わった昼食を挟んで、2時間足らずの作業で数回に渡って続けてきた45本の枕木塗装を全て終了した。重い枕木の移動も、回数を重ねるとコツを会得してスムーズに出来るようになった。かみさんはというと、おーっと自分のジョブをこなして木陰ですやすやと昼寝中だ。あくせくせず、それぞれが自分のペースでゆったりとやっていくのが、これから予想される長丁場の楽しみ方の必要条件だろう。

終了を4:30と想定して、続いて駐車場床面作業に入った。この一週間の大雨で一部がぬかるんで作業がしにくかったが、3人で好きな場所に大中小の植木鉢を逆さに埋め込んで、全体の半分は覆われた。腰や腕に心地よい疲労感が残って作業が終了した。

月曜日には佐久間町の木材を切り出して製材してくれている、愛知県東栄町の製材所ZYさんと納品の打合せをやる予定だ。遅れていた材料がいよいよ入ってくるぞ、待ったなしだぞなもし、棟梁!

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自転車旅行をした「理由」って何だろう?

2008-05-22 | チャリツアー
還暦を迎えて、どうして自転車旅行なんて苦しい旅をするのか? という趣旨の質問を旅中にも旅後にも度々受けました。その都度、改めて考えながら言葉をひねり出しながら答えていましたが、20歳の時に富山から東京まで400Kmを12日間野宿で徒歩旅行したことがあって、その時の旅行記を読み返してみると今回とほぼ似た動機だったことがわかりました。(写真は、40年前の「旅行記」です)

(旅行記前文からの抜粋)
ーーこの旅は大した計画をもって実行したわけではないし、日数とか距離にしてもある程度まとまった休暇をとることができる学生にとっては、ごくありふれたものであると思う。---最近ふと自分のことを考えて気付くことなのであるが、とりすました格調高いお店より「おじさん、勉強してよ」と気軽に言える店、BARより一寸あかじみたのれんのかかった飲み屋。旅行会社に仕立てられた有名なところを見て歩く旅より、裏道を気軽に歩ける旅。うまく言い表せないけど、泥臭さへの憧れというのか極度に洗練されたものへの反発というのか、常にそういった気分が僕を支配しているように思える。
この旅を実行することになった直接の動機も、便利な交通機関が発達してきたことに対する反発というより、誰もかれもが旅行は「より早く、より楽に、そして時には身分不相応に金をかけることが楽しい旅ができることだ」と錯覚している風潮に、一人で抵抗してやろうという気持ちになったというのが当たっている。ーーー
素朴なものへの憧れ、打算的な風潮に対する反発。「愛する」(エーリッヒ・フロム著「愛するということ」を読み終えて)ということのイメージ。全てこうしたことの、若い一時期の積極的な思考や行動を、一生大切に保持していきたいものだと思っている。---

と書いている。20歳から価値観が変わっていないのがいいのかどうか、旅行記をコピーして(当時は青焼き!)友人などに配っていたのは、今こうしてブログに投稿して親しい人に見てもらって「共感をもってもらいたい」という気持ちが当時からあったということだ。40年後に今回の自転車旅行を経験して、強いて言えば「チャレンジ」「達成感」などが動機に加わるだろうか。当時も今回も旅行中の素朴な景色や食べ物、そして親切にしてもらった人情に、同様にいたく感動していたのが共通点だ。

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何も大したことがなかった日Ⅱ

2008-05-21 | 日常
以前にも紹介したことがありますが、20年近いキャリアがある30坪位の狭いA畑と、3年目の広い120坪位のB畑を耕作しています。かみさんが花好きだという話は度々このブログでも書いていますが、B畑の道沿いにも花が育てられています(写真)。ムギセンノウはそろそろ終りに近く、今はカモミールのようなマーガレットのような花が全盛で、次に控えしコスモスも順調に育っています。

午前中は、昨日入手した古い木製建具や家具を「遊び小屋」に流用しようと、暫く自宅に保管するために片付けをやった。親戚の築50年近いお宅が近々取り壊されるというので頂いてきたが、昭和30年代の生活を再現したいと考えている「遊び小屋」のコンセプトにぴったり合っているので、何とかして活用できればいいなと思う。材木の調達に時間がかかっているので、建設にはまだ手が着いていないが入用になるまでの1~2年、限られた我家のスペースにキープしておくのはなかなか大変だ。

