団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

母はどっこい生きています

2016-12-30 | 母の介護
母が昨年夏に特養にお世話になって以来、怪我をしたり認知症状が進んだことを月1回位の割合で近況を報告してきた。エアコンに管理された施設は我が家よりよほど快適だと思えるが、夏の暑さに参ったのか母は秋の初めには眠りこけることが多く食欲も口を開かず飲み込まずの最悪の状態になって、年内まで生きられるかどうかと覚悟した。

しかしお世話になっている施設のいいところは、看護介護介助に携わっているそれぞれの担当責任者が決まっていて、しかるべき責任者に相談をもちかけるとプロの立場から真剣に対応を考えてくれることだ。Macchanは家が至近距離のこともあって昼食を中心にかみさんと毎日のように介助に行って状況を把握していたので、素人ながら父の介護の時から15~6年以上の経験を踏まえてあれこれと相談を持ちかけた。

保護者としての要望に呼応してくれて、スローながら母の症状に対する試行錯誤が始まった。一番のポイントは食事(栄養摂取)内容だった。早くから半量の刻み食と補助栄養食に切り替えたいという施設側の意見と、時間がかかってもいいから介助しながら自主的に咀嚼し飲み込める機能を維持させたいという当方の希望との食い違いが目立った。

しかし家族が面倒をみられる一日一食に1時間半かけて完食出来ても、基本的に10人の入居者を一人の介護士が面倒をみる体制なので毎食手厚い介助を期待するのは難しい。1~2ヶ月の試行錯誤を経ても体重増に結びつかなかったので、その後のスタッフの意見を入れて消化のよいミキサー食と補助栄養食に切り替えた結果著しい改善があった。

母は体力を快復し食欲も増して、自分でスプーンを持って口に運ぶまで機能が回復した。父の時からの経験では「認知症状」は小波を繰り返しながら大きなトレンドでは悪化する一方だと思い込んでいたが、一度無くした機能はある日突然隠された引き出しから飛び出てくるように再出現することがあると気がついた。双方意見交換型の施設にお世話になったお陰で、実現できたと感謝している。

茶碗の固めのおかゆに誤嚥を防ぐためにとろみをつけたミキサー食を載せて食べさせているが、食欲の本能が勝ってスプーンを忘れて茶碗から直接全てを飲み干そうとする行動に出ることが多い。しかしゆったりした気持ちで介助すると、お陰さまで3~40分で完食できる状態が続いている。何とか今年は生き延び、2月の建国記念日に92歳に到達できる可能性が増した。ありがたいことだ。
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2016年末の燻製作り

2016-12-28 | 料理DIY
レパートリーは少ないものの、自分で工夫しながら料理をあれこれ作るのが好きだ。今はクックパッドなどの様々なレシピ検索が簡単にできるし、調味料や材料もメーカーが工夫してあれこれ出しているので、自己満足にこだわらなければ料理は簡単に誰でもできる時代になった。

でも四半世紀前に仕事で関わりがあったリゾートホテルの料理長や、大町エコノミスト村の先輩から手ほどきを受けた「燻製作り」は別だ。材料から調味料や工程に至るまでこだわろうと思えばなんぼでもできること、天気や温度湿度の変化で微妙な対応策が必要なことなど、「15分で晩ご飯」みたいに手軽にできないことがかえって楽しい。

今年も師走に入ってから豚肉を10Kg仕込んで調味してから2週間寝かせ、一週間前には新巻鮭を10本仕入れて三枚に下ろして仕込みを終えた。それからいつもの通り脱塩と風乾と燻煙さらに風乾を繰り返しながら今最後の風乾をしているところ。この一週間は気温が比較的高く雨も降って、燻製作りには条件が悪かったので扇風機を何日もかけっぱなしにした。やっと昨晩から冷たい乾いた風が吹いてきたので、燻製部屋の窓を全開にして最後の仕上げをしている。

工程が長い燻製作りはハプニングも多いが、自分なりに対策を工夫しながら進められるところが自分に向いているなと思う。その間差し上げる人々の顔を思い浮かべ、この一年交流した内容を反芻するのも楽しみの一つ。毎年異なる能書きを書き添え、小包にする手間隙もなかなかいい。毎日2階の燻製部屋(元子供部屋)を何十回も往復するのも、コストいらずのよい健康法になっていてこれもありがたい。
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クリスマスコンサートと忘年会

