母が昨年夏に特養にお世話になって以来、怪我をしたり認知症状が進んだことを月1回位の割合で近況を報告してきた。エアコンに管理された施設は我が家よりよほど快適だと思えるが、夏の暑さに参ったのか母は秋の初めには眠りこけることが多く食欲も口を開かず飲み込まずの最悪の状態になって、年内まで生きられるかどうかと覚悟した。
しかしお世話になっている施設のいいところは、看護介護介助に携わっているそれぞれの担当責任者が決まっていて、しかるべき責任者に相談をもちかけるとプロの立場から真剣に対応を考えてくれることだ。Macchanは家が至近距離のこともあって昼食を中心にかみさんと毎日のように介助に行って状況を把握していたので、素人ながら父の介護の時から15~6年以上の経験を踏まえてあれこれと相談を持ちかけた。
保護者としての要望に呼応してくれて、スローながら母の症状に対する試行錯誤が始まった。一番のポイントは食事(栄養摂取)内容だった。早くから半量の刻み食と補助栄養食に切り替えたいという施設側の意見と、時間がかかってもいいから介助しながら自主的に咀嚼し飲み込める機能を維持させたいという当方の希望との食い違いが目立った。
しかし家族が面倒をみられる一日一食に1時間半かけて完食出来ても、基本的に10人の入居者を一人の介護士が面倒をみる体制なので毎食手厚い介助を期待するのは難しい。1~2ヶ月の試行錯誤を経ても体重増に結びつかなかったので、その後のスタッフの意見を入れて消化のよいミキサー食と補助栄養食に切り替えた結果著しい改善があった。
母は体力を快復し食欲も増して、自分でスプーンを持って口に運ぶまで機能が回復した。父の時からの経験では「認知症状」は小波を繰り返しながら大きなトレンドでは悪化する一方だと思い込んでいたが、一度無くした機能はある日突然隠された引き出しから飛び出てくるように再出現することがあると気がついた。双方意見交換型の施設にお世話になったお陰で、実現できたと感謝している。
茶碗の固めのおかゆに誤嚥を防ぐためにとろみをつけたミキサー食を載せて食べさせているが、食欲の本能が勝ってスプーンを忘れて茶碗から直接全てを飲み干そうとする行動に出ることが多い。しかしゆったりした気持ちで介助すると、お陰さまで3~40分で完食できる状態が続いている。何とか今年は生き延び、2月の建国記念日に92歳に到達できる可能性が増した。ありがたいことだ。
しかしお世話になっている施設のいいところは、看護介護介助に携わっているそれぞれの担当責任者が決まっていて、しかるべき責任者に相談をもちかけるとプロの立場から真剣に対応を考えてくれることだ。Macchanは家が至近距離のこともあって昼食を中心にかみさんと毎日のように介助に行って状況を把握していたので、素人ながら父の介護の時から15~6年以上の経験を踏まえてあれこれと相談を持ちかけた。
保護者としての要望に呼応してくれて、スローながら母の症状に対する試行錯誤が始まった。一番のポイントは食事(栄養摂取)内容だった。早くから半量の刻み食と補助栄養食に切り替えたいという施設側の意見と、時間がかかってもいいから介助しながら自主的に咀嚼し飲み込める機能を維持させたいという当方の希望との食い違いが目立った。
しかし家族が面倒をみられる一日一食に1時間半かけて完食出来ても、基本的に10人の入居者を一人の介護士が面倒をみる体制なので毎食手厚い介助を期待するのは難しい。1~2ヶ月の試行錯誤を経ても体重増に結びつかなかったので、その後のスタッフの意見を入れて消化のよいミキサー食と補助栄養食に切り替えた結果著しい改善があった。
母は体力を快復し食欲も増して、自分でスプーンを持って口に運ぶまで機能が回復した。父の時からの経験では「認知症状」は小波を繰り返しながら大きなトレンドでは悪化する一方だと思い込んでいたが、一度無くした機能はある日突然隠された引き出しから飛び出てくるように再出現することがあると気がついた。双方意見交換型の施設にお世話になったお陰で、実現できたと感謝している。
茶碗の固めのおかゆに誤嚥を防ぐためにとろみをつけたミキサー食を載せて食べさせているが、食欲の本能が勝ってスプーンを忘れて茶碗から直接全てを飲み干そうとする行動に出ることが多い。しかしゆったりした気持ちで介助すると、お陰さまで3~40分で完食できる状態が続いている。何とか今年は生き延び、2月の建国記念日に92歳に到達できる可能性が増した。ありがたいことだ。




