カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

待つのが苦痛なのは

2013-08-12 | HORROR

 特に体調が悪い訳ではないが、病院には割合行く方である。特に恨みは無いが、特に好きなところでもない。注射が怖いというのはあるけれど、医者や看護婦が怖いということでもない。嫌だと思う最大のものは、待たされることである。
 最近の大きな病院は、さすがにいろいろ工夫がなされるようになっていて、だいたいの待ち時間を表示してくれるようになった。また予約をしておくと、ほぼその予定時間通り受診できるようにもなった。これは本当にありがたいく素晴らしい変化だと思う。以前のどれくらい待たされるか分からないという時間ほど、世の中の苦痛の上位のものは無かった。おそらく刑務所は個人の時間を奪うことで刑罰としているところでもあると思うが、病院の待合よりは待つ時間がそれなりに明確だから、病院よりは親切であるといえるくらいだと思う。人によっては待ち時間に具合が悪くなって、もう待てない(耐えられない)から帰ると言い出すということもあった。何とかなだめて待ってもらう訳だが、どれくらい我慢が続くのか分からず、本当に閉口したものだ。これに懲りてますます受診を怖がり、よほど重篤にならない限り暴れて受診しないということにもつながっていたように思える。
 実際に診てもらって処置をされる段階になると、痛みなどの苦痛があったとしても、なんだかホッとしている。もちろん痛いのは嫌だけれど、逃げられないというのはなかなか度胸が据わるような感じだ。ごちゃごちゃ言わずどんどん何かされている方が、かえってもうどうでもいいという気分になるかもしれない。「さて、切開するかどうしましょうか?」などと言われるような事の方が、はるかに恐ろしい気がする。
 実際の苦痛より待つことの方が恐ろしい。ヒトは自分の想像力の方が苦痛が大きい、ということなのではなかろうか。
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奥さんを観てもらうということ   殺意の切れ味・刑事コロンボ

2013-08-11 | コロンボ

殺意の切れ味・刑事コロンボ/ビンセント・マケビティ監督

 正直言って、愛人が浮気相手に協力して殺人を犯してしまうことが一番理解できなかったかもしれない。浮気であることを了解していて、今の状態に特に不満そうに見えなかったからだ。金持ちの奥さんとの関係は、そういう状態だからこそ安定しているとも言える。奥さんは旦那に不満があるようだが、旦那本人を殺すのではなく、旦那が犯人になるように仕組むのである。
 さらにそういう自分には見ず知らずの人を殺すにしても、相手の人の良さに付け込んで殺してしまうのもなんだかつらい。良い人じゃなかったら殺されなかったということもいえて、かわいそうなのである。遊びにつきあわされて殺される虫のようなものじゃないか。
 浮気をしているという反社会性はあるものの、鑑識の仕事という手がたい(らしい)仕事をしている。自分がそういう仕事をしているからこの手口に自信があったということは考えられないではないが、そういう人がコロンボの事を知らない訳は無くて、つまりそのようなトリックであっても名探偵が見破らないという自信がどこにあるのかというのが分からないところだ。もちろんそれはテレビを見ている側の理屈かも知れないけれど。

 浮気相手の共犯役はピーター・フォークの奥さんであるシーラ・ダニーズ。新シリーズでは度々出演しているが、今回も色っぽい場面など重要な役どころをそつなくこなしている。役者夫婦がどの様な感覚を持っているのかは知らないが、監督さんなんかだと自分の奥さんをよく脱がせたりしている人も多い。P・フォークさんにもそんなような趣味があるのかもしれないと思ったりした。いや、奥さんの方からそういう役をやらせてくれと頼むんだろうか。年の差もかなりありそうだし、夫の死後にも自分なりに役を続けていこうという意欲の表れなのかもしれない。
 役者というのは自分を客に見てもらってナンボの世界なのだろう。コロンボというヒットシリーズに出られることは相当顔を売ることになるということなのだろう。確かにはるか遠くの国の日本でも、このように彼女を見て感想を書いている人間が居る訳である。そういう事実は本人は知らないだろうけれど、そういうことに喜びを感じる人種ということなのだろう。面白いものですね。

