三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「「ショウ・ミー・ザ・労働基準法」…ヒップホップで復活した青年・全泰壱」

2019年11月19日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34990.html
「The Hankyoreh」 2019-11-18 12:23
■「ショウ・ミー・ザ・労働基準法」…ヒップホップで復活した青年・全泰壱
 16日、光化門広場で第1回全泰壱ヒップホップ音楽祭開催 
 「私たちは機械じゃない」全泰壱の一喝がヒップホップ 
 韓国ヒップホップの限界を超えたコンテスト

 「この歌、あの人たちの前でやっていたら大変なことになってましたよ」。
 16日午後5時、ソウル光化門(クァンファムン)広場で開かれた第1回「全泰壱(チョン・テイル)ヒップホップ音楽祭」の最後の舞台に立ったラッパーのハックルベリー・Pは、少し興奮した様子だった。混乱の真っ只中だった。光化門広場の中心で「美しい青年・全泰壱」を称えるラップが吐きだされている時間、左側の道路には白髪の老人たちが産業化の英雄である朴正煕(パク・チョンヒ)を称える「国守護高校連合」の旗を掲げて立っていた。右側の道路では「不法権力争奪勢力、左派独裁政権退陣」を叫ぶ「我が共和党」の支持者が行進していた。

【写真】16日午後5時、ソウル光化門広場で開かれた「第1回全泰壱ヒップホップ音楽祭」の最終公演舞台に上がった参加者が競演を繰り広げている。今回の音楽祭は「愛、行動、連帯」をキーワードに行われた=キム・ワン記者//ハンギョレ新聞社

 抵抗労働者の全泰壱が「青年」として生き返った。青年と労働。1970年11月13日、ソウル清渓川(チョンゲチョン)の平和市場で22歳の青年・全泰壱が「労働基準法を遵守せよ」と叫び自分の身を挺して抵抗した後、進んでは戻り、のたくっては止まりもした時計の振り子のような言葉たちだった。ある人にとって全泰壱は労働者の精神を象徴する名前だが、また別の人にとって全泰壱はたまに新聞の社会面で目にする名前だった。
 永遠に縮まりそうもなかった距離感が、一節で綴られる経験は新鮮だった。全泰壱ヒップホップ音楽祭の本選に進出した12チームのうちの一つだったGPSは、ラップを始めながら独特な方言でこのような「パンチライン」(ヒップホップで同音異義語を使用した重意的表現を目的に使う歌詞)を書いた。「おいおい、おまえ聞いたか/全泰壱ってやつがソウルに行って自分の体に火をつけたって/(なんで?)デモしてそうしたって/(わー)労働法規ってやつがちゃんと守られたらそんなことしなかっただろ/そいつがしたくてやったのか/金儲けしてるやつらが全部殺したんだろ」(GPS「彼は死んだのか、彼を殺したのか」より)
 音楽祭イベントの企画を最初から最後まで一緒に行なったヒップホップ第1世代のグループ、GARIONのMC METAは、「全泰壱ヒップホップ音楽祭のキーワードは『愛、行動、連帯』だ。ヒップホップのキーワードは『愛、平和、楽しさ』だ。同じ脈絡だ。『私たちは機械じゃない』と叫んだ全泰壱烈士の一喝がヒップホップだと思った」と語った。全泰壱記念館のユ・ヒョナ文化事業チーム長は「全泰壱に象徴される70年代の労働の現実が今の若者たちの現実と変わらないということから出発した。つらさ、悲しみ、苦しみの全泰壱ではなく、今の若者たちに希望を語ることのできる青年・全泰壱とは何だろうかと考えていたところ、青年・全泰壱が不義に対抗する方法は実践の前に文を書くことであり、それが今のラップの歌詞ではないかと思い至った」と語った。
 9月16日からオンラインでの受付を開始した全泰壱ヒップホップ音楽祭には、1、2次審査の間に約400チームが応募した。最終公演には計12チームが選ばれ、優勝者なしで3チームを受賞者に選定した。受賞者には賞金100万ウォンが授与され、音源は製作され発表される予定だ。最終3チームは『芸術家』を歌った「シンジン」、『無題』を歌った「ジープ」、『俺はもう成功した』を歌った「Joob A」が選定された。最終審査を担当したラッパーのDeepflowは、「検証された人たちが数多く参加し、非常に抜群の実力を見せつけたチームが多かった。テーマがはっきりしていたコンテストだっただけに、歌詞とコンセプトに特に耳を傾け、最終的には曲とラップの完成度を追求した」と語った。
 韓国のヒップホップ音楽が「抵抗のスタイルを標榜しているが、むしろヘイト表現や過度な自己誇示ばかりを繰り返している」という批判が多かったなか、全泰壱ヒップホップ音楽祭は韓国のヒップホップ音楽の新たな可能性を示したと評価されている。MC METAは「『スワッグ』(自己誇示)と『フレックス』(金自慢)に代弁される商業的成功ばかりを追う韓国ヒップホップの現実で、全泰壱ヒップホップ音楽祭でなければ絶対に聞くことができない歌が出たと思う。全泰壱ヒップホップ音楽祭がユ・ジェハ音楽コンテストのように実力のあるヒップホップミュージシャンの登竜門になれば」と願いを語った。
 「ミレニアル世代」に全泰壱を知らせようという企画意図も、ある程度成果をあげたようだ。最前列で公演を観覧したキム・ヘミンさん(27)は「全泰壱についてよく知らなかったが、ヒップホップで歌うと聞いたので来た。全泰壱というテーマでそれぞれのスタイルで音楽を作ってきたミュージシャンたちの情熱がすごいと思った」と話した。

