三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「「非転向長期囚」カン・ヨンジュ氏、19年ぶりに保安観察の足かせから解放」

2018年12月18日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32375.html
「The Hankyoreh」 2018-12-18 08:15
■「非転向長期囚」カン・ヨンジュ氏、19年ぶりに保安観察の足かせから解放
 法務部の保安観察審議委員会が免除処分 
 1985年のスパイでっち上げ事件で転向書への署名を拒否 
 検察、1999年赦免後に保安法違反の前歴を口実に 
 保安観察を7回更新し基本権の制約

【写真】保安観察法申告義務を履行しなかった疑いで掛けられた3度目の裁判で、無罪判決を言い渡されたカン・ヨンジュ氏(左端)が、今年2月21日午後、ソウル瑞草区のソウル中央地裁で弁護士たちと話しながら笑っている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 「今日の決定は、私一人で達成したものではなく、多くの人々が志を共にして成し遂げた小さな進展です。良心と思想の自由を広げ、人権が保障される社会を作るうえで、礎になればと思います」。
 「最年少非転向長期囚」のカン・ヨンジュ氏(56・元光州トラウマセンター長)は17日、ハンギョレとの電話インタビューで、足かせから解放された気持ちをこのように語った。同日、19年ぶりに「保安観察」の対象から除外された。カン氏はスパイでっち上げ事件で14年間投獄され、1999年に特別恩赦で釈放されたが、その後、検察によって20年近く警察の監視を受ける保安観察対象に指定・再指定された。
 法務部の保安観察処分審議委員会は同日の定例会議で、カン氏の保安観察処分の免除決定を下した。パク・サンギ法務部長官はこの決定を受け入れ、カン氏に保安観察処分の免除を最終通知するよう指示した。法務部の関係者は「カン氏の住居と職業が一定で、再犯の危険性がない点を考慮し、委員会がこうした判断を行った」と説明した。
 カン氏は高校3年だった1980年、戒厳軍の鎮圧作戦の前日に旧全羅南道庁を抜けだした5・18市民軍だった。その後、全南大学医学部に進学し、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の代表的なでっち上げ事件とされる「欧米留学生スパイ団事件」で無期懲役を言い渡された。転向書の作成を拒否し、14年間投獄された彼は1999年2月、金大中(キム・デジュン)元大統領就任1周年記念特別恩赦で釈放された。
 しかしカン氏は、国家保安法や内乱陰謀の容疑で3年以上の刑を宣告された人は保安観察の処分対象にするという保安観察法によって、保安観察対象者になった。保安観察法は保安観察処分期間を2年としているものの、法務部長官が検事の更新請求を受けた場合は、保安観察処分審議委員会の議決を経て、その期間を更新できるよう定めている。法務部は1999年釈放後、カン氏を「再犯の恐れがある」との理由で、保安観察処分対象者に7回も更新した。保安観察処分が下されれば、3カ月ごとに管轄警察署に自分の主要活動や旅行地と同行者、引越し予定地などを届け出なければならない。
 カン氏は、このような法条項が個人の基本権を制約するとして、申告義務を拒否し、2002年と2010年にそれぞれ50万ウォン(約5万円)と150万ウォン(約15万円)の罰金刑に処された。2016年12月に再び申告義務の不履行で逮捕され裁判にかけられたが、今年2月にソウル中央地裁は保安観察法違反の疑いで起訴されたカン氏に無罪を言い渡した。検察も控訴しなかったため、無罪が確定された。
 出所後大学に復学し、2004年に一足遅れて卒業したカン氏は、家庭医学専門医資格を取得した。5・18国家暴力の生存者と家族のトラウマを治癒するために設立された光州トラウマセンターの初代センター長を歴任し、現在財団法人「真実の力」の理事を務めている。カン氏は「遅まきながら、正義が実現したことに意味がある。厳しい決定を下した法務部にも感謝したい」と話した。

キム・ヤンジン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/874741.html
韓国語原文入力:2018-12-17 21:07


「The Hankyoreh」 2017-04-29 07:07
■非転向長期囚カン・ヨンジュ「虐殺者は反省しないのに、なぜ私を処罰するのか」
 28日、保安観察法違反の初裁判で主張 
 「欧米留学生スパイ団事件」と関連し国家保安法違反で収監 
 保安観察法届け出義務を守らなかったとして3回目の裁判に 
 カン氏「申告義務の強制は良心・私生活の自由を侵害する」