 さて、謎解きの方は、コロンボのなかなかの観察眼が生きていて、新シリーズの中では良いと感じた。二人の関係を見抜く視点は、妻の浮気を知った男のような感じも無いではなかったが。謎解き解説をコロンボ本人がするのはちょっと異色だったけど、久しぶりに楽しめたな、という感じだったのである。
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ストレスが消える方法

2013-08-10 | なんでもランキング

 先日ストレス解消法ランキングというのをやっていた。
5位 音楽
4位 オフ会
3位 カラオケ
2位 酒
1位 スポーツ(運動)
番外 仕事
 というものだった。ふーん。
 そこで自分ならと思う訳だが、順位はよく分からない。しないとイライラするものもあるので、そういうのを入れるべきなどうかというのはある。それは禁断症状のようなものかもしれないので、逆にストレス元かもしれない。思いつくままに書きだしたらどんどん増えるので、途中で思考停止する。意味や解説を加えるとかなり長くなりそう。そういう性格なんで仕方ないが。
 並べてみると

16位 食事(もちろん旨いのこと。)
 ランキングが低いようだが、現在ダイエット中だし、食べ過ぎると罪悪感があるのでストレス元ということで下げてみた。

15位 現実から逃げる
 これは目の前から抹殺するとか他の事をするとか本当に忘れるだけで良い。一時だけだが…。

14位 何もしない(ダラダラする) 
 ホントになんにもしないをけっこう難しいが、ストレスがたまるとボーっとしている事があるようだ。何もしなくていいと思えるような時も精神が盛り上がる。

13位 風呂(実は風呂嫌いかもしれないが) 
 サウナも入るが、しかし特に絶対ではない。ものすごく忙しい時に風呂というのは効いている実感が大きい。普段はそんなでも無いけど。

12位 運転(含む通勤)
 僕の地元の風景は素晴らしいといつも思う。荒れた天気の時も、何故か運転中は高揚することがある。飛ばしてもノロノロでもいい気分だ。

11位 散歩(なぞなぞ制作、社会問題を解くなど) 
 散歩は歩きだすと熱中することがある。行く前はそんなに乗り気じゃなかったりするが、どんどん行けるところまで行ってしまいたくなる。どこかはよく分からんが…。

10位 読書 
 面白くない本もあるけど、酷いもの過ぎると赤ペンで表紙に「バカ」と書いて捨てるとけっこう気分が良い。枕にしたって良いかもしれない。

9位 音楽(聞く、弾く、編集する)
 これはやはり気分によるな。音楽をまったく聞きたくない気分もある。弾くは時間を取られることがあって、意図的に避ける傾向にある。

8位 ブログ 
 上手く書けたというのが気持ちが良い。書く事でもやもやが整理されるということもけっこうある。自分が考えていたことが見えるということなのかもしれない。

7位 SNS 
 やっぱりつい見ちゃうというのはある。なんで面白いのかはだんだん分からなくなっているのだが。

6位 本などを買う(クリックするも含む)
 読むより買う方がすっきりする。もちろん勇気のいることもある。請求金額を忘れることも大切だろう。

5位 杏月ちゃんを撫でる 
 いつもありがとう。

4位 映画(録画を観る含む)
 これも作品によるけど、面白くない映画も、いい感じの事もあるから侮れない。でも最近は観ながらけっこう寝てしまう。

3位 酒
 飲み始めもいい気分だし、ある一定量が越えるホンの数分に幸福感がある。迷惑をかけている罪悪感もあるので3位といったところ。飲めるのは不幸かもしれないとは思うことがある。

2位 家に帰る 
 それだけでいいんですよ、ほとんどの場合。

1位 ユーレカ!(分かった、と思うことですね。めったにないが強烈だ。仕事も含んでいるかもしれない)
 カッコ書きの中に書いたとおり。パズルでも何でもいい。これが訪れるとかなりストレスが吹っ飛ぶ感じだ。疲れていても疲れていない感じがする。そうして酒を飲んで忘れてしまう。

番外 旅行(そうそういけるもんじゃないし、共に行く人にもよるし) 
 これはユーレカ! の番外編でもあるかもしれない。もしくは読書とも似ているかもしれない。説明は厄介だが、意味の分かる人は居るだろう。

