三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦66周年の記念活動開催」

2017年04月01日 | 個人史・地域史・世界史
http://j.people.com.cn/n3/2016/1026/c94659-9133003.html
「人民網日本語版」2016年10月26日
■中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦66周年の記念活動開催
【写真】朝鮮・平壌で友誼塔に献花する朝鮮の儀礼兵(10月25日撮影、撮影・郭一娜)。
【写真】朝鮮・平壌で志願軍の烈士に向けて黙祷する中朝双方の代表たち(10月25日撮影)。

 中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦66周年を迎えた今月25日、、中朝両国が朝鮮の首都平壌市にある友誼塔で記念活動を行い、朝鮮戦争で犠牲となった烈士たちを追悼した。新華社が伝えた。(編集YK)


http://www.recordchina.co.jp/b132106-s0-c30.html
「Record china」配信日時:2016年3月30日
■中韓が中国人民志願軍烈士の遺骨の納棺作業第3陣を開始―中国メディア
 2016年3月29日、中国新聞網によると、韓国の京畿道坡州市で28日、韓国側の作業員が中国人民志願軍烈士の遺骨を納棺した。
 中国、韓国双方は28日、同市に残っている中国人民志願軍烈士の遺骨の2016年度納棺作業を開始した。中国人民志願軍烈士の遺骨36体と遺品は2015年に韓国京畿道漣川郡、鉄原郡など朝鮮戦争の激戦地で発掘された。中韓双方の協議により達成した合意に基づき韓国側は31日、発掘された人民志願軍烈士の遺骨と遺品を中国に引き渡す予定だ。(提供/人民網日本語版・翻訳/JK・編集/松澤)


http://jp.xinhuanet.com/2015-10/26/c_134750024.htm
「新華網日本語」 2015-10-26
■朝鮮、中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦65周年を盛大に記念
【新華社平壌10月26日】25日は中国人民志願軍の朝鮮戦争参戦65周年記念日にあたる。当日、朝鮮・平壌の友誼塔などの場所で記念活動が盛大に行われた。
 25日の早朝、朝鮮の楊亨燮(ヤン・ヒョンソプ)最高人民会議常任委員会副委員長ら朝鮮の党・政・軍の指導者が友誼塔を訪れ式典に参加した。朝鮮を訪問中の中国・民政部の李立国部長一行及び在朝鮮中国大使館の張承剛臨時代理大使らが活動に出席した。
 朝鮮人民軍の三軍儀仗隊が現地で分列式を行った。その後、双方の人員は友誼塔室に共に入り、中国人民志願軍烈士リストを一読し、朝鮮戦争参戦、肩を並べての戦闘参加及び戦後の再建をテーマにした室内の三面壁画を参観した。
 当日、朝鮮各界の人々や在朝の中国資本企業、華僑華人などの数百人が友誼塔を訪れ志願烈士に献花した。 また、中朝双方は平壌市の兄弟山義勇軍烈士墓や朝鮮各地の中国人民志願軍烈士を記念する場所でも記念活動を行った。


http://japanese.cri.cn/881/2015/03/20/161s233880.htm
「China Radio International」2015-03-20 17:06:38
■2回目の中国人民志願軍烈士の遺骨返還、瀋陽へ到着
 韓国から返還された中国人民志願軍烈士の遺骨は現地時間20日午後1時15分、中国遼寧省瀋陽市の「抗米援朝烈士陵園」に運ばれました。今回の遺骨返還は、2014年に韓国が437人の遺骨を返還してから2回目となります。
 現地時間20日午前10時、中韓双方は韓国の仁川国際空港で68人の遺骨返還の式典が行われ、専用飛行機で中国へ送られました。


http://www.recordchina.co.jp/b96583-s0-c30.html
「Record china」配信日時:2014年10月30日
■韓国から引き渡された志願軍烈士の遺骸埋葬式、各界から800人以上が参加―中国
【写真】29日、韓国から中国へ引き渡された中国軍志願兵の遺骸埋葬式が瀋陽抗米援朝烈士陵園で行われた。

