信濃大町エコノミスト村に拠点の山小屋があるお陰で、田舎がないMacchanは半世紀以上に亘って故郷のような気分で毎年数回は訪れる。リタイアしフリーになって介護を続け相続を受けた父母が亡くなって、訪問滞在頻度はさらに増えている。
村は会員制で人生の4分の3くらい通い続けていると、親友か親戚か判らなくなるほど親しい付き合いが何人もできる。滞在して毎晩飲むのも示し合わせて山登りや旅行をするのも、村の環境委員会と称するボランティア活動でさえ親しく楽しみな付き合いの一つだ。
今年は夏から天気が不順で猛烈な暑さが続き、超大型台風数発に日本列島を襲撃され一時はまともな美しい秋が訪れるのか疑わしく思われた。しかし自然は柔軟で強く、木々の個体ごとに1週間前後の違いはあるものの紅葉のシーズンがやってきた。エコノミスト村は標高約800m、山懐に抱かれ高瀬川渓谷や大町ダムが近くにあるおかげで同じ標高にある地域より早めに晩秋が訪れる。




今回は毎年春秋に実施している「環境委員会」の活動参加を兼ねて、最近村民との交流が増えたかみさんと共に「紅葉狩り」に出かけた。「猪狩り鹿狩り」と違って紅葉狩りは猟銃も猟犬も不要、ただ自然の美しさを愛でる眼と感性そして少しの健脚があれば十分。4泊5日の計画で到着した日は夕刻が迫っていたが、高瀬渓谷は到着を待ってくれていた。ああ「なんも言えね~」美しさ!


翌日からは2日半の「エコノミスト村環境委員会活動」、毎回テーマを決めて活動している今回は2万坪の村内の「電線や電話線に覆いかぶさる樹木の剪定」を総勢16名で行う。開村以来半世紀以上経過による森林の成長と、温暖化に伴って近年は雪の少ない村に1m近いどか雪が積もることもあり、四季を通じての安全快適な滞在に支障が生じ始めている。今回は高所作業車を借り自力で高所の手入れ。

疲れ果てても眼を見張るような鮮やかな紅葉が癒してくれる。四半世紀来紅葉が美しい木々の植樹と天然林の手入れが実って、市内屈指の紅葉名所になっているとか。作業後みなで温泉につかり夕食は割り勘懇親会で美酒を酌み交わし、平均年齢古希の「生きていて元気に活動できる」ことに単純に喜び乾杯を繰り返す。
活動中自炊が基本のある日の昼食、近隣のその名も「高瀬川」という食堂で穏やかな秋晴れの北葛岳と蓮華岳を眺めながら新蕎麦を求めて会食。いつもより3倍美味いわ。






解散後もかみさんと「大町山岳博物館」や重文山門のある「霊松寺」に、またまた紅葉を愛でてぶらぶら歩く。「ああ、生きていて幸せだ」の感動が持続する。
村は会員制で人生の4分の3くらい通い続けていると、親友か親戚か判らなくなるほど親しい付き合いが何人もできる。滞在して毎晩飲むのも示し合わせて山登りや旅行をするのも、村の環境委員会と称するボランティア活動でさえ親しく楽しみな付き合いの一つだ。
今年は夏から天気が不順で猛烈な暑さが続き、超大型台風数発に日本列島を襲撃され一時はまともな美しい秋が訪れるのか疑わしく思われた。しかし自然は柔軟で強く、木々の個体ごとに1週間前後の違いはあるものの紅葉のシーズンがやってきた。エコノミスト村は標高約800m、山懐に抱かれ高瀬川渓谷や大町ダムが近くにあるおかげで同じ標高にある地域より早めに晩秋が訪れる。




今回は毎年春秋に実施している「環境委員会」の活動参加を兼ねて、最近村民との交流が増えたかみさんと共に「紅葉狩り」に出かけた。「猪狩り鹿狩り」と違って紅葉狩りは猟銃も猟犬も不要、ただ自然の美しさを愛でる眼と感性そして少しの健脚があれば十分。4泊5日の計画で到着した日は夕刻が迫っていたが、高瀬渓谷は到着を待ってくれていた。ああ「なんも言えね~」美しさ!

