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団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後17年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

1月最後の日

2010-01-31 | 日常
寒いの暖かいのと言っているうちに、1月も最終日になった。いろいろやったなと思ったり、もう1ヶ月も経ったのかと思えたりーー。昨日は現役時代最も長く所属した「スポーツ事業部」の仲間MAさんが還暦定年を迎えて、お祝いを兼ねたパーティーが催された。10数年前スキーやラケットやウェアー部門の事業が解散して、仲間が退職したり他の部門に散り散りになったのだった。

しかし若い世代の比率が高く熱く仕事をしていた仲間は、何かにかこつけて集まることが多く昨日も50人余りが集まった。30年以上前の写真がスライドで映されたり、札幌オリンピックのテーマソングを皆で歌ったりの懐かしい3時間はあっという間に過ぎていった。Macchanも最近はとんとやらなくなったエールを、指名にそそのかされて声張り上げて頑張ってやった。

会社にとって事業は決して成功したとは言えなかったと思うが、一時は小事業部のスポーツへの就職希望者が最多になるなど若者への会社イメージアップの貢献は大きかったのではないか。所属していた我々も出張が多く、朝から夜遅くまでの仕事を懸命こなしながら、共に遊ぶこともそれ以上一生懸命やった。それが、今に続く連帯感になっているのだろう。

一夜明けて久しぶりに楽しくやった昨晩のことや若き日の想い出を、赤白何杯飲んだか不明のワインの余韻(酔いん?)と共に振り返っていた。窓の外には葉が全て落ち切って、地味ながら薫り高く「蝋梅」が咲き誇っていた。

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柱のカンナがけ

2010-01-29 | 300万円の家づくり
昨日は日中暫くぶりのまとまったお湿りがあり工事が出来なかったが、例によって休みの日じゃないとできないことを集中的にやった。先ず「浜名湖漁民」のTさんちに押しかけて、先週開設したブログに写真を貼り付けられるようにしようとお節介を持ちかけた。しか~し、古い(といっても5~6年位?)パソコンは新しい重いソフトをなかなか受け付けない。しょっちゅうフリーズしてしまって、全く捗らず。2時間余りチャレンジするも、埒が明かずリタイアする。

午後は9歳の軽トラと21歳のパジェロの、オイル交換をしに行く。当然のことながら2台いっぺんにというわけにはいかず1台ずつ持ち込み、作業待ちの間新聞をゆっくり読んだりーー。これはこれで平日はのんびりしていていいぞ。夕方は還暦の誕生日を迎えたかみさんと、買い物デートまでしちまっただよ。

さて今日はうって変わっていい天気、今日から棟上に向けて新たな作業に入るぞ。棟梁のうーさんをピックアップして現場に向うも、朝からくしゃみがよく出る。また風邪か?はたまたいよいよ花粉症か?? 先ず完成した足場のパイプのジョイントのネジを、念のために増し締めしておく。これから棟上作業・屋根張り・建具取付け・外壁張りなど、ほとんど全ての作業にお世話になる足場だものーー。

次は、柱材のカンナがけだ。合計41本の柱材は、使用する場所によって露出する(表に見える)面数が異なる。全く表に出ない0面から、全ての面が外側を向く4面まで様々だ。元々節が多い杉材だが細い材まで活かしている関係上四隅が直角ではなく表皮が入っているところがあり、更に1年以上納品を待ってもらったためにその間に腐りが入ったものもある。そういう状況を勘案して、なるべくマシな面が外側を向くように工夫した。

しかしどう工夫しても、完璧なものから程遠い。逆に写真のように沢山の節や、芯材の面白いカラーが現れているところが何とも味わいがある。出来上がってしみじみ眺めた時に、いつまで経っても飽きがこない面白さがあるとい言えないか? やっぱり言えないか!