 2014年10月30日、新華社によると、韓国から中国へ引き渡された中国軍志願兵の遺骸埋葬式が29日、瀋陽抗米援朝烈士陵園で行われた。
 今年3月28日に韓国から中国に戻った中国軍志願兵437人の遺骸は瀋陽抗米援朝烈士陵園の地下埋葬所に安置された。抗米援朝烈士の家族や元志願兵、社会各界の800人以上がこの厳粛な瞬間を見守った。
     (提供/人民網日本語版・翻訳/YH・編集/kojima)


http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/386560/
「Focus-Asia」2014年06月22日
■韓国が展覧館を開設、中国志願軍烈士の遺骨返還を記念して―中国メディア
 中国のニュースサイト・中国新聞網は20日、「韓国が展覧館を開設、中国志願軍烈士の遺骨返還を記念して」と題した記事を掲載した。
 韓国聯合ニュースによると、韓国が在韓中国人民軍の遺骨を中国側に返還したことを記念して、「中国人民軍遺骨返還展覧館」が20日に対外開放される。ソウル・龍山区にある戦争記念館3階に開設された。韓国が返還した中国人民軍の遺骨に関する資料の展示や遺骨返還の歴史背景、韓中間の協議内容、引き渡し式典、遺骨返還の意義や成果などを紹介する。
 韓国国防部は「来館者に韓国政府の人道主義問題における努力をさらに深く理解してもらい、韓中両国が『未来志向の関係』を築くことの重要性をはっきりと認識してもらえたら」との考えを示している。
 今年3月28日、在韓中国人民志願軍の遺骨引き渡し式典が韓国の仁川国際空港で行われ、437人分の遺骨が韓国側から中国側に返還された。同日、中国外交部の洪磊報道官はこれについて、「在韓中国人民志願軍烈士の魂が故郷に帰ってきた。これと同時にこの協力は必ず中韓両国人民の間の友好感情を増進させるだろう」と述べている。
          (編集翻訳 小豆沢紀子)



http://japanese.joins.com/article/322/174322.html
「中央日報日本語版」2013年07月26日10時46分
■<韓国戦争停戦60周年>“反米援助戦争”を“朝鮮戦争”に用語変えた中国
 中国政府が韓国戦争を“朝鮮戦争”と言及した背景に関心が集まっている。
 中国外交部は24日、洪磊報道官の名義で「李源潮国家副主席が“朝鮮戦争停戦60周年記念行事”に参加するため北朝鮮を訪問した」と発表した。
 中国当局が、公式に韓国戦争を朝鮮戦争と表現したことは非常に異例的だ。中国共産党は2003年7月の停戦50周年行事の時は“朝鮮停戦協定締結50周年記念”としながら“朝鮮戦争”を“朝鮮”に省略して表記していた。中国では支援軍の形式で人民解放軍が参戦する前までを朝鮮戦争、その後を反米援助(抗米援朝・米国に対抗して北朝鮮を助ける)戦争と分けて呼んでいるが、一般的にはこの戦争を通称、反米援助戦争としてきた。
 したがって国際社会で通用する“韓国戦争(Korean War)”の表現を今回の停戦記念行事関連の公式文書に書いたことは、北朝鮮・中国の特殊関係の枠でこの戦争を見ずに、普遍的な国際社会の見解で北中関係を管理しようとする意図が敷かれていると見られる。中華圏メディアの多維も、中国が韓半島の冷戦構図から抜け出すために退いた最初の一歩だと分析した。
 もちろん北朝鮮で開かれる停戦協定記念行事の主宰側は北朝鮮なので、中国の立場を一方的に反映した反米援助表現を使わないというのも一つの理由になりうる。人民大学の時殷弘教授(国際関係)は25日の電話で「平壌(ピョンヤン)で開かれる停戦記念行事の目的は北朝鮮の勝利の評価にあり、中国の派兵と支援を祝おうというものではないからだ」と指摘した。その一方で時教授は「中国は、米国と相互尊重と協力を強調する新しい大国関係を推進しているので、抗米(反米)を浮上させない傾向」と付け加えた。
 これと共に中国共産党と北朝鮮労働党の間の特殊関係だった北中関係が、国家対国家の構図に転換されたという点を念押しする効果も狙ったと分析されている。中国外交部と共産党中央対外連絡部は何度か「中国は朝鮮(北朝鮮)と正常な国家関係を結んでいる」と明らかにしていた。