翌日からは2日半の「エコノミスト村環境委員会活動」、毎回テーマを決めて活動している今回は2万坪の村内の「電線や電話線に覆いかぶさる樹木の剪定」を総勢16名で行う。開村以来半世紀以上経過による森林の成長と、温暖化に伴って近年は雪の少ない村に1m近いどか雪が積もることもあり、四季を通じての安全快適な滞在に支障が生じ始めている。今回は高所作業車を借り自力で高所の手入れ。
疲れ果てても眼を見張るような鮮やかな紅葉が癒してくれる。四半世紀来紅葉が美しい木々の植樹と天然林の手入れが実って、市内屈指の紅葉名所になっているとか。作業後みなで温泉につかり夕食は割り勘懇親会で美酒を酌み交わし、平均年齢古希の「生きていて元気に活動できる」ことに単純に喜び乾杯を繰り返す。
活動中自炊が基本のある日の昼食、近隣のその名も「高瀬川」という食堂で穏やかな秋晴れの北葛岳と蓮華岳を眺めながら新蕎麦を求めて会食。いつもより3倍美味いわ。





解散後もかみさんと「大町山岳博物館」や重文山門のある「霊松寺」に、またまた紅葉を愛でてぶらぶら歩く。「ああ、生きていて幸せだ」の感動が持続する。


築26年のMacchanちは、10数年が耐用と思われる風呂やレンジのガス器具および電気器具の寿命がきてその都度交換を行ってきた。昨年は壁面と屋根の塗装をやり直してさっぱりしたが、これから多くの器具が2度目の周期に入るだろうと覚悟していた矢先居間のライトが暗くなってきたのをきっかけにまたDIYで器具ごと交換した。
ライトは前回は新型のスリム蛍光灯タイプに器具ごと交換したが、今回は改良も普及もしないスリム型蛍光灯の取替えをあきらめ、最近は消費電力がエコで器具も安くなったLEDライトに更新することにした。電化製品量販店やホームセンターで研究し、この数年の購買傾向どおり気に入った同型の器具をネット販売で購入した。
今回は12畳以上対応の「居間シーリングライト」を数社検討比較し、結局アイリスに決定しPCネットで「ポチ」し早くも翌日には到着した。早速箱から取り出し、現物を確認して商品説明書と取り付け説明書を精読する。現物を見てび~っくり、電球型LEDは白熱電球とほぼ同じ姿だったが、最近のLED蛍光灯タイプは従来型と形状が異なり、車のテールランプと同様小さな粒状のライトをたくさん使って明るさを確保しているようだ。
明るさの無段階調整、白昼色と電球色も切り替えられるようにそれぞれの役割を果たす粒ライトが混合状態になっている。既設のソケット別に取り付け説明があり、取り付け後の夜間留守用タイマーなど様々な用途別に丁寧に説明している。ああ、ライトレベルでもここまで研究開発が進んでいるのか!
数年来の度重なる台風襲来で部品が吹き飛ばされ、次第に無残な姿に変わり果てようとしていた。修理ができず命を永らえないなら、受け継いだ者たちで昔ながらの荼毘(火葬)に付そうと考えたのだった。

当日集ったのはうーさん・ふくちゃん・まっちゃんの3名、焚き火が好きななべちゃんは残念ながら参加しなかったが古いものを大切にする精神が最も強いうーさんが「葬儀委員長」になって荼毘を始めた。細い骨組みと薄い板で精巧に作られた古の機械はあっという間に解体され、お馴染みの古いかまどに次々くべられた。

その昔は一台製作するのに恐らく何日もかかっていたに違いなく、解体始めも着火時も燃え尽きた時も誰と言うことなく合掌した。それくらい気合が入った農作の道具機械だった。燃え尽きた後は火消しつぼ一杯の消し炭と金属製の回転歯車だけがポツンと残った。
初日は無事5名が集ったことを喜び合い、早速手近な「奈良公園」と「春日大社」をぶらぶら歩く。さすがに世界遺産になった古都は、行き交う多くの人々の半分は諸外国からと思える観光客。立ち木の根っこさえも古都の年代を感じる。
名物の鹿たちは、行儀のいいのもいれば強引なのもいる。義姉は手提げバッグに顔をつっこまれ、4~5枚のパンフレットを奪われて食われてしまった。呆気にとられて見守るだけで助けもせず証拠写真もなし。