今年も師走に入ってから豚肉を10Kg仕込んで調味してから2週間寝かせ、一週間前には新巻鮭を10本仕入れて三枚に下ろして仕込みを終えた。それからいつもの通り脱塩と風乾と燻煙さらに風乾を繰り返しながら今最後の風乾をしているところ。この一週間は気温が比較的高く雨も降って、燻製作りには条件が悪かったので扇風機を何日もかけっぱなしにした。やっと昨晩から冷たい乾いた風が吹いてきたので、燻製部屋の窓を全開にして最後の仕上げをしている。
工程が長い燻製作りはハプニングも多いが、自分なりに対策を工夫しながら進められるところが自分に向いているなと思う。その間差し上げる人々の顔を思い浮かべ、この一年交流した内容を反芻するのも楽しみの一つ。毎年異なる能書きを書き添え、小包にする手間隙もなかなかいい。毎日2階の燻製部屋(元子供部屋)を何十回も往復するのも、コストいらずのよい健康法になっていてこれもありがたい。
キリスト教会でのクリスマスコンサートではなく、Macchanが所属する浜松男声合唱団は昨日のクリスマスイヴに日頃から交流がある「コール丘」主催のクリスマスコンサートに賛助出演をした。
Yume・Hiro Hall (夢・汎ホール)という音楽愛好家の一般市民が一等地の住宅敷地内にしつらえた、80人のこぢんまりしたなかなか雰囲気のある会場でのミニコンサート。クリスマスの当日にもかかわらず、両団員と家族友人知人を合わせて、会場は満員の盛況だった。出演は「コール丘」の指導者松木弘子さんの傘寿を祝う、両団員と友人や家族の音楽家たち。クリスマスにふさわしい美しい名曲の数々が歌や楽器で演奏され、コンサート終了後ロビーで開かれたティーパーティも含めて会場全体がリラックッスしたいい雰囲気に包まれた。
松木先生は還暦から住居周辺の愛好家を集めて始めたという合唱指導を20年間、自分も楽しみながら合唱未経験者が多かった団員のレベルアップに成功された。自らも歌いフルートを演奏し、指導にも年齢を感じさせない若々しさがある。情熱をもって趣味の音楽や指導に打ち込む生き生きとした姿は、後に続く我々熟年音楽愛好者の立派な鑑、いつまでも元気なお手本であってほしい。
コンサート出演後は街に繰り出し、本年最後を締めくくる団の「忘年会」だ。会場はいつものバイキングスタイルのホテルレストランではなく、団員のKさんが家族ぐるみで付き合いのある開店したばかりの沖縄料理店で、いつもの各酒類に名物泡盛4種を加えた酒飲みの多い団員にとってうれしい宴会。コンサートに仕事で出られなかった団員やOBと家族も加えた22名が集い、貸切の店内は最終バスが出るまで歌ったり楽しい1年を振り返ってのしゃべくりでわいがやを心ゆくまで楽しんだ。
ということで自己矛盾は重々承知しながら、せめてパンだけはダサい自作物で二層式の物に合わせることにしたのだった。前回のように端材で組み立てたパンの内側にカラー鉄板の余材で裏打ちすることなく、今回は購入した2x4SPF材と最後の壁板用廃材を使用した。暫くぶりの工作DIYで、今年最後の「遊び小屋」デーにも拘らず一人入れ込むMacchan。
採寸を繰り返し、丸鋸とインパクトドライバーで2時間余で完成させた。余った鉄板は既に在庫がないので、防水は塗装とコーキングだけで済ます予定。ちょっと手抜きな工作だったけど、楽しかったな。材料費はわずか¥1500だった。
世の中のせわしさと無縁に過ごしたい「遊び小屋」も、暮れは少しずつその変化の影響を受けつつある。かみさんが破れの目立つ障子を張替え、小破の部分には桜花の切り紙を張ってくれた。数十年前までは今頃の季節、各家々は競うように畳や襖・障子を張替え、大掃除に精を出していたものだ。
そしてOB釣り会の先輩Iさんが畑で育てている葉牡丹、今年も早く取りにおいでと声をかけてくれて数十株頂いてきた。自宅と小屋の玄関先に半分ずつ植え付け、暮れだといっても改めて大掃除をしないMacchanちだが入り口だけはそれらしい雰囲気になってきた。
小屋庭に育つ実生30年物の3本の南京はぜが大木になり、今年はたくさん実をつけ連日ヒヨやカラスがついばんでいる。赤黄緑の3色紅葉を楽しんできた葉もほとんど落ちて、白い実が目立ってなんとなくクリスマスを感じるシルエットになった。
見上げるMacchan、勢いよく上に伸びる枝は年明け早々2年ぶりに大剪定する計画だ。来年は古希を迎えるし高所恐怖症なので、先行きを考えて3~4mに丈を詰めようかと考えている。
そして年一回の懇親会を兼ねた総会を竜西荘にて開催。ここは釣りと違って会員の総意がまとまって出席率が高く、14名が集って釣りや人生談義で毎年と同様4時間大いに盛り上がった。釣りはどんな種目であれ、情報収集と仕掛けや餌などの創意工夫が大切だと初心者のMacchanも思うが、集うメンバーの各種釣りに関する能書きだけではなく世情や人生全般に及ぶ薀蓄に毎回感心させられる。いいメンバーが集ったものだ。今年度最後は3月22日に、船明ダム下の米沢池にて恒例の「ニジマス釣り」を楽しむ予定。
山手線駒込駅から徒歩5分の住宅街の中にある、都営の名園。かねてから花の時期に行くと素晴らしいよと聞いていたが、紅葉の時期も終わりに近く夜間のライトアップ期間が終了してしまった直後に訪問した。