 さて、しかし僕は性格のせいもあって、たわいのない事でもストレスを抱える方だ。90秒ルールというのがあって、思っている事をとにかく90秒くらい我慢してみる。そうやって言いたい事を言わない事の方が、ストレスが消える場合もある。それは怒りともにているが、諦めでもあるということだ。諦められるというのは、人間の本当の成長のあかしかもしれないな、とは思う訳である。人間こだわるのが一番いけない。と最近思う訳であります。
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実にコロンボ的な名作   二枚のドガの絵・刑事コロンボ

2013-08-09 | コロンボ

二枚のドガの絵・刑事コロンボ/ハイ・アヴァーバック監督

 これはラストシーンをやはり覚えていた。実に鮮やか。そしてあっぱれ。これだけのために物語があるようなお話だ。
 トリックはいくつかあって、共犯者もいる。単独よりいろんな手を使えるという利点はあるが、しかし後々邪魔になる。この犯人もそう考えて、あらたに殺人を重ねてしまう。自分が捕まりたくないという思いは、殺人の動機として非情にまっとうになるということらしい。日本だとしかし一人と二人では罪の重さが違う。そういうことを考える人だと殺人を思いとどまるだろうか?少なくともお話は面白くなくなってしまうが…。
 結局コロンボを手玉に取るために新たな策を練り直し、最終的にコロンボの罠にはまっていくということだ。狙われている人間はジタバタしてはならない。そのままならコロンボだってもう少し苦労するかもしれないのだ。そういう意味では愚かな人間だが、そうでなければカタルシスも無い訳で、やはり上手い仕掛けだろう。
 トリックとしては良い話だったのだが、一つだけ実は倫理的には引っかかるものがある。美術館などに行くと、作品に手を触れるのはご法度だ。それは本当に当たり前だと思う。作品を傷つけるとまではいかなくても、手を触れてみてはならない。しかしガラスの向こうにあるよりさえぎるものが無い中で絵を見られる環境はしあわせだ。お互いの信用があって初めて成り立つ関係である。そういう心得こそ大人としての嗜みというか、絵画鑑賞が子供に許されない理由であるとか、そんな感じもする。さらに鑑識にかける時の指紋検査。テレビで見る限りは何か粉のようなものを振りかけて指紋の形を見るのではなかったか。そんなことを絵画にして良いのかがよく分からない。
 つまらない事にこだわりなさんな。そういう声は聞こえてきそうだ。しかしそういうことにこだわるのがコロンボ中毒者にはあるはずである。それは最初からあった習慣だろうか。今はそのことを疑うべきではないだろうか。
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カフェインの錠剤はけっこう優れモノだ

