◉朝のお勤め

2018年9月22日
僕の寄り道――◉朝のお勤め

朝のお勤めについてお坊さんが話したり書いたりしたものを読むと面白い。早起きして神仏に食事とお茶を供え、掃除をし、お経は完璧に覚えて空でよめるので居眠りしそうになり、読経中は良くも悪くも無心になれるという。そういう意味でもお経はありがたい。

自分の場合、朝起きて神仏に食事とお茶を供えるお勤めは毎朝食事準備を担当していることで勘弁してもらっている。自宅と仕事場に掃除機をかけることと、ベランダや室内の植物への水やりも自分のお勤めの一部となっている。

もうひとつなにか無心になれるお勤めが欲しいので、朝起きたら絵を描く日課を再開してみた。うまく描けたなと思うまで何枚も描いていると、やっと思い通りに描けたと思う瞬間があって、それはたいがいこう描こうと思ったよりもうまく描けたときである。無心になるとそういう瞬間がやってくる。

たぶんスポーツも音楽も同じだ。無心である状態から自分の良いところを取り出す練習が必要だ。お経だってお坊さんの頭の中では、無心でよめた時こそありがたい現象が起こっているに違いない。無心でよめたとき仏様の声が聞こえることもあると書いているひともいた。

(2018/09/23)

午前中、東洋文庫「大♡地図展―古地図と浮世絵」を見に行ってきた。


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◉赤羽途中下車

2018年9月22日
僕の寄り道――◉赤羽途中下車

土曜日なので埼玉まで入院中の義母の様子を見に行って来た。暑かったり寒かったり天気予報があてにならないとタクシー運転手が文句を言う。病室の計器を見たら気温24度、湿度65パーセントになっている。義母の熱も37度を超えることがなくなって安定してきたと若い担当看護師が報告する。

 板橋区中丸在住でカメラマンの友人は自転車で赤羽の魚屋まで買い物に行く。良い店だというので宇都宮線乗り換え時に改札を出て寄り道してみた。赤羽駅高架下にある魚屋「角上魚類」は新潟寺泊港から出店しており、人気の店らしくたいへんな混雑だった。これは板橋からわざわざ買い物に出るわけだと納得した。直線距離で片道 4km ほどになる。

(2018/09/22)


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◉発生と進化

2018年9月22日
僕の寄り道――◉発生と進化

0 歳から 2 歳まで、子どもの育て方について保育者向けに書かれた本づくりの手間仕事を手伝っている。厄介な作業も多いけれど内容はとても面白い。母親の胎内に宿って産み落とされ、しだいにヒトになって行く過程は、二度童(にどわらべ)に戻って行った親たちの老いを逆回し映像で見るようでもある。ヒトの成長は生物進化の相似モデルであり、老いはその逆転モデルなのだろう。

読みかけている本に「朝起きるのは誰でも辛いものです」と書いてあって「ああふつうはそうか」と思う。親たちの在宅介護が終わってから朝が楽しく、起きるのが辛いと思うのは年に数回だけ、めざましをかけて起きなくてはならない通所介助をする妻のサポート時だけになった。そういう特異日以外は目覚ましなしで気持ちよく早起きしている。

妻はひたすら眠い人で、むりやり起こすと「ああ永遠に眠っていたい」などと身もふたもないことを言う。そういう人なので毎朝朝食準備をして叩き起こすと、水中から陸に上がって四つ足歩行を始め、ようやく二足歩行を始めた原人のような姿で起きてくる。

食事中も声かけをしないと箸を持つ手が止まり、話しかけても返事がボケている。朝はあまり複雑な話をしないようにし、どたばたした NHK の朝ドラをつけている。そうしているうちに 0 歳から 2 歳までの生育過程を辿って妻はヒトらしくなる。

(2018/09/22)


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◉継続と変化

2018年9月21日
僕の寄り道――◉継続と変化

なにかひとつのことをルーティンときめて継続すると、そのルーティンに対する自分のわずかな変化に気づくようになるという。おすすめだそうだ。

助手たちが「からだに悪いから何か別のものを食べたほうがいい」と進言するまで、まいにち出前のおかめうどんを食べ続けた著名な学者がいた。まいにちおかめうどんを食べてもからだに悪いことはないと思うし、おかめうどんのおかげで研究に新たな気づきがあったかもしれない。