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不意に現われたのは、剪定名人のOさんだった

2010-01-28 | 地域交流・地域文化
昨日三ヶ日の工事現場で足場組み立て作業をやっていたら、何と1年ぶりに剪定名人のOさんが現れた(昨年2月22日付記事、「植樹後20年来初めての剪定」参照)。「もうそろそろ1年経つので、庭木の剪定どうしたかなと思ってーー」とニコニコしながら話している。いでたちは昨年よりも板についた、完璧庭師ルックだ(写真)。

先週工事の合間に渋柿の垂直に伸びた枝を切り取っていたので、何とか柿については合格点をもらった。しかし実の個数を減らして大きくするのには、実がなる枝をもう少し切り詰めた方がいいとのことで更に剪定してもらった。その他、花梨・センダン・桃・欅・紫陽花など、サッサカサッサカあっと言う間に作業が終わってしまった。

丁度昼時だったので作業のヘルプに来てくれていた3名と共に、カレーライスの昼食に誘ったが「みかん畑」での昼食を準備してあるのでまたね~と言ってサーっと帰ってしまった。何という面倒見の良さよ! なんといい人よ! 現場で困っている時の肝心な時に現れるのがクラークケント(実はスーパーマン)ことなべさんなら、剪定名人Oさんは疾風のように現れて疾風のように去って行く「月光仮面」のようじゃないか。

さしづめMacchanのリタイア後の日々は、昭和30年代のテレビ映画の主人公たちに支えられていると言っても過言ではないのだ。
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足場が完成しました!

2010-01-27 | 300万円の家づくり
穏やかで暖かくいかにも工事日和の日、今日はうーさん・なべさん・いとちゃんの3名が参加してくれて現場には賑やかに4名が揃った。月曜日の単独作業の続き、足場の固定と完成に向って残り30%の詰めをやった。

足場は基本的に単管パイプのシングル組み立てなので、如何にぐらつかないようにするかが今回の作業の肝である。土台から1m離して足場パイプで囲っているので、重量がかかる足場板(角材)が内側にくる関係上、いかに足場パイプの外側をしっかり地面に固定するかが重要だ。

足場パイプの外側に45度くらいの角度で支えているパイプを固定するために、1m長のパイプを地面に打ち込んで自在ジョイントで留める。これが決まるとグラグラしていた足場が、ガシッと固まって動かなくなる。こうなるまでに、何回も組立てをやり直す。今日はこの役を、うーさんといとちゃんコンビにお願いした。1mのパイプ打ち込みが地面下の石や根っこに邪魔されて、2回も3回もやり直ししている。パイプ先に取り付けた「ロケット」と呼んでいる部品が取り残されて、その度に掘り上げてやり直しするもなかなか成功しない。

一方なべさんと私は足場の完成を目指し、角材を2m高さまで持ち上げる。全周の足場材が揃ったら、それを「番線=太い針金」を使って中指位の太さの鉄棒で締め上げる。最後の2~3回廻しでギュッと締めると、不思議なほどによれていた角材がしっかり固定するのが不思議だ。考えてみたら数十年昔の足場は、間伐材の丸太と番線の締め上げだけで2~3階の足場を組上げていたよね。香港や中国本土の建築現場なんか20年位前までは、5階や10階建てのビルだって竹と番線(麻縄?)だけで高々と足場を組んでいたんだよね。
というわけで足場固定班は試行錯誤で随分苦労していたようだが、なんとか足場全周と手摺りが夕方までに組み上がった(写真)。明日は雨模様のようだが、明後日からは柱・梁・桁と順々に組上げて行くことになる。「棟上」に向って工事は正にたけなわだ。
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日本の林業はどうなるんでしょうね?

2010-01-26 | 日々雑感
今日は天気に恵まれたが三ヶ日の工事現場には向かわず、ちょっと変わった所へ出かけた。浜松市北部の、天竜区龍山(たつやま)というところだ。3年前浜松市が広域合併をしてやっと80万人を確保して特別政令都市になった時の、合併12市町村の最少人口の村が龍山だった。人口僅かに1100人、一つの学校程度の人数だ。(写真は秋葉ダムのすぐ下の美しい吊橋。集落の対岸にある森林組合への徒歩での近道だが、今は誰も渡る者がいない)


かつては天竜杉や檜の林業で栄え、電源開発が戦後天竜川にいくつもの大ダムを作った40年前までは財政的にも潤った村だったのだろう。人口も今の数倍はいたのではないか。そんな龍山森林組合から測量説明会の案内が来て、かみさんと「後学」のために出向いたのだった。佐久間の山奥で何代も林業をやってきたかみさんの母方の先祖が残した僅かな山林(評価16万円!)があり、最近国交省の肝入りで県や市が動いて正確な測量をすることになったそうだ。