2013-08-08 | 雑記

 夏は暑いせいかそれだけで疲れてしまうのだろう。日中に矢鱈に眠くて困ることがある。一度眠いと感じるとなかなか抗うのが難しい。顔を洗ったりすることができればかなり違うが、逃げられない状態だと厄介だ。先日は葬式の折にそのような波が来て、途中すっかり寝てしまった。おかげで早く済んだけれど、何となくバツが悪い。ご家族が悲しんでおられるところ申し訳ないと思うのだろう。
 普段は酒を飲んでいるから寝つきは良い。しかし飲みに行くと時々帰りたがらない人がいる。最近は少しだけ図太くなったから逃げて帰ることも躊躇しなくなったが、やはりそれでもいわゆる捕まってしまうことがある。ちょっとだけだからと二次会三次会に参じると、たいていちょっとでは済まない。もう若くないから翌日は確実につぶれる。残りの人生が短くなっているのにまったくもったいない事だ。行きつけの藪医者に頼んで点滴に成功すると何とかなる場合もあるが、どうにもならないで我慢大会の一日ということもある。やっと一日を終えて酒を飲んで寝ると、人生が確実に縮まっている事を実感できる。
 最近は少しだけ飲めるようになったが、もともとコーヒーは苦手だ。特に二日酔いの時は胃が痛くなるのでなるべく避ける。痛ければ眠くならないかといえば、不快で横になりたくなるからかえって良くない。しかしながらカフェインならコーヒー以外にも入っているはずである。そう思って緑茶や紅茶などを飲んでみるが、含有量がたいしたことが無いのか、気分が落ち着いて眠くなってしまう。そもそもの眠気にはたいして効き目がなさそうだ。
 ところが最近カフェインは薬として売っているという事を聞いた。ドリンク剤があるのは知っていたが、なるほど錠剤があるとは知らなかった。さっそく薬局に行って買ってくると、20錠で500円程度だった。一回に二錠で200㎎摂取できるとある。ある本によると400㎎くらい摂取すると効き目が大きいと書いてあった。僕は普段からあまりカフェインを摂っているとは考えにくいので、処方箋通り2錠で我慢することにした。
 飲んで15分くらいしてすぐに効き目が実感できた。なるほど、コーヒー一杯でカフェイン100㎎弱といった程度だというから、立て続けに2杯がぶ飲みした状態なのかもしれない。効き目が分かると面白いもので、覚醒している自分という気分の良さもよく分かる。少なくとも眠くてイライラしているよりずっと気分がいい。
 ところが2時間程度したら、やはり何となく疲れがまたぶり返してきたように感じた。なるほど、いくらカフェインとはいえ持続するのはその程度なのかもしれない。それでも2時間は気分がいいということが分かった。これは会議などには使える手段だ。自分の体力の事もあるから続けて飲み続けられるかは分からないのだが、錠剤のカフェインは安価で効き目がそれなりに確かだということが分かった。胃もまったく痛くならない。聞くところによると、コーヒーのカフェイン以外の成分が胃痛を引き起こすらしい。カフェインも胃酸を促す成分があるらしいから空腹には向かないかもしれないが、やはり自分の体調に合わせて比較的無理の出来る成分であるようだ。
 もっともやはり眠いという不快感がまったくなくなる訳ではない。一時しのぎにはなるというだけだという認識は、持っておくべき処方なのであろう。
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漫画なんだけどそれでいい   007スカイフォール

2013-08-07 | 映画

007スカイフォール/サム・メンデス監督

 冷静に考えるとよく死なないもんだという感じはしないではない。体力テストにも落ちるような人が、しかし能力は低く無いようにしか見えない。そうでなければ殺し合いに生き残れない。分かっちゃいるけど、それが007なんだという快感かもしれない。
 無茶苦茶で漫画的なんだけれど、それも許せる。せりふ回しも、気が利いているし、しかしハードボイルドなのかというと、行き過ぎてもいない。単純に娯楽作として観てもいいが、妙な深みも感じないでは無い。作っている方にも何らかの葛藤があるようにも思う。それは監督さんのせいなのか。役者さんが以前と違うので当たり前だが、正当なジェームス・ボンドなのにちょっとストイックな感じもする。悪いということではなく、それが心地いい。そうしてこのままでいいのだという納得が、本当に後半になって爆発する気がする。彼の心にも傷はあって、しかしそれを強みに生きているのだ。謎解きの話ではないにしろ、なんだかやっと吹っ切れた気分にはなった。
 思い返してみると以前の007シリーズは、この作品の後日談のようだ。同じMでは無くなっているということなのだろう。Mはママの意味だったかもしれず、そうすると男のMは本当には意味は無い。そういう乾いた関係になって行ったということかもしれない。
 基本的な路線の下地がだからこの世界にはある。しかし時代設定は現代だ。代表的なのは携帯電話。これが無ければ時代物の007になってしまう。いや、実際はそうすべきものを、今の時代からリセットし直して始めてしまう。新シリーズはだから過去の前日談ではやはり違ってしまう。それでもかまわず暴走することにした。そういう覚悟が制作側に必要だったのかもしれない。
 カジノ・ロワイヤルの作品が非情に良かった。本来はそれが決め手だったのだろう。基本的にそういう路線の延長を行くことにした。お話はいろいろ詰め込んであるけれど、カタルシスはかなりある。もうショーン・コネリーには戻らない。絶対に戻れそうにない。しかしだからこそジェームズ・ボンドでもあるという、実にカッコいい作品なのではなかろうか。
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実は順調ではない件

