◉病室からの眺め

2018年9月16日
僕の寄り道――◉病室からの眺め

義母の入院三日目。連休なので今日も面会に出かけた。義母は点滴や酸素吸入のチューブを動く方の左手で外してしまうので、必要最低限の拘束承認の書類にサインした。家族でなくては気づかない身の回りの衛生管理もあるので、毎日面会に行っても何かしらやることはある。

入院病棟階の休憩室から眺める土呂陣屋の面影

家族は高齢になったらできるだけ共に過ごせる時間を大切にした方がいい、母さんの顔は今のうちにたくさん見ておいた方がいいと言ったら、「私もそう思う」と妻が言う。前者は夫のことを言ったつもりなのだけれど通じたかどうかはわからない。

看護師が痰の吸引をしている間、窓の外の見沼田んぼを望遠レンズで覗いたら稲刈り作業中のお百姓がいた。田んぼの手前に蓮田があるらしい。

窓の下の駐車場を見たら、昨日の日産 Be-1 がまた停まっていた。隣りの赤い軽自動車に比べても、ずいぶん小さい車だったんだなぁと思う。妻が「かわいい」と言い、「古い車だけど愛着があるんだろうね」と答えた。オーナーは毎日家族の面会に来ているらしい。

稲 刈 り を 病 室 か ら 見 る 家 族 哉

(2018/09/16)


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◉土呂陣屋の秋

2018年9月16日
僕の寄り道――◉土呂陣屋の秋

老人ホームで暮らす義母は血液内科の定期検診が受けられる病院を選ぶ必要があって東大宮総合病院に通っていた。狭い敷地内で職員が連携を工夫して働く良い病院だった。

新築移転して大きな病院に生まれ変わるというのを、ずいぶん遠い未来のように感じていた。だが足かけ9年間頑張って生きたおかげで、義母はさいたま市北区土呂(とろ)に移転した東大宮メディカルセンターに通うようになった。そして三回目の入院である。

病棟階南向き窓から芝川沿いの農業地帯が見え、その見沼田んぼ内を東武野田線が走っている。病院は小高い場所にあり、この場所は初鹿野氏の陣屋だった。

さいたま市の解説に
「初代初鹿野昌久は甲斐国武田の家臣であったが、主家滅亡後、徳川家康に仕え、天正18年(1590)徳川氏の関東入国に伴って土呂村の領主となったもので、この地蔵堂付近に陣屋を築き、以来幕末まで知行した。」
とある。

初鹿野(はじかの)氏について書かれたものを読むと「使番」や「使者衆」といった言葉が出てくる。武将同士の連絡には書状が用いられたが、改竄や漏洩を防ぎ、口頭で臨機応変の交渉を行うこともあるという目的にかなった人材を選び、書状と人とが一体となった情報伝達が必要だった。そして個人のもつ人脈もまた能力の一部だった。家康は名門好きで敵方の諸将をすすんで召しかかえたと言われるが、初鹿野氏はそういう使者のつとまる家系だったかもしれない。

そんなことを考えながら窓辺に立つと、義母の病室から往時の面影を残す陣屋の一画が見える。木立の向こうをときおり電車が通る。

稲 稔 る 退 院 ま で の 領 地 哉

(2018/09/16)


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◉敬老会と紅白の自動車

2018年9月15日
僕の寄り道――◉敬老会と紅白の自動車

今日 9 月 15 日は老人ホームで暮らす義母の敬老会のはずだった。

このところ喉に痰を絡ませることが多く、しばしば吸引の必要も生じて心配していた。昨日になって急に発熱し 39 度 5 分もあるという。翌日から三連休にはいり、病院の外来も休診となるので、安全のため急遽入院させることにした。

入院翌朝になり、敬老会で賑わう老人ホームに寄って義母の荷物をまとめ、同じさいたま市にある病院へと手続きに出かけた。おそらく誤嚥による肺炎なので、しばらく栄養点滴のみで様子を見ることになった。

義母が痰の吸引を受ける辛そうな顔を見るのは辛い。病室の窓から駐車場を見下ろしたら大好きな FIAT 500(チンクェチェント)の赤いのが停まっていた。

吸引が終わりゼリー状の薬の経口摂取が始まった。看護師がスプーンを口に近づけて声かけしても、なかなか口を開かない義母を見ているのも辛い。

ふと窓の下の駐車スペースを見たら赤い FIAT が出庫して、白い別の車種に入れ替わっていた。はて、FIAT の古いモデルにあんなデザインはあっただろうかと記憶を辿っても思い出せない。

