トランプ雑感

2017年1月20日
僕の寄り道――トランプ雑感

凄惨な殺人事件のあった現場に置かれた献花台に、やってきては手を合わせている人々をテレビのニュースでよく見る。そういう場面には、このようなことを二度と引き起こしてはならない、事件を風化させてはならないとニュース的な解説がつく。

二度と引き起こすまい、風化させまいという思いで手を合わせている光景、そういう解釈はしごく真っ当なものなのだけれど、はらはらと涙を流している人が、実は被害当事者家族や関係者ではない一般人であることに、ちょっと釈然としないものを感じることがあった。とても他人の悲しみ方には見えないから。

先日テレビを見ていたらそういう人たちのうちの一人がインタビューを受け、逮捕後もとんでもない主張を繰り返しているという犯人に対して、自分もまた犯人と同じようなことを考えてしまうときがあり、実際に凶行に及ぶか及ばないかという違いしかないことに気づくと、こうしてやってきて手を合わさずにはおられない、という意味のことを言っていて合点がいった。えらいなぁと。

間もなくアメリカ大統領就任式。一貫してトランプ氏が嫌いなのだけれど、トランプ氏の主張が嫌いだとか、トランプ氏支持者たちの傾向が嫌いだというわけではなく、間違っていると思っているトランプ氏の主張や支持者たちの傾きに、勢いで共感を覚えてしまうもう一人の自分がいて、そういう自分が嫌いという、実は好悪を分かちがたい捻れた嫌い方になっている。

人を憎む、犯罪を憎む、人を嫌う、世の傾向を嫌う、そういうことの背景には不意に同調しかねない、自分自身を憎み嫌うということがあるかもしれない。憎くて嫌いな人を見るたびに、あれはもう一人の自分という鏡像ではないか、だから鏡を見るように憎くて嫌いなのではないかと問うてみると、意外に図星でドキッとすることがある。


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雪もよい雨もよい

2017年1月19日
僕の寄り道――雪もよい雨もよい

 

青木玉を読んでいたら久しぶりに「雨もよい」という懐かしい言葉に再会した。

漢字で書くと「催い」で、「名詞の下に付けて、その物事のきざしが見えることを表す。」と辞書にある。子どものころ読んだ本に「雨もよい」とあって、こんなとき雨に降り込められそうなことのどこがよいのだろうと思った。

ニューミュージックの歌詞にもあった気がする。松本隆だったかなぁと、喉元あたりまで出ているのだけれど思い出せない。演歌だと三沢あけみの持ち歌に「明日はどうやら雨もよい / どこであの人 雨やどり」とあり、そういう使い方をする。

金曜日はどうやら雪もよいらしい。翌土曜日は清水の墓地で叔父の納骨がある。

鎌倉頃から踏み分けられた古道脇に、田舎でよく見かける田んぼの中の墓地があり、通りかかって横目で見るたびに、そこが村はずれであることも子どもの気持ちを暗くした。ああ、あの墓地かと google の航空写真を見たら、周りにはすっかり住宅が建て込んでいる。

幼いころの記憶にある背が丸く小さな曽祖母が、ひとりさみしく埋葬されている墓なのだけれど、いままで一度も参ったことがない。自分は母親に捨てられたと思い込んでいたという祖父が、その墓前に立ったことがあるかどうかも知らない。

お寺さんは清水区梅ヶ谷から真珠院さんが来られるという。外墓らしい外墓まで野辺送りをするわけで、そういう葬列ははじめての体験になる。というわけで、雪もよい雨もよいであってはよくないのだけれど。


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修理を頼みに

2017年1月18日
僕の寄り道――修理を頼みに

仕事で使うゴム判が傷んでしまったのでなおさなくてはいけなくなり、あの駅近くのハンコ屋は今でもあったかなと、妻に聞いたらあったような気がすると曖昧なことを言う。

商店は用のない者の目に入らないようにできている。
「はずれの方に古い銭湯のある商店街だよね」
などと銭湯を使わない若者に言っても
「えっ、銭湯なんてありましたか。何年も住んでいるのに気づきませんでした」
などということになる。

