大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月29日 | 万葉の花

<301> 万葉の花 (16)  ひかげ、かげ、かづら (日蔭、影、蔭、加氣、縵)= ヒカゲノカズラ (日陰蔓)

    夏至過ぎぬ 何処の人か 救急車 

     人はよし思ひ止むとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも                             巻 二 (149) 倭姫大后

 『万葉集』にヒカゲノカズラと目される「ひかげ・かげ・かづら」で登場する歌は七首。その用法は冒頭にあげた149番の歌のように鬘(かつら)にして頭につけるものとして出て来るものが四首、後は女性に喩えた歌が一首と女性の名で登場する歌が二首あるが、直接、間接の違いはあるものの、みなヒカゲノカズラが鬘にして頭につけられたことによる歌であるのがわかる。

 冒頭の歌は天智天皇の崩御に際し、大后が天皇を偲んで詠んだ悲歌で、「人はいかようにあろうとも、私にはヒカゲノカズラを鬘につけた天皇のお姿を忘れることはございません」というほどの意である。倭姫大后は舒明天皇の孫に当たり、天智天皇には姪に当たる女性で、大海人皇子が身を引く形で皇后にのぼった人物である。集中にはこの歌とともに天皇の不予と崩御に際して詠んだ歌が連なり、歌心が発揮されている。この歌の「玉かづら」はヒカゲノカズラの「影」を導き出す語で、「影」は天皇の面影を述べるのに用いられている。

 ヒカゲノカズラを鬘にして飾ることは、速須佐之男命の狼藉によって天照大御神が天の岩屋戸に隠れ籠ったとき、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が天の香山のヒカゲノカズラの「日影」を襷にして、ツルマサキの「眞折(まさき)」を鬘に、ササを手にし、神がかりの裸踊りをして天照大御神を誘い出した『古事記』の記事が基になっていると言われる。後に『延喜式』神祇令にも新嘗祭等の祭祀において神聖な草としてヒカゲノカズラの「日影」を鬘につけることになった。

 これがのちのち様式化され、形式的になっていったと見られ、美的感覚でも見られるようになって、美しい女性にも喩えられたようで、巻十四の3573番、詠み人知らずの歌にもそれが現われている。「あしひきの山かつらかげましばにも得難きかげを置きや枯らさむ」というのがその歌で、「得難い山の美しいヒカゲノカズラを得ないで、枯らしてしまうのであろうか」と、深窓の女性をヒカゲノカズラに喩えている。

 ヒカゲノカズラという植物は、羊歯類に属するヒカゲノカズラ科の常緑草本で、夏の盛りのころ地を這う茎から枝を直立させ、先端部に花に当たる胞子囊をつけ、パウダー状の胞子を放出し、子孫を殖やす。四億年以上も前の古生代にはすでに地球上に出現していたと見られ、沖縄を除く全国各地に自生し、大和にも極めて多く、山歩きをすれば、必ずといってよいほどよく目にする。

 大和は歴史を誇る故地で、古式に則った祭りが多くみられるが、そんな中、大宝律令の神祇令に基づくと言われる奈良市本子守町の率川神社で行なわれる三枝祭で、巫女の四人がササユリを手に舞いを奉納するときヒカゲノカズラを鬘にして頭に巻く。率川神社は三輪山を御神体とする大神神社の摂社で、聞くところによれば、このヒカゲノカズラは大神神社から毎年贈られるという。このヒカゲノカズラも辿り行けば、遠い昔の所謂『古事記』の神話に行きつくことが言えそうである。

 写真は胞子囊穂を立てたヒカゲノカズラ(左)と率川神社の三枝祭で「うま酒みわの舞」を奉納に向かう巫女の一人。ヒカゲノカズラを鬘に巻いているのがわかる。なお、右端の写真は、天川村の山中で撮影したものであるが、天宇受賣命が鬘にしたとされる「眞折」のツルマサキの果実で、マサキに似た果実である。ヒカゲノカズラもツルマサキもともにツル性であるが、ヒカゲノカズラが地を這って生えるのに対し、ツルマサキはフジと同じように、他の木に這い上がって生育する違いがある。