春日大社は30数年前に従弟の結婚式に父と参列して以来の再訪、朱塗りの鳥居や本殿と立ち並ぶ古い灯篭は懐かしく想い出したが、今回は「なかなかいいな」と感じるのは老人力のせいかも知れないね。

翌日はレンタカーを借りて、初の「吉野山」ぶらぶら歩き。千本桜や紅葉狩りの名所だが、紅葉にはまだ少々早くテレビニュースで見慣れた「大賑わい」には程遠い適度な空き方。


高所から見下ろす絶景を楽しみ、昭和天皇や文豪も滞在された味のある集落の佇まいを味わい、嬉しそうに祭り支度に勤しむ人々を横目にこだわりがありそうな店を選んでランチ。
地元の食材だけでこしらえたメニューに舌鼓を打ち、品の良い器に感心しながらゆっくり時間をかけて味わった。
そして桜井市の名刹長谷寺に立ち寄る。最もファンが多い京都に比べると奈良ファンは少ないと思うが、Macchanは「地味だが味わい深い」と感じる。ここも例外ではない。十一面観世音菩薩立像を仰ぎ見て一周し、巨大な足を撫でながら願い事をすれば叶うなど、難解な経典より信者に解りやすさを訴えた真言宗らしさがうかがえる。


さらに「地味な味わい」を求めて夕刻迫る女人高野「室生寺」へ。ここも30年ぶりかな? 特徴がある屋根付きの長い石段「登り廊」を上り、崖に建つ寺らしい舞台のような見晴らし台からは観光ポスターでよく見かけるアングルで五重塔がーー。
古寺仏閣の建物はどんなに大きくとも柱を地中に埋め込まず、基礎は置石の上に乗っているだけの構造だ。ここの五重塔も例外ではなく、驚くことにわずか二間(3.6m)四方ほどの本体に高く大きく広げる5重の屋根をも千年以上も支え続けている。この驚きが伴う不思議さも、宗教にとっては不可欠の「有難さ」につながっていたに違いない。
紅葉はいまいちだったが、夕食は秋の情緒と味わいたっぷりの和食を選択。日本・大和いいですね。





三日目は「中金堂再建披露」で賑わう「興福寺」などの大混雑を避け、好天に恵まれたこともあって大阪との県境「金剛山地」へハイキングへ行こうと決定。ロープウェーの力も借りて、葛城山頂から和歌山や大阪や兵庫まで一望できる雄大な絶景を堪能する。
登山口の町名は歴史のある奈良らしい、詠み人知らずじゃない読み方知らずの地名多し。吉野山と同様、紅葉狩りにはまだ早かったが眺望には天気に勝る調味料なし。いや~よかったよかった。
帰途世界的な発見発掘の興奮のほとぼりが少し冷めた、「キトラ古墳」壁画を見に明日香村へ。運よく第9回目の公開最終日に巡り合い、並んで10分間の実物見学をすることができた。奈良にはまだまだ発掘されていない古墳も多く、1500年以上に及ぶロマンあふれる人類文化の興味は尽きない。
ゆっくりのんびりのつもりがついつい欲張ってあちこち巡り歩き、新幹線で帰る千葉からやってきた3人と別れた後浜松組みは近鉄特急名古屋経由で名物「柿の葉鮨」を味わいながら2泊3日の旅を愛おしく振り返ったのだった。
シートは鹿がモチーフ??考え過ぎやでMacchan!


一旦ボロボロになった居間前のグリーンカーテンの西洋アサガオやアーマンディーもご覧のとおり。
ボロボロの筆頭フジウツギさまもノーゼンカズラさまも、どっこい息を吹き返しておじゃる。



その他何度聞いても忘れてしまう花々も緑も元気いっぱい!と感心していたら、上野公園や目黒川の名物桜がちらほら狂い咲いているとのTVニュース。うちの近所の満州道路沿いのソメイヨシノも十月桜と並んで競演していると聞いた。やっぱりひ弱い現代人より何倍もたくましく生きているわ。時ならぬ他動的エンターテイメントに疲れて、来春の自動的発芽や開花をお忘れになりませんよう、心からお祈り申し上げまする。