昼からは一昨日に次いで、オクラ、ゴーヤ、カボチャの種蒔きをやった。トマトやナスも順調に生育しているので、脇芽を整理したり伸びた茎を支柱に固定したりの作業をした。雑草は更に順調に逞しく育っているので、こまめに掻き取ることも毎回不可欠の作業になる。

夕方ウォーキングの帰途2度目のB畑に寄ったら、隣接する地主のMさんが作業をしていた。いつも何かしらの農作業情報交換をしたり、頂き物をする。今日は先日に続き「そらまめ」を頂いた。今の季節、ビールのつまみにはエクセレント級の絶品だ。乞われて、畑に勝手に生えてきた赤紫蘇の苗数十本を代わりに差し上げた。

日暮れて帰宅し、ほどよく疲れた身体に塩茹でそらまめをつまみにした冷たいビール(もどき)は、まっこと快く沁み渡った。




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亀もいれば鯉もいる「長池」とは

2008-05-20 | 日常
写真に撮るとどこかの観光地の城の掘割のように見えますが、これは家の近所の「長池」です。文字通り長細い池ですが、長い間単なる水溜りでゴミが捨てられていて、とても回りを散歩しようという場所ではありませんでした。

長池は1930年代に陸軍飛行第7連隊の基地が拡張された時に、基地から流出する水を溜める池として人工的に掘られた池のようだ。今でいう、宅地造成地の調整池のようなものだろうか。10年位前から市が金をかけて、「長池公園」事業として親水公園に整備された。もともとあった桜並木は立派に育ったし、池の北側には木製散策路ができて、250mx50m程度の小規模ながらなかなか味のある散策スポットになってきた。

昨夜の大雨で水かさが増して、水面を覆う「菱=ヒシ」が生き生きとして、人懐っこい大きな亀や鯉が悠々と泳いでいる。こんなに大きな生き物がいたんだと、改めて知った。市は政令指定都市の条件クリアのために、市民一人当たりの公園面積増大策としてこんな郊外にも金をかけて公園を作ったと思うが、周囲の市民も公園を誇りにして清掃や生物の保護に日ごろから手を掛けていると思う。

先週までの自転車旅行で幾つもの橋を渡り水辺を通ったが、水を覗き込むのが好きな私は、度々自転車を止めて水面を見下ろした。意外なところがきれいに整備され、魚や水鳥などの生物が豊富で疲れた旅人の目を楽しませてくれた。一方で、生物の影が全く見られないところもあった。多分、行政の政策と水辺を愛する住民がどれだけいるかで成立する景観なのだろう。

長池は、あまりにも近すぎて普段の散歩コースから外れていたが、これからは意識してコースに入れて折々の生物の姿を観察していこうと思った。

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違法の草花「アツミゲシ」は、うちにもあった

2008-05-19 | 日常
先日茨城県のフラワーフェスティバル会場で、何十万本かの「アツミゲシ」が咲いているのが見つかって問題になっていました。麻薬アヘンの材料になるとのことで、栽培が禁止されている草花です。それが我家の庭にも咲いて、あわてて昨日処分しました。(写真は、「アツミゲシ」Wikipediaより)

かみさんは草花や花木を育てるのが好きで、我家の広くもない庭は大半が頂いた種や苗から育てられたそれらで埋めつくされている。数週間前からウィスキーの廃樽で作ったプランターに、「オリエンタルポピー」の種としていただいたものが育って、美しい花が咲いていた。上記のニュースを新聞で見たかみさんに、「アツミゲシの花の写真を検索して調べて」と依頼されて、早速Wikipediaで調べたところどうやら間違いないようだ。市内ではちょっと名の知れたガーデナーから頂いた種だったので、何の疑いも無く育てていたらしいが、こういうミスもあるのだ。

