◉岩槻街道と豊島駅家と東京スカイツリー

2018年7月10日
僕の寄り道――◉岩槻街道と豊島駅家と東京スカイツリー

旧川越街道下練馬宿を歩いたら練馬区教育委員会の案内板に「通行の大名は川越藩主のみで、とまることはありません」と書かれていて、夕暮れ時だったことも手伝って少しだけ寂寞とした思いがあった。旧岩槻街道もまた参勤交代で通行する大名は岩槻藩主のみなので、脇往還としては似ている。

とはいえ岩槻街道は将軍が日光社参に利用した専用の街道という意味で、日光御成道という別の顔を持っている。さらに時代をさかのぼればこの写真を撮ったあたりはかつて古代日本律令制下の役所である豊島郡衙(ぐんが)であり官道の豊島駅家だった。江戸に向かって日光御成道がくの字に右折して行く角が旧古河庭園になり、正面に東京スカイツリーが見える。

ここに豊島駅家があった頃の官道は右折せず、スカイツリーに対して左30度くらいの角度で、一直線に下総へ向かっていたと思われる。(2018/07/10)


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◉蕎麦と大野五郎と金麦の夏

2018年7月10日
僕の寄り道――◉蕎麦と大野五郎と金麦の夏

午前中、近所の診療所まで血圧の薬をもらいに行った。ともかく体重を増やさないのが一番だと医者が言うので、最近は昼食に蕎麦ばかり食べており、ざる蕎麦一枚で満足できる歳になったと言ったら「俺は二枚だ、一枚じゃ足りない」と言う。学生時代を過ごした日本医大で、向かいの蕎麦屋で蕎麦をおごると教授に言われて一万円もらったが、みんな二枚ずつ食べるので金が足りなかったという話を愉快そうにするので聞いてやった。「その蕎麦屋は『夢境庵』でしょう」と当ててやったら嬉しそうにしていた。かかりつけ医と患者は相身互(あいみたがい)である。

山形の乾麺150グラムを茹でて食べ、腹ごなしに散歩したら北区飛鳥山博物館 3 階のアートギャラリーで、地元出身の洋画家大野五郎コレクションが展示替えになっていた。埼玉の老人ホーム訪問中の妻からメールが入ったので、
「夏は元気なのでざるそば茹でて食べたあと、飛鳥山で大野五郎の絵が展示替えになってるのを歩いて見に行ってきました。大野五郎は靉光(あいみつ)や松本竣介と同世代で一緒に新人画会などを作っていたけど、96 歳まで生きておられたのでありがたみが薄いかもしれません。でも妙に気が晴れる気持ちの良い絵なので好きです」
と返事を書いた。

飛鳥山アートギャラリー帰りの坂道で、サントリー金麦のアルミ缶で作った風車が熱風を受けてくるくる回っていた。(2018/07/10)


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◉あれこれ、肥える

2018年7月10日
僕の寄り道――◉あれこれ、肥える

日暮れ時に一杯やりながら、毎朝録画する NHK クラシック倶楽部を観るのを楽しみにしている。この番組は過去に放送したものを、適当な間をおいて何度も繰り返し放送している。それがなかなか良いと思えるのは、過去に聴いたときより、もっと感動して聴けている新しい自分に出会うからだ。

「以前聴いたときはたいしたことないと思ったのに、今日もう一度聴かされたら、素晴らしい!これは名演奏だ!と感動したのはなぜだろう」と妻に聞いたら「それはあなたの耳が肥えたから」だと言う。人は身体も肥えるが耳も肥える。

あれは良い本だった、もう一度読んだら頭が肥えてもっとよくわかるようになっているかもしれない、と期待を込めて思い出す本がある。

きょうも未明に思い浮かんだ一冊があり、あれは何という題名だっただろうと検索したら岸田秀の対談本で、そうだ『幻想を語る』だったと Amazon ストアの目次情報を見たら目当ての対談者である丸山圭三郎がいない。

調べたら、読んだのは続刊『さらに幻想を語る』の方だった。良い本だった。さらに『さらにまた幻想を語る』もあるので、手元にない前後のやつを注文した。検索したおかげで筒井康隆や前田愛とも対談していたことを知ったからだ。

対談者が苛立っているように感じるほど執拗に食い下がっていく岸田秀の対談が好きだ。知る喜びに勢いがある。三枝充悳(さいぐさ・みつよし)との対談『仏教と精神分析』も素晴らしかった。あれも人生の終わりが見えるころになってもう一度読み返したくなる本かもしれない。そんなふうに思い出される本が、自分にとって友とすべき本であるような気がしてきた「最近」である。(2018/07/10)