文・写真 キム・ワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/917300.html
韓国語原文入力:2019-11-17 13:47


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34942.html
「The Hankyoreh」 2019-11-13 08:39
■全泰壹が亡くなってから49年…その縫製工場はまだ労働基準法の死角地帯
 民主労総、「小さな事業所」の労働権保障キャンペーン宣言 
 「組合員が100万以上だったが、30人未満の労組は0.2%」 
 来年の全泰壹烈士50周忌控えて“反省”

【写真】全泰壹烈士49周年を翌日に控えた今月12日午前、ソウル鍾路5街、清渓川全泰壹橋で、民主労総が中小零細事業所労働者たちの権利の保障と労組する権利の拡大に向けたキャンペーンを発表し、スローガンを書いたプラカードを広げている=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社
 
#1.
 18歳のときにソウル平和市場で「シダ」と呼ばれる見習工として働き始めたイ・ジョンギさん(51)は33年間、縫製労働者として一度も4大保険の保障を受けたことがない。5人未満の縫製工場に勤める彼は週に90時間以上働いている。元請の横暴と物量の減少で工賃の単価が30年前より低下したためだ。1980年代後半、1万2千ウォンだったサファリジャンパーの単価は最近、8千ウォン台に値下がりした。4人家族の生計費を稼ぐためには、長時間労働は避けられない。イさんは「最低賃金の引き上げとか、週52時間制とかで、世の中は変わったというが、全泰壹(チョン・テイル)烈士が働いていた平和市場周辺の縫製労働者の暮らしは日増しに悪化している」と訴えた。
 
#2.
 今年初頭、職員数20人規模のある出版社を退社したKさん(32)は、前の職場で勤務した1年5カ月間、週末も休めなかった。会社は数冊のベストセラーを出して好調だったが、業務量が増えるにつれ、社員たちは残業と休日勤務が日常となった。しかし、Kさんは休日勤労手当てをきちんともらったことがない。通常、労使が団体協約などを通じ、公休日(国民の祝日、メーデーを除く)を有給休日に指定するが、Kさんが勤めていた会社は労組はもちろん、労使協議会もなかった。30人未満の事業所の場合、労使協議会の設置・運営が義務ではなかったからだ。その結果、土曜日のような「無給休日」は手当てを与えなくても済むため、頻繁に出勤を指示された。
 全泰壹烈士49周忌を翌日に控えた12日、全国民主労働組合総連盟(民主労総)が常時労働者数30人未満の「小さな事業所」の労働権保障キャンペーンを宣言した。民主労総は来年の全泰壹烈士50周忌と創立25周年を迎え、年次有給休暇と延長勤労手当てなどの適用から除外された5人未満事業所に労働基準法条項の拡大を要求することにした。まず、5人未満事業所の従事者の不当解雇救済申請ができるよう、勤労基準法施行令の改正を推進する方針だ。

