【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編5】

【『街道を(ちょっとだけ)ゆく』久能街道編5】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 27 日の日記再掲)

旧久能道沿いに不思議な建物が集中している地域がある。

農家の倉庫のように思うのだけれど、通りから覗き見ると作業場を兼ねているようにも見える。屋根の上に小屋根がいくつかあり、明かり取りというより換気を目的にしたもののようで、建物内部で空気の循環を考慮する必然性があったのだろう。

小学生時代、親の都合で東京暮らしをしていて、郷里清水が恋しくて母にせがんでは静岡県の地図を何枚か買って貰った。学校から帰ってアパートの鍵を開けて部屋に入り、ひとりで過ごす毎日だったので食い入るように清水への地図を見た。

その中に不思議な静岡県全図があり、とても古くておそらく店主も忘れていた書店の売れ残りらしく、ひと目見て近代的精密さに欠け、本格的地図出版社のものでないことがわかる珍品だった。

奇妙な図法で描かれていて、例えば東海道線の吉原駅あたりを見たりすると、昔の街道沿いによく連なっていた古い商家風の家並みが描き込まれており、真に受けると、吉原駅周辺数キロの範囲には今なら世界遺産登録申請してもおかしくないような、超巨大木造建築が数十軒建っていることになるし、描かれている巨大駅舎も蒸気機関車が走っていた時代のもののように古い。

要するに縮尺など全く無視してひたすら旅愁を誘う地図なのであり、考えてみると観光に重点を置いた地図だったのかもしれず、清水あたりの海岸線にも海水浴場を示す絵記号がちりばめられ、「(あれっ、こんなところに海水浴場があったっけ?そこは岸壁だけど……)」と首を傾げるほどに情報が古かった。

それでも僕はその「へっぽこ地図」が好きで、蒲原、由比、興津あたりの東海道沿いに描き込まれた家並みを見ると、胸が締め付けられるほどの郷愁を覚え、徒歩で旧東海道を行く昔の旅人になったような気がしたものだった。

おそらく実家の物置をひっかき回しても、もうその「へっぽこ地図」は残っていないと思うけれど、江戸時代の本格的古地図などではなく、明治末期もしくは大正から昭和初期あたりの古い静岡縣地図、できれば思い切り情緒的で客観性に欠ける「へっぽこ地図」が欲しいなぁと思う。

清水旧市街、次郎長通りあたりを歩いていると、あの「へっぽこ地図」に描かれていたような古い建物がまだたくさん残っていて、そのひとつひとつに、拠って立つ地域特性と、実用的用途と、建てた人々の願いが込められているようで味わい深い。

画一的で合理的な視点しかない近代地図ではなく、たとえ独りよがりであろうと切れば血の出るような地図が必要な気がしたりする今日この頃であり、清水の町を迷走して古き良き時代の手がかりを見つけるとその姿を忘れたくなくて写真に撮り記録するわけで、僕のウェブ上の清水写真帖は失われた“へっぽこ地図”をもう一度手にしたいという抑えがたい衝動なのかもしれない。

写真はすべて清水宮加三にて。
[Data:SONY Cyber-shot DSC-W1]

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 【清水・地ラ... 【『街道を(... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。