http://www.recordchina.co.jp/b72559-s0-c30.html
「Record china」配信日時:2013年5月23日12時6分
■朝鮮戦争は失われた命に値するものだったのか? 無駄な戦いのため命を落とした人々―中国

【写真】遼寧省丹東市の朝鮮戦争の記念館。

 2013年5月22日、中国の著名な経済学者、茅于軾(マオ・ユーシー)氏はブログエントリー「戦争と平和:人民は覚醒しなければならない」を公開。朝鮮戦争は失われた多くの中国人の命に値するものだったのかと問いかけている。
 1950年、朝鮮戦争が勃発したこの年、私は中国東北部のチチハル鉄道で研修を受けていた。戦争には多くの人材が必要だ。私たちの鉄道局からも多くの人々が派遣された。戦後、彼らは元の職場に復帰したが、命を落とした者も少なくない。
 朝鮮戦争は中国と北朝鮮が国連軍と戦ったものだった。実際のところ北朝鮮の兵力は戦争初期の時点で尽きており、その後は彭徳懐(パン・ダーホワイ)率いる中国人民志願軍が主に戦っていた。国連軍は18カ国の軍で形成されたものだが、主力は米国だ。日中戦争では盟友だった米国だが、朝鮮戦争では仇となった。国連軍の死者数は5万人弱と報告されているが、中国と北朝鮮の死者数は今なお明かされぬままだ。
 この戦争は金日成が南朝鮮を解放するために起こしたものだが、3年間の戦いの末、南北朝鮮の境界は戦争前と同じ38度線のまま変わらなかった。無駄な戦いだったわけだが、それでも人は死んだ。
 誰にも家族はいる。よく分からない目的のために息子を死に追いやる、そんなことに同意する母親はいないだろう。よく分からない目的のために夫を死に追いやる、そんな妻はいないだろう。だが政府はそうは考えなかった。ほんの数人の人間のためのあいまいな目標のために、中国全国から動員された人々が犠牲になったのだ。政府にとって死者などさしたる問題ではない。生死に対する政府と一般の人々の態度は正反対のものだ。       (翻訳・編集/KT)



http://j.people.com.cn/94475/7179481.html
「人民網日本語版」 2010年10月27日
■抗米援朝記念館、中国志願軍18万人の犠牲を確認
 抗米援朝戦争(朝鮮戦争)60周年を記念し、記者が抗米援朝戦争記念館に取材したところ、同館の過去十数年間にわたる全国規模での調査の結果、現在までに中国人民志願軍の士官・兵士 18万3108人が祖国のために華と散ったことが確認された。新華社のウェブサイト「新華網(瀋陽)」が26日付で伝えた。
 遼寧省丹東市にある抗米援朝記念館は中国国内で唯一の抗米援朝戦争中国人民志願軍をテーマにした記念館 。朝鮮戦争中、記念館所在地は朝鮮半島を侵犯した侵略者の攻撃の的となり、米軍機の爆撃に遭った。
 同館の中国人民志願軍戦死者数統計は、作戦犠牲者、負傷後に亡くなった非戦闘犠牲者を含む戦闘に直接参加した犠牲者数。これらの志願軍烈士は西蔵(チベット)を除く中国大陸30の省・自治区・直轄市から集まった。
 記念館の張中勇・研究員によると20世紀末から、同館は民政部の通知を受け、西蔵(チベット)を除く全国480以上の地級市の2670の県・区に人員を派遣、地方の最も基本的な県民・区民政治烈士リストから逐一確認作業を行った。
 抗米援朝戦争記念館の「志願軍烈士壁」両脇を歩くと、壁の中央の花壇内に志願軍烈士の数、「18万3108人」が鮮やかに輝いている。同館が統計した各省・自治区・直轄市の犠牲者数だ。
 抗米援朝戦争記念館の尹継波・副館長は取材に対し、「現時点での志願軍 犠牲者数の統計データは、実際の犠牲者数にほぼ近づいている。これ以上の新たな烈士発見は少ないでしょう。志願軍烈士捜索業務は今後もひきつづき行い、志願軍烈士、烈士親族、歴史への責務を負い、子々孫々の代まで永遠に志願軍烈士の豊かで偉大な功績を刻銘します」と語った。
        (編集HT)