行ってみたら昔の場所にちゃんとハンコ屋があったので
「20 年くらい前におたくで作ってもらったんですけど」
と言ったら店主らしき男性が笑顔で驚いていた。おそらく 20 年前といえばもう先代の時代なのだろう。見てもらったけれど修理のしようがないと言うので新しく作ってもらうことにした。

昔の商店主は、客が新しく作り直して欲しいなどと言うと、
「もったいない、なおして使いましょうよ。なおせばまだまだ使えますよ」
などと商売っ気のないことを言ったものだった。

手彫りのハンコが作れると看板に掲げ、店主が印鑑を手彫りしているのが昔のハンコ屋だったけれど、もう手彫りといっても外注で、店は腕に技術を持たない息子が跡を継いでいるのだろう。「なおせますよ」などという言葉の出ようもない。

林が綺麗だったので写真を撮ったら後ろ姿の銅像が写っているが、おそらく故人である以上のことはかわからない

前金を払って一週間後の出来上がりを確認し、古いゴム判は持ち帰り、3M のクッション性がある両面粘着テーブを使って自分で修理してみた。十分実用的なレベルに復旧したけれど、自分がハンコ屋だったら修理代をもらえるレベルではない。二十年前の親父さんの姿を思い出しながら、あの人でもやはり修理不能だったかもしれないと思うことにした。



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回転と上昇

2017年1月18日
僕の寄り道――回転と上昇

楽しみにしていたJAXA=宇宙航空研究開発機構のミニロケット打ち上げが失敗してがっかりした、小型で打ち上げ費用が安く民生用機器を利用した国産衛星だからという理由ではなく、垂直尾翼にひねりを加えて回転させることで姿勢を保つ省エネ的発想が「いいなあ」と思えたからだ。

押したり引いたりという二次元的な発想でうまくいかないときに、ひねりながら押したり引いたりするという三次元的な転換で切り抜けるということが好きで、物理的世界だけでなく、精神的な部分でもそういう発想が好きだ。飛行自体はうまくいき、通信機器の不調で飛行を断念したらしいので少しは嬉しい。

もし「天国への階段」があるなら直線ではなく回りながら登るに違いないと思う。日当たりの良い公園へと登れる螺旋階段があるので登ってみた。真冬でもポカポカと暖かい丘の上の公園に出たらホームレスになってしまった人たちが横になって寝ていて、社会のコントロールもうまくいっていない。ひねりを加えて何とかならないものかと思う。


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発情と叫び

2017年1月18日
僕の寄り道――発情と叫び

ずいぶん昔の話だけれど、浅草までタクシーに乗ったら、運転手が瘦せぎすの高齢ドライバーで
「お客さん、クイズです」
と言う。

クイズなんかしたくないので黙っていたら
「ニワトリは中国ではなんと言って鳴くでしょう」
と聞くので仕方なく
「知りません」
と答えたら
「知らないんじゃしょうがない、覚えといてくださいよ」
と言い、ハンドルを握ったまま腰を浮かせるようにして
「とーーーてん こーーーーーーー!」
と叫び
「…って鳴くんですよ」
と言う。
「(え?

タクシーを降りたあと母が
「ああヤダヤダ、さかりのついた雄鶏みたいにやかましい運転手だった。途中で降りてやろうかと思った」
と憤慨していた。

上野のパンダに発情の兆候があるそうで、ニュースを読んでいたら東証一部上場「東天紅」の株価が、午後の取引直後から急騰して一時は年初来最高値を更新したという。 パンダの子どもが生まれれば上野東天紅の客寄せになるという、風が吹けば桶屋が儲かる的発想であり、タクシー運転手の
「とーーーてん こーーーーーーー!」
を思い出した。


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上野の桜とゴッホ

2017年1月17日
僕の寄り道――上野の桜とゴッホ

日当たりの具合で早咲きの桜もあれば遅れをとる桜もあり、その開花をおおやけに報じるため、上野公園約 800 本のソメイヨシノから一本をえらんで基準木が決められている。

