【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編1】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』次郎長通り界隈編1】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 27 日の日記再掲)

東海 1 号で清水駅に着き、県立がんセンターへの母の送迎を終え、親戚から借りた自動車を返し、歩いて宮加三から旧久能道、丹波街道を辿って総合運動場前の『ポプラ並木通り』まで辿り着いたら、早くもカラス「カァ~」と鳴いてねぐらに急ぐ夕暮れ時である。

夕暮れ時は人もねぐらが恋しい。
まだ 20 代だった母が父と喧嘩して家出をし、何日か家を空けて帰ってきた夕暮れ時に、母は暮れなずんだ道を父と僕と 3 人で手をつないで歩きながら、
「食料が…ねぐらが…」
と言いながら嗚咽していた。意味もわからずにその言葉だけが耳に残っているが、家を飛び出しては見たものの、食べるものと寝る場所探しに苦労した挙げ句、夫と息子の元に帰ってきたらしい。昔の家出は今よりずっと厳しさの体験に役立っていたのだろう。

薄暗くなったポプラ通りの舗道脇に標柱があり、「中田川緑道」と書かれている。

かつて丹波街道は現ポブラ通りの場所を流れていた中田川に突き当たり、川沿いをS字形にカーブして次郎長通りへと繋がっていたのだそうだ。暗渠となった中田川の上に自然遊歩道があり、それが中田川緑道なのである。

次郎長通りを美濃輪稲荷方向に進むと空を群舞する鳥がいて、黄昏の空を背景に電線は鳥でいっぱいである。

そういえば昨年、次郎長通り『魚初商店』の若主人に写真添付メールをいただいたのを思い出し、あれはいつ頃だったかなあとメールボックスを検索してみたら2003年9月26日だった。ムクドリの幼鳥たちが群れて人気(ひとけ)の多い商店街や駅前近くの大木にねぐらを定め、日暮れてねぐらに帰った鳥たちが、電線にとまり飛び立ち周回する行動をくり返しつつお目当ての木にねぐら入りするのだそうだ。幼い鳥たちが街の喧噪をねぐらの安全確保の道具として利用するため、繁華な場所を選ぶのだという。

虫も、鳥も、人も、暗くなると明るい方向を恋しく想い、「カァ~」と鳴けない生き物がねぐらが恋しさに「カァ~」と鳴くなら、きっと消えゆく残照を見ながら「カァ~」と鳴くのだろうなと思ったりする。

由比・興津方面から清水市街地に辿り着くと「(ああ、明るいなぁ)」と思うし、静岡の繁華街から清水に向かって静鉄電車で巴川を渡る時は「(ああ暗いなぁ)」と思う。明るい・暗いという感覚は相対的なもので、丹波街道から次郎長通りに入ると「(ああ、明るいなぁ)」と思うのであり、ムクドリもまた次郎長通りはひときわ繁華な場所と認めているわけで、街の活性化に一役買っているように余所者は思ったりするが、地域住民にとっては糞害が由々しき問題だったりするらしい。
このムクドリたちも、ある時期になるとパタッと姿を消し、より暖かな地に新たなねぐらを求めて移動していくらしい。

写真上段下:浄念橋上からみた清水小学校脇の浄念川。海に潮が満ちている。
写真下段上:美濃輪稲荷大鳥居前のムクドリ。
写真下段下:夏に浮き輪が下がる履物屋『マツヤ』前のムクドリ。
[Data:MINOLTA DiMAGE F300]

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