いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

親友の結婚式に出た

2002-10-15 01:52:31 | いぶたろう日記クラシック
高校時代一緒にバンドを組んでいた親友の結婚式に呼んでもらった。
初の経験である。
幼い頃、親に連れられて親類の結婚式に出たことはあるが、
成人してからの結婚式出席は生まれて初めてだ。
緊張した。
てか、何をどうしたらいいのかさっぱり解らん。
なんせ、マナー云々以前に俺、ネクタイがひとりで絞められないのだ。
だいたい、ネクタイってなんだ?
何の役に立つんだ、こんなもん。
曇ったメガネが拭けるでもなし、こぼれたスープを拭くわけでなし。
そもそも、息苦しい。文字通り、俺は苦しい。
肩も凝る。「締める」と言うより「絞める」が的確だ。

さておき。
そういうフォーマルな場に出たことがなかったんですよ。
どんな格好で、何がタブーで、ご祝儀はどれくらいか。
サングラスは失礼じゃないか、アクセサリーはいいのか。
いつもは母のりこに教えを乞うのだが、あいにく留守。
やむなく田舎の叔母に電話して訊くというていたらくだ。
叔母もいい迷惑だ、てか情けないな~てなもんだろう。
でも、快く教えてくれたのでそれに従った。

さて、いぶたろうといえば遅刻で有名である。
それはもう、青森といえばりんご、大阪といえばたこやき、
宮崎ピーマン茄子高知、遠州浜松うなぎパイ、
越中富山の薬売り、鼻くそ丸めて万金丹、
てなくらい俺の代名詞である。

この日も、やってしまった。

言い訳させてほしい。
この日は表参道で朝11時からの式で、自宅を9時45分に出れば間に合った。
俺は9時35分には準備をほとんど完了し、残す作業はただひとつ、
これさえ済めばいつでも家を出られる状況であったのだ。
このたったひとつの作業のために、液状化現象を起こしたかのごとくズブズブと足を取られ、
遅れる羽目となったのである。

ネクタイだ。締め方わからん。

自分で試行錯誤して、色々やってみるも長さがどーにも合わない。
鏡の前で悪戦苦闘すること45分、しまいにゃ左手がつった。
左手の犠牲と引き換えにようやく結べた頃には遅刻確定である。
情けない。。。むしろ俺が嫁さん欲しい。。。

そんなこんなで家を出る。
暑い。とにかく暑い。
裾をズボンに入れ、ボタンを上まできちんと閉じるなんて何年ぶりだろうか。
スーツもネクタイも結婚式と葬式でしか着たことない。
スーツは弟の借り物である。おいそれと脱いでしわにはできない。
慣れないネクタイが何とも息苦しい。文字通り俺は…って2度目か。
羽生善治をもしのぐであろう俺の奇跡の一手でかた~く結ばれたネクタイは、
一度外そうもんならもうニ度とは戻らない代物である。 ガマン大会。
行きの電車の時点で既にだいぶ参ってる俺。
これ、電車空いてっからまだいいけど、
サラリーマンは毎朝こんなカッコで、 満員電車に揺られているんだねえ。
考えただけで気が狂いそうだ。 ありえん。

そうこうしてるうちに会場到着。
神父さんの元で新郎新婦が誓いを立てている。
俺はキリスト教は嫌いだが、なんだかとっても厳かだ。
壇上の二人は輝いて見える。
今日ばかりはくだらんケチを付けることなく、大きな拍手を送った。
披露宴でも、会社上司という肩書きの人にありがちな、
会社の宣伝とよくわかんないオヤジギャグに耐え、忍びきった。
新婦の大学恩師は新郎の名前「剛=つよし」をスピーチで最後まで、
「タケシさん」と言い切ったツワモノだ。
教授予習せずの巻。

俺の周りの友人はやはりバンドマンが多いため、
あんまり結婚式というものに縁がない。
バンドマンというのは基本的に自由で気ままな、
言い換えれば不規則で不安定な日々を送っているため、
ともすれば世の中の一般的なシステムや作法や常識にも疎くなる。
会社にも勤めないから接待や表面上の付き合いというものにも理解がないし、
社会人の必須アイテムであるところのスーツやネクタイにも縁がない。
さらには反骨精神だけは旺盛であるため、
既存の体制や権威や慣習や形式といったものに、
無条件でアレルギー反応を示してしまうのだ。
果ては納税や年金や保険すらも満足にこなせない者も多く、
冠婚葬祭など理不尽なまでの形式縛りの場に至っては、
硬直を通り越して石化してしまう向きも多かろう。
とはいえ俺も(それでも幾分かは常識的な方だとは思うが)
またご多分に漏れず、
そんな非常識かつ反抗的バンドマンの一人なわけである。