【写真】保安観察法違反の疑いで裁判を受けるカン・ヨンジュ氏//ハンギョレ新聞社

 「欧米留学生スパイ団事件」に巻き込まれて14年間獄中生活を強いられた後、保安観察法の届け出義務を履行しなかった疑いで裁判に開けられた非転向長期囚のカン・ヨンジュ氏(55)に対する初裁判が、28日に開かれた。カン氏は「保安観察法の届け出義務が私生活の秘密と自由を侵害する」と主張し、保安観察法に対する違憲法律審判を請求することを明らかにした。
 ソウル中央地裁刑事4単独チョ・グァングク判事の審理で同日開かれた裁判で、カン氏側は「保安観察法の届け出義務を履行しなかったのは良心による不服従行為」だと主張した。カン氏の弁護人は「再犯の恐れがあるとの理由で届け出義務を強制するのは、私生活の秘密と自由など基本権を侵害する」としたうえで、「不服従はカン氏が全人生と全人格をかけて守ってきた真剣かつ切迫した倫理的確信の結果だ。刑事処罰を通じて、良心に反する行為を強要することが妥当かどうか、検討してほしい」と裁判部に要請した。カン氏は同日、申告義務を強制し、これを履行しない場合、処罰する保安観察法該当条項に対する違憲法律審判を請求する計画だと明らかにした。検察は「カン氏に対する保安観察処分は、確定判決に基づいたもので、法に則って下されたもの」だと反論した。
 カン氏も同日、法廷での発言を通じて、「国連が、(政府が)私に転向を要求し、苛酷な処罰を下したことに対し、良心の自由と平等権を違反すると指摘したにもかかわらず、大韓民国政府はこれに従っていない」と話した。彼は「人権と民主主義が私たち国民にとって水や空気のように、保障されなければならないものだと信じている。良心と思想の自由、プライバシーの自由はその根幹であり、自由な個人の前提条件だ」と述べた。彼はまた、最近、全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が自叙伝を出版し、光州(クァンジュ)民主化運動を「光州事態」と規定したことに言及し、「虐殺者は反省していないのに、なぜそれに立ち向かった私には保安観察処分を下すのか」と問いかけた。
 カン氏は全斗換新軍部時代の1985年に安全企画部主導の「欧米留学生スパイ団事件」に巻き込まれて国家保安法違反の疑いで無期懲役を言い渡された後、転向書への署名を拒否した末、14年間の獄中生活を強いられた。カン氏は、国家保安法違反などの疑いで3年以上の刑を言い渡された人を保安観察処分対象者と規定し、届け出義務を強制する保安観察法を守らなかったとの理由で、裁判にかけられた。保安観察処分を受ければ、引っ越したり、10日以上の旅行に出る場合は、3カ月に1度その内容を警察に届け出なければならない。カン氏はこれに先立ち、同じ容疑で2度の罰金刑を言い渡された。
 市民社会では保安観察法が個人の基本権を過度に制限するという批判の声が上がっている。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では「#私がカン・ヨンジュだ」宣言を通じて保安観察法廃止を求める動きが広がっている。

ヒョン・ソウン記者
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/792685.html
韓国語原文入力:2017-04-28 22:02


http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/27162.html
「The Hankyoreh」 2017-04-25 07:18
■[寄稿]死ぬまでカン・ヨンジュ

