電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉秋の谷中の下調べ
2018年7月13日
僕の寄り道――◉秋の谷中の下調べ
この秋、郷里清水から友人とその仲間たちが上京し、山岡鉄舟開基の全生庵を訪問し、鉄舟の墓参りをしたあと谷中散歩をするという。行程の問い合わせがあったのでいっそのこと当日の現地案内役を勤めさせてもらおうと思う。
全生庵本堂前
鉄舟の墓に参るということは、幕府瓦解を獄中で迎えて鉄舟預かりの身となり、墓石もまた預かられたかのように鉄舟の脇に寄り添って立つ石坂周造の墓にも参ることになる。清水港から慶喜を宝台院(ほうだいいん)まで警護し、壮士の墓事件でも馴染み深い松岡万(まつおかよろず)の墓にも参るわけだ。
墓参りのご老人が「あの観音様はどっちを向かれていますか」と聞くので「南西です」と答えた。
石坂の妻である桂子、桂子の姉であって鉄舟の妻である英子、その兄、要するに二人の義兄に当たる幕末三舟のひとり、高橋泥舟の墓がある大雄寺も目と鼻の先なので、そういう話をしながらお参りしたらよいと思う。大雄寺には静岡藩に縁の深い渋沢栄一関連の見所もある。海舟の墓は大田区なので三舟一気巡りというわけには残念ながら行かないだろう。新門辰五郎の墓も次郎長関連でおさえておきたいけれど、巣鴨の盛雲寺なので徒歩ではちょっときつい。
高橋泥舟の墓は大樹の根方にある
大雄寺から引き返して谷中墓地に入り、希望者が多いという徳川慶喜の墓参りをするとして、さて谷中墓地に郷里清水に縁のある有名人がほかにいないかと思い浮かべたら作家広津和郎の墓が慶喜のそばにある。
徳川慶喜と妻美賀子の墓
広津が宇野浩二とともに三保の松原の宿にこもってトルストイの『戦争と平和』を翻訳した話はウィキペディアにも載っているけれど、広津は清水のことをいろいろ書き残しており、清水について作家が書き残したものの中では一番面白いと思っている。
広津和郎の墓がわからないのでグーグルマップで検索したらすぐ近くだった。これは便利。
三保には有志によって広津の作品が案内板の中で紹介されているし、次郎長研究家の故田口英爾氏も広津の文を引いた論考を残している。広津の書いた清水に関する別の作品を紹介してこの機会に読んでもらうのも有意義だとは思うけれど、だからといってその広津の墓石を見物してどうなるのだ、と思ってしまうと「有名人の墓見物の意義を問う」ことになってしまって悩ましい。(2018/07/13)
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