電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編2】
【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編2】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 31 日の日記再掲)
武田の武将今福丹波守にちなんだという丹波街道、清水次郎長にちなんだという次郎長通りが、今は暗渠になっている中田川に突き当たってカーブを描いて接続し、広い『ポプラ並木通り』に分断されることによって尽きているように見える場所に清水総合運動場がある。海抜も低い湿潤な土地だったという。
古道を何度も行き来する内に、地元の人々が当たり前のこととして知っている地域の成り立ちを少しずつ教えて貰い、頭の中で少しずつ明瞭になっていくわが郷土清水の「へっぽこ地図」を片手に、生まれて初めて清水総合運動場のゲートを潜ってみる。
運動場の脇に立って日暮れているというのは人を感傷的にさせる。
生まれ故郷であるなしに関わらず、日本中どこにいたって、黄昏時に立つ運動場脇は切ないのかもしれず、RC サクセションが歌った『スローバラード』だって、若い男女が一つの毛布にくるまり、カーラジオから流れるスローバラードを聴きながら車中泊したのが市営グランド脇の駐車場だったからこそ、そこに漂う若き魂の哀切があるのだ。
この市営グランドができたのは僕が都内の大学に進学し、そのまま都内で就職した後だったような気がするので、「(なんでまた、あんな場所に運動場なんて作ったんだろう、土地と金が余ってたのかしら…)」程度の感慨しかなく、一度も訪ねたことがなかったのである。
そうか、斯く斯く然然、そういう場所に作られたのかと改めて市営グランドと握手をし、テレビ塔が建ち並ぶ日本平の向こうの夕陽を見ていたら、心の中にスローバラードが流れて湿潤な心境になって来たので、お手洗いを使い、水道の蛇口を捻って冷たい水で思い切り手を洗い、ハンカチで拭きながら外に出ると、あたりは一段と日暮れている。
ふと石碑が目に留まり、それは清水市民憲章を刻したものである。市内を歩いて何カ所かで目にしたが、ここの清水市民憲章は立派だし、日本平の向こうの落日を真正面に受けて赤く染まった様は凛々しく美しい。
真っ赤になって照れているのか、それとも怒っているのか、はたまた運動場脇で黄昏時の感傷に浸っているのか、物言わぬ石碑なのでその心はわからない。
写真上段:清水総合運動場ゲート。ここでもまた「市」消し作業があったようで、ゲートを潜った左手の案内板では「清水」と「総合運動場」の間に全角空きママがある。ゲートの「清水」の下のカーブがきついのは右の「市」を全角とるツメしたのだ。
写真下段上:写真を見るだけでも切ない市営グランドの黄昏。
写真下段下:『清水市民憲章』石碑。永遠に残したい珠玉の言葉が刻まれている。
[Data:MINOLTA DiMAGE F300]
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