【写真】5人未満事業場の労働基準法の適用制限問題を指摘する青年ユニオンの「たまたま5人未満」インスタグラムの掲示物=青年ユニオンインスタグラム(@under5why)よりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 中小零細事業所の労働権保障問題を提起したのは民主労総だけではない。先月9日、ハン・サンギュン元民主労総委員長が発足した「勧誘する」(権利を取り戻すためユニオン)創立に続き、青年ユニオンも同じ月、零細事業所の不当な待遇申告センター「偶々5人未満」を開設するなど、労働基準法の適用例外対象である5人未満事業所の労働者たちの権益を保護するための活動が続いている。
 青年ユニオンのキム・ヨンミン事務処長は「事業所の規模によって労働権の保障範囲が異なり、それが雇用の質の格差につながるという問題意識から、変化を図ったものだ」と述べた。クァク・イギョン民主労総未組織戦略組織局長も「現政権に入って、民主労総の組合員数が100万人を超えており、300人以上の事業所の労組組織率が60%に達するが、30人未満の事業所の組織率は0.2%に過ぎない」としたうえで、「職場で不当な待遇を最も多く経験する小さな事業所労働者たちにもっと近づかなければならないという反省から『小さな事業所キャンペーン』を開始する」と説明した。
 今年3月の統計庁資料によると、韓国の5人未満事業所の従事者は約580万人(2017年基準)に達する。全体賃金労働者の27%ほどが勤労基準法の「死角地帯」に置かれている状況だ。韓国労働研究院の「4人以下事業所の実態調査」報告書によると、2016年基準で5人未満事業所で勤務する賃金労働者の月平均賃金は138万ウォンで、全体労働者の平均257万ウォンの半分水準であり、このうち23.9%(全体は60.2%)だけが有給休暇を、超過勤労手当ては15.0%(全体47.3%)だけをもらっていることが調査で明らかになった。
 イ・ビョンフン中央大学教授(社会学)は「これまで事業主の支払能力問題を理由に、法の保護を受けることが出来なかった零細事業場労働者たちの処遇改善に向け、労働界が乗り出したのは歓迎すべきこと」だとしたうえで、「最終的には関連法の改正が必要だが、政府も行政的な指針を通じて5人未満事業所に対する労働基準法の例外条項を大幅に減らすなどの努力が必要だ」と指摘した。

ソン・ダムン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/labor/916794.html
韓国語原文入力:2019-11-13 02:30


