東京圏私立中の入試初日。
僕にとっても、特別な日だ。
鬱屈と絶望と憤懣やるかたない世界から、
夢と希望と自由があふれる新天地へ抜け出すべく、
扉をこじ開けた思い出の日だ。
あれから20年が経った。
飛翔があり、旋回があり、着地があり。
いま、あのときには想像もしなかった立場で、
子供たちを送り出す側にいる。
不安、自信、無力感、緊張、希望、彼らの気持ちは痛いほどよく解る。
解りすぎるほどによく解る。
だからこそ、希望通りの結果を出せた子がいれば、
そこまで辿り着けない子もまたある、
そんな現実が胸に突き刺さる。
わずか12歳にして背負わなければいけない十字架の重み。
まばゆいばかりの夢に胸をときめかせてきたればこその、
厳しい、あまりにも厳しい現実。
前者は必ずこう言う。
「ありがとうございました、先生のおかげです」と。
しかしこれを鵜呑みにする教師など、いない。
受験において教師がしてやれることなど、ほんの少しだ。
結局はどこまでも、本人の戦いだ。自分自身との戦いだ。
その孤独を和らげ、行く先を指さし、眼前の足元を照らしてやる、
教師の役割などその程度だ。
本人の努力と信念こそが称えられるべきなのだ。
後者は、あるいはこう言う。
「先生、ごめんなさい」と。
言葉を失ってしまう。
誰よりも本人が辛いはずなのに、なお、教師を気づかう。
胸に迫る。
今日もまた、悲喜こもごも。
決して器用なタイプではないが、
塾を心から信頼し、文字通り昼夜を分かたず日参し、
誰よりも愚直な努力を積み重ねた女の子が、第一志望校に合格した。
塾の実績なんて頭をかすりもしなかった。
ただ、彼女の労苦が報われたことが嬉しかった。
我が事のように、とよく言うが、もはや我が事であった。
これ以上なく嬉しかった。
またある子は、
僕ごときを「尊敬する人」の位置に据え、心の支えとしているという。
それは錯覚にすぎないかもしれず、
それに気づけないほどまだまだ小さな世界の中で、
ひたすらに僕のあとを付いてきた男の子。
俺のマネをして髪を伸ばし、模擬面接の歳には、
「塾の先生のおかげで社会が大好きになって…」という話を衒い無く披露し、
心細くて仕方ないが故にはしゃいで見せ、
最後まで塾を信頼して闘い続けている彼は、
まだ結果が出ていない。
自宅では無力感に嘖まれ、
先生に顔向けできないと自責を重ねているのか、
電話にも出られないという。
大人にとっては長い人生の一部であり、勝負は時の運であり、
挫折こそが大きな経験である。
しかし、それを解るにはあまりにも幼い彼の身を思うと、
察するに余りある。
これ以上なく、辛い。
この職にある者にとって、
最高の充実感と、最大の虚無感とが交差する、
春は暖かく残酷な季節だ。
僕にとっても、特別な日だ。
鬱屈と絶望と憤懣やるかたない世界から、
夢と希望と自由があふれる新天地へ抜け出すべく、
扉をこじ開けた思い出の日だ。
あれから20年が経った。
飛翔があり、旋回があり、着地があり。
いま、あのときには想像もしなかった立場で、
子供たちを送り出す側にいる。
不安、自信、無力感、緊張、希望、彼らの気持ちは痛いほどよく解る。
解りすぎるほどによく解る。
だからこそ、希望通りの結果を出せた子がいれば、
そこまで辿り着けない子もまたある、
そんな現実が胸に突き刺さる。
わずか12歳にして背負わなければいけない十字架の重み。
まばゆいばかりの夢に胸をときめかせてきたればこその、
厳しい、あまりにも厳しい現実。
前者は必ずこう言う。
「ありがとうございました、先生のおかげです」と。
しかしこれを鵜呑みにする教師など、いない。
受験において教師がしてやれることなど、ほんの少しだ。
結局はどこまでも、本人の戦いだ。自分自身との戦いだ。
その孤独を和らげ、行く先を指さし、眼前の足元を照らしてやる、
教師の役割などその程度だ。
本人の努力と信念こそが称えられるべきなのだ。
後者は、あるいはこう言う。
「先生、ごめんなさい」と。
言葉を失ってしまう。
誰よりも本人が辛いはずなのに、なお、教師を気づかう。
胸に迫る。
今日もまた、悲喜こもごも。
決して器用なタイプではないが、
塾を心から信頼し、文字通り昼夜を分かたず日参し、
誰よりも愚直な努力を積み重ねた女の子が、第一志望校に合格した。
塾の実績なんて頭をかすりもしなかった。
ただ、彼女の労苦が報われたことが嬉しかった。
我が事のように、とよく言うが、もはや我が事であった。
これ以上なく嬉しかった。
またある子は、
僕ごときを「尊敬する人」の位置に据え、心の支えとしているという。
それは錯覚にすぎないかもしれず、
それに気づけないほどまだまだ小さな世界の中で、
ひたすらに僕のあとを付いてきた男の子。
俺のマネをして髪を伸ばし、模擬面接の歳には、
「塾の先生のおかげで社会が大好きになって…」という話を衒い無く披露し、
心細くて仕方ないが故にはしゃいで見せ、
最後まで塾を信頼して闘い続けている彼は、
まだ結果が出ていない。
自宅では無力感に嘖まれ、
先生に顔向けできないと自責を重ねているのか、
電話にも出られないという。
大人にとっては長い人生の一部であり、勝負は時の運であり、
挫折こそが大きな経験である。
しかし、それを解るにはあまりにも幼い彼の身を思うと、
察するに余りある。
これ以上なく、辛い。
この職にある者にとって、
最高の充実感と、最大の虚無感とが交差する、
春は暖かく残酷な季節だ。
少しかわいそうだけど、
12歳だから、純粋に喜びも後悔も15歳や18歳のそれより、
大きなものかもしれないですね。
仮にダメでも中学校には行けるのに。。
先生、どういう結果であれ、みんな先生の
「よくがんばったね」って言葉を待ってると思いますよ。
私もそういう先生に出会いたかったな。。
でも周囲の持っていき方ひとつでもあるんだよね。
本当に自分のやりたいことなのであれば、
それに向かっていく楽しさや苦しさは絶対に大きな経験になるし、
また仮に挫折したとしても、やり直しのきく若いうちであればあるほど、意味のある挫折になるハズなんだ。
「努力すれば夢は必ず叶う…とは限らない!」という厳しさも、
早くから体感して知っておくことも大事だしね。
その点でオレは、偏差値とかブランドとかオトナの見栄とか、
そういうものに歪められて数字で人を見るような人間にならないようにさえすれば、
中学受験はものすごく意味のある挑戦だと思うんだよ。