寺田寅彦の坂道

2014年3月31日(月)
寺田寅彦の坂道

00
寺田寅彦の随筆集『柿の種』の中にとりわけ味わい深い一編がある。人間とインターネットが抜き差しならない関係になった時代のせいか、何度読んでも違った角度から考えさせられることが多い。ときどき読み返してみたくなるので全文を引用しておく。

01
 田端の停車場から出て、線路を横ぎる陸橋のほうへと下りて行く坂道がある。
 そこの道ばたに、小さなふろしきを一枚しいて、その上にがま口を五つ六つ並べ、そのそばにしゃがんで、何かしきりにしゃべっている男があった。
 往来人はおりからまれで、たまに通りかかる人も、だれ一人、この商人を見向いて見ようとはしなかった。
 それでも、この男は、あたかも自分の前に少なくも五、六人の顧客を控えてでもいるような意気込みでしゃべっていた。
 北西の風は道路の砂塵をこの簡単な「店」の上にまともに吹きつけていた。
 この男の心持ちを想像しようとしてみたができなかった。
 しかし、めったに人の評価してくれない、あるいは見てもくれない文章をかいたり絵をかいたりするのも、考えてみれば、やはりこの道路商人のひとり言と同じようなものである。(大正十年十二月、渋柿):寺田寅彦『柿の種』より

02
この随筆が書かれたのは関東大震災の二年前であり、当時の田端駅は今とはちょっと違う場所にあった。鉄道による貨物輸送が発達し田端に大きな貨物操車場をつくる計画がもちあがり、それに伴って田端駅改良工事が 1912(明治45)年に始まった。そのため現在の田端駅よりもっと北側、田端トンネル手前に仮設駅が設置されたのだ。

03
1915(大正4)年の地図を見ると初代田端大橋(江戸坂跨線橋)がすでに完成しているが、田端高台通りから右カーブしてその田端大橋へと向かう二代目江戸坂が途中で左に分岐し、田端仮設駅へと向かう道が描かれている。田端操車場は 1916(大正5)年に完成しているが、寺田寅彦が「田端の停車場から出て、線路を横ぎる陸橋のほうへと下りて行く坂道」で道路商人のひとり言を聞いた冬の日には、まだ仮設駅舎のままだったことがわかる。

田端仮設停車場から江戸坂分岐まで上る道

04
現在は JR の施設内へ向かう道になっている江戸坂からの分岐を入ってみると、カーブしながら線路の方へ下りて行く道になっている。大正十年十二月の寺田寅彦は田端の仮設停車場を出てこの坂を上り、江戸坂に合流して坂を下って行ったのだろう。道路商人の心持ちを想像しようと試みながら歩く、寺田寅彦の心持ちを想像しながら、春の風に吹かれて歩いてみた。

江戸坂に合流して田端大橋と現在の駅舎へと向かう道

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