ダイエットをしているので、食べない工夫というものを考えることがある。考えてみるが実行というのはなかなか難しい。人間は言い訳が上手な生き物で、出来ない事をあれこれ言い訳する事に長けている。他人から教えられたことであっても、実行する人は少数だ。つまり実行が出来る人が成功者ということで、そこのあたりのハードルを下げる努力は必要だと思う。
さて、最初から口にしないと朝から誓っても、目の前に食べ物があるといつの間にか口に入る仕組みになっている。これは何度も経験しているので事実である。量を減らすと言っても限界があって、最初から少ないと不満も残る。残す行為で達成感を味わうというのは、ダイエットを面白くする精神性である。
しかしながら人の目もある。数人と食事をすると、自分だけが食べないのは目立つ気がする。ダイエットだからと言ってあからさまに残すことができる人は少なかろう。あまり悟られずに残すというのは至難の技で、やはり別の機会に挽回しようと開き直って食べてしまったりする。挽回する機会にはまた腹は減っている。これは生理現象だから、葛藤はいつまでも続くのである。
いっそのこと抜いてしまうというのはかなり合理的な方法だ。これは最初のうちは抵抗があるが、一度二度とやってみると、あんがい可能なことが分かる。食事の時間に別の事をする。散歩とか運動というのはなかなかいい。体を動かしていると食事は出来ない。不思議なもので、運動中は腹が減らない。そうしてやり過ごして仕事などに戻れば、食事の時間以外で飯を食うことの方が抵抗が出てくる。
そういうことを言うと、朝を抜くのはよくないとか、昼よりも夜の方が大切だ、という意見を必ず言う人が居る。ごもっともということもあるけど、抜くなら朝や昼が断然合理的だ。夜には不満が残り一日を終えるにも苦しみが大きい。それに食事時間という区切りも明確で無く、長く苦痛を味わうことになる。抜くというより苦行を楽しむようなマゾにしか勧められない。そういう無理がダイエット失敗の第一歩となる可能性の方が高い。言い訳なんかしないで、朝や昼に抜いて夜も抑える。成功体験があるから、せっかくだから夜も頑張る力が湧くというものだ。
食べるものに箸やナイフを使って線を引いたり、小分けにしたりするのも効果的だと思う。何を食べてもいいのだが、量を減らせばいいのだ。続けて食べないということに気を付けて、一口じっくりと味わって食べる。これはこれで至福であって、食事を楽しんでいる自分にも酔うことができる。少しの量でも旨いものは旨い。旨いものを食べる満足感は、少ないから減るというものではない。そうしてお皿にはまた食べ物が残っている。そういう状態にも満足感を持てるようになれば、なかなかいい調子である。ダイエットって楽しいな、というのは、そういう自分に酔うことである。
しかしながら、やはり気になってどうしても食べてしまうことはある。特に店で食べている場合などは、話をしながらいつの間にかという過ちを犯しかねない。そういう信用できない自分に対して怒りを覚える訳だが、しかし方法が無い訳ではない。
食べ残したものに水をかけてしまうのである。お店なら普通にお冷が出てくる。これを少量で良いからかけてしまう。最初は勇気がいるが、実際にかけてしまうと効果のでかさに驚くに違いない。本当にあっさりと食べたく無くなる。いや、厳密には食べ物認識から外れるような感覚かもしれない。既に洗いものになっているというか、残飯になっているというか。
お弁当などの場合だとおしぼりがつくが、僕はこのおしぼりを上に落とすことにしている。するとやはりゴミに変身してしまうような感じがする。あっさり食べたくなくなるから、人間の心理というものは不思議である。食べ物だから食べる訳で、違うものにしてしまうと食べたくなるくなるのだ。
さて、いろいろ言い訳が湧いてきた人も多いんじゃなかろうか。それが正常な人間の証である。人の道から外れることを恐れない。それこそが楽しいダイエットの道なのである。