◉ユーモアの不意打ち

2018年7月20日
僕の寄り道――◉ユーモアの不意打ち

人がやるまいと思うようなことを率先してやってしまう人が集団からひとりかならず出てくる。

常識的な考えに皆が囚われていると見た途端、ひとり突出して抜け駆けをすること、それこそが功名を立てることの必要条件であり、だからひとりである必要があるわけで、そういう人はひとつ集団にふたり要らない。

そういうふうにして選ばれし者が出てくるようにできている。そういう目的で集団は神様によって仕組まれている。たぶんそうだ。

開高健の言葉に「ユーモアの不意打ち」があって「うーむ」と唸る。たぶん抜きん出た高次な批判と諧謔、いまはやりの本ふうに言えばアイロニーとユーモアの兼ね合いこそが肝要だということを三十二歳の開高健は言っていた。すごい。

「 い ら ち 」 と は 辞 書 に 沁 み 入 る 蝉 の 声

(2018/07/20)


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◉融通無碍

2018年7月19日
僕の寄り道――◉融通無碍

相撲取りの昇進伝達式のように、好きな四文字熟語を挙げるとしたら「融通無碍(ゆうづうむげ)」が好きだ。「別々のものがとけあって一体となることで、妨げるものがなくなって自由であること」を融通無碍と言う。非常に仏教的な心境を言っている。

融通無碍をひらがなで書くときは「ゆうづうむげ」が正しいが、ヘボン式ローマ字表記では「DI」「DU」がないので「ZI」「ZU」と書き、しかも同じ母音を連続で用いないので、融通無碍は「YUZUMUGE」と書く。けれど、パソコンのローマ字入力でひらがなの「ゆうづうむげ」に変換したいときは「yuuduumuge」と入力する。だがどうもこのパソコンでは「yuuzuumuge」と打っても「融通無碍」と変換しつつ「ゆうずうむげ」に変換することもできてしまう。実に融通無碍にできている。

岸田秀と吉本隆明の対談を読んでいたら融通無碍こそ日本人の日本人らしい美徳だと融通無碍に了解しあっていて、たしかによい言葉だなぁと思うので「座右の四文字熟語」にしている。

テレビで大きな音楽コンクールのドキュメンタリーを見ていたら、本選への各ステップで行われる合格者発表で、番号が掲示されるたびに、まずスマホで撮影してから画面で確認しているので驚いた。どうも最近の若い人はそうするらしい。

一緒に仕事をしている女性編集者が、夕暮れ時を狙って打ち合わせに来たので、近所にある『吉田類の酒場放浪記』に出た店(★1)に初めて行ってみた。たしか 16 時から飲めるはずだと検索したら、「まずお店に入ったら本日のおすすめが書かれたホワイトボードをスマホで撮っておくことをお勧めします」と書かれていて「なーる」と思う。最近の若者の常識らしい。

なるほどと思ったので早速実行してみたけれど、あまりに情報が錯綜していて小さいスマホ画面ではよくわからない。おとなしく木札に書かれた定番メニューを注文してみたけれど、なかなか誠実なつまみを出す店で気に入った。

く ま ち ゃ ん を k u m a c h a n n と 打 つ 日 暮 れ か な

★1 『くまちゃん』東京都豊島区駒込2-13-9  [月~土] 16:00~23:00

(2018/07/19)


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◉北緯35度線上で

2018年7月18日
僕の寄り道――◉北緯35度線上で

大雑把な物事の捉え方こそが必要なときがある。嘘を言わないために「大雑把であること」しか有効性を持てないことがある。辞書に書かれた「細かいところを気にせず全体を大づかみにする」を肯定的に読みつつ、大雑把にとらえる能力は立派な「才能」であると思う。

ほんの僅かな間だったけれど親しくお付き合いさせていただいた岡田英弘先生の本(★1)を読んでいたら「ごく大まかに言うと」と断りつつ北緯 35 度線の話が出て来て嬉しくなった。「(ほーれみろ、ちったー勉強して出直して来やぁがれい)」と、誰にとは書けないけれど、そう言ってやった気分になって爽快である。

先週の土曜日、一緒に暑気払いをさせていただいた女性編集者から、ご自分が書かれた本(★2)の部分コピーを見せていただき、全体を通読したくなったので取り寄せた。高価な本なので安いのを探して上田市の古書店から取り寄せた。段ボール 20 箱ほど本を処分したいのでここの買い取りに送ろうと思っていた店だった。

