酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「エデとウンク」~ロマの苦難の歴史に射す光芒

2024-04-27 16:16:06 | 読書
 笠谷幸生さんが亡くなった。高1だった冬、札幌五輪70㍍級で笠谷さんのジャンプに飛翔感を味わった。90㍍級では1回目で2位につけ、連続金メダル確信した刹那、失速して7位に終わる。あの時覚えた墜落感が、その後の人生の主音になった。〝鳥人〟の死を心から悼みたい。

 前稿で紹介した映画「キエフ裁判」では、東部戦線におけるドイツ軍の蛮行が裁かれていた。パルチザンとの連携ありとの理由で、幾つかの村で数千人単位が銃殺され、ユダヤ人だけでなく、人種の異なる両親から生まれた子供もターゲットだった。人種とはロマを指すケースも多かったことが想定される。ロマはドイツ国内でもユダヤ人とともに弾圧の対象だった。

 ナチスが第一党になる2年前(1930年)のベルリンを舞台に描かれた「エデとウンク」(アレクス・ウェディング著、金子マーティン訳/影書房)を読了した。社会学者でもある訳者の詳細な解題、在日韓国人でピアニストの崔善愛の解説を含め充実した内容だった。根底にあるのは<差別と排除の論理>を超える<共生と寛容の精神>だ。興味深いのは著者が20代半ば、12歳のエデ、9歳のウンクの両方と知り合っていることだ。本書は児童文学の金字塔であり、同時にノンフィクションの要素も濃い。

 父親が突然解雇を言い渡されたエデは、一家の生計を支えるアルバイトを探す過程でジプシーの少女ウンクと出会う。ジプシーは現在、ロマと言い換えられるが、本作に倣ってジプシーという表現も用いることにする。ウンクはロマの下部グループであるスィンティの少女だった。新聞配達で自転車を漕ぐエデにしがみついているウンクの様子を描いた絵がブックカバーになっている。

 金子の解題によると、1929年にはある州で「ジプシー禍撲滅指令」が発布されていた。子供は世間の空気に流されやすいし、エデも偏見に毒されていた。それでもウンク一家――といっても広場に停まっている家馬車だが――と訪ねるうち、家族とも仲良くなる。自転車を盗まれた時にはヌッキおじさんに助けられた。ジプシーたちはナチスによって60万人が虐殺される。金子は資料を集め、本作に登場する11人のうち生き残ったのは1人だけだったことを突き止めた。ウンクも収容所でわが子を失って精神に異常を来し1943年、ナチスの医者に薬物を注射されて亡くなった。

 著者はユダヤ人の共産党員で、チェコ、アメリカ、中華人民共和国を経て東ドイツに戻った。著者の思想信条を反映し、子供たちも組合に好意的で、既成観念に縛られていたエデの父親も自身が解雇されて軟らかくなる。ウンクに優しく接し、指名手配の活動家の逃亡を助けていた。児童文学と社会運動の関係は日本でも多く見られた。プロレタリア児童文学運動には多くの作家が参加したし、アナキズムの影響を受けた作家もいる。ドイツも同様だったのだろう。反ナチスを貫いたエデは戦後に著者と再会している。

 ロマが登場する映画は、トニー・ガトリフやエミール・クスリトリッツァの作品を当ブログで紹介してきた。東欧では放浪者、スペインでは定住した文化の伝承者というイメージを抱いている。とりわけ音楽界への貢献は絶大で、ジャンゴ・ラインハルトは後世のギタリストに大きな影響を与えた。ジェスロ・タルのボヘミアン風の佇まいもロマそのものだ。

 小説で思い出すのは、1990年前後のパリを舞台にした「本を読むひと」(アリス・フェルネ著)だ。ウンク一家そのまま、主人公のアンジェリーヌは<縛られず、屈せず、自由に生きる>を実践していた。「エデとウンク」で煌めいていたのはエデとウンクの会話で、<金銭ではなく自由>に価値を置く人生観は両親や姉にも影響を与えていく。

 ロマ関連の小説や映画に親しんできたが、誤解していたことも多々ある。ロマは異教徒ではなく、移り住んだ国のメインの宗教を受け入れているようだ。「エデとウンク」は作品だけでなく、解題、解説もロマを学ぶための素晴らしい教材だった。
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