大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月17日 | 祭り

<289> 虫 送 り

       虫送り 稲青々と 育ちゐる

 大和高原の一角、天理市最東部の山田町で、16日夕から宵にかけて虫送りの行事が行なわれた。生憎の雨模様だったが、各自松明を持って列をなし、稲の苗が青みを増す田園の道を歩いた。この行事は虫の駆除と供養を兼ねて行なわれるもので、昔から行なわれているという。

  これは稲作における予祝の意をもってなされるおんだ祭りの御田植祭や蛇(龍)を崇めて水の確保を祈願する野神の蛇巻きの祭りに続いて行われる行事で、豊作祈願であるのが見て取れる。また、害虫が悪霊の仕業と見て、悪霊の退散を願って行なわれるものとも言われる。『平家物語』で知られる平家の武将斎藤実盛が敗死した際、騎乗していた馬が稲の切り株につまずいて討たれたことから実盛の怨霊が稲の虫になって稲を食い荒らすという逸話が生まれtこあ。この稲の虫を実盛虫と呼び、虫送りをこの逸話に因んで実盛送りと呼ぶ地方もあるという。

 このように虫送りというのは、害虫に悩まされて来た農家の悩みによって生まれたもので、全国的に見られる稲作に関わる行事の一つであるが、農薬の普及に伴い多くの地域で廃れていったと言われる。そんな事情下、今も残っているのがこの大和高原の一角にある山田町の虫送りで、集落の絆ともなっていると言われ、天理市はこの行事を貴重なものとして、無形民俗文化財に指定している。

 この日は降ったり止んだり、梅雨特有のぐずついた天気であったが、雲の切れない空模様の下、午後六時半から下山田、中山田、上山田の順に虫送りが行なわれた。町内の蔵輪寺住職による読経の後、祭壇の蝋燭の火が松明に移され、前庭に積んだ柴に火が点けられると、子供も交えた農家の人々が各自持参した松明に火を移し、御札を先頭に太鼓を打ち鳴らしながら地区内の道、約二キロの間、松明の列をつくって歩いた。

 松明の列は夕闇に浮き立ち、幻想的に見えることもあって、大和の風物詩の一つになっている。松明の火と煙とによって害虫を追い払うという。その松明の火を見ていると、その願いが何か叶えられるように思われた。松明は最後、雨で増水した川縁に投げ入れられて終わったが、虫送りの意味がよくわかる光景だった。この行事が虫供養でもあることは「虫送り」の名によく表されていると言える。

 御札は最初と最後に立てられ、これをもって標(結界)とするようである。つまり、虫送りをした領域においては虫封じが完了したことになる。写真は左から住職による松明への点火、燃え上がる柴の火を各自の松明に移し取る人たち、山間の田の道を行く松明の行列。行列の先頭を行く御札と太鼓、水田に映った松明の火、夕闇に火の帯が出来た虫送り(五秒の長時間露光による)の列、川辺に投げられなおも燃える松明と傍に立てられた御札。