2016-12-25 | 男声合唱(合唱)
キリスト教会でのクリスマスコンサートではなく、Macchanが所属する浜松男声合唱団は昨日のクリスマスイヴに日頃から交流がある「コール丘」主催のクリスマスコンサートに賛助出演をした。

Yume・Hiro Hall (夢・汎ホール)という音楽愛好家の一般市民が一等地の住宅敷地内にしつらえた、80人のこぢんまりしたなかなか雰囲気のある会場でのミニコンサート。クリスマスの当日にもかかわらず、両団員と家族友人知人を合わせて、会場は満員の盛況だった。出演は「コール丘」の指導者松木弘子さんの傘寿を祝う、両団員と友人や家族の音楽家たち。クリスマスにふさわしい美しい名曲の数々が歌や楽器で演奏され、コンサート終了後ロビーで開かれたティーパーティも含めて会場全体がリラックッスしたいい雰囲気に包まれた。

松木先生は還暦から住居周辺の愛好家を集めて始めたという合唱指導を20年間、自分も楽しみながら合唱未経験者が多かった団員のレベルアップに成功された。自らも歌いフルートを演奏し、指導にも年齢を感じさせない若々しさがある。情熱をもって趣味の音楽や指導に打ち込む生き生きとした姿は、後に続く我々熟年音楽愛好者の立派な鑑、いつまでも元気なお手本であってほしい。

わが団からは指揮者のWさんと両団共通ピアニストのHさんと団員16名が参加、再来年の独自演奏会用に練習している中から*伊藤整作詞、多田武彦作曲男声合唱組曲「雪明りの路」から「春を待つ」「月夜を歩く」の2曲と*男声合唱のための酒の歌「アルコール名曲集」より 長渕剛作詞・作曲(源田俊一郎編曲)「乾杯」をワンステージにしてお祝いした。

コンサート出演後は街に繰り出し、本年最後を締めくくる団の「忘年会」だ。会場はいつものバイキングスタイルのホテルレストランではなく、団員のKさんが家族ぐるみで付き合いのある開店したばかりの沖縄料理店で、いつもの各酒類に名物泡盛4種を加えた酒飲みの多い団員にとってうれしい宴会。コンサートに仕事で出られなかった団員やOBと家族も加えた22名が集い、貸切の店内は最終バスが出るまで歌ったり楽しい1年を振り返ってのしゃべくりでわいがやを心ゆくまで楽しんだ。

それにしても今年はたくさんの演奏会に出演した。4月の浜松男声合唱団演奏会、6月の遠州婦人合唱祭客演、9月には湖西市合唱の祭典客演とコールあおいコンサート賛助出演が続き、10月は毎年参加している浜松市民合唱祭、そしてコール丘クリスマスコンサート賛助出演で締めくくった。

来年も1月豊橋ふんけんクラブが主催する「三遠南信100人の大男声合唱」と7月の静岡県内の男声合唱4団体とステージを共にする。練習や準備が大変だが、楽しく大いにやりがいがある。
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洗濯機のパン作り

2016-12-22 | 修理・工作DIY
この記事は「自家製パン焼き」と関係ありましぇ~ん、うちの洗濯機ではパンは焼けましぇ~ん。

「遊び小屋」の建築DIYの過程で、最初に練習で建てた3坪の物置を「水周り小屋」に改装した。昭和40年代の二槽式洗濯機をエコノミスト村民から貰い受けて、端材で受け皿(パン)を作って現在重宝している。今回隣家のIさんが引っ越して、少し大きな冷蔵庫と洗濯機を貰い受けた。(またまた貰い物かよ!)

最初のコンセプトも大事だが、大勢寝泊りして楽しむ時は小型のものでは間に合わないことを痛感していた。それまで使っていた2つの小型冷蔵庫の一つは処分し、もう一つは我が家の年3回くらい人口が溢れる時の補助用にキープした。二層式洗濯機は使い方次第で洗剤や水の節約になる人間くさい機械で気に入っているが、何せ容量が2.5Kgと小さく大量のシーツや毛布の洗濯には手間隙がかかりすぎるのが難点だった。

そこで5.5Kg洗える全自動の洗濯機に替え、二層式は捨てずに(ここがいいでしょ?)テラスに置いて庭作業後の泥汚れ洗濯物専用にすることにした。そこで新たに洗濯機受けのパンを新調することにした。ホームセンターでトラップ付のプラスティック製は5千円以上し、昭和30年前後の暮らし再現には似合わない。(それを言うなら全自動洗濯機そのものはどうなのよ!)

