大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月28日 | 植物

<300> 山 の 花

   山に入って 山の花に 出会う

 速いもので、六月ももう終わりに近いが、六月は東吉野村の明神岳(一四三二メートル)方面を見て回った。昨日も大又から明神谷に入り明神平方面を目指した。雨は降っていなかったが、渓流は水嵩があって危ない箇所も見られたので、途中で引き返した。それでも山に入ると平地では見られない花に出会うもので、撮影することが出来た。

 山の青々たる草木は何らかの形で花を咲かせる。冬は別にして、四季の巡りに花を咲かせる。だからいつ山に登っても何んらかの花に出会える。大きく目立つ花もあれば、小さく葉に隠れるように咲く花もある。ここが自然の妙味で、観察者には難儀な半面、それを見つける楽しみがある。また、山によって生える草木の異なるケースがあるので、時期を同じくしても山によって違う花に出会うことがある。この点も観察を怠ることの出来ないところであり、また、楽しいところでもある。大和という限定された地域においてもこれは言える。

 そういう次第で、花追い人の観察者には期待も抱くことになるが、山野の自然には自然体で臨み、とにかく、観察を怠らないことが求められる。相当数山には出向き、既にいろんな花に出会っているので新鮮さに欠け、以前ほど花にカメラを向けなくなった気がするが、以前よりも細やかに目配りしながら歩いていることは確かである。で、今でも山に入ると、一点かニ点初めての花に出会うから観察はなかなか止められない。

 また、何回か足を運んだ山野では、そこにおける植生の確認作業というのもある。登山道などでは、「確かここに生えていた」と思うようなことが往々にしてある。そんな場面に出くわしたときには、植物の弱点というか、弱い立場ということが思われたりして無念な気持ちにさせられることがあるが、十年たっても同じ場所に生えている草木などに出会うと、「頑張っているな」と思われ、勇気づけられることもある。

 今回紹介するサワダツが勇気づけられる例で、細くひ弱な存在の木であるが、大きな岩石に守られて長らえているのがわかる。一方、何回かの歩きで、花の咲くのに出会って、「こんなところに生えていたのか」と思われる草木もある。今回紹介する花の中ではシロガネソウがこれに当たるが、花の観察者にはこういう出会いもあるから止められない。

 また、オオバメギでは、花に出会ってその木が何の木であるかを知った。観察者にはこういうこともあるわけで、図鑑に照らしてみるが、こういう場合は勉強したという気持ちになる。これらを総じて言えば、歩くことは出会うことであり、出会うことは知ることであると言えそうである。で、これらを思うに、「山に入って 山の花に出会う」という冒頭の一行が浮かんで来るという次第である。写真は左からアワブキ、クルマムグラ、サワダツ、オオバメギ(ミヤマヘビノボラズ)、シロガネソウ。