日本の森林の多くは、明治時代の毛筆と和紙で描いた絵のような概略地図で境界が決められていたそうだ。それでも永年小さな集落で毎日のように顔を合わせ、代々林業に精勤してきた4~50年前まではそんなもんで事が済んでいた。その後林業が立ち行かなくなり離村するものが続出、山林の僅かな財産は林業の「りの字」も知らない子孫に分散した。今はかみさん3姉妹の共同名義になっているショボい山林は、この20年間誰も訪れたことがない。手入れも森林組合にお願いして人任せになっているので、案内なしには見に行くことさえままならない。

林業が成立しなくなったのは利益どころかかけた経費も回収し切れないためだが、先祖が残したものを売らず出費に耐えているのは多分ルーツを偲べるロマンがあるからだろう。今回のGPSを使っての正確な測量は行政の経費でやるそうだが、やり終えるまでに50~80年位かかりそうだと気の遠くなる話。お陰で今後は誰もが目指す山林に行ける可能性があるのだが、決して林業の将来まで約束されたわけではない。ああ、日本の林業はどうなる? みんな、杉材で家を建てようぜ!(Macchan、そんな気楽な話じゃないでしょうが!!)

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単独足場組み立て作業、頑張る!

2010-01-25 | 300万円の家づくり
先週から足場組立作業を始めたが、プロが使っているカセット式の足場ではないので、単管パイプと2種類のジョイントだけで工夫しながらの組み立てだ。グラグラしないように固定していくが、どうしても決まらない場合は何本か前の段階まで戻ってやり直す。またパイプはできるだけ在庫分でやり切りたいので、その為の工夫も必要だ。

そんな調子だから、なかなか捗らない。それに今日は単独作業だから、また組み立て初日と同様片方を引っ掛けて、もう片方を持ち上げるの連続。固定式のジョイントの場合は、ダマシが効かないので特に苦労する。重い柱材(曲がりや腐りが入っていて撥ねたもの)を足場板の代わりにするので、それを持ち上げる時も一苦労だ。それでも他の作業に比べて比較的短時間で、目に見えて進むのでやりがいもある。考えに考えてピシッと決まった時の快感は、なかなかいいもんだぞ。

朝10時から短い現場飯スパゲッティの昼食時間を除いて、5時まで動きっぱなし。最後は腹が減って疲れて、高い所にのぼるとヨロつくので危険を感じて作業を止めた。これで全体の70%くらい進んだかな? 今日は7時から合唱練習もあるじゃないか。月火は休肝日だし、ストイックに頑張る日もあっていい。
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遠州地方の歌舞伎

2010-01-24 | 地域交流・地域文化
遠州地方には各地に伝統農村歌舞伎があり、中には県の無形文化財になっているものがあることを知ったのは、地域のことをいろいろ調べて視察していた3~4年前のことだった。当時の所属会社のI社長が浜松市の行財政改革審議会委員に選出されたのを機会に、定年直前で総務部に所属していたMacchanはサポートする形で審議会事務局に入っていたのだった。

市の職員4名と民間企業から3名の計7名で、朝から夜遅くまで2年近く何百項目の色んな調査や審議を繰り返し何回かに分けて提言もしてきた。莫大な項目の中に、12市町村広域合併直前の貴重な地域文化遺産としての「遠州地方の歌舞伎」があったのだが、ついぞ実際目に触れる機会はなかった。雄踏町在住の監督なべさんの奥さんMちゃんに誘われて、今日二組の家族で「伝統文化地域交流公演2010」というイベントに行ってきた。

あるある「雄踏歌舞伎」「浦川歌舞伎」「寺野ひよんどり」など、江戸時代からの伝統地域文化が目白押しだ。なべさん夫婦と共に、雄踏文化センターホールでの9:30からの公演に滑り込んだ。そうか、これが地元の素人歌舞伎か! なかなかやるじゃないか!! たまさか昨年6月に、取壊し予定の歌舞伎座お別れ公演の本物を見ていた(昨年6月19日付記事「最初で最後の?歌舞伎座」参照)。その比較感でずっと見ていたが、単なる田舎歌舞伎だろうとちょっと軽んじていた先入観を恥じた。ものすごくマジで、レベルは想像したよりはるかに高かった。