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◉花園町と新宿一丁目

2018年7月10日
僕の寄り道――◉花園町と新宿一丁目

仕事の打ち合わせで出かけた新宿一丁目、釜屋さんという不動産店と煙草店が一体になった建物があり、壁面にうっすら「石鹸問屋釜屋商店」の文字がのこっている。

そうか釜屋さんはかつて石鹸問屋だったのかと検索したらサイトがあり、沿革を拝見すると「昭和 15 年 10 月 25 日東京市四谷区花園町 87 番地にて『釜屋石鹸店』を創業する。」とある。

新宿一丁目の現在地がその場所に一致するのだろうかと戦前の地図を調べたらまさに花園町 87 番地にあたっており、近所に四谷区役所が見える。四谷区は 1947 年 3 月 15 日、淀橋区、四谷区、牛込区が合併して新宿区となることで消滅している。(2018/07/10)


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◉これでいいのだ

2018年7月9日
僕の寄り道――◉これでいいのだ

 

もう何十年も習慣となって毎朝惰性で見続けているNHK朝ドラ。

『半分、青い』で、ゲイのボクテくんが「きょうは二丁目のお友だちのところへ泊めてもらうから」などと言うので、朝から「おーおーおー、言う言う言う」などと朝食を食べながらウケている。

社会人になって初めて勤めた会社の上司がゲイバー好きで、深夜まで付き合わされ二丁目にもよく行った。大企業のお偉いさんたちが絨毯の上にソックスで上がりこみ、卑猥で馬鹿馬鹿しい替え歌を歌うおカマにハタキで頭をパタパタ叩かれながら嬉しそうに笑っているという、バカボンのパパでなければ「これでいいのだ」とは言えない世界だった。

誘ってくれる上司もいなくなってオカマバーはもちろんのこと、新宿二丁目にもまったく行く用事がなくなったけれど、一丁目で打ち合わせがあるので三丁目から歩いたら、懐かしい二丁目を歩くことになった。なんだか二丁目らしいビルがあるなあと見上げたらやっぱりゲイバーの看板がある。

こんなところに児童公園なんてあったかなあと入ってみたら、子ども用の遊具ではなく、ピンク色した大人用フィットネス遊具があって「これでいいのだ」と思う。(2018/07/09)


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◉雨上がる

2018年7月9日
僕の寄り道――◉雨上がる

 

新宿御苑前で午前 9 時半から打ち合わせだというので出かけて行った。

都内は朝から大雨に関する警報が出ていたので、新宿駅から地下道を通り、伊勢丹のある交差点から地上に出たら、ワールドカップロシア大会から帰国した本田圭佑のようなマネキンが、雨の交差点を見つめていた。

広島出身の女性編集者と待ち合わせて落ち合ったので、
「広島って昔からあんなに豪雨災害の起きやすい町だっけ」
と訊ねたら。
「幾つもの川が海に注ぐデルタ地帯にできた町だから」
と言う。低湿地である地勢ではなく、山側の造成地は彼女と初めて会った頃から存在したのか、あまりにも拙速に開発されたのではないのか、と聞きたかったのだけれどうまいこと要点を引き出し損ねた。

プレゼンの持ち時間はどれくらいがいいか訊ねたら「30分くらい」が希望らしいので早口にポイントを話してお先に失礼した。

変貌していく新宿1・2・3丁目の裏通りを抜け、元の交差点に戻ったら雨もあがって青空がのぞいていた。(2018/07/09)


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◉お父さんの仕事

2018年7月8日
僕の寄り道――◉お父さんの仕事

四半世紀ぶりに「ネットワークからプッシュ配信される『匿名の群衆のつながり』である SNS サービス」をやめてみたら、朝起きて他人が書いた「言葉」を読みたいとき、まず配達された新聞を読むという習慣が戻ってきた。なるほど新聞とは面白いものだったのだなと改めて思う。

オウム真理教事件について報じる朝日の論調は予想通りだったので、買い物ついでにコンビニで産経新聞朝刊を買ってきたら、やはり産経らしいのも予想通り。どちらも描きたいベクトルで書いている。海外での日本の新聞信頼度は日経が一位で産経は四位、朝日は最下位だと書かれていて笑った。信頼度とは新聞の側ではなく読者個々に属人的な判断力としてあるもので、若き信者の人生を狂わせたのも他者への軽率な「信頼」だったはずだ。

