梶井基次郎の交尾

2014年4月2日(水)
梶井基次郎の交尾

00
開高健が書いたものはたいがい贔屓してしまうけれど、ひとつ思いつくまま短いのを挙げれば『ずばり東京』所収「これが深夜喫茶だ」が身を焦がすように好きだ。

01
その開高健が敬愛した作家が梶井基次郎だと聞いて身を焦がすように妬ましいが、ちゃんと読んだことがない。

02
井伏鱒二が書いたものはたいがい贔屓してしまうけれど、ひとつ思いつくまま短いのを挙げれば 『鯉』で、高校時代に読んで「こりゃすごいや」と感動した。

03
なぜ井伏鱒二を読んだのかというと、太宰治が敬愛した先生だと知って身が焦げたからだ。

04
その井伏鱒二が梶井基次郎『交尾』(昭和六年)を読んで「神わざの小説」と驚嘆したというのを読んで、またまた身が焦げたので読んでみた。

05
 彼らは抱き合っている。柔らかく噛み合っている。前肢でお互いに突張り合いをしている。見ているうちに私はだんだん彼らの所作に惹き入れられていた。私は今彼らが噛み合っている気味の悪い噛み方や、今彼らが突っ張っている前肢の――それで人の胸を突っ張るときの可愛い力やを思い出した。どこまでも指を滑り込ませる温かい腹の柔毛(にこげ)――今一方の奴はそれを揃えた後肢で踏んづけているのである。こんなに可愛い、不思議な、艶めかしい猫の有様を私はまだ見たことがなかった。しばらくすると彼らはお互いにきつく抱き合ったまま少しも動かなくなってしまった。(梶井基次郎『交尾』より

06
題名の通り、白猫や河鹿や瑠璃の身を焦がすような求愛と交尾が切れ味のよい彫刻刀で彫られた版画になっていて、丹念に「地」を彫ることで「図」としての自分が読者に見えてしまうという助平な仕掛けになっている。

07
こういうのは好きだなあと思う焦げ方が寺田寅彦へのそれに似ている。文学から入って科学へ抜ける刃の入れ方と宙への逃し方の巧みさが似ているのだろう。

08
寺田寅彦や宮沢賢治と一括りにしておいてそれぞれの理系度合いを云々するより、彫刻刀と版木と地と図の扱いの共通点を面白がる方がいい。愛の成就の精妙さに憑かれる梶井基次郎のように、文学は世界への求愛と交尾なのだろう。

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