2013-08-06 | 掲示板

 「実は…」という打ち明け話をすると、共感を呼んで話し合いなどは順調に進むという話を聞いた。交渉事などにも効果があるのだという。何の交渉も特に今は必要ではないのだけれど、僕自身にも「実は…」ということくらいはある。
 それは他でも無くダイエットの進捗状況かもしれない。
 5月以降は割合順調で、7月の頭くらいまでは本当に計画通り痩せていたという感じであった。ところが72キロ台になったところで、なんだか停滞感に付きまとわれる感じになってしまった。71キロ台を数回記録したものの、何となくまた72キロ台に戻ってしまう。そうして時には73キロ台の数値もチラホラ。基本的にはダイエットのやり方は変えていない。空腹感にもそれなりに慣れてきていたし、達成感の楽しさも満喫していた。飲み会も多い時はあるが、むしろ6月の方が総会も多く、宴席や出張なども多かったようだ。比較的にやりやすい環境になったはずなのに、なんだか変だなあ、という感じだったかもしれない。
 80キロを越えてから目覚めて本気になりだしたから、約1割(8キロ)をとりあえず減らすという明確な気分があったという感じがする。72キロ台というのは、まさにその一時到達点ということだったように思う。目標としては2割削減と宣言していたはずだから、まだまだ道半ば。よくやってはいるということで、いわゆる自分を褒めるというのは良いとは思うが、気持ちを引き締め直すべき通過点であることには変わりなかろう。気持ちの緩みがまったくなかった訳ではないけれど、やはり何だか上手く結果が得られない焦りのような気分も出てくるのだった。
 もちろん他人と一緒にいる間は、ある程度の割り切りも必要である。皆が食事をしている時に自分だけが食事をしないというような場のみだし方はやりにくい。しっかり摂るような事は無くても、何となく摂らないというのはテクニックのいることだが、まったく不可能なことではない。地道に少し残しを実行して、一日のカロリー摂取は多くとも2000キロカロリーを越えることはほぼ無かったように思う。
 ところが食べる量が明確に減ると、いわゆるトイレで具体的な固形物が出なくなるということが起こるようになって行った。お腹はゴワゴワするような感覚があるが、内容は無い。いわゆるガスがたまった感じはあっても、出てくるものはほとんど無いのである。3日から一週間くらいすると、やっと少し内容をみる事はあるが(そういう日は当然体重は減る)、その後はまた寂しくなってしまう。ダイエット前は一日に大の方でも3~4回は排出していた(僕は胃腸が悪いのです)から、えらい違いである。
 そうして毎日ほとんど変わらず72キロ台のオーダーを確認する。これはちょっとつらい感じがしてくるものである。やはり結果が出ないとダイエットは一気に苦しくなってしまう。
 そういう日々が一月ほど続いているのが現在の状況。まあ、何となく耐え忍んでいるが、心が折れている訳ではない。これに腐ることなく、また、変に欲を出して挽回するような野心も抱かないようにして(これはやりたくなるが、ほとんど自殺行為だ)、また刻んで行ければと考えているところである。予定より期間は長くなってしまうのは致し方ない。そういう習慣をもう少し連続して続けて生活するだけの事である。
 この苦しい時期は、久しぶりに会う人とこういう話題で盛り上がれるのが、唯一の励みという感じかもしれません。頑張ろうっと。
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厳しい兄は嫌われる   もう一つの鍵・刑事コロンボ

2013-08-05 | コロンボ

もう一つの鍵・刑事コロンボ/ノーマン・ロイド監督

 トリックは証言だのみで証明するだけではどうなのか、という疑問はあるにせよ、追いつめ方は淡々と見事という感じ。やはり初期の頃のコロンボの嫌らしさは、大げさに嫌らしい訳でなく、とにかくしつこいかぎまわり方の嫌らしさに味がある。本当に嫌われてしまって、本当に捜査は大丈夫かな、とも思わせられる。しかしそうであるからこそ、犯人はかなり精神的にも追いつめられて、生活そのものを破綻させてしまうという感じ。人を殺すという負い目もあるが、逃げられない事による精神的な軋轢こそ、罪を犯した罰の一つなのであろう。
 ところで、兄と妹という関係において、兄が親代わりになって妹に厳しくするという図式というのは、何となく馴染がうすい感じもしないではない。妹だから誰もが甘くなるということではないだろうけれど、このお兄さんは確かに妹に厳しすぎるところがあるようにも思う。結果的にそれは見る目があったとは言えるのだが、母親との関係においても見離されており、そもそも不思議な妹だったのかもしれない。兄を殺してどんどん傲慢になっていくさまはちょっとしたホラーで、その力の使い方は恐ろしいものがある。会社の規模もあるだろうけれど、そういうことが簡単に出来てしまうような会社っていうところも、なんだか日本のボンボンの会社みたいで不思議である。いや、日本だって簡単じゃないだろうけれども。
 そもそも計画通り犯行が進まないまま強引に計画を推し進めてしまった事と、兄とフィアンセの関係を読み切っていなかったところにも敗因はあった。さらに自滅して自分の味方を失うのだから自業自得である。その前の段階で無罪になっているのだからお話としては少し甘いのだけれど、だからこそ演出的な制裁が必要だったということなのかもしれない。時代が古いと今とは違った社会常識があるらしいということも含めて、考えさせられる作品であった。
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ストレスに対処してない理由とは