産経新聞の4色刷りレジスター

新聞の紙面は広くてページ数が多くて、興味ある記事間の行きつ戻りつが迷路化するので、食卓にある黄色い蛍光マーカーで「ふむ」と思った要所をハイライトさせている。妻が笑うので
「何がおかしい、大事なポイントを親切に示してやってるんだからちゃんと読むように」
と言ったら
「新聞を読むのはお父さんの仕事」
だと笑顔で言う。面白いことを言うと感心した。

定位置に父親のいる家庭をほとんど知らずに育ったので意識したことがなかったけれど、確かに世間では朝の食卓で配膳を待ちながら、日の当たる縁側で足の爪を切りながら、あるいは個室トイレでしゃがみながら新聞を読むお父さんの姿がホームドラマのデフォルトになっていた。そうか、あれは「お父さんの仕事」だったのかと再認識した。仕事なのだからもうちょっと気を入れて読もう。(2018/07/07)

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◉されど われらが時代

2018年7月7日
僕の寄り道――◉されど われらが時代

仕事で届いた編集者のメールにポツリと「オウム真理教の一挙死刑執行、驚きました。」と書き添えられていた。

オウム真理教事件のこと、死刑制度のことなど、そういう「終わったわけじゃない」課題の断片が存在することとは別に、「されど われらが時代」などと懐かしい柴田翔的な題名を冠したひとくぎりの終わりが思い浮かんだ。

これからは個人個人がコンピュータで仕事をするようになるに違いないと確信し、発売になる新 OS を搭載した米国製パソコンを 200 万ほど払って予約した時代、白い服を着た集団が日本各地に出没して気味悪がられていた時代、秋葉原に行くとマハーなんたらというヘンな名前を冠した手作りパソコンのチラシが路地裏で配られていた時代、電気街で買い物客に声かけて一本釣りするおっさんが突然「お客さん!ドスが新しくなって安いよ!」などとハイテクネタを囁いてドキッとした時代、そんな記憶が死の瞬間のパノラマ視もかくありなんと思えるように去来する。きっと皆が負った時代の痛みがその頃にあるからだ。

秋葉原 2018 年夏

やってきたパソコンで起きるエラーの原因究明情報、集団の知を求めてパソコン通信を始めたのもその頃で、もう「匿名の群衆の時代」が始まっていた。やがて高速インターネットの時代になり、それ以来コンピュータネットワークを通じて流れ込む情報で溢れかえる海を、溺れるように泳ぎながら四半世紀を過ごしてきたことになる。

それは一貫して個と社会が分裂して「気が散っていた時代」だったのではないか、そう気づき、そういうネットワークからプッシュ配信される「匿名の群衆のつながり」サービスをやめて一カ月が経った。

まるでマインドコントロールを解かれたかのように静かで穏やかで清々しい日々の中にいて、突然こういう日がやってきた。少なくとも自分の中ではひとつの塊として捉えられる時代が終わっていく。(2018/07/06)


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◉水の輪

2018年7月6日
僕の寄り道――◉水の輪

昨夜は激しい雨だったせいか夜中に何度も目が覚め、その度にひどい夢を見ていた。寝ているときの自分はろくでもないことを考えているらしい。恥ずかしい。

ニュースを読んだら、長崎県立長崎西高校生物部の女子生徒3人が、大村湾で新種のアメンボを見つけたとあり、一昨日読んだ長塚節『佐渡が島』を思い出した。

「五位鷺が一羽おりて太藺の蔭にぢつとして居る。折柄俄雨が一方から水面を騷がしてさあつと降つて來た。鷺がすうつと飛び出して岸から垂れた小枝へ移つた。雨の脚が過ぎると水面は復た一方から靜かになる。汀には木の葉の滴りが水に大きな輪を描いて水馬が小さな輪を描いて居る。」【佐渡が島】

太藺はすぐ降参して辞書を引かなければ「ふとい」と読めなかったが、小さな輪を描いている水馬が読めそうな気がするのに「あめんぼ」と読めなくてやはり辞書を引いてしまった。

この人は子規の写生主義の正当な継承者と言われたこともあり、そのせいか、あるいは熱心に万葉短歌研究に励んだせいかは知らないけれど、辞書を引いてもわからない難しい漢字づかいが多い。青空文庫も定義外の漢字表記に苦労している。