http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/34937.html
「The Hankyoreh」 2019-11-13 08:06
■[寄稿]大邱の人・全泰壱、キリスト教青年・全泰壱
 11月13日は全泰壱(チョン・テイル)がソウルの平和市場で自分の体に石油をかけて火をつけ、世の光となった日だ。それ以来この光は消えたことがない。しかし、その永遠の光の意味が何なのかはまだ十分知られていない。それもそのはず、彼が生きている間は、世の中はまったく彼のことを知らなかったからだ。暗闇を照らす光が再びこの世にやってきたのに、世は彼を再び拒否した。こうして彼はあらゆる神聖な存在の運命を背負うことになったのだから、彼は今も絶えずこの世界から迫害され追放されることによって、再びこの世界の真っただ中に戻ってくるのである。
 いったい彼は誰なのか。表に出ていることだけを見ると、小学校の卒業証書さえもらえなかった青年の生活の大半は、乞食とホームレスの暮らしだった。彼が残した手記と日記によると、彼は「陰から陰へと渡り歩きながら育ってきた」人だった。そんな彼の生活は"荒れた、痛ましい"生活、"裕福な環境から拒否された生活"だった。貧困と絶望以外何もない家から弟を連れて家出し、どこにも泊まるところが見つからず家に戻ったものの、父親の鞭から逃れるため今度は末の妹を背負って家出し、その妹を最後まで面倒見きれずに養護施設に預けてしまう16歳の少年の無力で悲惨な生活から、我々は世を照らす光にふさわしいいかなる威厳も見いだせない。それはただの惨めで空腹な人生に過ぎない。「俺はどうしていつも腹を空かせ、心はいつも苦しんでいなければならないのか?」どれほど追い詰められていれば、焼身自殺を図り息を引き取る時、最後に残した言葉が「腹がへった」になりうるのか。
 しかし、彼の空腹は肉体の空腹だけではなかった。それは肉体の飢え以上に、義に飢え渇望する者の飢えであり、苦しみであった。その純粋な魂が堕落した世の中で経験しなければならなかった絶望的な苦しみを思う時、私も反逆の濡れ衣を着せられて刑場の露と消えたボエティウスのように問いたくなる。神が存在するなら、どうして罪のない幼い少年をこんなにも悲惨な苦痛の中に陥れることができるのか? しかし神が存在しないならば、その貧しい少年の心の中に奇跡のように根付いた、その無限の愛の種は、果たしてどこから来たのか? その計り知れない存在の神秘を私は知らない。理由が何であれ、神は自分の息子を永遠に消えない世の光たらしめるため、17年のあいだ彼を苦痛と絶望の溶鉱炉の中で浄化した。そして時が来て、天の父は地にある息子を東大門平和市場へと導いた。齢17の秋のことだった。
 そうしてやって来た平和市場で彼が見たのは、自分より年下の少女たちが被っている苦しみだった。当時、平和市場は「2万人を超える従業員の90%以上が平均年齢18歳の女性」だった。ほとんどが男性である裁断師を除けば、ミシン師やミシン補助、そして下働きたちがすべて女性だったためだ。さらに「2万人あまりのうち40%を占める下働き工員たちは平均年齢15歳の子供たち」だった。そんな幼い少女たちが1日にジャージャー麺一杯が食えるかどうかの「90ウォンないし100ウォンの日給で1日16時間の作業を」強要されていた。このような現実を前にして彼はこう決心する。「一人の人間が人間としての人間的なすべてを剥奪され、剥奪しているこの恐ろしい時代に、私は絶対にいかなる不義とも妥協しない。同時にどんな不義も看過せずに注目し、是正しようと努力する」。それにもかかわらず、彼は誰も憎んだり憎悪したりしなかった。「銃刀になるよりは愛を」!  これが彼の信条だった。なぜなら「愛とはあらゆる有形無形の(存在の中で)最高のもの」だから。