望遠で覗いて見たら懐かしい日産の Be-1 だった。こういう角度から見たことがなかったので似ているのに驚いた。そして義母が元気だったら今年も敬老会でいっしょに食べたはずの、紅白の餡子玉を思い出した。

紅 白 の 車 で 祝 う 敬 老 日

(2018/09/15)



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◉ちいさな薔薇

2018年9月15日
僕の寄り道――◉ちいさな薔薇

大通りの歩道に草が生え放題のプランターがいくつか置かれている。そのうちのひとつにかわいい極小の薔薇が咲く。気づいたのは最近のことだ。同じく毎日前を通る妻に教えたら、やはり知らなかったという。

花の大きさが1センチメートルもないので、蕾はさらに小さい。そのくせしっかり渦をほどくような優美さで開きかける姿が愛らしい。手入れをする人も見かけないのでもともと強い体質なのだろう。

そのように感じたことを言葉にして検索したらマイクロミニバラと呼ばれる種類で、名前はリトルウッズで通じるらしい。誰によって開発されたのかわかっていないと多くの人が書いている。花屋で鉢植えを見つけたら買ってこよう。

道 端 に 貝 殻 に 似 た 薔 薇 が 咲 く

(2018/09/14)


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◉現物植物図鑑

2018年9月14日
僕の寄り道――◉現物植物図鑑

花屋の店頭で鉢植えの植物を見ることは多くの人にとって楽しいことです。なぜならそれらの鉢植えは売り物なので、売り物には名札と正札が添えられているからです。名札があれば人々は無料で植物名の勉強ができますし、正札に書かれた額のお金があればそれを自分のものにすることもでき、それは人々にとって楽しいことであるに違いないのです。

文京区在住の A さんはある日近所の花屋のまえで不思議なものを見かけました。涼しげな葉の隙間から黄色い糸を束ねたポンポンのようなものが飛び出しています。それが A さんにはとても珍しいものに見えたのです。いつもならすぐに名札を確認して帰り、インターネット検索で詳しい情報を探します。でもその日 A さんは急いでいたのでそれができませんでした。

翌日になってもあの花のようなものが気になってしかたないので、花屋の店頭まで確認しに行ってみました。でもあの花はすでに店頭にありませんでした。誰かが正札に書かれた額を支払って、自分のものにしてしまったのでした。結局 A さんは花の名前を知ることができませんでした。思いついた時に学ばないと二度とチャンスは巡ってこないかもしれないということを、この出来事は我々に教えているのかもしれません。

開高健によるきだみのるへのインタビューを読んだら、きだが開高に良い文章を書く秘訣について指南していた。きだは
「外国語を読んで、その構造で文章を書くこと」
と言い、
「それはわかります」
と開高は答えている。面白いので AFP 通信が配信した記事を同時通訳者が翻訳しているつもりになって日記を書いてみた。

翻 訳 で 書 い た 日 記 と 秋 の 花

(2018/09/14)


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◉ひまわり

2018年9月14日
僕の寄り道――◉ひまわり

フェリーニの『道』と同じく、いまだによく口ずさむ名曲がヴィットリオ・デ・シーカ監督『ひまわり』(1970)のテーマ曲で、「たららーら、たーららー」という出だしを口ずさんだだけで、広大なロシアに咲く一面のひまわりが眼前に思い浮かんで涙腺が緩む。

『道』もそうだけれど『ひまわり』もまた記憶が正しいあらすじになっていない。やっぱりだ。

かつて戦場だったロシアの地で探し当てたマルチェロ・マストロヤンニにはロシア人の妻子がいた。失意のうちに汽車で立ち去るソフィア・ローレンと一面のひまわり畑が重ね合わされ、その状態で物語が尻切れとんぼになっている。

同じように「たららーら、たーららー」で涙腺が緩むという妻もまた、マルチェロ・マストロヤンニがロシアからイタリアにソフィア・ローレンを訪ね、彼女にもまた夫と子どもがいて…というあれから先のお話を覚えていない。