そんな俺にとって今回の体験は、
「結婚式」という形式主義の最たるものに触れ、
その実体を理解するといういいきっかけといえた。
それまで俺の想像の中にあった一般的な結婚式といえば、
当事者ふたりというより、
むしろ会社のお偉いさんやら微妙な親類やらのための、
色んな事情や気遣い、思惑などが
とてもいやらしく絡み合うイベントに思えてあまり好きではなかった。
形式と偽善だけのイベント。ムダにお金絡むしね。
あれは何年前だったか、ラジオ番組の打ち上げで、
「結婚式って泣けるよね~」などと、
まるでドラマや映画かの如く語る女ディレクターと
それに解ったふうにお追従の相づちを打つ
某バンドの某ドラマーとのあまりにクサイ会話に、
「これ見よがしに泣いてるのはウソ臭い。感動しなきゃいけないみたいな空気に合わせて泣いてんだか、単に何でもいいから感動したがってるだけなのか、わからん。結婚式で純粋に泣ける人間なんて限られてるはずだ」
と言ってのけて煙たがられたこともある。
実際、あまりにもうさんくさくて突っ込んだだけなんだけど、
俺の側にも結婚式に対する偏見があったのには違いない。

それが、親友の式を実際に見たことで少し変わった。
人によってはこういう温もりの伝わるのもあるんだと知った。
いいものをいっぱい見せて貰ったのだ。
じわっと胸の底がぬくもった、印象深いシーンが幾つか。

ひとつは、新婦のご家族がピアノと歌でお祝いをしているときの、
それを会場の隅で見つめている車椅子のおばあちゃんの本当に嬉しそうな笑顔。
顔を輝かせて喜んでいる彼女の姿には、なんとも心を揺さぶられた。
ひとつは、新郎新婦の両親への感謝の言葉のとき、
その答礼で「新婦の」父が、
十年前に新郎の父が急逝したことに触れ、
思わず言葉に詰まり号泣してしまったこと。
彼が新郎の父に会ったことのあるはずもなく、
結婚という縁がなければ全くの赤の他人なわけだ。
それが、「この姿を見せてあげたかった」という、
子供が結婚する歓びを今まさに味わっている同じ親としての立場から、
心からの同情を涙にして表したのだ。
本当にいい人なんだなあと思った。
それ以上に彼が新郎に対して抱いている気持ち、
義理を越えた実の家族同様の思いやりや優しさ、
そういうものがひしひしと伝わってきた。

そんな中、新郎がお母さんに捧げた言葉。
「お父さんが亡くなってからも、何一つ不自由に思ったことはありません」
これを言い切った彼の姿はとても格好良かったし、本当に立派だった。

そんなわけで、
安っぽいとって付けたような「感動」が大嫌いな俺が、
24時間テレビとかやるたんびにキレちゃう俺が(見なきゃいいのにね)、
素直に感動してしまったんである。
これは本物である。
随所でこの二人ならではの「らしさ」が感じられたことも大きかった。
苦しい懐事情ではあるが、
ご祝儀は借金せずにちゃんと自分の給料からひねり出した。

やはり他ならぬ親友である彼の結婚式であったということ、
これはとても自然に色々な思い入れが湧いてくるので、
形式だの何だの、余計なことは何も考える隙間がなかった。
同席した高校の同期達は、
会社の付き合いなどで結婚式も普通に出席経験があり、
聞けば俺が想像していたような堅苦しい結婚式というのも少なくないそうだ。
しかし本人達と周りの人々の人柄であったり、
結婚する当事者と出席する自分との距離や関係、
そういうもの次第で色んな結婚式があるのだという。

なるほどねえ。

まあとにかく、実に素晴らしい結婚式だった。
めいっぱい大きな拍手を何度も送らせてもらった。
初めて出た結婚式が彼等のもので本当によかった。

しかし「つよし」よ、
思い出写真のコーナーに俺たちのやってたバンドを出すのはいいが、
なぜに俺が頭剃られた直後のとか、
俺が中指おっ立ててるのとかをチョイスするのだ。

んなろ。

お幸せに。


ーーーーー
(2005年追記)
彼もいまや一児の父。子供がかわいくて仕方ないという。
彼を筆頭に高校時代の親友たちがここ数年で次々と結婚し、
もはや独身は俺とF本くらいのものとなった。
市場の評価としては俺とF本は同じくらいというわけだな。
やっぱり、いーかげんなやつが売れ残るんだなあ(笑)。
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