ということで自己矛盾は重々承知しながら、せめてパンだけはダサい自作物で二層式の物に合わせることにしたのだった。前回のように端材で組み立てたパンの内側にカラー鉄板の余材で裏打ちすることなく、今回は購入した2x4SPF材と最後の壁板用廃材を使用した。暫くぶりの工作DIYで、今年最後の「遊び小屋」デーにも拘らず一人入れ込むMacchan。

採寸を繰り返し、丸鋸とインパクトドライバーで2時間余で完成させた。余った鉄板は既に在庫がないので、防水は塗装とコーキングだけで済ます予定。ちょっと手抜きな工作だったけど、楽しかったな。材料費はわずか¥1500だった。
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一足先にクリスマス・正月の装い

2016-12-20 | 「遊び小屋」を遊ぶ
師走に入って既にあっという間の3週間、もう仲間の元教師でさえ走っていないというのに。TVのコマーシャルや、町の装いは既に早々とクリスマスと正月に変わってしまった。

世の中のせわしさと無縁に過ごしたい「遊び小屋」も、暮れは少しずつその変化の影響を受けつつある。かみさんが破れの目立つ障子を張替え、小破の部分には桜花の切り紙を張ってくれた。数十年前までは今頃の季節、各家々は競うように畳や襖・障子を張替え、大掃除に精を出していたものだ。

そしてOB釣り会の先輩Iさんが畑で育てている葉牡丹、今年も早く取りにおいでと声をかけてくれて数十株頂いてきた。自宅と小屋の玄関先に半分ずつ植え付け、暮れだといっても改めて大掃除をしないMacchanちだが入り口だけはそれらしい雰囲気になってきた。

小屋庭に育つ実生30年物の3本の南京はぜが大木になり、今年はたくさん実をつけ連日ヒヨやカラスがついばんでいる。赤黄緑の3色紅葉を楽しんできた葉もほとんど落ちて、白い実が目立ってなんとなくクリスマスを感じるシルエットになった。

見上げるMacchan、勢いよく上に伸びる枝は年明け早々2年ぶりに大剪定する計画だ。来年は古希を迎えるし高所恐怖症なので、先行きを考えて3~4mに丈を詰めようかと考えている。

よく考えたらタイトルの「一足先に」はあくまでも家の中の話、この部分だけはやっと世間様に少し遅れてそれらしくなりましたというお粗末な報告でした。
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地区OB会釣り同好会総会2016

2016-12-17 | 地域交流・地域文化
昨年の同月「地区OB会釣り同好会総会2015」というタイトルで記事を投稿しているので、代わり映えはしないけど許してね。

今週半ば37年在籍していたY社の、本社地区OB会の「釣り同好会総会2016」が開催された。入会以来9年経過、初心者の域を未だに脱していないが3年前におだてられて会長という名の「何でも世話役」を仰せつかった。タッグを組んで会の運営をしている相棒のMさんは、娘さんの急病で欠席。年総会(という名の懇親会)の準備はかみさんの手を借りて、一週間前から近所のスーパーで買出しや弁当の予約から始まった。安くて楽しい会を目指すので、会場もいつもの無料の地域老人福祉施設だ。

この釣り同好会、年間3回程度の釣行を目標にしているけど、メンバーの希望釣り種目が余りにも多彩でなかなか計画がまとまらないのが悩みの種。結果的にこの数年は、活動の安全とまとまりを考えて初心者も楽しめる「浜名湖のハゼ」と「天竜のニジマス」に落ち着いている。

ということで今年度の第一回目の活動は、「浜名湖のハゼ」を10月5日に釣行した。細江「姫様道中」のイベント主会場になる都田川の川原に集まって餌の青蛇虫と最新情報の釣れてるポイント地図を受け取って、釣り糸を垂れた。参加した10名のメンバーは、「釣れねえなあ」と言いながらも、10~40匹の釣果があり「これぐらいが捌いて天ぷらや唐揚げにするのに丁度いいんだよね」と満足なのか負け惜しみなのかよくわからないコメントを残して散会。