佐久間町の浦川歌舞伎は、女役も男がやる正統?派。雄踏町の歌舞伎は若い女性も組み入れて、伝統を新しい世代に引き継いでいく積極的な試みが目を引いた。全部で5ステージ6時間余り、ロビーでは郷土の食品を数多く売り出し椅子を並べシートを敷いて自由に飲食させている。まるでお祭の雰囲気で、ゆったりと楽しい。おまけに入場料無料、市は少なからず毎年予算をつけて伝統芸能を保護育成しているようだ。こういう目的なら「事業仕分け」に引っかかることなく有効に使われていくのではないか。次世代の地域ごとの若いパワーは、健在だなと頼もしく感じた。
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トイレの華

2010-01-23 | 日常
この表題「トイレの華」は、2年半に及ぶ今日までのMacchanブログの累積805件の投稿中に同じようなものがあった気がするが、その時はごめんね。大寒を過ぎて最も寒いこの時期、家の中を見渡すとかみさん趣味の風物詩や季節の活け花が辛うじて彩を添えてくれている。

最近の活け花は、玄関の「蝋梅」、廊下の「千両」「菜の花」、そしてトイレの「葉牡丹」。みなさん覚えていただいてますか? B畑で頂いた苗をブロッコリーと思って育てていたのが大きくなって(1月4日付け「畑での交雑種」参照)、それらしくなったうちの一つが写真の「葉牡丹」でやんす。目指したブロッコリーにならなくて「とんでもない奴だ」と思っていたのも、こうして一株だけ意外性があるトイレに飾られてみるとなかなか「愛い奴」じゃないかい!

三ヶ日の工事作業ができない週末は、普段出来ないことをいろいろやる。今日は親友TSさんの、「ブログ作成」の手伝い。50歳を過ぎてパーキンソン病を患い早期に現役をリタイアしたが、専門医がいる名古屋に足繁く通って4年間に脳外科手術を2度に亘って受けて成功した。見事不自由になりゆく身体を克服して、今や「浜名湖漁民」として趣味三昧の生活だ。

そんな生活ぶりを紹介する『団塊オヤジの「浜名湖漁民」日誌http://blog.goo.ne.jp/hamayukaisen』を、あれこれ話し合いながら本日開設した。今のところ写真は掲載されていないが、近日中に嬉しそうに釣果を掲げるT(外山)さんの雄姿が毎週のように見られるはずで、釣り好きには必見だよ。(当ブログのブックマークにも掲載)
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足場取り付けが進む

2010-01-22 | 300万円の家づくり
昨夜半過ぎから風が強くなって、3月中旬並みの暖かさから急激に平年並みの寒冷気温になった。気温の乱高下でよっぽど気をつけないと、直ぐに風邪をひきそうだ。今日は水曜日に引き続き、棟梁のうーさんが手伝ってくれるとのことで指定時刻の10時にピックアップ。現場に向うも「ラジオ人生相談」そっちのけで、最近執心の住まい変更検討の話になる。昨年11月末に事故って以来バイクをやめて、中心市街地に近い交通の便の良いところへのリハウスを真剣に考えている模様。

まあこれは一生の問題だから、「もう少し時間をかけて最終結論を出す」という話になった。さあ現場は突風でシートがあちこちめくれていたが、昨日基本の足場を組み立てたところは被害がなかった。早速うーさんに説明して、続きを始める。この作業は相棒が居るのといないのでは、大いに作業性が異なる。プロが使うカセット式のダブルの足場組立てと異なり、安い3mと4mの単管パイプとジョイント(固定と自在の2種)の組み合わせで、現場の状況に合わせて組み立てていく。

地盤の微妙な高低もあり、今回は60~70cmしか間隔がない既設の「作業小屋」との兼合いもある。設計図もなく、前回の経験を活かしての現場合わせ組立てだ。試行錯誤しながらやり直しも多いが、これが意外に面白い。今日も何回か行きつ戻りつ、改良しながら少しずつ進めていった。