 しかし、その決心で彼の運命も決まった。不義なる世界で、絶対にいかなる不義とも妥協しないと決心した魂に、迫害と追放以外のいかなる運命が許されるだろうか。まじめに労働し、下働きからすぐにミシン師となった彼は、従業員たちの中で最も大きな権力を持っていた裁断師になって幼い少女たちを保護するという一念から、月給が半分以下に落ちるのを甘受して裁断師補助として再就職した。そんな状況のなかでも彼は家に帰る交通費で腹を空かせた少女たちにたい焼きを買ってやった後、清渓川(チョンゲチョン)から道峰山(トボンサン)麓まで数時間を歩いて家に帰ることもあった。通行禁止になると、彌阿里(ミアリ)交番に泊まった。とても真似できない途方もない愛だった。
 そして、その愛が彼の名を神聖にした。全泰一(チョン・テイル):全体と大きく一つである者。しかし、この慎み深いキリスト教青年は、全体と一つである者は、「神」のみであることを悟り、自分の名の最後の字である「一」を「合わせる」の意味の「壱」に自ら改めた。天の父は、最初からそれ自体がひとつであり、かつ全体である。しかし、地上の息子は分裂した現実の中で、ただ愛のみで一つを成すのだ。
 しかし、その愛ゆえに彼は憎しみと暴力が支配する世の中から少しずつ追われた。最初は女工たちに優しすぎるという理由で通っていた職場を解雇された。再就職先では、考えなしに搾取されて暮らす同僚労働者たちを目覚めさせた罪でまた解雇された。こうしてどこにも行き場がなくなり、彼は三角山(サムガクサン)祈祷院の教会工事の作業員として働きだした。そして昼は働き、夜は勤労基準法を学習し、最後に祈った。「今日は土曜日、8月第二土曜日、私の心に決断を下したこの日、罪のない生命体たちが立ち枯れつつあるこの時、一滴の露となるためにもがくので、神様、哀れみと慈悲を施したまえ」。そして山をおりて数カ月後、罪なき命のために彼が再び傾けたすべての努力が挫折した後に、彼は自分の体にガソリンをかけ、消えることのない永遠の炎となった。
 そのように自分の全存在をかけて他人の苦しみに応えることで、彼は私たちが地上で成し遂げるべき天国への道を切り開いてみせた。そしてその後、韓国の現代史は彼が切り開いてみせた道に沿って歩いてきた歴史だった。しかし、予言者は故郷では尊敬されないというイエスの言葉を証明するかのように、彼が灯した光を努めて遠ざけてきたのが大邱(テグ)であった。朴正煕(パク・チョンヒ)の幽霊のせいだった。だが朴正煕ではなく全泰壱こそが、父も母も実家が大邱の「生粋の大邱人」だ。1948年、大邱は南山洞(ナムサンドン)で生まれた彼が最も幸せだったのは、15になった年に大邱でチョンオク高等公民学校に通っていた時代だった。だがその故郷で、彼は死しても見捨てられているのだ。
 予測できぬ歴史の神秘よ、そんな大邱で今春「社団法人チョン・テイルの友」が設立され、チョンオク高等公民学校時代にチョン・テイルが借りて住んでいた家を買い取って記念館にしようという運動が始まった。死んでいだ大邱が復活したのだ! 大邱から我々に到来した光がこれまで我々の前途を照らしてきたように、大邱で復活したその光が世をより暖かく照らしてくれることを、私は信じて疑わない。(後援口座:大邱銀行、504-10-351220-9、社団法人全泰壱の友)