真似しようと思ったわけではないけれど、血圧を下げる効果もあるそうだし、昼食はまいにちざるそばにしようと決めてがんばってみた。がんばった結果気づいたのは、もうざるそばに飽きた自分だった。

雨が降っているけれど、血圧の薬がなくなったので医者にもらいに行こうとエレベーターに乗ったら清掃作業員さんと乗り合わせ、
「おれは制服だからしょうがなしに今日もこんな格好をしてるけど、あんた半袖で寒くないの?」
と聞かれて、肌寒いことに気づいた。

(2018/09/21)


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◉お経とバッハ

2018年9月21日
僕の寄り道――◉お経とバッハ 

寺の住職が朝のルーティンを決めて実行しており、それは起きたらまず本堂でお経をあげることだという。お経の第一声がどうでるかでその日の体調がわかるそうで、この話はいろいろつっこみどころがあって妙におかしい。自宅地下のガレージでバッハの無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007 『プレリュード』を毎朝かならず弾いているというチェロ奏者が、同じようなことを言っていた。お経とバッハ、通じるものがある。

チェロのソロ演奏を大音量で聴くとフンフン鼻息が聞こえることがあり、耳障りだけれど「おお熱演だ!」と思うことにしている。運動や散歩に限らず、起床したら呼吸のしかたが変わる屋内でできるルーティンづくりはよさそうだ。お経やバッハのように意表をついたものの方が長続きするかもしれない。なにか探してみよう。

(2018/09/21)


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◉線の絨毯

2018年9月21日
僕の寄り道――◉線の絨毯

「はるか下は、田園がまるで巨大な線の絨毯のように、眼の前にひろがっている。」(ロアルド・ダール著 開高健訳『キス・キス』「牧師のたのしみ」早川書房 kindle 版)

「線の絨毯」は「緑の絨毯」の電子書籍化にともなうタイポグラフィカルエラーじゃないかと思ったので日本語訳原本にあたってみたら同じく「線の絨毯」になっていた。日本語翻訳では「線の絨毯」で正しいということになる。

日本語版原本は早川書房が異色作家短編集の第一巻として出したもので、初版が昭和三八年八月十日、手元にあるものは同十五日発行で第三版になっている。なんと五日後なので流行りの電車ドア脇広告なら「発売たちまち三刷に!」というところだろう。

小 B6 判ソフト上製の洒落た本で、全十二巻のうちフレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』は星新一が訳者になっている。

手元の『キス・キス』には嬉しいおまけがふたつ付いている。ひとつは奥付にある「開高」の検印シールで、当時は原則として著者が自分の印鑑を自分で押すことになっていたという。開高健本人が押したかどうかはわからない。

もうひとつは「國分寺書店」の値札シールで、椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』のあの古書店である。オババ本人が貼ったかどうかはわからない。

(2018/09/21)


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◉天国への登り道

2018年9月20日
僕の寄り道――◉天国への登り道 

このところ朝目が覚めたら開高健が翻訳したロアルド・ダールを一編ずつちびちび読んでいる。

今朝も眠いけれど頑張って目を開け「天国への登り道 」(The Way Up to Heaven)を読んだ。

主人公の女性は森田療法をやる精神科医が言うところの神経質で、予定の時刻が気になりだすと気が急いて強迫観念に苛まれ、左目尻の筋肉が痙攣を起こしてヒクヒクするような人である。片やその亭主――開高健はわざわざ良人と書いておっとと読ませている――はそういう妻をわざと苛立たせて左目尻の痙攣を観察する嗜虐的で嫌な良人である。こころの人形遣い。

そんな夫婦を題材にした掌編なのだけれど、うとうとしそうになりながら読み終えてもオチがわからない。オチなどない詩的な幻想小説だろうかとも思ったけれどそんなはずはない。

たるんだ瞼を押し上げ、眠気を払って初めから読み直し、意味ありげな夫人の行動描写を記憶の付箋にメモしてピン止めしながら、短い作品内をなんども前後して読んだらやっと腑に落ちた。タイトルの意味もわかった。目も覚めた。傑作である。

(2018/09/20)