昨日の「基本組み立て」の横バーは、あくまでも垂直ポールを水平に支えるもの。今日はそのシングル仕立ての垂直ポールに逆直角三角形型にパイプをしっかり取り付け、足場の角材を並べられるようにしていった。南側の幅10.5mを3コマに区切り、4m角材を2本ずつ載せガード用の横バーを加えて写真の様に何とか足場らしくなった。疲れていたが作業が面白くまだまだ続けたかった。でも今週はこれでお終い。

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棟上に向けて、足場取り付け開始す

2010-01-21 | 300万円の家づくり
昨日の天気予報では今日は雨のち曇り、寝る前は少し諦めていたが起きたら雨が止んでいた。ラッキー! 局地天気予報を確認したら、昼ごろには晴れ間があって暖かいとのこと。ますますラッキー!! 今日は単独作業になることを覚悟して自分のラーメンだけ準備して出かけたが、どうも天気が良くなっていくという雰囲気無~し。

でもね今日は足場組立て作業をやるつもりで来たから、雨さえ降らなければ身体は温かいぞ! 太陽はいらね~、と負け惜しみ。足場を解体して(昨年5月15日付け記事「作業小屋の足場が取れた」参照)8ヶ月振り、「作業小屋」の床下に収納してあった鉄パイプやジョイントなどを引きずり出して作業を始める。「あれ~、また降るのかよ」と思うこと数回の通り雨、その度に小休憩するも「ん~? 昼のラーメン用の焚き火ができねんーじゃね??」と心配になる。

そうだ、先週かみさんが置いていってくれた灯油ストーブがあるじゃんか。「遊び小屋」コンセプトには相応しくないが、ラーメン出来なくてコンビニに弁当買いに走るよりいいわい。飯盒に湯を沸かしてーと、小松菜と魚肉ソーセージと豚骨ラーメーン放り込んで仕上げに朝食の残りのゆで卵をドッブーン。ごっつぉーだぞ。皆で豪快に食べる焚き火ラーメンはもちろん美味いが、独りでこそこそ小屋の中で食べるのもうめ~なぁ(Macchanは不味い時あるんかえ?)。

作業小屋で試行錯誤しながら足場の組み立て解体をしてきた経験が生きて、段取りは抜かりないのだが相棒がいればどうってことない組み立てが単独では苦戦することが多い。垂直ポールを支えるアームを取り付け、横バーを取り付けてジョイントを締め付けるまではしょっちゅう倒れ掛かってくる。完全にぶっ倒したことも数回。ヘルメットは被っていたが、指を挟んだり手首に当たったりで怪我寸前が2~3回あった。危ねー危ねー。日暮れの5時までには、写真のように基礎から1m離した周囲に、8割方の基本足場が組上げられた。



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土台「火打ち梁」取り付け完了す

2010-01-20 | 300万円の家づくり
監督なべさんに土台「火打ち梁」の指導をもらって、12本をやり直しすることになり昨日はやっと2本終了した。暖かくなった今日は、棟梁うーさんと団長いとちゃんが手伝いに来てくれた。早速昨日試行錯誤してたどり着いたやり方を説明して、それぞれが取り付けをやるようにした。何しろ、まだ10本が残っている。

うーさんはまだ手首に痛みが残るとのことで、炊事と清掃を主に軽作業をやる。いとちゃんはMacchanが罫書いた土台材の彫り込みにいきなりチャレンジ、大胆にこなしている。今手掛けている「遊び小屋」の間取りは、昔の田舎家によくあった「田の字」だ。北東部分の土間には「土台火打ち梁」は取り付けられないので、残り3部屋の四隅に「火打ち梁」を取り付ける。従って全部で12本。

間取りの「田の字」真中の大黒柱が立つ部分の周囲には、3本の「火打ち梁」が壊れた万華鏡のように集中して(写真)面白い構図になる。色が黒いのは数十年保管されて、埃と日焼けで変色したもの。しかし流石に檜だね、刻みを入れると断面は白く、ぷーんとあの檜独特の芳香が漂う。「伊達男」の着物の鮮やかな裏地だって(昨日記事参照)、こんなに芳香を発することはなかっただろうね。