2013-08-04 | culture

 日本ではストレスにどう対処するのかという問題の立て方をあんまりしない、という話を聞いた。そんなはずは無いと思う方もいるかもしれないが、実際はどうなんだろう。
 ストレスにどう対処するのかという答えを聞いてみると分かる訳だが、息抜きをするとか、運動するとか、カラオケを歌うとか、酒を飲むとかいう答えになってしまう事を指しているらしい。これはストレスそのものを対処している訳ではなく、ストレスを軽減させたり、発散させる方法である。つまり直接ストレス元に対して対処することはほとんど無いということらしい。ストレスが起こる原因には目を向けず、溜まったストレスの方に目を向けて対処しようとしている訳で、それでは根本的に対処していることにはならないという考えのようだ。
 どういう場面でストレスを感じるのかという問題や、ストレスを持っていることの感覚の違いにも特徴がありそうだ。ストレスは何かの圧力や障害があって、実際にキズが付いたものを指す場合が一般的な解釈だ。傷を付けたものが何なのかということを解決しない限り、ストレスはまた再生産され続けることになる。傷の回復が軽いうちは修復も可能かもしれないが、取り返しがつかない深手を負うと、それなりに厄介なことになる。そういう認識はたぶんあるのだろうけど、棚上げにしてやり過ごす道を選択する。それは日本人の精神性そのものに原因がありそうだ。
 しかしながら、相手の事は自分ではどうにもならない問題である場合も多いような気がしないではない。日本人のストレスの根源はたぶん人間関係を指しており、相手の事を考えるならば、自分の方は差し控える選択をしているだけの事のようにも思う。相手は自分の事を当然考えており、その上で自分がストレスになる事をしているのである。苦情を言ったところで始まらないということもあるかもしれないし、黙っていてもそのことに気づくはずだという期待もあるかもしれない。
 しかしながら、やはりこれはムラ的な社会だから成り立つ考え方ではあるようだ。その中に異物が混ざると、自分のストレスは永遠に解決されそうに無くなる。自分がストレス元に対して強くならざるを得なくなり、つまりやり過ごすうちに自分が力を付けるなり成長してしまうより無い、という考え方になるのではいだろうか。
 ストレスというものは困ったことではあるが、しかし必ずしも本当に悪い事では無いという捉え方もあるのではないか。そのような自分の成長の糧になるようなものだからこそ、付き合う術をやり過ごしながら対処していこうということなのではないか。
 それは本来的にはストレスでは無く重圧であったり、プレッシャーのようなものを指しているということも考えられる。結果的に受けている傷も無いではないが、その前段階を指してひとくくりにストレスと捉えているのだろう。
 もちろん、本当にストレスと向き合って相手に対峙する方法だって無い訳ではないし、実際にそういう行動を取れる人だって居ることだろう。だが、多少の性格はあるだろうが、日本人の場合には、その行動は少し無鉄砲に感じられるのではなかろうか。つまりさらに強い軋轢を生む危険もあり、別のストレスを生みそうな予感もある。そういう選択をしないという考えには、つまり大きなストレスの発生を事前に回避しているということなのではないだろうか。
 こうした選択が賢いものか正しいものかはよく分からない。しかしながら、やはりこういうものから逃げているだけの事ではなさそうな背景がありそうにも思う。そうして、やはり諸外国の人には、これが出来ないだけの事ようにも思える。
 事情が違うにしろ、一般的に日本の犯罪発生率は、諸外国の平均の100分の1程度である。ストレスに上手く対処した結果であるとは言い切れないが、やはりまったく関連が無いとも言えないだろう。大きなストレスを各個人が個別に回避して発生させないように努めているとしたら、驚くべき対処法だとはいえないだろうか。
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過去を引きずるのはどんな人間か   ホリスター将軍のコレクション・刑事コロンボ