上野広小路から恩賜公園内に入り、国立博物館めざして緩やかな坂を登り、上野動物園入り口方向へ左にそれていく道の分かれ目地点にそれはある。今では小さな標識が根本に立てられている。

5〜6輪以上の蕾が開いたら開花、全体の 8 割が開花したら満開となる。さて桜のあんばいはどうじゃろかいと、下に立って見上げると空の青さ雲の白さが目にしみる。

ゴッホは桜のように見えるアーモンドの花を何枚か描いている。弟テオに子どもが生まれたのを祝して、精神病院で療養中に描いて贈った『花咲くアーモンドの木の枝』は、浮世絵の影響があるためか青空をバックに咲いた桜のようだ。

あと数ヶ月するとこの標準木の枝も、ゴッホが描いた  “花咲くソメイヨシノの木の枝” のようになる。上野の森美術館では21日まで『デトロイト美術館展』が開催中である。


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エスパルスとアルディージャ

2017年1月17日
僕の寄り道――エスパルスとアルディージャ

郷里清水のエスパルスを応援している。 シーズンでJ1 復帰を果たしたのでやれやれと思う。郷土愛といえば郷土愛であり、暮らしている東京にも、妻の生まれ故郷富山にも郷土愛は感じるけれど、東京も富山もサッカーチームを応援するほどではない。

義母が暮らす老人ホーム訪問をするようになって足掛け 8 年目になる。駅前広場にあるリスのブロンズ像にも愛着がわき、古びたアーケード街に飾られたオレンジの旗がたなびくのを見ていると、もうひとつの郷里に帰ったような懐かしさがある。

エスパルスから大前元紀が移籍して背番号 10 を背負うようになったので、ニュースがわりにのぞいている Twitter で大宮アルディージャをフォローしてみた。今朝も元気よくトレーニングする様子が配信されてきて、二つ並んで表示されると「オレンジ頑張れ」という気分になる。


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加齢と眉毛と植物

2017年1月16日
僕の寄り道――加齢と眉毛と植物

毛が薄くなったり白髪混じりになっても「ああ、歳をとっちゃったなぁ」という衝撃はないけれど、理容室に行くと眉毛をちょんちょんと切られるのは衝撃的で、ちょっとこたえる。おもわず村山富市元総理の顔が思い浮かんでしまう。どうやら左右合わせて4本ほど突出して伸びる眉毛があるので最近は鏡を見ながら自分で摘んでいる。

おじいちゃんでも長命の人は女性化するのかおばあちゃんに見える。テレビでご長寿さんが映るたびに「この人おじいさん?おばあさん?」という話になる。眉毛が長くなっておばあちゃんのような容姿になる人は長寿かもしれない。

年上の友人たちが意外に植物好きになったりしているのも、元気におばあちゃん化しているということだろうか。長寿かどうかは別にして男が植物好きになるのは微笑ましい。寺田寅彦を読んでいたらこんな文章があって笑ってしまった。

 こんな事を考えたのが動機となって、ふと大根が作ってみたくなったので、花壇の鳳仙花を引っこぬいてしまってそのあとへ大根の種を蒔いてみた。二、三日するともう双葉が出て来た。あの小さな黒の粒の中からこんな美しいエメラルドのようなものが出て来た。
 私はもう本ばかり読むのはやめてしばらく大根でも作ってみようかと考えている。

散歩で見つけた高島秋帆と斎藤緑雨の墓に頭を下げて石畳を歩いていたら、足元のかわいい水仙を踏みつぶしそうになって慌ててよけた。「ああ、こんなに可愛いらしいものを踏みつけなくてよかった」と眉毛の伸びたオヤジは胸をなでおろすのである。


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一葉と緑雨

2017年1月16日
僕の寄り道――一葉と緑雨

 

昼食に出たついでに散歩をし、一葉旧居跡に寄り、西片を経て白山上交差点に近道するため、向丘1丁目の曹洞宗大円寺脇を通ったら、なんと斎藤緑雨の墓があった。知らなかった。こういう奇遇もあるんだなと不思議な気持ちがする。緑雨の墓には「斎藤氏之墓」と刻まれており幸田露伴の筆になるものだという。