そして年一回の懇親会を兼ねた総会を竜西荘にて開催。ここは釣りと違って会員の総意がまとまって出席率が高く、14名が集って釣りや人生談義で毎年と同様4時間大いに盛り上がった。釣りはどんな種目であれ、情報収集と仕掛けや餌などの創意工夫が大切だと初心者のMacchanも思うが、集うメンバーの各種釣りに関する能書きだけではなく世情や人生全般に及ぶ薀蓄に毎回感心させられる。いいメンバーが集ったものだ。今年度最後は3月22日に、船明ダム下の米沢池にて恒例の「ニジマス釣り」を楽しむ予定。

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大江戸「城北」ぶらぶら歩き

2016-12-15 | 旅行
今回の首都圏3日間の旅の最終日は、昨日の「小江戸川越」に続いて「大江戸城北」のぶらぶら歩き。

Macchanは転勤族だった父の大阪から東京への異動で、小学校入学の前年昭和28年に城南の渋谷区代々木西原に引っ越してきた。以来社宅の変更で港区赤坂や目黒区宮前町(現八雲)に転居し18年過ごしたが、城南が主で城北城東方面は認識の疎い地域だった。

今回は意識の空白の一部を埋めよう?と、何度も「行ってみよう」と思っていた城北方面の名所を訪れた。

【六義(りくぎ)園】 都営庭園

山手線駒込駅から徒歩5分の住宅街の中にある、都営の名園。かねてから花の時期に行くと素晴らしいよと聞いていたが、紅葉の時期も終わりに近く夜間のライトアップ期間が終了してしまった直後に訪問した。
それでも一部がまだ赤や黄色の葉を落とさず、Macchan夫婦を待ち受けてくれた。
「おおっと雪国でもない東京で雪吊りかよ」と一瞬びびったが、公園の冬の景観をよくするための仕掛けらしい。
樹齢数百年以上と思われる銀杏や楠木の巨木のおかげで、周辺に建ち並ぶマンション群や町の喧騒が遮蔽され暫しの静寂を堪能できる。

【旧古河邸庭園】 都営庭園

同じ駒込駅から反対側に徒歩10分の北区の住宅街にある。六義園に比べると庭園の一般的な評価はいまいちの感があるが、今はシーズンオフながらしっかり手入れされた庭のバラ園と大正時代の大きな石造りの洋館がシンボルのようだ。
旧所有者の古河家の趣味と思える、質素ではあるが力強い大型の石灯篭や石塔が目をひく。

【巣鴨地蔵通り商店街】

駒込駅から池袋寄りに一つ目の巣鴨駅前。今やテレビで見ない日がないくらいたくさん取り上げられている、元気なおばあちゃん向けの商店街。
刺抜き地蔵を祭った寺を中心に庶民的な商店が軒を並べ、最近増えたらしい若者向けにアレンジされた名物「赤パンツ」専門の店も。Macchanは気が小さいので、赤パンにはカメラを向けられず写真はなし。
ちょうど昼時を迎え、大勢が並んでいる名物食堂でエビやアジの山盛りフライ定食を食べた。安くてボリュームがある上に味もよく、満腹になって上野から乗車した帰りの普通電車は浜松まで4時間余りよく眠れた。

JR普通電車で東京・上野や大宮は、浜松からは熱海乗換え一回で往復できる。首都圏では昔の貨物列車専用線路を利用した、直通電車の充実がすごいぞえ。人口の首都圏集中は留まるところを知らないが、輸送力が大幅に増強されMacchanの青春時代の凄まじいラッシュアワーが大幅に緩和されたように見える。

一方通勤通学の乗客の多くは眠っているか、無言で取り付かれたようにスマホに向かい疲れ切っているようにも見える。観光や友達に会いに時々出かけるのは快適で楽しいが、もう住みたいとは思わないな。まあ、もし望まれても無理だけどーー。いやあ、それにしてもいい旅だった!
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小江戸「川越」ぶらぶら歩き

2016-12-14 | 旅行
3日間の旅の拠点になる宿泊は、今回は西川口駅近くのウィークリーマンションのワンルームを連泊で借りた。都内区部や大宮などの大都市、人気のある歴史の町川越はビジネスホテルが不足しているのか割高で、その昔キューポラの町として吉永小百合さん主演映画で有名になった工場の町を選んだ。しかし今や昔、駅前は再開発されてキューポラのキュの字も見当たらず、交通至便なベッドタウンになっていて隔世の感を抱いた。

2日目の目的は小江戸(こえど)と呼ばれる歴史の街川越を探索すること、そしてHさんの女声合唱の聴衆になること。昨日に続きHちゃんの運転するワゴン車に大宮駅前まで出迎えてもらって、Kちゃんを入れた4名で期待以上に近くはっきり見える秩父の山々と富士山を眺めながら川越の街を目指す。