古書店がサービスしてくれたわけではないと思うけれど、届いた本に中国製らしい美しい栞が挟まっていた。前の持ち主のものだろうか。栞を眺めながらまた岡田先生の北緯 35 度線の話を思い出し、高校時代に読んだ松本清張(★3)が再読したくなったので古書店に注文した。

飛 魚 も 三 十 五 度 を 飛 ん で 越 ゆ

(2018/07/18)

★1 岡田英弘『倭国―東アジア世界の中で』(中公新書 482)
★2 山口廣 他『郊外住宅地の系譜―東京の田園ユートピア』鹿島出版会
★3 松本清張『Dの複合』(新潮文庫)


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◉塩の道

2018年7月17日
僕の寄り道――◉塩の道

宮本常一を読んでいたら「脯」という見知らぬ文字が出てきて「ほしし」と読み、乾し肉「ほしじし」の音変化であり「ほじし」とも読む。

同じく「腊」が出てきて「きたい」と読み、魚や鳥などをまる干しにしたものをいう。鳥のまる干しというものは見たことも食べたこともない。モズがモズをハヤニエにしたようなものだろうか。

郷里静岡でも昔から干物づくりが盛んで、魚はもちろんのこと、小さな鯨など海獣の乾し肉も伝統食としてつくられている。

宮城県北東部の牡鹿半島も巾着状の湾が多いせいか昔から鯨漁が盛んであり、保存用に加工した鯨肉を持って行商が各地へ歩いたという。


太平洋を南下し、阿武隈川を遡って福島へ入り、そこから米沢を経て山形へ行商する者と、郡山を経て会津盆地へ行商する者とに分かれ、後者は山を越えて群馬や栃木まで売り歩いたという。

遠回りに思えるのは買ってくれる人々が暮らすルートを選んで売りながら歩いたからだ。そういう行商人が運んだものは、蛋白源としての食物が保存のために含まざるを得なかった貴重な塩分であり、歩いたルートはそういう意味で「塩の道」だった。

毎年、関西出身の女性編集者から泉州水茄子の糠漬けをいただく。これもまた人と人の間の塩の道である。茄子を食べ終えたあとに残る見事な糠床を捨てるのがもったいないので再利用し、妻が生まれて初めての糠漬けに挑戦している。床をだいじに育てながら見事な味の糠漬けが食卓にのぼるようになってもう丸一年が経つ。

亭主の恩返しということで、今年から来年にかけての目標として、義父母が暮らしていた陽当たりの良いベランダで、手作りの干物づくりを始めてみようかと思っている。そう言ったらよい男の趣味だと妻が喜んでいるので、糠喜びにさせないようにしよう。

ふ り 塩 で 背 を 灼 か れ ゆ く 魚 の 道

(2018/07/17)


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◉耐震補強工事と鑑賞池

2018年7月16日
僕の寄り道――◉耐震補強工事と鑑賞池

田端駅石積壁の耐震補強工事が炎天下で進んでいる。地震や豪雨災害が頻発しており、この急峻な切土のり面にとっては大切な工事に違いない。

 

大切な工事にくらべたら小さなこととはいえ、田端駅名物「鑑賞池」の上には鉄板による特別な覆いが施されているので、工事のどさくさに紛れて破壊と撤去が行われる悲劇はなんとか回避されそうにも見える。

 

入 射 角 夏 の 斜 面 の 反 射 角

(2018/07/16)


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◉ニッチ

2018年7月16日
僕の寄り道――◉ニッチ

トイレの壁面にウォシュレットのリモコンがあって、その上にトイレットペーパーの芯を縦二つ折りにしたものがのっていることがよくある。

トイレットペーパーの紙がなくなり、ホルダーから芯を取り外し、縦二つ折りにしてリモコンの上にのせ、新しいトイレットペーパーを棚から取り出してホルダーに装着し、用足しを終えて退出する際に忘れて行くのである。見つけるたびにどうしてこんなところに置きっ放しにするのかと笑いながら文句を言っている。

偶然自分がトイレットペーパー払底のタイミングに遭遇したので、ホルダーから芯を取り外し、縦二つ折りにしてリモコンの上にのせ、新しいトイレットペーパーを棚から取り出してホルダーに装着し、用足しを終えてリモコンの上を見て、ううむ、確かにこうなるなぁと思う。ここはニッチなのである。

紙 一 本 替 え て 立 ち 去 る 柳 か な

(2018/07/16)