http://japanese.cri.cn/881/2010/10/25/161s165586.htm
「China Radio International」2010-10-25 11:44:57
■朝鮮で中国人民志願軍朝鮮戦争参戦60週年行事
 25日は、中国人民志願軍が朝鮮戦争に参戦して60周年の記念日にあたります。
 朝鮮政府は24日夜、ピョンヤンで盛大な祝宴と記念活動を行いましたが、中国側からは中国軍事委員会の郭伯雄副主席を団長とする中国高級軍事代表団、朝鮮駐在劉洪才大使ら、朝鮮側はチョ・ヨンリム首相、最高人民会議常務委員会のヤン・ヒョンソプ副委員長などが出席しました。ヤン・ヒョンソプ副委員長は挨拶で「朝鮮と中国の友情の絆を次世代と次世紀に伝え、さらに絶えず強化していくことは、わが党とわが政府の揺ぎ無い立場である」と述べました。
 劉洪才大使は中国側を代表して「両国の人民と軍の友情は、血と戦火の試練を受けて結ばれたものである。われわれは朝鮮と共に、先輩の革命家によって築かれた友情を引き継ぎ、地域の長期的な平和と共同の繁栄、そして人類の平和と発展のために、努力していく」と強調しました。(朱丹陽)



http://www.recordchina.co.jp/b43291-s0-c30.html
「Record china」配信日時:2010年6月28日18時47分
■「朝鮮戦争での中国人民志願軍の死者数は18万人」の新説=従来発表から半減―中国
 26日、国防大学教授の徐焔少将はこのほど、朝鮮戦争で死亡した中国人民志願軍の兵員が18万人前後だったとの研究を発表した。写真は昨年4月、丹東市の朝鮮戦争記念館。
 2010年6月、国防大学教授の徐焔(シュー・イエン)少将は、朝鮮戦争で死亡した中国人民志願軍の兵員が18万人前後だったとの研究を発表した。26日、人民網が伝えた。
 徐少将の研究は雑誌「文史参考」に掲載されたもの。改革開放まで中国政府は朝鮮戦争における死者数を公開せず、ゆえに一部では過大な数字もささやかれていた。改革開放後、歴史史料の公開が進み、1980年代には36万人死亡という数字が発表された。ただしこの数字は志願軍司令部が算出した兵員純減数でしかない(前線に送り込み、帰還しなかった兵員の合計)。
 徐少将は、医療部門の正確な死者数統計と病院の負傷者統計とをまとめ、戦闘及び事故での死亡11万4084人、負傷38万3218人(同一人物が2回負傷した場合、2人とカウントされる)、後方での入院治療45万5199人(重複カウントの可能性あり)、戦場での行方不明者2万5621人との数字を導き出した。また、医療部門の統計によると、病院内で負傷者2万1679人が死亡、1万3214人が病死したという。
 上記統計の死者数は合計で14万8977人。ただしこの数字には行方不明者中の死者、戦場での労働者は含まれていない。徐少将によると、朝鮮戦争記念館が各地域から収集した統計によると、1990年代時点での朝鮮戦争烈士(戦争に命をささげた人)が17万16669人。その後、追加もあり、現在では18万3108人に増えている。
 これらの統計を考慮すれば、朝鮮戦争での中国人民志願軍の死者数は従来を大きく下回る18万人前後だと徐少将は結論づけた。
         (翻訳・編集/KT)
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