先ずは徳川家ゆかりの喜多院へ、江戸時代に多かった大火を2回もくぐって復興され、よく手入れされた美しい庭と共に遺産として大切に保護されている。車を駐車場に置いたまま徒歩で川越の町を散策することに。
いや~あるある古い建築物のまま手入れされて営業を続ける店舗、中山道の宿場町や伊勢のおかげ横丁など復古調に建設された街は今では珍しくないが、ここは多くの店が古いものを使い続けていることでより価値がある。

どこを見ても絵になる家々、昔懐かしい売り物の数々も加えて爺婆はもちろん若い人々の心もしっかりキャッチしているようだ。今や全国的に有名になって雑誌にも数々登場しているので、敢えて説明はなしでMacchanの気に入ったスナップ写真を見てもらおっと。ちょっと多くなったけど勘弁ね。

名物のうどんで腹をいっぱいにして、午後はY女声合唱団が演奏するウェスタ川越の大ホールへ。Macchanの合唱団もオルガンをバックに歌ったことがある、Rheinberger作曲のミサ曲からステージは始まった。プロの弦楽五重奏にフルート・パーカッション・電子オルガンを加えた豪華なバック。少々緊張気味だがヴォイストレーニングを積んでいるらしく、巷の女声合唱によくありがちな上ずった細い声ではなく自然な発声法で耳に快い。

第2ステージは昔有名大学グリークラブで鳴らしたメンバーが揃うアカペラ男声合唱団JRを迎えて、誰もが知っているポピュラー曲を4曲、AKBもびっくりの振り付けを交えて平均年齢60歳代と思しきメンバーはおどけながらも品格を保って美しいハーモニーを響かせる。曲ごとにはさむナレーションもウィットに富んでいて楽しませる。

第3ステージは主催Y女声合唱団の「身近な生き物」をテーマにした9曲を集めて熱演、そして最後は男声合唱団JRを加えた50人の大混声合唱による、「富山に伝わる三つの民謡」を共演。みな良い指導を受け練習していて、特に主催のY女声合唱団はなんと演奏した全17曲を全員暗譜して臨んだ。熟年率も高く暗譜演奏の苦労は身に染みてよく理解できるので、大喝采が起こる直前に思わず舞台に向かって叫び「ブラヴォ」爺さんになっちまっただよ。

夜中まで続く予定の仲間の打ち上げ会で出演者のHさんは参加しなかったが、新たに本物の江戸麻布からやってきたAちゃんを加えて応援組6人も前夜に引き続き酒食を共にしながら盛り上がったことは言うまでもない。知的で文化度が高い大宮・川越で過ごした丸2日間は満足満足だ~い満足、電車の音が響く安宿でも良い夢を見ながら熟睡できたわい。

(後日、映画「キューポラのある街」の舞台になったのは一駅東京寄りの鋳物の街川口です、現在鋳物工場は数件が営業を続けているだけでほとんど駅の周辺は高層マンションになってしまいました、と故郷が川口のHさんから指摘あり)

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大宮市街ぶらぶら歩き

2016-12-13 | 旅行
週末からかみさんと2泊3日の首都圏の旅に出た。たまさか青春18切符冬バージョン開始日だったので、当然のように往復はJR在来線を使用した。旅のきっかけは大町エコノミスト村環境委員会のメンバーに大宮在住者が多く、今回はメンバーの一人Tちゃんの奥方Hさんが所属する地元のY女声合唱団が2年ぶりに川越市の大ホールで開催する第10回の記念演奏会に招待頂いたことだった。

演奏会当日前後に埼玉・東京圏の観光計画を組み入れ、到着初日は地元のHちゃんKちゃんTちゃんの案内で先ずは今や世界的に有名になった盆栽町へ繰り出す。最早職人芸から芸術作品の域にまで昇華した盆栽、ため息混じりに名品の数々を鑑賞。外国人の職人さんも大勢修行中で、盆栽ファンの底辺育成啓蒙のために教室も開催され古手は4年目を迎えるとのことだった。