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◉まきざっぽう

2018年7月15日
僕の寄り道――◉まきざっぽう

吉本隆明と岸田秀の対談(★1)で吉本の発言に真木撮棒がでてきて、ルビによれば「まきざっぽう」と読むらしい。不思議な言葉なので辞書を引くと大辞林に「まきざっぽう【薪雑把】」の項目があって「薪にするため適当な長さに切ったり、割ったりした木切れ。まきざっぱ。」だとある。

真木撮棒をネット検索すると方言や落語に出てくる言葉を解説したページがいくつかヒットするので真木撮棒という書き方と読み方があるのかもしれない。

撮棒だけを調べると大辞林に「さいぼう【撮棒】」の項目があって「武器として用いたカシなど堅い材質の木棒」だとある。宗教用語の解説では「邪気・穢気を払う呪力もあるとして法師が持ったりなどした」とある。

おそらく対談をテープ起こしした際に「まきざっぽう」に「真木撮棒」の文字があてられ、編集者と吉本本人が目を通して本になったものなのだろうから、「これでいいのだ」と言われれば「そうですか」と言うしかないけれど妙に気になる。

赤 犬 に 薪 を 投 げ た る 夏 の 朝

★1 岸田秀『さらに幻想を語る』P.66「共同幻想について(初出『現代思想』1981・9)」青土社(1985・第二版)

(2018/07/15)


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◉おびれも いろいろ

2018年7月15日
僕の寄り道――◉おびれも いろいろ

午後になって日差しも少し弱まったかと思い、近所のスーパーまで買い物に出た。相変わらずの猛暑で、隣りの出版社前に飾られた金魚の絵本ですら涼しげに見える。

買い物を終えて帰宅し、エレベーター前でボタンを押したらいま閉まったドアが開いてしまい、小さな高齢のご婦人が先に乗られていた。会釈して籠内に入り、行き先階のボタンを押し、無言でいるのも体裁が悪いので
「暑いですね」
と言ったら
「ほんとうに」
と言う。

なにか気の利いたことを言おうと思い、白いレジ袋を軽く持ち上げ
「近所まで買い物に出るのも一大決心です」
と言ったら、
「この夏が無事に越せるかすら心配になってしまいます」
と笑われていた。

昇 降 機 に 掬 わ れ て ゆ く 金 魚 か な

(2018/07/15)


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◉主よ、人の望みの喜びよ

2018年7月15日
僕の寄り道――◉主よ、人の望みの喜びよ

年上の女性編集者を仕事場にお招きして暑気払いをした。手土産にいただいたシャンパンで乾杯したあとは冷やした日本酒にかえてずいぶん飲んだ。ずいぶん飲んだということは、ずいぶん話し、ずいぶん聞き、ずいぶん笑った。ずいぶん笑ったので、話したことと聞いたことは、頭の中を通過してずいぶん忘れてしまった。編集を担当された『東京大学が文京区になかったら 「文化のまち」はいかに生まれたか』NTT 出版をいただいたので、次回は読後感想を肴にして飲み会をしようと話した。

ずいぶん酔っ払ったので自分が話したことはあまり覚えていないけれど、歴史や民俗は、「その時代を生きた人たちがいったい何をしたかったのか」ということを中心にして考えるのが面白いという話をした記憶がある。たとえば律令国家が整備した道は本当に直線だったのか?などというどうでもいい見方ではなく、「なぜ可能な限り直線で作りたかったのか」を知りたいと思うところに、歴史や人の生き方に事実を見る面白さがある、という話をした記憶がある。まぁそうだろうと思う。

朝起きて宴のあとの片付けをし、ゴミ捨てに出たついでに水分補給用の飲料を買って来た。暑いし、二日酔いだし、ということで喉が乾くからだ。「SUNTORY Craft 南アルプス SPARKLING 無糖ジンジャー」という長ったらしい名前の清涼飲料水があったので買ってみた。何を言いたいかはよくわかり、たしかにそういう飲み物ではある。

街 道 の コ ン ビ ニ で 買 う 生 姜 水 

(2018/07/15)

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◉すぎたるはうしなかすのもと

2018年7月14日
僕の寄り道――◉すぎたるはうしなかすのもと

本棚を整理していたら向井敏(むかいさとし)『開高健 青春の闇』の文庫本が出てきた。挟んだしおりの位置を見ると途中まで読んで失(うしな)かした状態になっていたらしい。富山出身の妻はものを失くすことを「うしなかす」と言い、愛知や岐阜あたりでも同じように言うらしい。