水馬同様たいした難読ではないかもしれないけれど檐端(のきば)も読めなかった。悔しい。調べたら子規に、

飯蛸の手をひろげたる檐端哉

の句がある。そういえば青空文庫『佐渡が島』長塚節(2011年11月24日修正版)に、受けの括弧が一字脱落している箇所を見つけた。原本もそうなっているのか、苦労された入力者のミスかはわからない。(2018/07/06)


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◉牛の話

2018年7月5日
僕の寄り道――◉牛の話

大宮駅前で待ち合わせし、仕事の打ち合わせも済んだので、ドキュメント72時間で紹介され人気爆発の『伯爵邸』に場所を移して飲んだ。旧中山道交差点角の中央デパートが解体されて再開発が進んでいる。打ち合わせ相手の女性映像作家は大宮育ちなので、思い出深い地方百貨店だったと言う。

旧中山道中央デパート跡再開発

『伯爵邸』で『フィッシュ&チップス」「チーズサラミ」「沖縄おにぎり」を注文し、ワールドカップサッカーベルギー代表の勝利を祈念してベルギー産ホワイトビルで乾杯

友人と別れ、酔って駒込まで帰ったら空にはまだ昼間の明るさが残っていたけれど、朝から動いて長い一日だったという妻は疲れたと言って寝てしまう。四半世紀ぶりにインターネットの SNS サービスをやめたら気が散らなくなったおかげで、集中して本を読む力が戻ってきた。ひとり発泡酒を飲みながら民俗学者宮本常一の続きを読む。

まさに目から鱗の話ばかりで読書が楽しい。かつて中部山地で塩を運んでいた小ぶりで屈強な牛たちは佐渡で産出されたそうで、その佐渡の牛の話が長塚節(ながつか・たかし)の写生文にあるというので驚いた。長塚は子規の門人であり、関川夏央の評伝『子規、最後の八年』で知って『土』は読んでみたいと思っていたけれど、『佐渡が島』のことは知らなかった。

ひょっとするとと思って手元のスマホで検索すると青空文庫で読めるので、早速ダウンロードして一気に読んでみたけれどたいへん面白い。旅の写生文学というのは自然に民俗の記録になるのだなと再認識した。(2018/07/04)


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◉棕櫚のある風景

2018年7月5日
僕の寄り道――◉棕櫚のある風景

大宮駅前で待ち合わせして仕事の打ち合わせを組んだので、その前に妻に付き合って老人ホーム訪問をした。大宮駅前も風が強い。バスの車窓から放射状の木の葉が揺れる光景が見え、子どもたちが振る手のひらのようでかわいい、あれはなんと呼ぶんだっけと妻が聞くので棕櫚(しゅろ)だと答えた。

珍しいものを見たように言うので
「母さんの居室ベランダに隣接した雑木林にも棕櫚がたくさんはえてるよ」
と言ったら
「じゃあ陽の当たらない木陰でも育つの?」
と言う。

郷里静岡の川沿いに分け入った山間部には斜面に拓かれた小さな畑が点在し、耕し手を失って打ち捨てられた片隅に、かつて植えられた棕櫚が生き延びている姿を見ることがある。日当たりの良し悪しや水の多寡に関係なく強い植物らしい。世話の手間がいらず、火にも強いので焼畑にも耐えるらしい。それでいて棕櫚の皮から取る繊維状の素材は、縄をなったり、敷物を編んだり、束子や箒づくりなどの副業材料ともなるので、農家の多くは畑の隅に棕櫚を植えていたのかもしれない。

老人ホームに着き、強風の吹くベランダに出て棕櫚を探すとあちこちにあり、武蔵野の地主が実用のため植えたものとも思えないので、これらは雑木林にやってくる鳥の糞によって運ばれた種子が発芽した、いわゆる「ノラジュロ」というやつかもしれない。(2018/07/05)


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◉塩

2018年7月4日
僕の寄り道――◉塩

宮本常一『塩の道』講談社学術文庫を読んでいたら、日本人の塩に対するある種の無関心さについて書かれていて「ああそうか」と思う。塩は大切な食べ物ではあってもエネルギーにはならない。米や麦や粟などエネルギーになる穀物には穀霊が宿るとされ神様として祀られるけれど、塩自体を神として祀った例は見当たらないという。

塩の成分はナトリウムなどのミネラルで、有機物に含まれる炭素・水素・窒素・酸素という四元素以外の必須元素のことをいう。ミネラルは蛋白質、脂質、炭水化物、ビタミンと並んで五大栄養素のひとつに数えられている。