そして初日の主目的、官幣大社の最上位クラス「武蔵一宮氷川神社」の、年一回開催される大祭十日市(とおかまち)の酉の市を楽しむ。12月10日の夜通し開催に決まっているので、週末に開催された今年はまだ暮れやらぬうちから半端ではない数の屋台が並び、有数の長さを誇る数Kmにおよぶ参道は大勢の人人人で既に溢れていた。
平日開催の時は夜が更けるほどに人出が増し、身動きが出来ないほど賑わうという。名物の商売繁盛祈願の熊手は購入しなかったが、商談成立の独特の手拍子を一緒になって打ちながら楽しんだ。それにしても規模の大きなお祭りなので、少年期を過ごした赤坂近くの氷川神社の祭りがしょぼかったのと比較して、おらぁびっくりこいただよ。

歩き回ったらのど渇くでしょ、腹も減るでしょ! 仲間の馴染みの居酒屋は祭りではや満員、飛び込んだ一見の飲み屋はいまいちで、飲み直しはこれまた仲間の贔屓店台湾出身のおかあちゃんが仕切る中華料理屋で、気の利いた飛び切り美味い皿料理や麺類で紹興酒を次々に空にする。3時間以上飲み食いして、翌日出演するHさんを気遣って?散会したのはまだ8時少し前だった。



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初冬に秋の雲が

2016-12-11 | 日常
北国の人々には申しわけないが、浜松は日中冬入りをしたとは思えぬほど穏やかな上天気が続いている。冬も週一のテニスを続けているが、もうやめて帰りたくなるほど北風小僧がプレーを邪魔する日は今のところまだない。

先週のテニスはミスを風のせいだと責任転嫁するわけにはいかなかったが、燦燦と降り注ぐ陽光がまぶしくサーブのトスやロブを上げられた時には往生して空振りやフレームショットが続出した。

1時間半のプレーでも、交代で休める時は空を見上げる余裕がある。その日は真っ青な空をバックに、まるで中秋のような珍しい筋雲が何種類も見られた。
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初冬の奥浜名湖畔ぶらぶら歩き

2016-12-09 | 健康管理
数日前久々にかみさんと泊りがけで「遊び小屋」を楽しんだ時のこと、早朝6時に三ヶ日町有線のチャイムで目覚めてしまった。有線放送は良し悪しで、火事の発生やお年寄りの行方不明などを近隣住民に知らせるメリットがある一方、非日常を楽しんでいるリゾート地で朝昼晩に時報もなんだかなあと思う。

しかし浜名湖Tリゾート数百世帯中、熟年世代を中心に既に2~30%の永住世帯があるそうなので、市役所の住民向けサービス?を無碍に批判することもできない。将来徘徊するやもしれないMacchanを、有線が救ってくれるかも知れないしーー。

朝6時はまだ暗いので、7時になってから夏の花火会場にもなっている猪鼻湖(奥浜名湖の一部)を一望できる湖畔を散歩した。緩やかな風に吹かれて湖西連峰の山々や風紋のような湖面、なびく枯れ尾花を愛でながら朝食前のひと時を楽しんだ。
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カーテンレール「W化」工作DIY

2016-12-08 | 修理・工作DIY
築24年のMacchanち、在来工法の地元工務店に建築を依頼したこともあるが、昨今の新築の家と異なることがいっぱいある。掃き出し口や窓には(出窓を除いて)全て庇が付いているし、全室に雨戸が付いている。

そういう事情背景もあって外に面している部屋のダブルカーテンは居間と洋室出窓部分5箇所だけで、他は和室には障子と洋室にはレースのカーテンだけが付いていた。今般引っ越すので付け替えて間がないカーテンが不要になるという話があり、省エネと西日などの強い陽光対策を考え始めていたMacchanの食指が動いた(またそれかよ!)。

そんなに新しい住宅街でもないMacchanち周辺の家でも、最近はわずか数十年で流行の機密性が高い家に建て替える家もある。とはいえ昔のように毎晩日暮れて雨戸を閉める家も少ないが、どうしているのかと思いきや遮光遮音(温?)カーテンを昼夜問わず開閉して上手に暮らしているらしいことが分かってきた。(今頃かよ!)