それでも一部がまだ赤や黄色の葉を落とさず、Macchan夫婦を待ち受けてくれた。
「おおっと雪国でもない東京で雪吊りかよ」と一瞬びびったが、公園の冬の景観をよくするための仕掛けらしい。

樹齢数百年以上と思われる銀杏や楠木の巨木のおかげで、周辺に建ち並ぶマンション群や町の喧騒が遮蔽され暫しの静寂を堪能できる。


同じ駒込駅から反対側に徒歩10分の北区の住宅街にある。六義園に比べると庭園の一般的な評価はいまいちの感があるが、今はシーズンオフながらしっかり手入れされた庭のバラ園と大正時代の大きな石造りの洋館がシンボルのようだ。

旧所有者の古河家の趣味と思える、質素ではあるが力強い大型の石灯篭や石塔が目をひく。
駒込駅から池袋寄りに一つ目の巣鴨駅前。今やテレビで見ない日がないくらいたくさん取り上げられている、元気なおばあちゃん向けの商店街。
刺抜き地蔵を祭った寺を中心に庶民的な商店が軒を並べ、最近増えたらしい若者向けにアレンジされた名物「赤パンツ」専門の店も。Macchanは気が小さいので、赤パンにはカメラを向けられず写真はなし。
ちょうど昼時を迎え、大勢が並んでいる名物食堂でエビやアジの山盛りフライ定食を食べた。安くてボリュームがある上に味もよく、満腹になって上野から乗車した帰りの普通電車は浜松まで4時間余りよく眠れた。

2日目の目的は小江戸(こえど)と呼ばれる歴史の街川越を探索すること、そしてHさんの女声合唱の聴衆になること。昨日に続きHちゃんの運転するワゴン車に大宮駅前まで出迎えてもらって、Kちゃんを入れた4名で期待以上に近くはっきり見える秩父の山々と富士山を眺めながら川越の街を目指す。




先ずは徳川家ゆかりの喜多院へ、江戸時代に多かった大火を2回もくぐって復興され、よく手入れされた美しい庭と共に遺産として大切に保護されている。車を駐車場に置いたまま徒歩で川越の町を散策することに。








いや~あるある古い建築物のまま手入れされて営業を続ける店舗、中山道の宿場町や伊勢のおかげ横丁など復古調に建設された街は今では珍しくないが、ここは多くの店が古いものを使い続けていることでより価値がある。







どこを見ても絵になる家々、昔懐かしい売り物の数々も加えて爺婆はもちろん若い人々の心もしっかりキャッチしているようだ。今や全国的に有名になって雑誌にも数々登場しているので、敢えて説明はなしでMacchanの気に入ったスナップ写真を見てもらおっと。ちょっと多くなったけど勘弁ね。
演奏会当日前後に埼玉・東京圏の観光計画を組み入れ、到着初日は地元のHちゃんKちゃんTちゃんの案内で先ずは今や世界的に有名になった盆栽町へ繰り出す。最早職人芸から芸術作品の域にまで昇華した盆栽、ため息混じりに名品の数々を鑑賞。外国人の職人さんも大勢修行中で、盆栽ファンの底辺育成啓蒙のために教室も開催され古手は4年目を迎えるとのことだった。