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◉朝の挨拶

2018年9月20日
僕の寄り道――◉朝の挨拶

朝食準備をしていたら牛乳が足りないので近所のコンビニまで買いに出た。レジ係は東南アジア系の若者で名札の名前がカタカナで書いてある。

彼は 1 リットル入りの牛乳パックを買うと
「ストロつけますか」
と聞き、いらないので
「いいです」
と言うとストロがついてくる。

今日もまた
「ストロつけますか」
と聞くので
「いりません」
と言ったら一瞬静止してうなづきストロはついてこなかった。

「おつり、にひゃくはちじゅろくえんです」
と言うので受け取って「どうも」と言いそうになるのをこらえ
「ありがとうございました」
と言ったら一瞬静止してニコッっと笑った。

(2018/09/20)


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◉竹下真澄 作品展

2018年9月19日
僕の寄り道――◉竹下真澄 作品展

郵便受けに友人から作品展の案内が届いていた。

竹下真澄 作品展
─みえない いろ─
2018 年 10 月 1 日(月)─ 7 日(日)
10:00 ─ 19:00(最終日 16:00 まで)

アートカゲヤマ画廊 2F
〒426-0033 静岡県藤枝市小石川町 4 - 10 - 28
http://blog.livedoor.jp/artkageyama/
https://www.facebook.com/Artkageyama5058/?rf=437946512917499

(2018/09/15)


 

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◉インポート

2018年9月19日
僕の寄り道――◉インポート

Android の外国製メモアプリ。メモをとって画像データを保存したり、PDF 形式で書き出したくてもそういう選択肢がない。「Export Project to」では独自フォーマットになってしまうので他のアプリでの再利用ができない。

これでは使い物にならないのでアンインストールしようと思い、もしや…と思って画像と PDF の「インポート」を選んだら機能としては「エクスポート」だった。受け取る側のアプリから見れば「インポート」とも言えるけれど、おそらく日本語版のローカライズミスだろう。

(2018/09/19)


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◉ロードサイドを遠く離れて

2018年9月19日
僕の寄り道――◉ロードサイドを遠く離れて

親たちの世話が終わったら年相応に面倒臭くなって自動車の運転をやめた。いつでもどこでも飲みたいときに飲める身軽さが気持ちいい。山手線内暮らしなので足の便には困らない。

ただし、ニトリやコストコや丸亀製麺などのロードサイドストアに行くのは自動車がないと容易ではない。ニトリに初めて行ったのはつい最近だし、コストコや丸亀製麺は地図で場所を見ただけで行く気が失せていた。

高齢化や若者の自動車離れもあってロードサイド商売にも陰りが見えてきたらしい。ニトリも駅そばであるレールサイドへの出店が増えてきた。義母の暮らす老人ホーム通いで利用する大宮駅駅ビルも、地下の大型スーパーが撤退したあとはニトリが入った。

大宮駅前の古びたアーケード近くにあったステーキハウスが火災で焼失したあとに建ったビルの 1 階が丸亀製麺になったので初めて入ってみた。ロードサイドでもレールサイドでもない路地に面したプロムナードサイドとかアレーサイドとかライフロードサイドとか、こういう立地の出店がこれからは良いのではないか。徒歩でやってきた高齢者の客もずいぶん見かける。

(2018/09/19)



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◉風邪薬

2018年9月19日
僕の寄り道――◉風邪薬

毎日母親の病院面会に通う妻が昨夜から洟水を出していてどうやら風邪らしい。風邪薬を飲んで今日は寝ているという。

風邪薬について友人たちはいろいろなことを言う。市販の風邪薬なんて効かない、医者が出す風邪薬は効くと言う人。そもそも風邪薬などというものはないので、市販薬も医者が出した薬も、効いたと思うのは気のせいにすぎないと言う人。

そういう切れ味鋭い話ではなくて、市販の風邪薬も早めに飲めば実は効くのだという人のゆるい話をわが家では支持しているので、くしゃみ洟水が出たら風邪だと思って早めに市販薬を飲んでいる。

人によって贔屓の市販薬があって面白い。わが母は早めにバブロン(パブロンのこと)とアリナミンを飲んで暖かくしていればすぐ治るといい、著名な理学療法士の M さんはルルが効くと言っていた。

高校を卒業して東京暮らしを始めたらひどい風邪をひき、ふらふらになって駅前の薬局に行ったら全薬工業のジキニンとリコリスを飲んで暖かくしていればすぐ治るというのでそうしたら、見事に治ったという伝説を尊重して、わが家では風邪かな…と思ったら早めのジキニンと決めている。