キム・サンボン 全南大学哲学科教授
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/916767.html
韓国語原文入力:2019-11-12 18:15


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32709.html
「The Hankyoreh」 登録:2019-01-31 23:08 修正:2019-02-01 06:50
■「中国の労働者と学生を解放せよ」…『全泰壱評伝』を生んだ韓国も動いた
 中国で労働運動に参加する労働者・学生・活動家が消え 
 『全泰壱評伝』を読んで労働運動に飛び込んだ彼らのために 
 韓国でも連帯の動き 
 31日、“認証ショット”撮り中国大使館前で「釈放せよ」記者会見

【写真】東アジア国際連帯が提供するプラカードの見本。「すべての左派活動家を解放せよ」という要求を込めている//ハンギョレ新聞社

 昨年12月26日、中国の北京大学で学生1人が連行された。彼は大学内のマルクス主義学会の会長だった。大学の官僚らは新しいマルクス主義学会を作ると通報した。翌日、新しい学会が作られ、既存の学会の学生たちはこれに抗議した。大学当局は18時間間この学生たちを講義室に監禁した。年が明けて1月10日、中国の労働活動家の傅昌國氏は母親を亡くしたが、中国政府は彼が葬儀に参列するのを認めなかった。彼はJASIC工場の労働者たちとともに闘ったが、昨年8月から拘禁されている。
 中国から労働者や学生、活動家たちが消えている。労働組合を作ろうとした労働者たちが解雇され、大学内のマルクス主義学会は登録が取り消された。「農民と労働者の党」という中国共産党政府の下で起きていることだ。正確には確認されていないが、これまで50人近い人たちが逮捕され、拘禁されたという。彼らは中国で『全泰壱評伝』を読み、中国の労働の現実を考え労働運動に参加してきたという。一部の学生たちは1980年代に韓国の「学出」(学生出身活動家)のように大学でマルクス主義を勉強した後、工場に就職し、労働運動に参加した。休暇のときには大学生が「労働者闘争声援団」を構成し、連帯活動に出た。しかし、彼らが急に逮捕され、拘禁される理由は伝えられていない。

【写真】記者会見の参加者らが「釈放せよ」というスローガンを叫んでいる=イ・ジュンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 こうした事実がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などを通じて伝わり、「全泰壱の国」である韓国でも連帯の声が上がった。国際民主連帯と民主労総など33団体は31日午前11時、ソウル中区明洞(チュング)明洞(ミョンドン)の駐韓中国大使館前で「JASIC労働者と学生および活動家の釈放と弾圧糾弾記者会見」を開き、「労働者および学生活動家の即時釈放」を要求した。記者会見の間、中国人観光客たちが大使館の前を行き交った。記者会見前、オンラインでも連帯の動きがあった。中国政府を批判したり、収監中のメンバーを釈放せよというメッセージを込めたプラカードを手にした“認証ショット”(証拠写真)110枚が集まった。
 記者会見の参加者は「中国政府は直ちに収監者を釈放すべきだ」と口をそろえた。「他の世界に向けた連帯」の活動家チョン・ジユンさんは「中国で闘争している労働者と学生たちに強い連帯の気持ちを感じる」と述べ、「『全泰壱評伝』、『韓国労働者階級の形成』のような本を読んで討論・活動したのがまさに韓国の活動家と学生だったが、今のような活動をしている人々が中国でひどい弾圧を受けている」と述べた。正義党の国際連帯党員の会のキム・ジムン氏は「(中国政府は)労働者を強調する思想を学校で教え、大学生たちがこれを実践すると踏みにじった」とし、「中国が彼らを釈放し活動を保障するまで最後まで前進する」と語った。
 農民工問題に注目した発言もあった。移住共同行動のチョン・ヨンソプ執行委員は「居住移転の自由がない中国の農民工たちは、移住労働者と同じ境遇にある」とし、「低賃金・長時間労働に苦しむ人々の境遇を改善しなければならない」と述べた。また「中国政府は現在の状況を抑えつけるだけでは問題を解決できないということを知るべきだ」と強調した。
 彼らは共同声明を通じて「韓国の人権・労働・市民社会団体は、韓国企業が多く進出している中国で労働者の権利のために闘う中国の労働者・活動家・学生の闘争を積極的に支持し連帯する」とし、「中国政府が、弁護人の助けを受ける権利を含めた彼らの人権を抑圧し、期限なき拘禁を続けていることに強く抗議し、彼らを中国でも大きな節日である(旧)正月前に釈放することを強く要求する」と声を高めた。
 記者会見を終えた後、参加者たちは韓国語・英語・中国語の声明書を郵便箱に入れ、中国大使館に渡した。彼らは今回の記者会見を皮切りに「韓国で中国の労働者・学生たちと継続して連帯する方法を探す」と明らかにした。証明写真リレーも引き続き進める。参加方法はグーグルドライブから希望するファイルをダウンロードして出力するか、直接連帯の言葉を書いたプラカードなどを作り証明写真を撮った後、#jasic #中国は労働者と学生を釈放せよ #FreeCNmissingActivistsなどのハッシュタグをつけてSNSにアップすればよい。この証明写真キャンペーンは、フェイスブックの東アジア国際連帯でも同時に進行される。

イ・ジュンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/880692.html
韓国語原文入力:2019-01-31 15:00
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