失かした本がせっかく出て来たので読み直していたら、開高健は谷沢永一のことを「砂の粒を砕くために一トンハンマーを落下させにかかる」ような人と評している。同じような例えをついさっき読んだなと記憶を遡ったら、昨日読んだ本で吉本隆明が岸田秀を「丸太ん棒でさかんにアリなんかぶん殴ってる」ような人だと評していて笑った。

砂を一トンハンマーで潰したり、アリを丸太ん棒で殴るように、小さいことを大ごとにして力みかえってしまうところが自分にもある。ゴキブリに驚いて退治し損ねると、いっそ家ごと火をつけて焼き殺してやったらどんなに気が晴れるだろう、などと考えてしまうところがある。気をつけよう。

小 さ き を 挫(くじ) き 過 ぎ た る 炎 夏 か な

(2018/07/14)


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◉夏の穴

2018年7月14日
僕の寄り道――◉夏の穴

毎朝 4 時をちょっと過ぎると六義園内で「かなかなかなかな…」とヒグラシが鳴きはじめるようになった。近所の公園を歩くと足もとにセミが地中から這い出た穴がたくさんある。

こんなにたくさん出てきたなら、その辺の幹にしがみついた脱け殻がありそうなものだけれど見つからない。梅雨明けに近いこの時期のセミは、木のずっと高い場所で脱皮するからではないかと思うのだけれどどうだろう。

谷中の全生庵を訪ね山岡鉄舟の墓にお参りした。墓の前で帽子をとって手を合わせ、墓所内にのぼらせてもらってキョロキョロしたのは、鉄門に連なる人たちの墓が鉄舟の墓の周囲にあると聞いたからだ。妻の妹の夫となった石坂周造の墓は探さなくても見つかるけれど、松岡万(つもる)の墓は見つけられなかった。

鉄舟の墓前に敷かれた石のわきから鉄門に連なる働き蟻たちが元気よく這い出ていた。

鉄 門 を あ け て 出 で た る 夏 の 蟻

(2018/07/13)


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◉夏の成分

2018年7月14日
僕の寄り道――◉夏の成分

人が新たな品種として創り出したり、意図的に他地域から持ち込んだりしたものであれ、いまこの夏に、勝手に生え、勝手に伸び、勝手に生きているように見える夏の植物には、「きれい」という言葉の塊(かたまり)が含まれている。

この場合の「きれい」は、「勝手に」の「勝手」という成分で強化されている。「勝手に」という言葉の物質は、弓術(きゅうじゅつ)で弓を持つ左の「押し手」に対し、弦(つる)をひく右手のことを「勝手」と呼ぶことから来ている、という蘊蓄(うんちく)を含んでいる。真昼の炎天下、谷中で見つけた夏の「きれい」の成分分析である。

草 ど も の 勝 手 が 射 た る 夏 の 空

(2018/07/14)


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◉秋の谷中の下調べ

2018年7月13日
僕の寄り道――◉秋の谷中の下調べ

この秋、郷里清水から友人とその仲間たちが上京し、山岡鉄舟開基の全生庵を訪問し、鉄舟の墓参りをしたあと谷中散歩をするという。行程の問い合わせがあったのでいっそのこと当日の現地案内役を勤めさせてもらおうと思う。

全生庵本堂前

鉄舟の墓に参るということは、幕府瓦解を獄中で迎えて鉄舟預かりの身となり、墓石もまた預かられたかのように鉄舟の脇に寄り添って立つ石坂周造の墓にも参ることになる。清水港から慶喜を宝台院(ほうだいいん)まで警護し、壮士の墓事件でも馴染み深い松岡万(まつおかよろず)の墓にも参るわけだ。

墓参りのご老人が「あの観音様はどっちを向かれていますか」と聞くので「南西です」と答えた。

石坂の妻である桂子、桂子の姉であって鉄舟の妻である英子、その兄、要するに二人の義兄に当たる幕末三舟のひとり、高橋泥舟の墓がある大雄寺も目と鼻の先なので、そういう話をしながらお参りしたらよいと思う。大雄寺には静岡藩に縁の深い渋沢栄一関連の見所もある。海舟の墓は大田区なので三舟一気巡りというわけには残念ながら行かないだろう。新門辰五郎の墓も次郎長関連でおさえておきたいけれど、巣鴨の盛雲寺なので徒歩ではちょっときつい。

