NIMBY(ニンビー)Not In My Back Yard と言われる問題が想定されるときに、合意形成に至る努力をすべきなのは誰々かという事をいつも思います。 その過程で必要なのが合意成形に関る全ての人々それぞれの明確な論理とそれを裏付ける情報群だと考えています。 私がインターネット社会に期待していたのはこの論理と情報がペアで発信されることへ希望でした。これはイデオロギーの問題ではなく、全ての人々がみずから情報を集め処理し判断して自分自身の意思決定に至ることです。 その結果で特定イデオロギーの信奉者になるかもしれないが、それは情報処理とは別問題です。 大切なのは情報の送受信能力を高め、処理し、判断できる力を養うことだと自身に言い聞かせています。 国民の代理人である政治家にこそ、この能力が求められるはずだと思っています。いつかは国民がそういう政治家をトップに選出し日本が立ち直ることを期待しています。
リニア計画で静岡県が抱える問題は、南アルプスの自然破壊となります。どうせJR東海の主張はムチャクチャなのだから、それを論理的に追及し、その延長線として環境保全のための住民参画の方法や行政責任の引き出し方を模索するなどすればよいのに、「広く安倍政治の経済成長政策の犯罪性のなかにリニア…」とかなんとか、ヘンな政治色をつけすぎです。一般市民の賛同を広く得られるとは、到底考えにくい。
悪いけれども、推進している側以上に、「内輪の論理」を感じます。
これでは自然環境について深い知識を持った人々の協力を得ることは不可能でしょう。現に、地元専門家や自然愛好家などの賛同を得ることにも成功していない。私としても、こういう類いの集会には近よりがたい。レッテルを貼って断罪しようという手法も大嫌いです。
反対運動の輪を狭めるようなことをして、何の意味があるのでしょう? 不愉快とお感じかもしれませんが、懸念ばかりを抱きました。
最初に掲載した10月30日の記事で私は、
「原発・リニア・TPP、この三本の矢は以前から私も同根と感じていたことですが、安保法制が加わって、これこそが彼等の本命だったのかも知れません。」
とコメントしていましたので、今回の再掲では書きませんでした。
お書きになった「南アルプスを守る・・・本当に裁判は有効なのか?」
http://blogs.yahoo.co.jp/jigiua8eurao4/14341804.html
5日掲載日に拝読していますので、ご意見は理解できます。
私は法的な知識も乏しいので裁判制度に不信は感じても、問題を的確に指摘することはできません。
そして、裁判中の事案に関するマスメディア報道にも疑念を持っていますが、マスコミとはその程度なのだとして、ネティズンとして出来る方法として情報を整理しWebで発信するだけにしています。
問題を大局的に観る人々も「夢の超特急・リニア中央新幹線」だと思っていた、しかし、これも問題があることに気付くかも知れないという点で、このような講演会は意義ある事だと思っています。その意味で2度案内記事をアップしたのです。
主催団体のWebページを知らないのでリンクを張れないのが残念ですが。
なるほど確かにリニア計画は安倍政権のもつ新自由主義の概念に一致しているでしょう。一方で、一度GOサインを出した大型事業について、その後は猪突猛進というのも日本の悪習です。だからGoサインを出すまでが重要なのに、そこの審議の形骸化は、八ツ場ダムや整備新幹線に見られるように、与党が民主党であっても何も変わらない…
国鉄時代から踏襲されたリニア計画について、JR東海が建設の意思を表明したのは2007年であり、リニアを審査し、建設指示を出したのは民主党政権時代の2009~2011年です。
その審議中に、COP10が愛知で開催され、それに合わせて温室効果ガス排出削減、南アルプス国立公園拡張計画、環境影響評価法の改正といった出来事があったにもかかわらず、これら政策とリニア計画との整合性をマトモに検証せずにGOサインを出させたことの弊害は大きいと思います。第1回パブリックコメントの意見提出はたった70人程度ですし、傍聴者は毎回数人だけだったという話も聞きます。今になってリニア反対を叫びだした共産党も、当時は傍観を決め込んでいたはずです。自分もパブリックコメントに意見提出したぐらいで、偉そうなことは言えませんが…
当時はほとんど無視していたにも関わらず、計画が始動してきた段階で「安倍亡国政治」と結びつけて批判する…そのような考え方は危ういと感じます。
それに、本当にリニア計画を政治批判に結び付けて考えるなら、各種政策との矛盾を第一に検証すべきです。しかしこの観点で論じた人はどれだけおられたでしょう?
…お気を悪くされたらごめんなさい。
NIMBY(ニンビー)Not In My Back Yard と言われる問題が想定されるときに、合意形成に至る努力をすべきなのは誰々かという事をいつも思います。
その過程で必要なのが合意成形に関る全ての人々それぞれの明確な論理とそれを裏付ける情報群だと考えています。
私がインターネット社会に期待していたのはこの論理と情報がペアで発信されることへ希望でした。これはイデオロギーの問題ではなく、全ての人々がみずから情報を集め処理し判断して自分自身の意思決定に至ることです。
その結果で特定イデオロギーの信奉者になるかもしれないが、それは情報処理とは別問題です。
大切なのは情報の送受信能力を高め、処理し、判断できる力を養うことだと自身に言い聞かせています。
国民の代理人である政治家にこそ、この能力が求められるはずだと思っています。いつかは国民がそういう政治家をトップに選出し日本が立ち直ることを期待しています。
予定されるリニア訴訟の論点が何処にあるのかは自分には未だ判りません。訴状が公開されるまで待つしかないと思います。
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