シングルカーテンをダブルにするためには、先ずレールをダブルにしなくてはならない。「遊び小屋」建築DIYですっかり自信を深めた?Macchanは、今週初めから必要なレールを買い求め取り付け用のインパクトドライバーなどの必要工具類を小屋から持ち帰った。

和室建具の額縁は比較的柔らかい杉や檜材が使われていたので、Wレールへの交換やシングルレールの追加取り付け作業はまずまず順調に終わった。問題は硬い広葉樹材が使われている洋室の建具額縁への取り付け、天井近い高所の狭い空間で不自由な姿勢と乱視&老眼の両用眼鏡で焦点が合いにくく、かつ片手でレールを支えながら穴あけとネジ締めをするのにかなり苦戦した。

2mm径のドリルビットは一本折れ、締め込み途中で動かなくなったビス頭はドライバービットの空転で山が崩れてしまった。復活作業は本来の取り付けの数倍の時間を要し、付け替えた古いレールの再活用にも意外に時間がかり、結局全6箇所の作業終了までは当初目論見の2倍近く延べ6~7時間かかった。

汗もたくさんかいて疲れたがやり終えた時の満足感は高く、やっぱりおいらは建築や工作DIYが好きだなと晩酌しながら微笑んだ。
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高校クラス会エキストラバージョンⅢ

2016-12-06 | 団塊世代
1947年(昭和22年)生まれのMacchanは、1966年に都立H高校を卒業した。今年は卒業50周年で記念学年会が行われたが、用事があって出かけられなかった。クラス変えが無かった2~3年次のクラス会は当事者でも驚くほど連携が深く、50数名の連絡先は常に輪番の幹事が把握し更新してくれていて、毎年秋には必ずクラス会が開催されて今日に至っている。

しかし残念ながら物故者は近年増えて9名に上り、古希を意識する年代としては多い方かもしれない。そういう状況だからかどうか、今秋東京駅前のKitte(旧中央郵便局)JPタワー内のレストランで開催されたクラス会も例年通り20人近くが参加し、クラス会開催半月後に開催した奥浜名湖「遊び小屋」での「クラス会エキストラバージョンⅢ」には前回には及ばないものの4名が集まった。

例年より間髪を入れず催したのには理由があった。最も仲良くしていた一人のAT君はボストンの大学の教鞭に立って数十年、節目で数ヶ月の休暇を取って帰省していたからだ。4年前には夫婦でボストンとニューイングランド地方を訪ね、大いに世話になった上に家族同士で旧交を温め直した。今回は更に常連のOM君や義弟になったIK君も加わって、先週末1泊2日でミニクラス会を開催したのだった。

前回に続いて交通が不便な「遊び小屋」には天竜奥浜名湖鉄道で参加する者、車で参加する者に分かれた。最寄の「都筑駅」には何回送迎しても、我々が育った昭和2~30年代の田舎の駅が醸し出す独特の雰囲気が溢れていてなかなかいい。4名が揃った夕方4時ごろには、今回も残念ながら参加できなかったKH君から代理で送られた奥多摩の銘酒が2本開けられ、仲間の物故者9名の献杯から宴が始まった。

参加者が土産を気遣うだろうと懸念して会費制を打ち出したが、やっぱり今回も家や旅の途中で求めた食材や名物が揃い、Macchanの用意した浜名湖や浜松近隣を意識したメニューと合わせて、なかなかのご馳走になった。

卒業50周年を意識して卒業年度1966年産の50年物の仏産ワインや、前回の残りをキーボトルしたバレンタイン30年とが合わさって喜びと感慨が相乗化され、この後囲炉裏端に場を移してから日付が変わった1時過ぎまでぐだぐだ飲んで食べて語り青春らしい失敗話に笑い転げる原動力になった。
今回は半世紀以上前、全校合唱祭でクラス全員で歌った「Green Fields」をOM君のギター伴奏で歌ってから幸せな眠りについた。

2日目の朝食は暖かい上天気に誘われ、小屋庭で2時間かけてまた昔話に興じた。異口同音に「来年もまたやろう」と固い握手を交わし、3人が帰京する前に撮った記念写真にはテラスに干された4人分の布団がご愛嬌に写っていた。



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「カジノ法案」何かおかしくないか

2016-12-02 | 日々雑感
議員立法を目指す「カジノ法案」、統合型リゾートの整備を政府に促すという名目で衆議院内閣委員会で可決された。与党が全面的に絡んでいるので、旨くいっていない安倍内閣の経済成長路線をサポートする目的が見え見えだ。

右肩上がりの経済発展を支えた団塊世代のMacchanも経済拡大の恩恵を受けたことは間違いないが、現役後半の会社人生は景気縮退による事業スクラップを担当する羽目になり、苦渋の10年を経験した。その頃から「限られた地球上の資源を元に資本主義が成り立っている限り、世界やまして日本が右肩上がりの経済発展を続けられるはずがない」と考え始めた。