2013-08-03 | コロンボ

ホリスター将軍のコレクション・刑事コロンボ/ジャック・スマイト監督

 僕は自衛隊のまちにすんでいるので、比較的まちの人たちが軍服姿の人に敬意を表している環境にいる。例えば指令のようなえらい人だと、セレモニーの席などでも市長さん達とほぼ同列の偉い人の中の一人という感じは何となくする。けれども敗戦国の日本においては、軍服の人たちが必ずしもそのように思われているのかは疑問だ。まったく敬意が無い訳では無かろうが、少なくとも先の戦争の英雄なんてことはほとんどありえない訳で、さらに近年は戦争もしていないから尚更だろう。それがどうだということではないのだけれど、米国だと戦争の英雄というような将軍が居るらしいことが分かる。そういう人がたいそうな権力を持っているらしいことも改めて分かる。そうしてこの場合は犯人だから、さらにかなりの悪者なのである。人の上に立つことに慣れており、そうして自分中心に物事を考えても迷いが無い。戦場で活躍する資質でもありそうだけれど、それが本当の事なのかは僕には分からない。
 そういう昔のえらい将軍が、その特権を利用して不正を働く。そうしてそのことがバレそうになり、同じように秘密を握っている人間を始末する。尻尾を切る訳だ。ところがその殺人の現場を船の上から見ていた女がいた。彼女は警察に通報するが、殺したという証拠が無い。最初は見間違いかもしれないということから話が始まるが、将軍はその目撃した女に近づいて、口説き落として手なずけてしまう。そうこうしているうちに本当に死体があがってきて、犯行に使われた拳銃が見つかれば事件は解決するだろうという展開になる。
 初期の作品の中では何となく出来が今一つの感があるが、コロンボと将軍の駆け引きはそれなりに面白い。将軍に敬意をもって接しているようでいて、いつものようにじりじりいじめるように捜査を展開していく。船酔いしたりして調子がいま一つだったりすることもあるけれど、そういうやり取り自体はコロンボらしい作品と言えるだろう。
 もとの偉い人も過去の人。過去の栄光があるからえらい人というのは、過去をすんなり捨てきれないものかもしれない。もちろんそれがアダになるというのはなかなか上手いお話かもしれない。その結果何となく馬鹿にされるようなところもあって、ちょっと考えさせられてしまう訳だが…。
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賃金を高くするにはどうするか   日本の景気は賃金が決める

2013-08-02 | 読書
賃金を高くするにはどうするか
日本の景気は賃金が決める/吉本佳生著(講談社現代新書)