梁が土台に架かる15mm幅部分の「罫書き」にノコ目を2cm刻みくらいに入れて、手ノミで彫り取る。部屋の幅によって「大引き」間隔が50cmになっているところは、梁が交差する部分の大引きの上面を厚さ45mm分切り欠いて、上面を面一(つらいち)にする。という難度の比較的高い作業が続いて、2.5人工でビス留め完了するのに3時半ごろまでかかった。もっとも棟梁が作ってくれた豚汁&ご飯の昼食をたっぷり食べダベリ、ゆっくり楽しく過ごした昼休み込みだったけどね。

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ちょっと見は易しく、実は難しい監督の指示

2010-01-19 | 300万円の家づくり
昨日監督に言われたことが気になっていたが、練習会場のちょっとだけの会話ではよく理解できなかったので、現場で教えてもらうことになった。昨晩遅くなった分朝起きるのが少し遅くなったのが出発時間にも影響して、現場に着いたらもう監督なべさんは来ていた。

先ず昨日までの作業内容を見てもらって、土台火打ち梁の仕様について打合せた。設計図には「火打ち梁」材の寸法が書いてなかったので、「作業小屋」と同様柱材を使って材を準備したという言い訳をした。なべさんの回答は、梁・桁部分の「火打ち梁」は柱材を使うが土台部分にはオーバースペックだとのこと。使いたければそれでもいいよとのことだったが、切り替え(変わり身?)が早いMacchanはもう刻んだ材は梁・桁部分用に転用しようと決めていた。それに折角の現場監督の指導だもの、素直にチャレンジしなきゃと前向きだった。

45mmx90mmの指定だったが、ずばりのサイズが在庫に無く45mmx105mm材をかき集めた。中には数十年在庫されていたと思える、岳父の材木屋廃業時に残って貰い受けた檜の端材も混じっていた。これは面白い。杉材の家の見えないところに古い檜材を使っているなんて、幕府に気を遣って素朴な色素材の着物の裏地に派手な柄の絹裏地を使った伊達藩士みたいでお洒落じゃないか! さしづめMacchanは「伊達男」か? ん~なわけねぇーか。

指導を終えたなべさんは現場飯を一緒にして直ぐ帰ってしまったので、早速土台にダイレクトに描いてくれた設計図?と睨めっこして1本試作してみる。材の刻みまでは角材より簡単で順調だったが、土台側の「受け」を彫り込むのに手間取った。取り付けられた120mm幅(高さ)の土台材に、高さ45mm幅が斜めで不定形な形状を梁材の輪郭で描き、手ノコと手ノミを使って加工する。切れ味が悪くなったボロ手ノミにいらつくが、砥ぎ名人のうーさんは居ない。どっと疲れが出て2本分仕上げた時には、もう日暮れが迫っていた。
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「土台」と「大引き」の取り付け終了

2010-01-18 | 300万円の家づくり
先週の土台取り付けに続いて、週明けの単独作業は「大引き(おびき)」の取り付けだ。1m間隔で南北の土台間に4寸角材を渡し、これを1m間隔に取り付ける束で支える構造だ。

土台もそうだったが、大引きも3~5mmくらい材の方が長いことが多い。基礎はレーザー測定なので正確なはずだし、Macchanの材の刻みもスケールと曲尺を使っているので何ミリも間違っているとは思えない。推測だが基礎の方が、コンクリートが固まる間に収縮しているのではないか? 修正可能な範囲なので、組み立てながら直して行った。もちろん、大引きの方が構造がシンプルなので(両端が蟻ホゾ)修正も簡単だ。

週末の2日間で痛かった腰も少しよくなり快調に作業が進んだ結果、今日の8本は昼過ぎには終了してしまった。次は何だ? 火打ち梁材(土台の四隅に45度の角度で取り付ける突っ張り材)の準備でもするか。45度で取り付ける関係で、久しぶりにサイズ出しに計算機を使った。1:1:√2で長さを出す。4寸角材で全く同じサイズ12本だが、45度のカット部分の丸のこ使用にコツがいるのと、表裏からの丸のこだけでは切れないために手のこ作業も必要とする。これにかなり手間取ったが、日暮れまでには全ての作業が終了した。

夜ちょっとショックなことがあった。合唱練習会場で会った監督なべさんと話をしていたら、土台用の火打ち梁は、柱材を使わないというのだ。45mmx90mm材で十分らしい。いやー、取り付けなくてよかった。今日加工した火打ち梁は、梁・桁用に転用することになった。
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団塊世代友人の近況