【写真】28日、保安観察法違反の疑いで裁判にかけられる医師のカン・ヨンジュ氏//ハンギョレ新聞社

 カン・ヨンジュが裁判にかけられたと聞いて驚いた。保安観察法上の届出義務不履行による起訴だと聞いてさらに驚いた。1999年に出所したから、18年間も塀の外で暮らしてきたのに、まだ過去の鎖が現在を締め付けているとは、驚かざるを得ない。
 カン・ヨンジュは5・18光州(クァンジュ)民主化抗争で銃を手にした高校3年生の市民軍であり、医学部在学中に全斗煥(チョン・ドゥファン)政権によるねつ造の疑惑があった「欧米留学生スパイ団」事件で35日間も拷問を受けた後、14年間服役した良心の囚人だ。転向制度に抵抗し、獄中で合わせて300日間にわたるハンガーストライキを繰り広げ、国際アムネスティが定めた最年少の非転向長期囚となって、結局思想転向制度を撤廃させた。昨年まで光州(クァンジュ)トラウマセンター長を務め、現在はソウル市内に開業し、痛みの治療の名医として知られる家庭医学科専門医だ。そのような彼が再犯が懸念されるとの理由で、18年間も国家の監視の対象となり、言うとおりにしなかったとして今月28日に裁判にかけられるという。
 保安観察法は国家保安法違反などで3年以上の刑期を終えた人を対象とした監視法だ。2年ごとに更新されるが、法務部長官が再犯の恐れがあると判断すれば、死ぬまで国が私生活を監視できる。これまで彼に対する保安観察の更新事由はこのようなものだった。「国家保安法、保安観察法廃止を主張した」、「様々な集会に参加した」、「妻の収入に依存し、下流の生活をしている」。さらには「インターネットに詳しく、活動能力が旺盛だ」など、極めて恣意的かつ反人権的な理由だ。
 保安観察処分を受けると、3カ月ごとに本人の一挙一動を申告しなければならない。引っ越し先を知らせなければならないのはもちろん、未明に突然かかってきた警察の電話にも出なければならない。旅行に行くためには、旅行目的や期間、同行者などを事前に届け出なければならない。他の人との交流や連絡はもちろん、集会、デモ場所への出入りを禁止されることもある。家族、親族だけでなく、家主、職場の同僚、聖堂の信者、マンションの警備などにも被保安観察者に対する情報が要求され、動態を把握する。すでに刑を終えたにもかかわらず、死ぬまで受刑生活を繰り返さなければならないのだ。
 カン・ヨンジュは刑務所で14年間、転向書への捺印を拒否して闘った。拷問に耐え切れず、転向書に署名をしてから自殺した人もおり、拷問による障害を負った人も多い。そのような状況で14年間も転向せず、耐え続けるのは想像を絶する苦痛だったはずだ。ともすれば、懲罰部屋に閉じ込められ、手足が縛られた状態で犬のようにご飯を食べながら彼が守ろうとしたのは、思想や信念ではなく、人間としての尊厳と価値だったという。そして、転向制度を廃止させ遵法誓約書に署名せず、刑務所から出所する際、彼は「もう世の中に借りはない。できる限りのことはやった。社会が私に再びそのような責務を要求してはならないと思う」と話した。
 カン・ヨンジュは良心や表現の自由がいかに空気のようなものなのかを、炭鉱の中のカナリアのように私たちに気づかせてくれた。私たちはその部分でカン・ヨンジュに借りがある。監獄の中で14年間を一人で闘ったのに、再び18年もカン・ヨンジュ一人に今のような闘いを続けさせてはならない。彼が死ぬまで繰り返すかもしれない闘いだ。ともに闘って廃止させなければならない。それはまさに私たちの良心とアイデンティティを守る闘いだ。
 裁判所は、今回の事件の判決を保留し、保安観察法の違憲法律審判提請を再度行ってほしい。そのような常識的な判断が日常になることを願う気持ちが積み重なって、常識的な政権への望みに繋がると、私は信じている。カン・ヨンジュがいるべき場所は法廷ではなく、自由な日常だ。死ぬまで。

イ・ミョンス心理企画者
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/791107.html
韓国語原文入力:2017-04-17 19:07


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/12001.html
「The Hankyoreh」 2012-07-04 07:47
■光州(クァンジュ)市民軍出身の医師 “5月の傷” を治癒
 カン・ヨンジュ氏 光州トラウマセンター長内定
 高3で参加して道庁鎮圧前に脱出
 “生きている者の負債意識”から民主化運動
 欧米留学生事件連累 拷問受け
 「国家暴力被害者の一人として
 5・18で苦しんでいる人を助けたい」

【写真】5・18トラウマセンター長に内定した医師カン・ヨンジュ氏が2日午後、院長を務めるソウル中浪区(チュンナング)面牧洞(ミョンモクトン)のアナパ医院で「私の国家暴力被害経験を昇華させて5・18光州民主化抗争でトラウマを体験している人々の治癒に取り組む」と言って明るく笑っている。 イ・ジョンア記者