かつて戦場だった一面のひまわり畑を挟み、男と女がたどり着いた境遇の対称性を排除して、ウルウルしながら一方的な悲劇という結末にしておきたかったのだろう。それほど画面いっぱいのひまわりが衝撃的で心に強く焼きついたのかもしれない。

買い物を兼ねて昼休みの散歩をしたら、学生時代に通った中華料理店が店をたたまれていた。五十年近くというから、上京して学生客になった 1974 年は開店して数年後だったわけだ。その頃、先代のお父さんは若者で、当代は小さな子どもだったのだろう。

価格破壊のように安い中国人経営の店が乱立する街で、よくここまで頑張って続けられたと思うし、とうとうこういう日が来てしまったのかと感慨深い。

がっかりして線路沿いの坂道を登っていたら、道端にひまわりの花が咲いていた。

ひ ま わ り の 咲 く 坂 道 を の ぼ る 秋

(2018/09/13)


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◉知らざるは幸いなるかな

2018年9月13日
僕の寄り道――◉知らざるは幸いなるかな

開高健が『知らざるは幸いなるかな』と題してロアルド・ダールの掌編について書いている(昭33.9)。読んでみたら要約の仕方がうまいので自分も女房相手に話してみたくなった。笑ってもらえたら嬉しい伝言ゲームである。

要約とはいえ他人が書いたままをまるごと暗記するのは難しいので、要約をさらに自分なりに要約することになる。そういう要約が口伝えでつたわるうちに変容を遂げ、ついにはとんでもない話になり、偶然原本に接して「えっ?こんな話だったのか!」と驚くことがある。

フェデリコ・フェリーニに『道』という映画があり、自分が生まれた年に公開された作品なので数十年後にテレビで見たのだと思う。テーマ曲がこのところ頻りに口をついて出る。『道』については関川夏央をはじめ、たくさんの人が書いているので、要約が記憶の中で錯綜している。

YouTube に淀川長治の解説動画があったので見たら、えっ!そんな結末だった?と驚いた。記憶は実にいい加減な要約でできている。恥ずかしい思い違いに気づくと、知らざるは幸いなるかなと思う。

秋 深 き 人 そ れ ぞ れ の 読 み 違 い

(2018/09/13)


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◉歩きながら考える

2018年9月13日
僕の寄り道――◉歩きながら考える

考えごとをするために散歩に出ることもあれば、考えごとを止められないので散歩に出ることもある。高校に上がったあたりからずっとそうして生きてきた。

前を見ながら歩くとき、前方からこちらに向かってやってくる新しい風を受けつつ後ろ向きに思い悩むことは難しい。歩きながら縦に思索を深め、横に思いを巡らすけれど、前にひらけ続ける未来を見つめて過去を振り返るのは難しい。

立ち止まるな歩け、歩きながら考えろ、というやり方が好きだ。

Bob Dylan の Don’t Think Twice, It’s All Right 邦題「くよくよするなよ」が高校時代からずっと好きだ。散歩に出るたびに口ずさんでしまう。

♪ I’m a-thinkin’ and a-wond’rin’ wallkin’ down the road

前 方 の 透 視 図 法 と 秋 の 先

(2018/09/13)


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◉手紙

2018年9月12日
僕の寄り道――◉手紙

中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙」であるといった。
路上に落ちた病葉(わくらば)もまた、空から届いた手紙に違いはないだろう。

正午前、六義公園脇の歩道にて。

町 じ ゅ う が 郵 便 受 け に な る 秋 へ

(2018/09/12)


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◉ビジュアル・コミュニケーション

2018年9月12日
僕の寄り道――◉ビジュアル・コミュニケーション

学生時代はビジュアル・コミュニケーションを学んだ。日本語で視覚伝達という。近所の国道沿いで歩道の改修を目的とした道路工事があるらしい。

歩道に描かれた簡潔な表現。撤去でも増設でもなく、既存の信号機つき電柱を移動するらしい。

秋 風 の 吹 く 方 向 に 移 動 か な

(2018/09/12)


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◉涙の理由(わけ)

2018年9月12日
僕の寄り道――◉涙の理由(わけ)

一緒に郷土誌の編集委員をしている同い年の女性が、「最近としのせいか涙もろくなってすぐ涙が出ちゃう」と言う。としのせいというより、どうも 3・11 の災害を体験してから自分が妙に涙もろくなった気がするので、「あの体験が心的な外傷になっているんじゃないかなぁ」という話をした。