高橋泥舟の墓は大樹の根方にある

大雄寺から引き返して谷中墓地に入り、希望者が多いという徳川慶喜の墓参りをするとして、さて谷中墓地に郷里清水に縁のある有名人がほかにいないかと思い浮かべたら作家広津和郎の墓が慶喜のそばにある。

徳川慶喜と妻美賀子の墓

広津が宇野浩二とともに三保の松原の宿にこもってトルストイの『戦争と平和』を翻訳した話はウィキペディアにも載っているけれど、広津は清水のことをいろいろ書き残しており、清水について作家が書き残したものの中では一番面白いと思っている。

広津和郎の墓がわからないのでグーグルマップで検索したらすぐ近くだった。これは便利。

三保には有志によって広津の作品が案内板の中で紹介されているし、次郎長研究家の故田口英爾氏も広津の文を引いた論考を残している。広津の書いた清水に関する別の作品を紹介してこの機会に読んでもらうのも有意義だとは思うけれど、だからといってその広津の墓石を見物してどうなるのだ、と思ってしまうと「有名人の墓見物の意義を問う」ことになってしまって悩ましい。(2018/07/13)


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◉開高健と花屋食堂

2018年7月12日
僕の寄り道――◉開高健と花屋食堂

岩槻街道沿いにある旧古河庭園前を通ったら北区名誉区民『ドナルド・キーンのまなざし ー 宮澤正明写真展 ー』が開催されている。

かつて豊島氏居城があった平塚神社脇の蝉坂を下り、学生時代にはまだなかった上中里駅脇の跨線歩道橋を渡って線路北側に降りると花屋食堂がある。この細道は明治初期の地図にもあり、中世まで遡れば梶原堀之内から平塚城を経由して鎌倉に通じる古道だった。食堂の向かいが中央護助会で、開高健のルポルタージュ『ずばり東京』に登場する。若き日の開高健がこの場所に降り立ったのは初出が「昭和39年9月18日『週刊朝日』69巻40号」とあるのでオリンピック直前ということになる。

花屋食堂のご主人が
「カメラは商売ですか」
と聞くので
「とんでもない、ただの散歩の友です」
と答え、
「むかし開高健が向かいの中央護助会を取材に来ましたよね」
と聞くと
「いまでも黒い服を着た年寄りが大勢来てびっくりします」
と言う。ちょっと話がずれたので、この食堂はいつ頃からあるのかと聞くと、やはり東京オリンピック前後の頃かららしい。

猛暑の古道に出たらご主人が追いかけてこられて
「このかんかん照りに帽子を忘れちゃいけません」
と忘れ物を手渡された。(2018/07/11)


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◉『堀船郷土史平成増補版』を買いに行く

2018年7月11日
僕の寄り道――◉『堀船郷土史平成増補版』を買いに行く

きのう飛鳥山博物館の開架式本棚で『堀船郷土史平成増補版』という冊子を見つけた。

昭和27年、福性寺先代住職だった田久保周誉を著者として北区堀船の有志が発行した郷土史で、これはその平成増補改訂版だという。どうしたら手に入るのだろうと調べたら、堀船の福性寺か梶原商店街の堀船不動産で買えるというので歩いて買いに行った。

平塚神社ではテレビドラマのロケが行われていた

学生時代に四年間住んでいた北区西ヶ原三丁目のアパートは鎌倉往還脇にあり、岩槻街道沿いにある元大蔵省印刷局病院向かいあたりから旧東京外大方向に入って行く古道だった。

堀船不動産で文京区から歩いて来たと言ったら「だいじょうぶですか!」と驚かれた。実は元大蔵省印刷局病院並びの平塚神社から上中里駅前で JR の跨線橋を渡り、上中銀座、梶原銀座を抜けていく道も鎌倉往還で、都内に残る鎌倉古道は楽に移動できるよううまくできている。駒込から堀船まで、往復10キロほどの道は猛暑にさえ耐えれば苦にならない。

福性寺境内にある梶原塚

買った本と貰った本。炎暑散歩の収穫。

堀船不動産で目当ての冊子を買ったら、今から福性寺に電話するから行ってみろ、色々質問するとご住職が大喜びすると言う。喜んで行ってみたらお留守だったが、応対に出られた娘さんから寺の歴史の本をいただいた。嬉しい。(2018/07/11)

追記:「娘さん」というのは現住職の奥様らしい。
   郷里清水に縁の深い梶原一族とは直接の関係がないという。
   読んでいたら写研の石井茂吉氏が登場し、かつて研究所が出身地堀船にあって檀家らしい。びっくりした。 



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