今でもまだ頻繁にゴルフプレーを続け、入れ込んでいるSちゃんに4時半にたたき起こされ早々の朝食後一路軽井沢へ。早起きした甲斐があって(ここはたとえ甲斐がなくても「甲斐路」やしーー)、季節や天気の影響もあるのかこの世のものとは思えないほど美しい八ヶ岳連峰や甲斐駒ケ岳が迎えてくれました。お金は拾いませんでしたが、早起きは三文の得とは祖先の人々はよく言ったものです。
中軽井沢の山荘に集ったのはオーナーのOSちゃんを始め、ゴルフ組みと観光組みの合わせて6名の仲間たち、
もうリタイアして11年のMacchan筆頭のリタイア組み、重宝されてまだ仕事を続ける者そして世襲を含めて会社を経営する者などスペックはいろいろです。調理をさせればプロはだし、片付けや洗い物や掃除をさせれば普段の家事能力を存分に発揮するものなど、この辺のスペックもさまざまで楽しさ満載です。早朝からまたゴルフに出かける仲間に合わせて(いや老人力で寝ていられなくなって?)朝食から昨晩の続きの会話が弾みます。

残り4名で佐久・上田方面に4人で観光に出かけました。OSちゃんの企画で、マイナーながらも十分企画者のこだわりやセンスが感じられる目的地。先ずは隣町の「佐久ぴんころ地蔵尊」、実感はまだありませんが古希が平均の団塊世代仲間はそろそろこういうことを心から願う年代になりました。
そして「龍岡城五稜郭」へ、不勉強ながら星型の五稜郭は函館の専売特許だと思い込んでいましたが、日本には2つ存在したこととルーツはヨーロッパで各国各地にいくつも存在していることを初めて知りました。
そして郷土が誇る彫刻家「佐久川村吾蔵記念館」へ。一世紀以上前に渡米して肖像彫刻を学び米国日本の歴史的有名人などの彫像を数多く手がけ、名品を残して戦後亡くなった隠れた美術家。信州は多くの文学家・美術家を輩出しているが、知名度は低いながらも生き方は信州人らしいなかなかの気骨がある人と感心しました。
白眉は上田の「戦没画学生慰霊美術館の無言館」と付設の「傷ついた画布のドーム」、全く知らない存在だったが20~30歳で徴兵され多くが激戦地で若き命を絶った画家たちが遺品と作品に囲まれて紹介されている稀有な美術館。
さまざまな感銘を受け中庭に出ると、中秋の木漏れ日に包まれたなんとも言えないいい雰囲気の空間。絶妙な色彩の拾い集めた病葉(わくらば)を前に、柄にもなく観賞後は感傷に浸ってしまいました。
上田別所温泉「あいそめの湯」で温まった後、その日の夕食材は最近信濃路で商圏を急激に広げているスーパー「TURUYA」で名物信州牛などを仕入れて、少し贅沢なすき焼き風炒め物をシェフ担当のIAちゃんが見事に作り上げ信州銘酒やイタリアのグラッパ古酒で堪能しました。
そしてその日偶然71歳を迎えたMacchanに誕生祝いケーキのサプライズ、何歳になっても無邪気なうれしさが顔に出てますね。こうして温かく充実した軽井沢2泊目の、冷気に包まれた秋の夜は更けていきました。

今回は年少組み孫7号Oの運動会、1号K4号Tもお世話になった幼稚園で爺婆も慣れ親しんだイベントだ。4号Tの時から爺婆はテント下の特別席に座して観覧できる特典をいただき、有難いやら何やらうれし涙がちょちょぎれますわ(エンタツ、アチャコかいな?)。毎回感じること、この種のイベントは準備から運営片付けまで、先生方や父母会が一番大変。1等2等勝敗に関係なく均等に「がんばったで賞金メダル」がもらえる園児たちは、ぴょんぴょん飛び跳ねて大喜びだけどね。どんなシーンを見ても目が潤む爺婆も喜び組み。
別の日には、ものすごく広い浦安総合公園のぶらぶら歩き。遠く房総半島や千葉市幕張方面が見渡せる海浜公園だ。
元々埋立地だから海に面しているのはわかるが、大納税企業ディズニーの効果かサッカー場やデーキャンプ場や特大芝生広場などの設備も景色も一流だ。公園から眺める景色も絶景だが裏側の町並みも電信柱がなくアメリカの砂漠に突如出現したニュータウンのようだ。大地震による津波や液状化現象の爆弾を常に抱えているが、人ごとと思えば単純に楽しめる。