そんな話をした数日後に北海道で大地震が起き、そのニュースを見ながら感情失禁のように「涙が出ちゃう」のでやっぱりそうだと思う。やっぱりそうだと思いつつ自分を観察すると、ただ気の毒な光景や被災者の声を聞いただけで「涙が出ちゃう」わけでもない。そうではなくて、報道の中で見つけた実味ある訴えに感動したり憤ったりし、どうして感動したかについて誰かに語るように心の中で言葉にした途端、不覚にも「涙が出ちゃう」ことに気づいた。

そういえば子どもの頃から他人に自分の考えを「練りに練った言葉」として話そうとすると、話し始めたとたん感極まって「涙が出ちゃう」ことがよくあって困った。

最近ナラティブというカタカナ言葉を耳にすることが増えた。この「涙が出ちゃう」問題もかっこよく言えばナラトロジー(narratology 物語学)の問題なのかもしれない。淡々とした「叙述」で済むものを、自分が「語り手」となり「物語」として話そうとするから「涙が出ちゃう」のだ。そいう文章を書く傾向が昔からあった。

おとなになって人前で頻繁に「涙が出ちゃう」のもまずいので、なるべく涙が出ちゃわない努力をしてきた。同時に通訳する必然とはいえ同時通訳者たちの「叙述」的文体が面白いので、そういう職業者が書いた本を読んでいる、その端緒もそこにある。「涙が出ちゃわない努力」が脆くも崩壊しつつある理由は、度重なる理不尽な災害のせいもあるけれど、やはり「最近としのせいか涙もろくなってすぐ涙が出ちゃう」からかもしれないな、とも思う。

秋 の 夜 に 枕 を 濡 ら す お ね し ょ か な

(2018/09/12)


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◉石(こく)

2018年9月11日
僕の寄り道――◉石(こく)

日本では昔から、大人ひとりは 1 食に米 1 合食べるので 1 日 3 合が必要とされていた。1 年で約 1,000 合(333×3)が年間の米消費量になり、それを 1 石という。

本を読んでいたら「糒(ほしい)三万石」と書かれていて、それが 3 万人が 1 年間食いつなげる食料だということは字義どおりわかるけれど、物理的にどれくらいの量になるだろうと目の前に思い浮かべてみる。

母親が営んでいた飲食店では、商売用の米を注文すると米屋が紙の米袋を担いで来て、四角い一斗缶にザザッと音を立てて移して納品した。ぴったり一斗の米が入った缶に蓋をして、保管場所に移動する役をするのがひと苦労だった。弱音をはくまいと思っても「よいしょ!」と声が出てしまい、米屋はよくこんな重いものをこともなげに扱えるものだと感心した。それが貴重な米一斗の体積と重さの体験的基準値になっている。

1「よいしょ!」が 1 斗として 10「よいしょ!」を 1 石と呼ぶ。ということは 1 斗缶 300,000 本で三万石になり、300,000「よいしょ!」分の糒を北陸の港へ集めて西国の権力は北日本へと侵攻したわけだ。八世紀末の記録である。

電気炊飯器で米を炊く時は 1 合の樹脂製計量カップで米をはかる。米を炊くのは自分の仕事になっているので、カップ 1 杯の米もまた体積と重さの体験的基準値になっている。カップ 10 杯が 1 升になり、母親は 1 升炊きのガス釜で米を炊いていた。その 1 升の米を研ぐ手伝いをよくさせられたので、1 升の米の量もまた自分の体験的基準値になっている。1 升炊きのガス釜で炊いた米は 10 人分なので 1「よいしょ!」は 100 人の 1 食分、逆に大人 100 人の腹を膨らませるためには毎食ごとに 1『よいしょ!」の米を研いで炊かなくてはいけないということになる。

新 米 に よ い し ょ よ い し ょ の 秋 祭 り

(2018年9月11日)


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◉アルコール気分

2018年9月10日
僕の寄り道――◉アルコール気分

夕暮れも迫ったので、さて乾杯していっぱいやろうとグラスを持ったら友人がいきなり焼酎お湯割りをつくる。暑いのにはじめからお湯割りを飲むのかと笑ったら、最近ビールをうまいと思わなくなったのでそうしているのだと言う。そういえば最近わが家もめっきりビールを飲まなくなった。

