大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月02日 | 写詩・写歌・写俳

<274> 吉野川のアユ

          鮎を釣る 人ことごとく 水の中

 アユ漁の解禁があり、吉野川では夏の風物詩であるアユ釣りの見られる季節になった。ところが、最近、川筋の風景に釣人の姿が見えない現象が起きている。全然見えないわけではないが、土曜日の今日も、目視するところ数えるほどしか見当たらなかった。大和高田市から訪れたという釣人に聞くと、十年ほど前から少なくなって来たという。

 この時期、一昔前までは川面に繰り出す釣人で棹が当たるほど賑わっていたようで、場所取りのために未明から出かけて来たほどだったという。それが何故このような状況に至ったのだろうか。「釣れなければ釣人は来ない。釣り人の姿がなくなったということはそれを示している」という。その通りだろう。釣り人が来ないのは釣れないからである。

 「十年前に何か異変があったのだろうか」と聞いてみたら、上流にダムが出来たという。因果関係は定かでないが、五キロほど上流に大滝ダムが出来た。このダム堤より上流にアユは溯上出来なくなった。アユは年魚というように一年が一生の魚で、自然に孵化したものでも放流されたものでもみな上流を目指して上り、川上で大きくなって、卵を抱いて下って来る。そして、河口付近で産卵し、死滅する。これが年魚と言われるアユの自然な状況である。

 つまり、アユはこのような過程で一生を送っているわけであって、吉野川のアユについても同じことが言える。吉野川では十年ほど前、その過程のどこかで異変が起きたということになる。アユは友釣りをするが、これはアユの縄張りを持つ習性を利用するものであるが、このアユに縄張りを持たないような現象が起きているとも考えられるという。もちろんそれは推測に過ぎないが、ここで上流に出来た大滝ダムが何らかの影響を及ぼしているのではないかということが思われて来るわけである。この大滝ダムで、少し気になる光景を目にした。

 それは、多分、昨年九月の台風十二号の豪雨の影響だと思われるが、ダム湖の水嵩が増して浸かったと思われる辺りの草木が枯れていることである。潮水なら塩害ということも考えられるが、水に浸かったくらいで枯葉剤を撒いたように枯れるとは思えない。ダム湖の辺りの白屋地区ではダムに水を貯めると地滑りが酷くなるので、その防止工事をしていた。この工事とは関係ないと思われるけれども、植生が一面に枯死するということは不思議な現象である。

 とにかく、この時期、吉野川にアユ釣りをする人の姿が見えないというのは何ともさびしい感じがする。「桜鮎」と呼ばれ、吉野地方の自慢の一つで、『日本書紀』の応神天皇の条にも吉野川のアユが献上された記事が見える歴史もあるアユだけにこの吉野川のアユの状況に深刻さが感じられるのである。地元の漁協ではアユ漁の復活を期しているようであるが、よい手だてはないのだろうか。  写真は吉野町立野付近の吉野川。後方の橋は妹背大橋。以前は釣り人でいっぱいになった。撮影は二日午後一時半ごろ。