孫4号7号と各種のドングリを拾ったり、孫1号Kが所属するサッカークラブの他流練習試合を応援したり。サッカー応援は1年ぶりだが、小4にもなると動きも技術も格段の進歩が見てとれる。コーチで声をからしている三男Eも、同じく小学生以来の趣味や経験を生かし仕事の激務をかいくぐりながらよ~やっとるわ。

そして合間には今回の爺の最大?目的の、新居の表札取り付け&室内干し用ハンガーの取り付けをシコシコ行う。物珍しいシーンに「わたしにもやらせて~」の嬉しい

三田「丘の上」に1時間近く早く到着し、キャンパス内の古い建物などをぶらぶら見て歩く。「演説館」は国の重要文化財なんだね、知らなかったね。当日は大学ゼミ「O研究会(財政学)」のOB会、毎年この時期開催されMacchanはこのところ孫の運動会などとうまくタイミングが合いお陰で毎年出席できている。
以前は学生食堂の一角で開催されていたが、最近は今回の会場の「Faculty Club」の様にそれらしい食事やパーティーができる特別な施設が完備している。

O先生は昨年米寿を迎え80歳を過ぎてからも勉学意欲はますます盛んで、毎年開催されるOB会の出席者(50~70名くらい)はほとんど覚えていて、2時間の立食パーティー中食事をする間がないくらい教え子に取り囲まれて立ちっぱなしで話をされる。知的好奇心はもとより、教え子たちもびっくりの体力、まさに怪物だ。
参加者は70人いても、教わった者たち同士は前後1年くらいしか交流がないので、それぞれ5~10人と話ができる程度。しかし勉強はともかく議論好きが共通のスペック、普段のネット交流も含めて政治・経済・時事世情について話は尽きない。
4時新宿駅南口集合に30分余裕をみて、40年以上前東京営業所勤務の時に通った徒歩数分の事務所ビルが今どうなっているか見に行った。ふんふん「ルミネ」はそのまんまだね、これが「新宿バスタ」か! あら~、でかいビジネスホテルが建っておる。ここだと思えるビルはテナントはほとんど替わったか、建て替わったよくわからないほどイメチェン。結局懐かしさはほとんど感じないまま。
最近は安いチェーン店の飲み屋の枝豆が軒並み美味くなった、豆4連は自作畑でもできまへん。
2軒目ということもあるが「金麦」大ジョッキ3杯ずつ、焼き鳥ほかぎょうさん食って3時間@2千円以下。爺連は「また会おう」と握手握手で2人ずつに分かれ、小田急線と東西線経由の千葉方面の乗客になった。翌日のメール確認では乗り過ごした組みもあったようだが、どうやら家族問題までには発展せず次回もまた「ハーゲンクラブ」定例会は無事開催できそうだ。よかったよかった。


浜松では半世紀以上前の伊勢湾台風とコースが似ていたらしく、台風中心からやや右側が通過したので雨もさることながら猛烈な風が吹いた。屋根や看板が飛んだり工事の足場が崩れたりした例はMacchanちの近所でも見られたが、最も被害を受けたのは風道になった農業用ハウスで、1000万円以上投資したと思えるプロ農家の大きなビニールハウスは鉄骨がグニャリと曲がりビニールが大破した。

昨日朝雨戸を開けて家屋と庭の被害状況をチェックしたあと、Macchanは自分の「畑」と「遊び小屋」が心配で見回りに行った。畑の農作小屋が少し傾きこれから育つ大根や白菜が塩害で?しょんぼり程度で済んだが、隣接している4年前脱サラして農家になった方の大きなビニールハウスが使い物にならないと思えるほどの大被害を受けていた(数百万円?)。
DIY建築の「遊び小屋」は、大きな南京はぜの太い枝が折れて落下していただけで被害はゼロ。なべちゃん設計&監督の小屋ですからね改めて感謝。しかし往復の道路は各所で交通信号が停電で渋滞、1箇所を除いて警察官の交通整理もなし。久々に緊張して運転した。