 彼は今でも“南山(ナムサン)”に行けば息がぐっと詰まってしまう。 脈拍がはやくなって不安になる。 ソウルの南山(ナムサン)は過去中央情報部(現国家情報院)の対共調査局の建物(現ソウル市庁南山(ナムサン)別館)があった所だ。 多くの人が引っぱられて行ってぞっとするような拷問にかけられた。 1995年当時国家安全企画部が瑞草区(ソチョグ)内谷洞(ネゴクトン)に庁舎を移すまで“南山(ナムサン)”は「飛ぶ鳥も落とす」という情報機関の別称だった。
 収監14年目の1999年に最年少非転向長期囚として出所したカン・ヨンジュ(50・ソウル アナパ医院の院長)氏にとって、南山(ナムサン)は依然として威圧的な場所だ。 カン院長は2日「何ヶ月か前に故キム・グンテ先生の放送番組製作のため南山(ナムサン)別館に同行し私が拷問された場所がここですと言った瞬間、不安感に襲われてその場に立ったまま泣いてしまった」と語った。
 国家暴力被害者であるカン院長が、早ければ今月末開院する「光州トラウマセンター」のセンター長(非常勤)に内定した。 トラウマ(外傷後ストレス障害)は戦争、拷問など国家暴力や事故、犯罪被害のような身体的・精神的衝撃を体験した後現れる精神障害を意味する。 国内初の公立の光州(クァンジュ)トラウマセンターは、政府と光州市が67億5000万ウォンずつ出して設立する。 光州(クァンジュ)西区(ソグ)治平洞(チピョンドン)の光州都市公社の建物でスタートし、来年は尚武(サンム)地区の5・18教育館のそばに建物を立てて入居する方針だ。 カン院長は精神保健分野の看護師や心理相談分野の専門家など10人余りと共に、5・18被害者と家族、国家暴力の被害者たちの傷を治療する。 拷問被害者であり同時に拷問被害者の治癒プログラムを実施してきたので、適格者に挙げられる。
 彼は全南(チョンナム)大の医学部生だった1985年、安全企画部が発表したいわゆる「欧米留学生スパイ集団事件」に連累され無期懲役を宣告された。 ソウル南山(ナムサン)安全企画部別館に引っぱられて行き60日間拷問にあったあげく嘘の自白をしてしまい、一枚の転向書を書くことを拒否して14年閉じ込められていた。
 「5・18光州(クァンジュ)虐殺や拷問のような国家暴力の被害者は、数十年が過ぎたけれどもいまだに怒り、酒を飲み、事故を起こし、うつ病になります。 性格の問題ではないのに個人の責任のようにされてきました。」 国家暴力被害者の精神は傷つけられたその瞬間をほんの一寸も抜け出せないまま、さ迷い徘徊しているという。 2009年の統計を見れば、5・18の負傷後遺症死亡者380余名のうち自殺者が41名(10.8%)だ。 経済協力開発機構(OECD)会員国の平均自殺率0.02%より300倍も高い。
 彼は光州(クァンジュ)望月洞(マンウォルトン)の5・18墓地に行けば今でも平常心を失う。 高校3年の時5・18に市民軍として参加し、鎮圧の前日に旧全南道庁を抜け出したのが傷となって残った。 「生き残った者の恥ずかしさのために一層激しく独裁と闘おうとしました。 そうするうちに拷問で「ごみ箱に捨てられた私の魂」を見て傷つきもしたが、内面の傷に対面することで自ら治癒しました」。

 1999年復学して2004年卒業したカン院長は家庭医学専門医になった2008年、精神科医師であるチョン・ヘシン博士とともに拷問治癒の会<真実の力>を設けて現在まで拷問被害者治癒の会の活動に精を尽くしている。
 カン氏は「5・18被害者らと家族が体験している苦しみの原因が国家暴力であるということを分からせ、治癒の道を助けたい」として「5・18が他の国の民主主義の手本となったように、光州がアジアのトラウマ治癒のハブの役割をしなければならない」と話した。

光州(クァンジュ)/チョン・デハ記者
原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/area/540612.html
原文入力:2012/07/02 21:12(2021字)
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