大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月21日 | 万葉の花

<293> 万葉の花 (12)  あづさ  (安豆左、安都佐、梓)=ミズメ (水芽)

             みずめ咲く 花の辺りの 暖かさ

      梓弓引きて許さずあらませばかかる戀には逢はざらましを                 巻十一 (2505) 柿本人麻呂歌集

     置きて行かば妹ばまかなし持ちて行く梓の弓の弓束(ゆつか)にもがも             巻十四 (3567)     防    人

 『万葉集』にあづさと見える歌は、上記の二首を含む長短歌三十三首で、くれなゐ(ベニバナ)の三十四首に次いで、植物中十九番目に多い登場数を誇るが、すべての歌が梓、梓弓、梓の弓と材を弓に用いていたことによって詠まれた歌ばかりで、花にかかわる歌は一首も見えない。

 冒頭にあげた二首を見ると、2505番の歌は「もし心を引き締めて許さなかったら、今のこんなに苦しい恋には逢わなかったろうに」という意になり、3567番の歌は「このまま妻を置いて防人に行ったならば、私は恋しくてたまらないから、妻は私が携えて行く弓の束になってくれたらいいのに」という意に解せる。

 このように、歌におけるあづさの扱いは、枕詞や序の一部に用いられているものが多く、2505番の歌のように、弓を引くことから来ている「引く」にかかわるものが十二首、弓の上端から来ている「末」にかかる歌が九首で、そのほか「音」、「春(張る)」、「よら」などにかけて用いられ、3567番の歌のように梓弓を直接的に詠んだ歌も見える。

 ここで、このあづさという弓材がいかなる木であるかということが思われることになるが、これには昔から諸説があって見解のわかれているのがうかがえる。その諸説を列記すると次のようになる。貝原益軒の『大和本草』によるキササゲ説、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によるアカメガシワ説、屋代弘賢の『古今要覧稿』によるオノオレ説、白井光太郎の『樹木和名考』によるミズメ説などがあげられる。

 弘賢のオノオレは中部以東に分布し、大和には見えず、蘭山のアカメガシワはひさきで登場し、ひさきと弓の絡む歌が見えないので、これらはあづさに等しいとは言い難い。次に益軒のキササゲはノウゼンカズラ科の落葉高木で、中国から古くに渡来し、川岸などに野生化して見られたであろうが、弓に用いるほど多く生えていたとは考え難い。という次第で、消去法によれば、あづさは白井説のミズメということに落ち着く。

 ミズメはオノオレと同じカバノキ科の落葉高木で、別にアズサの名が見える。また、ヨグソミネバリにもアズサの名があり、ミズメは水芽で、樹液が水のようであることからの名であるが、その樹液がサルチル酸のような異臭を放ち、夜糞のようだというので、ミズメの別称にもあてられ、ミズメとアズサとヨグソミネバリが一つに繋がり、同一樹種であることが言える。

 ミズメは本州の岩手県以西、四国、九州に分布し、大和にも多く、材は緻密で堅く、建築や器具材として評価され、弓材にも損色はない。よって、『万葉集』に登場する梓弓のあづさなる材はミズメということに落ち着く。ミズメは雌雄同株で、春先に葉の展開と同時に開花し、雄花は尾状に垂れ下がり、雌花は短枝に立ってつくのが通例である。

 因みに、キササゲにもアズサの名があるから混同するが、梓弓はこれではないように思う。それよりもキササゲには「雷の木」という別称があって、この木を植えておくと、雷避けになるというので、貴重な建造物を有する社寺に植えられていることの方が知られる木である。昔は地震や台風などに匹敵するほど雷は恐ろしい自然現象で、大和には、斑鳩の法輪寺三重塔が落雷によって焼失した事例がある。

 興福寺(奈良市)の国宝館の傍に一本のキササゲが見られるが、境内地には五重塔もあり、これは雷避けの役目を担っているように見える。また、ササゲのような長い鞘に入った果実は利尿などの薬用にされるが、興福寺のそれは枝にいつまでもぶら下がっているので、その用にはないと思われる。六月ごろ花冠の内側に模様のある淡黄緑色の花を円錐状につける。写真はミズメの花(垂れ下がっているのが雄花、雄花の上が雌花、左)、キササゲの花(中)、アカメガシワの花(雌雄別株で、これは雌花、右)。