今日は午後から雨の予報だったので、朝食後から昼まで農作業をやった。雨降り前は、各種の種蒔きの絶好のタイミングだ。夏大根、にんじん、チンゲンサイ、小松菜、サンチュ、ほうれん草、地這キュウリ、トウモロコシなどを畝を作りながら蒔いて行った。最近は変わった種類の野菜の種が流行っていて、ホームセンターなどの種売り場には200円位から500円以上の高価なものまで、何百種類のものが所狭しと売られている。

私は昨年から、百円ショップで売っている2袋百円のものを買うことが多い。医薬品でいう「ジェネリック」だと思うが、特許に縛られていない何の変哲もない昔からの種類のものが安く「適量」手に入る。種蒔きをした後は、育ってきたゴーヤのためにネット張りをしてやった。いよいよ夏野菜の季節がやってきた。
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同好の志士が祝ってくれた「無事帰還」

2008-05-18 | 地域交流・地域文化
時々何かと理由をつけては家族ぐるみで呑んだり食べたりするMTさん(golichan)は、北海道を室蘭から稚内までチャリで旅したことがある同好の志士でもあります。昨日急に「報告会」を兼ねて「無事帰還祝い」のBBQをやろうと持ちかけられて、二つ返事でOKしました。

午前中は、浜松男声合唱団の月に一回の休日練習に参加した。ゴールデンウィーク中は練習がなかったし、先週は自転車旅行でさぼったので、4週間ぶりに団のみんなと顔を合わせ歌った。団の皆と歌いたいという渇望があったが、男声合唱曲をベースパートだけで歌うほど間が抜けたことはないので、自転車旅行中は孤独にも青春時代のフォークなどを歌っていた。いざ待望の団の練習が始まるとなかなか一ヶ月のブランクというのは大きく、ただでさえこのところの早い練習展開にはなかなか追いつけずに往生した。久々に皆と歌えた満足感と、満足に歌えなかった生煮え感がない交ぜで、何とも形容しがたい気持ちになった。楽しみが苦痛に変わらないうちに、自習の復習が必要だね。

さて、約束の17:30に歩いて5~6分のgolichanちに行ってみると、庭の芝生はきれいに整備されBBQのコンロの炭火も熾されて、パーティーは直ぐにスタートできるように準備されていた。心尽くしのメニューは、なんとガーリックトーストのパンも大将が自ら手作りしたものだという。なかなかやるじゃん、golichan!!
もてなしの究極は、結局ゲストの顔を思い浮かべながらの手作りなんだろうね。5時間を超える交流は、自転車旅行の体験談、互いの同年代の息子達の家族のこと、自分たちの旅行計画のことなどなど、楽しくもあっという間に過ぎていった。

今度は近くてもいいから、互いに自転車で旅行しようやと言い合って、やっとお開きになったのだった。
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がに股歩きで早速農作業だ!

2008-05-16 | 農作DIY
無事帰還して気の緩みが出てきたのか、旅行中は膝にしか感じなかった筋肉痛があちこち出てきました。午後は早速畑に出て農作業をやりましたが、誰が見てもがに股歩きだったと思います。

昨晩は眠さが我慢できず10時半には眠ってしまったが、寝入り後すぐにライオンに襲われそうになった夢を見てわめいたらしく、かみさんに名前を呼ばれて目覚めた。旅行中は夢を見たことは無かったが、暫くぶりに使い慣れた布団と枕で寝たらこんな不思議な経験をした。

朝の寝起きはよかったが、身体中あちこち痛みが出ていた。ライオンに襲われたわけではなく、旅行中は緊張感で感じなかった膝以外の筋肉痛だ。起き上がっても、自然にがに股歩きになっている。かみさんにも笑われた。

朝食後ボーっとしていたら、浜北の農業師匠YKさんが「もう帰った頃かなと思ってーー」と言って寄ってくれた。夏野菜の手入れの指南を受けたり、情報交換をやった。本人はこの2ヶ月、兄弟家族の慶弔事が重なって気が抜けたのか、いつものような農作業に対する執着心が少々萎えているようだ。

そうだ、こういう時こそ10日間放ってあった畑の手入れをしようと、夏野菜の支柱を立てたり除草を4時間やった。日が暮れたときには痛みは少し和らぎ、普段の心地よい疲労感に変わっていた。
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