一葉旧居から菊坂へ出て行く路地

初対面でとっつきの悪い相手と時間をかけて親しくなると、気のおけないよい友になることが多い。おそらくふたりが似た者同士だからで、反発もあれば共振もある。そういう友達とは長い無沙汰をしていても、まるで昨日別れた友のように再会できたりする。

 

一葉旧居前の井戸

斎藤緑雨の悪い噂を聞いていたけれど、会ってみたらそんな嫌な人ではなかったと樋口一葉が言うのをどこかで読み、それ以来斎藤緑雨の名が心の片隅に引っかかっていた。「敵にまわしてもおもしろい。味方にするとなおおもしろそうだ」と一葉は言ったらしい。そんな二人についてはこんな本も出ている

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「検索より、探索。」田端銀座の栄屋食品店!

2017年1月15日
僕の寄り道――「検索より、探索。」田端銀座の栄屋食品店!

JR 田端駅からも JR 駒込駅からも離れた不思議な場所にある田端銀座商店街。ここはかつて文士村と呼ばれたハイカラ田端の台所だった。この田端銀座商店街が大好きで毎日のように散歩がてら買い物に出かける。正岡子規が遺言通り土葬された墓も近い。

商店街にある栄屋食品店の自家製糠漬けが素晴らしくて、ここの漬物はわが家の福音になっている。極上蕪(かぶ)の「ちょい古」あたりを買って、白い根っこの部分で夜は一杯やり、翌朝、葉っぱの部分を刻んで「角谷」にし、炊きたてご飯を菜飯にして食べると「うま〜〜い!」と声が出てしまう。

老人ホーム訪問帰り、山手線に乗って中吊り広告を見たら「検索より、探索。FUN ! TOKYO ! 」と題されて、な、何と見慣れた店頭とおばちゃんの写真があった。
「わっ!栄屋食品だ!」
と妻と大騒ぎして記念に写真を撮った。

まさに検索より探索、よくぞ見つけて取材したものだと感心した。

田端銀座商店街


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荒川放水路

2017年1月15日
僕の寄り道――荒川放水路

週五日、埼玉県の老人ホームに通って母親の食事介助をする妻は、電車が赤羽駅を過ぎると鉄橋を渡って埼玉県内に入る。帰りは
「川口なう、もうすぐ鉄橋を渡ります」
とメールをよこして東京に帰ってくる。

週末の老人ホーム訪問で一緒に鉄橋を渡る際、
「荒川が下流で隅田川になるんだよね」
と車窓風景を眺めながら言うので、ただ「うん」と答えているけれどほんとうは正しくない。子どもの頃にそうおぼえ、当時はそれが正しかったのだけれど……という説明が面倒くさいので「うん」とだけ答えている。

子どもの頃は岩淵水門で本家荒川が下流に向かって荒川放水路と荒川に分家され、分家荒川が下流の千住大橋あたりで隅田川に名前を変えていた。それがいつの間にか岩淵水門の調停により荒川放水路が本家荒川を襲名し、分家荒川が隅田川を襲名したらしい。

いつからそうなったかというと 1965(昭和40)年からで、翌年には児童を卒業して静岡に引っ越してしまったので荒川の名前などどうでもよくなり、子ども時代に覚えたことが正しいと思いながら大人になった。世の中にはそういうことがたくさんあって、子どもに学ばせたことを大人の都合で簡単に変えるものではない。当時の子どもは説明が面倒くさいのだ。

岩淵水門といえばパナマ運河建設に携わり荒川放水路建設を指揮した郷里静岡の偉人青山士(あおやまあきら)を思い出す。青山士は大河のように長命で荒川放水路改名直前の 1963 年までご存命だった。


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目の見えない人は世界をどう見ているのか

2017年1月15日
僕の寄り道――目の見えない人は世界をどう見ているのか 

寺田寅彦の『鸚鵡のイズム』(大正九年十一月『改造 』)を読んでいたら

 この頃ピエル・ヴィエイという盲目の学者の書いた『盲人の世界』というのを読んでみた。
 私は自分の専門としている科学上の知識、従ってそれから帰納された「方則」というものの成立や意義などについて色々考えた結果、人間の五感のそれぞれの役目について少し深く調べてみたくなった。そのためには五感のうちの一つを欠いた人間の知識の内容がどのようなものかという事を調べるのも、最も適当な手掛りの一つだと思われた。

