<285> 万葉の花 (9) ち、ちがや、あさち、つばな (茅、浅茅、茅草、茅花)=チガヤ (茅、茅萱、白茅)
自転車を 走らせ茅花の 彼方まで
春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶけふの日忘らえめやも 巻 八 (1880) 読人不知
茅花抜く浅茅が原の壷菫今盛りなり吾が恋ふらくは 巻 八 (1449) 田村大孃
浅茅原茅(ち)生(ふ)に足踏み心ぐみ吾が思ふ子らが家のあたり見つ 巻十二 (3057) 読人不知
天なるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉を立つも 巻十六 (3887) 読人不知
『万葉集』に登場するチガヤ(茅、茅萱、白茅)は上記の例歌のごとく浅茅(あさち)、茅花(つばな)、茅(ち)、茅草(ちがや)の名で二十七首に見え、浅茅で登場する歌が圧倒的に多く、二十四首にのぼり、花を詠んだ歌は「茅花」と「浅茅が花」のわずかに四首である。その中でも、花に関して詠んだものはわずかに一首であるが、その花も輝く盛りの花ではなく、秋萩への思いを述べるのに散りゆく季節の移ろいにある花が見えるに過ぎない。
浅茅(あさち・あさぢ)とは草丈の低いカヤ(茅)を意味し、浅茅原はこの草丈の低いチガヤが群落をつくって広がる様を言ったものである。このチガヤは草丈数十センチになるイネ科の多年草で、秋から冬にかけて枯れる。昔から身近に見られ、刈られたりしたようで、それに関する歌も見える。春になると、刈り込まれた根方から新芽を出し、晩春から初夏のころに花茎を伸ばして、先端に銀白色の穂状の花を咲かせ、風に靡く姿が見られるわけである。下の写真がその光景で、大和では何処でも見受けられる。
この花の風情は実に印象的で、春から夏へ移りゆく季節を感じさせられるが、前述したごとく、『万葉集』にはこの花の輝く姿を詠んだ歌は一首もなく、秋から早春のころの浅茅の光景をして詠んだ歌が目につく。これは、私たち現代人には意外であるが、それは当時の人々が花に対する観賞よりも、生活に密着した植物の特徴をもって植物に接していたことを物語るもので、花の観賞という点においては十分に気持ちが至っていなかったことを示していると言える。つまりは、花というものに興味が薄かったということが考えられる。
四首の花の歌の中で、三首に見える「抜き」や「食む」は、花がまだ咲き出す前にその穂を抜いて口にするというもので、私たちが子供のころにはそれをよくした。上記の例歌に見える「茅花抜く」というのもこのことを言っているものである。もちもちとして口当たりのよかったのを覚えている。生活の豊かさに与かっている現代の子供たちには、浅茅のチガヤの上で遊ぶこともなければ、蕾の花穂を抜いて食べるなどはなおさらで、そういう光景を目撃することはない。これは私たちの生活の実態が自然に接することの少なくなって来た証であり、その状況を物語るものと言える。
私に銀白色の茅花が季節感をともなって感じられるのはノスタルジーというものだろうか。蕾を抜いて食べたという経験のみでなく、高校に入り、自転車通学を始めるようになって、毎日往復二時間ほどを走ったが、入学当初、道すがらに見たチガヤの輝く花(茅花)に新入生のあこがれとちょっぴりあった不安な気持ちが重なってその光景を心の奥に焼きつけることになった。で、今も何かのときに触れ、この光景を懐かしく思い出す次第である。