それではビールがほんとうにおいしくなくなったのかというとそうでもなくて、外食して飲食店で飲むビールはおいしいし、会議帰りに仲間で乾杯するビールもおいしい。どうも、家庭で家族とちんまり飲む「ハレ」でない日常的な「ケ」の場が、苦いビールをおいしく感じさせるチカラを失いかけているのではないかと思う。一方でたったひとりの「ぼっちビール」だとほろ苦さが旨味に転じるかもしれないので感じ方は複雑だ。

近所の若者とマンション内「うち飲み」をすると、自分用に缶入りハイボールを買って来ましたなどとかわいいことを言う。缶入りハイボールなんかがうまいのかと聞くと、これがすごくおいしいんですと言う。「おいしい」は味覚より多分に心理的な感覚なのだろうとウィスキーが苦手なおじさんは思う。

妻が休肝日だなどと言って涙ぐましくも月曜夜の飲酒を我慢するので、近所の酒屋でノンアルコールビールを買ったら会計時に「はい私は二十歳以上です」のタッチボタンを押せと言う。二十歳以下のノンアルコール飲料喫飲が禁止されているのかと調べると、そういうわけでもないらしいので「おや?」と思う。ノンアルでも子どもに売らないのは酒屋の自主規制らしい。

「夏はやっぱりスーパードライノンアルが辛口でうまい」とか「ノンアルはやっぱり麦とホップの香りに限る」とか「ノンアルでも一番搾り製法はひと味違う」などと言う子どもが増えたら困る気もするので、これも社会心理的な問題かもしれない。

ノ ン ア ル で 愉 快 程 度 の 月 夜 な り

(2018/09/09)


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◉みやげ話

2018年9月9日
僕の寄り道――◉みやげ話

 

かつて高知県南部には、耕地を持たない山地農民が育てた牛を、牧養地を持たない平地農民の農繁期に貸し出す仕組みがあり、米でその借り賃を払った。山地農民はそれによって米を食することができた。

手土産にする酒のつまみを買いに出た東武野田線大和田駅

平地の村では牛を返すときに借り賃の米とは別に、山の暮らしで手に入りにくい塩漬けした魚などを牛の角にかけて返し、それを「ツノミヤゲ」と言った。電車内で読んだ宮本常一にそんなことが書かれていて、ほのぼのとしたよい話なので酒のつまみに話そうと思っていて話し忘れた。

ツ ノ ミ ヤ ゲ 話 し 忘 れ る 秋 の 夜

(2018/09/08)


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◉土地の高低

2018年9月9日
僕の寄り道――◉土地の高低

どこのサイトだったかもう見つけることができないのだけれど、海面の水位がどんどん上昇していま住んでいるこの場所まで水が迫ってきたという極限状況を、数値入力して地図上にシミュレーションできるサイトがあった。

そんな事態が来てしまったら、ここから徒歩で東京郊外の高台へと逃れる道はひとつしかない。千石交差点から白山通りに出れば巣鴨駅前から中山道を、尾瀬の遊歩道のように板橋まで辿ることができる。板橋までたどり着いたら落ち着いて、北からの避難民に混じって環七を南下し青梅街道で山を目指せばいい。

友人宅の 8 階猫

もしそんな天変地異に遭遇したら迷わずカメラマンの友人が暮らす街を目指して逃げるようにと言ったら、そんな災害が起きたら逃げずに観念すると妻は言い、カメラマン夫人はなんでよりによって我が家に向かって逃げるのかと笑う。地図の上に水を張って確かめてみるとわかるのだけれど、友人夫婦が暮らす街は地図上でぽっかりと高い。地名もそのことに関連しているかもしれない。

友人宅からの眺め

友人宅で酒を飲みながら窓外の景色を眺めていたら、おなじ 8 階で生活しているのにこの部屋はどうして遠くまで見通しがよいのかと妻が聞くので、周りに高い建物がないこともあるけれど、この土地自体の標高がちょっと高いのだ、周りの街並みが逆に低いのだと言ったけれどピンとこないらしい。土地の高低は自分で試して納得しないと正しく認識しづらいらしい。

夕 暮 れ て 山 へ と 辿 る 家 路 か な

(2018/09/09)


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