それでもナトリウムというミネラルでできている塩は神様になれない。それでは人間の健康に必須とされる 13 元素のうちナトリウム以外、亜鉛・カリウム・カルシウム・クロム・セレン・鉄・銅・マグネシウム・マンガン・モリブデン・ヨウ素・リンで神様として祀られているものはあるんだろうか…とか、どうでもいいことを考えている。(2018/07/04)


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◉拾いに行く

2018年7月3日
僕の寄り道――◉拾いに行く

先日テレビを観ていたらサッカー日本代表監督の西野氏が、勝てる試合は拾いに行くと言っていて感心した。それこそが武士道で、戦場の武士たちも生きて永らえられる命があれば勇気を持って拾ったに違いない。だから結果として勝ち残れた子孫がいる。たとえ負けても点を取りに行って果てるのが武士道だなどと言っている者がいて呆れた。先の大戦で死ななくていい人たちまで死なせた精神は生きているわけだ。

拾うといえばまた小石をひとつ拾って来た。道を歩くと「拾われたい石」が落ちている。大きさの違う石を箱に入れて揺すると大小で分別された層状になる。大きさは同じでも重さが違う石を混ぜて揺すっても、やはり分別された層状になる。大きくて重い小石は転がりながら浮き上がってくる。

自然な大地でも気が遠くなるほどゆっくりした変化で、沈んでいく石もあれば浮き上がる石もあるのだろう。どうしても浮き上がってしまう石は地上に浮き出し、雨水で流されたり生き物に蹴飛ばされたりしながら、転がる石として地表に浮いて見える。

道を歩いていて浮いて見える石というのは形や重さにちょっと変わったところがある。そういう石を拾いに行く。この小石もころころ転がることで丸くなり、鉄分を含むのか赤錆のような砂に覆われており、拾って帰って洗ってやったらこんなに黒くなった。そして同じような大きさの小石よりちょっとだけ重い。(2018/07/03)


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◉神社の呼び名

2018年7月2日
僕の寄り道――◉神社の呼び名

郷里静岡県清水では神社の名前を「小芝(おしば)さん」「秋葉(あきわ)さん」「八幡(はちまん)さん」「白髭(しらひげ)さん」「浅間(せんげん)さん」と「さん」づけで呼ぶ。

数年前、清水の小芝八幡宮を訪ねて宮司さんに話を聞いたら、小芝八幡宮なのにウェブ上の紹介記事や地図にまで小芝神社と表記されているとこぼされていた。「うちは小芝神社ではなく小芝八幡宮です」というわけだ。

文京区本駒込の富士神社が大祭で、6 月 30 日が万灯回り、7 月 1 日が例大祭、本日 2 日が納めとなる。昼どきの散歩で見に行ったら、夜店を店開きした商売人も猛暑で大汗をかいていた。

新しくなって鮮やかな鳥居の扁額に「富士社」と書かれていて「富士神社」ではない。こういう例はよく見かけ、境内の扁額や石造物には「〇〇社」とあるのに、近所の人は「〇〇神社」と呼び、地図でも「〇〇神社」と記載されていたりする。

こういう場合の「神社」は清水でいう「さん」なのだと思う。知っている人は「〇〇社」だと理解していても、知らない人たちとともに親しみを込めて「〇〇神社」と呼ぶのだと思う。正式名「〇〇社」通称「〇〇神社」ということなのではないか。(2018/07/02)


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◉「当たり前」

2018年7月2日
僕の寄り道――◉「当たり前」

都営バス「上富士前」バス停の本郷通りを挟んだ向かい側は、文京区コミュニティバス「Bーぐる(びーぐる)」千駄木・駒込ルートの24番バス停、「六義園入口」になっている。地元の人たちは「Bーぐる」と言いづらいのか「100 円バス」と呼んでいる。

茶 51 駒込駅南口ー秋葉原駅前ルート「上富士前」バス停で秋葉原行きのバスを待っていたら、通りを挟んだバス停に、20 分間隔で文京区内を巡っている「Bーぐる」がやってきた。数人の人がバス待ちをしていたが、停車した「Bーぐる」が再び動いて走り去ったあとは誰もいなくなった。

当たり前だけれど、街に当たり前の風景を作るという意味で、乗り合いの公共交通機関は大切なものだ。「当たり前」が大切にされないことが往々にして起きてしまう時代の風潮を感じるので、こういう当たり前の風景を見ていると「いいなあ」と思う。世の中には「当たり前」の仕事でしか働けない人、「当たり前」の正義しか理解できない人、「当たり前」の仕組みがないと生きて行けない人がおおぜいいる。(2018/07/01)


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