 働き方には多様性があるから、その働き方に賃金の差があるのは必ずしも悪い事とはいえない。しかしながら、その働き方に選択が無く格差が生まれているとしたら、それは確かに問題である。この本の題名通り、仕方なく派遣や契約などで働いている人の賃金をいかに上げるかということを考えると、日本の景気にもダイレクトに影響がありそうだということは分かった。またその方法も提示してある訳だ。
 しかしながら景気と賃金はどちらが先かという問題を素直に見ると、賃金があがるから景気があがるというより、景気があがるから賃金があがるという関係というのが従来の考え方であったはずだ。事実ももちろんそのように連動しているはずである。日本の高度成長というのは、そういう背景で日本人の賃金を押し上げて来たはずである。しかしながらご存知のように高度成長は止まってしまった。そうしてむしろマイナス成長に転じており、結果的に賃金低下という事態に陥っているように見える。これはやはり平均的な値を考えてそうなっている現実があるから、深刻ではあるがなかなか難しい事だ。
 労働人口が減り続けている中で経済成長をするには、一人当たりの生産性を上げる以外に無い。既にサービス業が中心となった国内労働事情にあって、労働生産性を上げる方法というのは、そんなに簡単なことなのではない。この本で書かれてあることではないが、日本の賃金格差の本当の姿というのは、高齢化が進んで賃金をもらう人が大幅に減ったことが第一の原因であるはずだ(これは確定した事実である)。少子化もあってさらに労働人口が減り続ける中で、さらにサービス産業という働き手の賃金を上げるという方法は、今話題になっている労働時間に影響を受けるという事実がそれを正確に表していると思われる。労働時間と賃金というのは比例するのが当たり前だから、サービス産業はブラック化しやすい宿命を持っている。
 処方箋として都市に益々労働人口を集中させるということがある。日本の高度成長を支えて来たのは、日本の豊富な労働力であった事は間違いが無い。農村から都市へ人口が移動したことで、日本の高度成長は支えられてきた訳だ。日本は多くの人口を抱えた大国だったからこそ、成長することができた。近年であっても三大都市圏へさらに人口流入は進み、地方であっても政令指定都市のような場所にどんどんと人口集中は進んで行くだろう。地方の時代という言い方は耳触りはいいのだが、事実上いかに効率よく都市部へ人口が集中できるのかというのが、日本の明暗を分けることになるだろう。処方箋の切り札はたぶんそれに尽きる訳だ。
 それにしてもこの本のデータで一番驚いたことは、諸外国の比較による日本の特殊性かもしれない。その中でも特に、長く勤めるからといって賃金格差が少ないという諸外国の在り方かもしれない。初任給から定年(という形は日本と同じではなさそうだが)までの人の賃金格差が低いというは、公平なようでありながら、もっと別の意味がありそうな気がする。今のところ想像でしかないが、解雇規制の在り方にもからくりがあるかもしれない。そういうことに簡単に手がつけられるのかどうは分からないが、労働の在り方というのは諸外国とは最初からかなり違うらしい。日本がおかしいというより、そういうことがもう少し明確にどのように違うのかという比較がなされなければ、働き方の良いあり方というのは、そう簡単に提示できないのであるまいか。
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父と娘の関係はホントにこんなものだろうか   4時02分の銃声・刑事コロンボ

2013-08-01 | コロンボ

4時02分の銃声・刑事コロンボ/デニス・デューガン監督

 封建的な父親と娘問題が背景にある。実はこれは僕には以前からあんまりよく分からない分野なのである。娘が居ないというのは置いておいて、そういう精神構造がよく分からんというか…。娘が可愛くて自分の思うようにしたいという欲求までは少し分かる。恋愛とは違うかもしれないが、そのような親というのは居そうである。しかし、だから実際に娘の行動を縛りつけて、さらに恋愛問題まで関与するというのが分からん訳だ。本当にそうしたくなる人が居そうなところとか、実際にそういう話を聞いたりすることもあったりとか、さらにこのようなドラマになるということでも、多くの人には共感のあるらしいことが不思議なのである。
 娘を嫁に出したくない心境というのは、自分が妻にしていることへの裏返しがあるという話は聞いたことがある。自分が妻にあんなことをしてこんな事をしたということは、娘の旦那だって多かれ少なかれそんな事をするのではないかという恐怖だという。特にあんなこんなは各人で考えてもらうとして、さて、そんなに罪の意識があるのなら、すぐに改めるべきが先だろう。
 小さい頃はパパと結婚すると言っていたくせに、ほかの男と結婚したいなどということが裏切り行為だという話もある。まあ、それは裏切りには違いないが、だからなんだという感じもする。娘は妻ではないし愛人では無い。子供って最初からそういう違うものじゃないのだろうか。
 どこの馬の骨とも分からん奴と一緒になるのが許せないということもある。しかしながら若い男というのは、多かれ少なかれそんなもんだ。自分がそうだったから分かる訳だし、そもそも娘のセンスがその程度だった事を恨むより無かろう。相手の所為というより自分の娘の愚かさを嘆くべきだ。
 お話のトリックはまたしても電話。このシリーズは電話トリックが好きだね。携帯電話になった現代において、既に使え無い技法。さらに解決に向けて犯人をはめるトリックも、電話がらみと大がかりなお芝居。けれどもう少し相手の決断が速かったりすると、命が危なかったかもしれない賭けである。危ういバランスの話だったな、と思った訳でありました。
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