とあった。某書店の赤表紙は岩波新書だろう。読んでみたいので探したけれど見つからないので、伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社新書を電子書籍で買ってみた。


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音読みの鴨と鵬

2017年1月14日
僕の寄り道――音読みの鴨と鵬

散歩の途中で大正大学 5 号館 8 階にある鴨台食堂(おうだいじきどう)を知った。

食堂を修行者たちが食事を行う堂宇である「じきどう」と読ませるだけあり、ゆったりして静かなところが気に入った。体の不自由な高齢者と一緒でもおだやかに食事ができそうなので、集合住宅居住者仲間の東洋史学者ご夫妻を誘って 22 日に予約を入れた。

六義園内の雪吊り

はじめて見つけた時は鴨台食堂が読めず「ほうだいしょくどう」と読んでいた。食堂を「じきどう」と読むことは知識としてすんなり覚えたけれど、「鴨台」の「おうだい」という読みは覚えにくい。

学者夫婦の奥様もわが妻も読みに苦労したようで、自分と同じく鴨台を「ほうだい」と読んでしまうのが面白い。おそらく「鴨(かも)」の音読みがわからないとき、視覚的に似たつくりの「鵬(おおとり)」の音読み「ほう」を、とっさに適用してしまうのだろう。

その理由はおそらく、奥さんもわが夫婦も「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語だった時代に子どもとして育った世代だからだろう。鴎(かもめ)の音読み「おう」が先に思い浮かべば正解だったかもしれないけれど、たぶん東洋史にひかれて「鵬」が先に出てくるのだろう。



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暮らしを耕す

2017年1月13日
僕の寄り道――暮らしを耕す

子どもの頃から、田舎にいればお百姓が農作業を終えて帰ったあとの畑を見るのが好き、都会にいれば軒先で住人が丹精した鉢植えを見るのが好きだった。畑仕事自体、園芸自体に興味があったわけではなく、人が自然に手を加えたものを観察するのが好きだったように思う。

畑や鉢植えから、自然に手を加えた人の気持ちを多少なりとも読み取ろうということをしていたせいか、いまでも下町の路地を歩くと鉢植えの一つひとつの様子や、暮らしの道具の置かれ方にまで、なにか語りかけて来るメッセージがあるような気がしてしまう。

写真は「いいなあ」と思ってしばし立ち止まってしまった台東区にて。
なぜか下町の風景に和んでしまうのは、人が暮らしの土壌を耕しているように見えるからだ。なんと生きいきして輝かしい劇場なのだろう。


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都営バスは運転が下手か

2017年1月13日
僕の寄り道――都営バスは運転が下手か

台東区の出版社で打ち合わせがあったので都営バスに乗って往復した。

途中のバス停で停車した際、
「あーっ、都営バスは運転が下手くそでダメだっ!」
と大声で捨てゼリフを残して降車した男性がいて、乗客たちがギョッとしていた。

乗合バスが好きなので帰省時はしずてつジャストラインバス、老人ホーム訪問の埼玉では国際興業バスを利用しているけれど、都営バスの運転手の技量が劣ると思ったことはない。ただし運転が荒っぼくて乱暴だとはいつも思う。

東京の道路事情は、すれっからしの運転手たちが巧みなハンドルさばきで他人を押しのけながらぶっ飛ばす劣悪さなので、車の流れに乗ったり、隙間をかき分けたりしていると当然乱暴運転になってしまう。だからしつこいほど車内放送でバスが完全に停車するまで席を立つなと言っているだろう、という運転手側の言い分もあろうかと思う。

都営バスの運転手にはそういう事情もあると思うので、多少その点を斟酌(しんしゃく)して
「まあ、そう言えないこともない!」
と心の中で合いの手を入れておいた。

バス停から出版社に向かう道端にあった梅


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