【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編4】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編4】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 25 日の日記再掲)

静岡県清水、母が一人暮らしする実家のトイレには JA しみずのカレンダーがかかっている。

母の店の常連でもあった大川さんが描いた達者な清水スケッチを眺めながら腰を下ろしていると、郷里の野辺で用を足しているような贅沢な安らぎがある。

10 月の絵は地元駒越の人々に「鉄砲道」などとも呼ばれる旧久能道であり、街道をちょっとだけ行きつつ不二見小学校脇で見失った、入江岡から辿った旧久能道を延長した先がそこにある。そもそも、久能山に詣でるために開かれた道なので久能山に通じていて当たり前なのだけれど、僕にはどうにも古道が通じていたルートが特定できず、不二見小学校脇から駒越鉄砲道に繋がる道が見つけられなかったのである。

かき入れ時にはちっとも相手をしてもらえないので、早めの時刻に美濃輪稲荷大鳥居前の魚屋に行ったら、手ぐすねを引くように、地図を片手に教えてやると手招きするので、説明を聞いたら旧久能道はなんと不二見小学校脇を左折(久能山側ではなく清水港側へ折れる)し、柳宮通り『米沢薬局』脇の小路を入り、数十メートル先で海沿いの古道丹波街道こと県道駒越・富士見線に合流し、その場所こそが先日風化激しい石柱を見た場所なのだそうである。そこから久能街道は県道駒越・富士見線と道を共有しつつ駒越方面へ向かう。

その先、地図を鉛筆で辿りながら県道駒越・富士見線から再び分岐して久能山を目指す古道を教えて貰ったが、それは複雑に折れながら進む道でどうしてそんなルートなのかが興味深く、はたして一度聴いただけで正しく辿れるかしらと心許ない。

「いつか一緒にのんびり古い道を歩きたいですね」
などと魚屋がロマンチックなことを言い、心からそうできたらいいなぁと思うが、魚屋の定休日は水曜日だし、たとえ都合をあわせて帰省しても母の介護で慌ただしいし、母がいなくなれば頻繁に帰省する口実を失うわけで、本当にそういう日が来るかもまた心許ない。

自転車を停めると汗で濡れたシャツが背中に冷たく、吹く風に薄ら寒さも感じて、深まり行く秋を思う。

古道丹波街道こと県道駒越・富士見線を行くと清水港に注ぐ小さな川が幾筋かあり、そのうちの一本、大橋川で釣り糸を垂れている人がいるので何を釣っているのかと思ったら見事なハゼが釣れていた。

このところ帰省するたびに巴川端でハゼを釣る人を見るので、
「(そうか、この季節清水の川ではハゼが釣れるのか)」
と改めて生まれ故郷の風物詩を知る。

道沿いに極早稲の温州みかんが並び、樹上で柿が赤く熟する頃、清水ではハゼが釣れ始めているであろうことを世界のどこにいても一生忘れないだろうな、と思う秋である。

不意に、いつの日か港の岸壁で竿を並べて釣りでもしようと、目の眩みそうに贅沢な約束をした友のことを思いだし、切なくなりそうなので早々に立ち去る。

写真上段:JAしみずのカレンダー。
[Data:KONIKA MINOLTA DiMAGE Xg]
写真中段:旧久能道駒越北町。浜田川に巨大なボラが群れ泳ぎ、『小橋』という小さな橋が架かっている。そのたもとにあるタバコ屋。この建物は、魚屋の生まれる前、僕の幼い頃、母の 20 代の頃をきっと知っている。
写真下段上下:大橋川と新川が合流する加茂神社近くでハゼを釣る人々。
[Data:SONY Cyber-shot DSC-W1]

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