2010-01-17 | 団塊世代
会社を定年になって2年余り、団塊世代友人仲間のその後の人生の過ごし方が大分明確になってきた。世襲で早くから社業に邁進している何人かは謂わば敷かれたレールの人生、サラリーマンで過ごしてリタイアした後気楽に過ごしている者からは想像がつかない苦労をしていることだろう。またそれなりの見返りも、享受している筈だ。

多くの友人はサラリーマン生活を過ごしてきて、中には実力で大中小の社長をしている者もいる。競争社会を潜り抜け、いや波を乗り越えてポストを手中に収めた実力と幸運に拍手を送りたい。多くの仲間は定年延長の恩恵に浴している者も含めて、今年までに本当の定年を迎える。

Macchanの友人の多くは私と同様趣味が多彩で、放っておいても人生暇を持て余すことはないように見える。しかし何人かはもっている趣味に費やす時間だけでは満足いかず、再び仕事についた人たちもいる。ある人は任されて社長業に就き、ある人は飲食業をやり始めたと年賀状を寄越した。それぞれ立派な志があり、これはこれで結構なことだ。まして世の中から最も信用できない「仕組み」といわれる、「年金保険」の重要な支え手になってくれているのだからーー。

その中で会社の先輩を通じて親友になったKYさんは昨年暮、市内中心街にカフェを開店した。昨晩「定例会」が解散してから、次のバスが来るまでの30分間に彼に会いに行った。店に入っていったら直ぐに目が合い、いつもの人懐っこそうな笑顔が続いた。まだ開店したばかりで家族の応援も得ていることや、自らもこうして汗して閉店まで店に居ることが多いと言った。現役の時同じグループ会社から任されて、私と同じ様にリゾート施設の責任者をやっていた時もあったが、小さな規模ながらその時よりも憂いなく楽しくやっているような印象だった。(写真はKYさんのカフェが入っている「ザザシティー浜松西館」)

どんな境遇であれ自分の意志で、やり甲斐と生き甲斐をもって活き活きとやっている人は魅力的だ。地位や収入などにはもはや無関係、人生の仕上げ時期に入って如何に精神的に満たされているかがポイントなのだろう。



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おじやんの飲み会について考える

2010-01-16 | 日々雑感
団塊世代初年度のMacchanはオフィシャルに飲み始めて42年、その間に飲み屋に散財した金額恐ろしくて勘定できず。学生時代の飲み始めはサントリーの「RED」かニッカの「Hi Nikka」で、ちょっと金があるときは「White」だった。もう少し先輩は「Torys」だったっていうから、当時はウィスキーが主流だったのかな。

就職して初年度の月給は残業を入れて5万円くらい、寮費などを引かれると手取りは3万円位だったかな? 当時は、先輩もよく奢ってくれた。原資は自分の懐か、はたまた営業系だったからか接待費も結構持っていて、よくゴッチになったものだった。

さてそれから幾星霜を経た今はどうか、浜松男声合唱団の定例会と称する毎月の飲み会、その他のリタイア組み同志の飲み会に出席するのが楽しみだ。飲み会なら幹事をやることが多いが、意識して3000円迄で納まるようにアレンジすることが多い。今でも同窓会などの会費1万円の案内を平気でやってくる幹事もいるが、高額な会費で二の足を踏む人も多いのではないかと思うのだ。

今時普段から「晴」の日が増えて、宴会の時のご馳走や特別な酒が楽しみだという向きは減ったのではないか。先ずは参加し易い条件を揃え、あの会へ行ったら楽しく2~3時間は歓談できるという気楽さが参加者を増すのではないか。

かくして今日は今年最初の「定例会」、参加者は6名だったが別に出欠をとるわけではない。会場は一定なので、日時だけ告知する。参加者は2~3名の時もあれば、15名来る時もある。いつもの台湾料理屋なら、たらふく食べて呑んで割勘は大体2500円前後。今日は何と最安記録タイの2300円だった。ワイワイガヤガヤ、「人生ただ生きていることが楽しい」時間を共有するのにはこれでいいのだ。(写真は昨年6月の定例会風景)

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