そして初日の主目的、官幣大社の最上位クラス「武蔵一宮氷川神社」の、年一回開催される大祭十日市(とおかまち)の酉の市を楽しむ。12月10日の夜通し開催に決まっているので、週末に開催された今年はまだ暮れやらぬうちから半端ではない数の屋台が並び、有数の長さを誇る数Kmにおよぶ参道は大勢の人人人で既に溢れていた。

平日開催の時は夜が更けるほどに人出が増し、身動きが出来ないほど賑わうという。名物の商売繁盛祈願の熊手は購入しなかったが、商談成立の独特の手拍子を一緒になって打ちながら楽しんだ。それにしても規模の大きなお祭りなので、少年期を過ごした赤坂近くの氷川神社の祭りがしょぼかったのと比較して、おらぁびっくりこいただよ。
歩き回ったらのど渇くでしょ、腹も減るでしょ! 仲間の馴染みの居酒屋は祭りではや満員、飛び込んだ一見の飲み屋はいまいちで、飲み直しはこれまた仲間の贔屓店台湾出身のおかあちゃんが仕切る中華料理屋で、気の利いた飛び切り美味い皿料理や麺類で紹興酒を次々に空にする。3時間以上飲み食いして、翌日出演するHさんを気遣って?散会したのはまだ8時少し前だった。

1時間半のプレーでも、交代で休める時は空を見上げる余裕がある。その日は真っ青な空をバックに、まるで中秋のような珍しい筋雲が何種類も見られた。






朝6時はまだ暗いので、7時になってから夏の花火会場にもなっている猪鼻湖(奥浜名湖の一部)を一望できる湖畔を散歩した。緩やかな風に吹かれて湖西連峰の山々や風紋のような湖面、なびく枯れ尾花を愛でながら朝食前のひと時を楽しんだ。
シングルカーテンをダブルにするためには、先ずレールをダブルにしなくてはならない。「遊び小屋」建築DIYですっかり自信を深めた?Macchanは、今週初めから必要なレールを買い求め取り付け用のインパクトドライバーなどの必要工具類を小屋から持ち帰った。
和室建具の額縁は比較的柔らかい杉や檜材が使われていたので、Wレールへの交換やシングルレールの追加取り付け作業はまずまず順調に終わった。問題は硬い広葉樹材が使われている洋室の建具額縁への取り付け、天井近い高所の狭い空間で不自由な姿勢と乱視&老眼の両用眼鏡で焦点が合いにくく、かつ片手でレールを支えながら穴あけとネジ締めをするのにかなり苦戦した。
前回に続いて交通が不便な「遊び小屋」には天竜奥浜名湖鉄道で参加する者、車で参加する者に分かれた。最寄の「都筑駅」には何回送迎しても、我々が育った昭和2~30年代の田舎の駅が醸し出す独特の雰囲気が溢れていてなかなかいい。4名が揃った夕方4時ごろには、今回も残念ながら参加できなかったKH君から代理で送られた奥多摩の銘酒が2本開けられ、仲間の物故者9名の献杯から宴が始まった。
参加者が土産を気遣うだろうと懸念して会費制を打ち出したが、やっぱり今回も家や旅の途中で求めた食材や名物が揃い、Macchanの用意した浜名湖や浜松近隣を意識したメニューと合わせて、なかなかのご馳走になった。

卒業50周年を意識して卒業年度1966年産の50年物の仏産ワインや、前回の残りをキーボトルしたバレンタイン30年とが合わさって喜びと感慨が相乗化され、この後囲炉裏端に場を移してから日付が変わった1時過ぎまでぐだぐだ飲んで食べて語り青春らしい失敗話に笑い転げる原動力になった。
今回は半世紀以上前、全校合唱祭でクラス全員で歌った「Green Fields」をOM君のギター伴奏で歌ってから幸せな眠りについた。
2日目の朝食は暖かい上天気に誘われ、小屋庭で2時間かけてまた昔話に興じた。異口同音に「来年もまたやろう」と固い握手を交わし、3人が帰京する前に撮った記念写真にはテラスに干された4人分の布団がご愛嬌に写っていた。