贔屓の風邪薬の名を挙げての風邪薬話は、子どもの頃にしたわが家のインスタントカレールー自慢のようで面白い。カレーも風邪薬もホットな話題になる。

(2018/09/19)


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◉くすぐったい

2018年9月19日
僕の寄り道――◉くすぐったい

ぼんやりとしてしまった年寄りの身体をくすぐってもくすぐったがらない。
「母さんくすぐったくなくなっちゃったね」
と拘縮したからだをさすってやりながら妻が声かけしている。

ぼんやりとした年寄りだけでなく、しっかりしている自分たちですら、子どもの頃くすぐったくてたまらなかった場所を、くすぐられてもくすぐったくなくなったのはなぜだろう。

病院「時間外入口」前のくすぐったい造形の枝ぶり。

ひとは自分をくすぐることができない。それは自分が自分をくすぐることを自分で予測してしまうからだ。統合失調症むかしでいう精神分裂病では、自分で自分をくすぐることができるという。自分で自分をくすぐるというより、自分をくすぐっている自分を判別できないからだ。

自分だけでなく他人にくすぐられてくすぐったくなくなったのも予測によるものだろうか。このひとは自分をくすぐろうとしていると予測できてしまうからくすぐったくないという説明は完全に正しいだろうか。

年寄りに「くすぐりますよ」と声かけしてこちょこちょしてもくすぐったがらない。だが声かけせずにからだをさわったり、視野にはいらない角度から突然おおきな声で話しかけると、びっくりしてひどく怒ることがある。年寄りも静けさを予測している。

年寄りでなくても、ひとは突然くすぐられたらびっくりするし、相手によっては怒ることもあるだろう。予測できるからくすぐったくないのではなく、くすぐったいのは他人にくすぐられると予測するからくすぐったいということもあるだろう。

だから子どもにむかって「くすぐっちゃうぞ〜」と言いながらくすぐる仕草をすると、くすぐられる自分を予想しただけで「きゃっきゃ」と身をよじってくすぐったがる。自分も子どもの頃はそうだった。そして少しずつくすぐったさという不思議な感覚を忘れて老人になる。

(2018/09/19)


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◉いらちと几帳面

2018年9月18日
僕の寄り道――◉いらちと几帳面

今日は妻がひとりで母親の病院面会に行く。
「ああ今日からひとりか」などと言う。

***

パンクチュアルなどという言葉は受験英単語として覚えたきり、実用会話で使ったことがないので唐突に遭遇すると「どういう意味だったっけ」と思う。

久しぶりのカタカナ言葉に出会った講演録では、かならず約束の時刻より先に来て待つ亡き作家のことをパンクチュアルな人だったと言っている。

パンクチュアルなどと言うとカッコいいけれど、人を待たせるのが嫌いな大阪人はそもそも「いらち」なのだそうで、英語で「パンクチュアル」は大阪弁で「いらち」、標準語で「せっかち」だということになる。

パンクチュアルな友人の愛猫「李さん」と愛読書(写真・川上哲也)

酒のこととなるとパンクチュアルな友人は待ち合わせ時刻より前に来ていることが多い。自分もまた待ち合わせ時刻にだけは妙にパンクチュアルなので待たせるより待つ方が多く、早く着きすぎて時間潰しに苦労する。

そんなわけでパンクチュアルな友人と待ち合わせて飲むときはパンクチュアル同士なので互いを待たせることがないかわり、定刻に几帳面な飲み屋前で開店時刻が来るのを待つことが多い。「パンクチュアル」もまた人と時間の関係において相互的である。

(2018/09/18)


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◉敬老の日

2018年9月17日
僕の寄り道――◉敬老の日

入院 4 日目は敬老の日。義母は個室から 4 人部屋にかわって、眺めの良い窓際のベッドではなくなっていた。窓からの眺めがないと日本中どこにいても病室は病室である。

祭日の休診日ということで外来患者のいない病院内は放課後の校舎のようだ。コンビニ風の売店は年中無休なので、患者や病院職員がちらほら出入りしている。

ここは埼玉県なのだなぁとあらためて思う病院売店の新聞スタンド。日本経済新聞と並んで埼玉新聞があり、一面記事が「熊谷圏オーガニックフェス2018」関連の記事になっている。

(2018/09/17)


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