尊敬している思想家の内田樹さんの言を待つまでもなく、低迷していた経済からV字型復興を期して短期間にGDPを倍増させようという安倍政権の「三本の矢」政策は物理的に成立するはずがない。今回の「カジノ法案」の衆院委員会可決は、先般の「安全保障関連法案」の可決に続くきな臭さを感じてしかたがない。

カジノを収益の元にしている国や地域は世界中にいくつもあるが、成熟したわが国の景気浮揚策の手段にするのはあまりにも唐突でそぐわないと思う。真面目で勤勉な国民が世界有数の経済大国に発展させた現在、国民間の貧富の格差が大きくなってそれ自体が社会問題を起こす原因になってきている。ギャンブルは貧しい者が一発逆転を狙うか、すでに裕福なものが更に多額の金銭の獲得を目指す手段というイメージだ。とてもリゾートの本来の目的である、つかの間の精神肉体のリクリエーションからは程遠いのではないか。

日本には戦後、多種の享楽的ギャンブルが存在していて、社会問題も引き起こしてきた。パチンコ・スロットは万札単位で公然と得失可能な、街中すなわち住居地併設のギャンブル場だ。競馬・競輪・競艇・オートなどは公営で数十数百万円単位の金が日常的に動くし、宝くじという今や10億円の当選金を目指して国民は「夢」という名目に踊らされてなけなしの金をはたく。

「カジノ法案」でこれ以上桁が違う大きなギャンブルが可決されれば、わが日本国っていったい何なのよと呆れ返らざるを得ない。Macchanもパチンコ、マージャン、ゴルフなどでギャンブル?を楽しんだことがあるが、親に迷惑をかけ家族を路頭に迷わせるほどの金額ではなかった。しかしどれもわが国の経済発展に寄与できるものではなかったことは確かだ。

今回は掛け金も経済上動く金も桁違いの話、国内経済から世界経済レベルの話になるだけで人類共存世界平和とは何の関係貢献もない。安倍さん、とち狂ってはいけない。
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滲出(しんしゅつ)性中耳炎って知ってますか?

2016-12-01 | 健康管理
Macchanは「薬手帳」をもっていない。常用している薬がない上に、検診以外で医者にかかることが滅多にないので必要がなかった。

2週間ほど前に風邪をひいて市販のかぜ薬を数日のんで、それまでの水っ洟(みずっぱな)が色のある粘りのあるものに変わって、ティッシュを重ねて思いっきりかんでいた。洟がすっきり出終わるともう完治したみたいな気持ちになるのだが、何回目かの時に左耳につ~んときた。

長い人生を送っていて何回か同じ体験をしていると、この程度ならそのままにしていても気づかないうちに治癒してしまうだろうと高をくくっていた。単なる横着なのだが、今回はその後もプールで耳に水が入ってなかなか出ないようなボワーンとした感覚が一週間以上も続いた。

合唱練習に出ても左耳の聴こえが悪く、自分の出している声の高さが不安定なっていることに気がついた。団員の中にも何年か前に同じような症状が出て、休部していたことがあったことを思い出した。悪化する前に耳鼻科で診てもらおうと、珍しく自分で判断して行ったのが一昨日の火曜日。待合室は子連れの母親や年齢の近い老人で溢れていた。長い待ち時間で目に飛び込んできたのが、「子供に多い滲出性中耳炎」の警告ポスター。自覚がないままに放置しておくと、重度な難聴などに発展してしまうから注意してほしいという内容。

順番が回ってきて「問診」「ファイバースコープ診察」「聴力テスト」「鼻の吸引」と進んで、最後に「診断」が下った。撮影された写真を見せながら、「滲出性中耳炎」です。鼻と耳はつながっているので、鼻汁と共に細菌が耳に入って炎症を起こしています。薬で治ると思いますが、暫くは洟は強くかまずいい加減にかんでください、というユーモアのある指導まで入った。抗生物質や鼻汁や痰を薄める薬と胃腸保護薬の3種類一週間分が処方されて、無くなった頃にもう一度来てくださいとのことだった。

それにしても子供によくある病気が、10倍以上歳をとった爺も同じようにかかるとは! まだまだ若いのか、早くも子供返りか? 耳掃除代金と薬代も含めて診療費は6千円もかかったが、聴力が失われて好きな音楽も楽しめなくなることを考えれば安いものだわいと思い直して、毎食後神妙に薬をのんでいる。
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