大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月20日 | 写詩・写歌・写俳

<292> ホトトギス

      闇を裂き 天を翔け来し ほととぎす

 この間(六月十四日)、金剛山に登ったとき、山頂(一一二五メートル)の一帯で今年はじめてホトトギスの本格的な鳴き声を聞いた。ウグイスが鳴き、ミソサザイが鳴き、ツツドリが鳴き、鳥たちのオンパレードの中、ホトトギスの一段と鋭い鳴き声が聞こえた。「今年はホトトギスが来ないなあ」と思っていたので、近くでその声を耳にしたときは何かほっとするような心持ちになった。平地でもそのうち聞かれるようになるだろうと思っていたら十九日の未明、台風の来る前、寝床の中で聞いた。暑くなったので、妻が夏布団に変えたその日のことである。

 金剛山には四百ミリのレンズを持参していたので、声を頼りにそのレンズをつけて待ち構えたのであったが、声はすれども姿は見えずで、結局、撮影には至らなかった。鳥を撮っている三人のグループに出会ったが、カケスを狙っているということで、三脚を立てて待機していた。モニターで再生して見せてくれたが、ホトトギスは撮り得ていないようであった。 私の場合は花の撮影が主たる目的で、鳥にはほとんど興味がない。だが、ホトトギスには何故か心を惹かれるところがあって、出来れば撮影もしてみたいという気持ちでいる。で、少し粘ってみたのであった。ホトトギスはこれまで二度目にしたが、二度とも瞬時に姿を消してしまったので写真には撮れなかった。夢にまで見たことがあるが、それは鳴き声による姿へのあこがれがあるからと言えようか。

 彼らによれば、鳥の現われる場所にカメラをセットしてひたすら待ち続けるのだという。最長六時間待ったという。これは花の撮影とは随分異なる。花の撮影はひたすら歩き、山の隅々まで目を凝らして観察しなくてはならない。鳥は六時間待って叶うか叶わないかのようである。花は六時間歩いてやっと一花ということもある。果たしてどちらが厳しいか。どちらもそれなりに厳しい作業であると思う。それゆえに、撮影出来たときの喜びは大きいと言える。

 話がほかへ逸れてしまったが、ここからはホトトギスに話を戻したいと思う。我が国の古歌(和歌)を調べてみると、よく歌に登場するのはカリ(雁)とチドリ(千鳥)とホトトギス(時鳥)で、ツル(鶴)やシギ(鴫)なども見られ、歌の中に出て来る鳥は渡り鳥が圧倒的で、季節を感じさせる鳥の多いことが指摘出来る。カリやツルのような大型の鳥は、その姿が目につくので、採りあげられるのもわかる気がするが、あまりポピュラーでないホトトギスとチドリには昔の人がなぜこれほどまでに執着したのか不思議なほどである。

 特にホトトギスについては、『万葉集』に約百五十首。『古今和歌集』にも夏歌三十四首中二十八首。『新古今和歌集』でも夏歌百十首中三十七首までがホトトギスの歌で、『万葉集』巻十の「夏の雑歌」鳥を詠む一連二十七首は、呼子鳥もホトトギスと見れば、すべてホトトギスという圧巻である。ホトトギスに関するこの様相は私たち現代人にとって異様と言っても過言でないほどであるが、当時、いかにホトトギスという鳥に人々の関心が向けられていたかということがわかる。

 そして、その関心を思うに、それはホトトギスの姿にあるのではなく、あの独特の鳴き声にあることが言える。詠まれている歌を見ればわかるが、ホトトギスのほとんどの歌に鳴き声が関わっているのである。これは驚きの何ものでもない。この声に対する人々の執着はどこに起因しているのだろうか。それも、その声は真昼に鳴くものばかりでなく、夜にも鳴く。これこそがホトトギスの特徴であろう。待ちに待った夏の到来とともにやって来るのがホトトギスである。

 「日本の鳥は鳴き声にある」とは誰の言葉だったか。例えば、「聞く人ぞなみだはおつる帰るかり鳴きて行くなる明けぼのの空」(『新古今和歌集』春歌上・藤原俊成)とある。このように、古歌の中でホトトギスは特別な存在であったが、チドリにしてもカリやツルにしても、姿よりもむしろその鳴き声に関心が寄せられ、情趣をそそられていたのが見て取れる。花にも言えることであるが、こうした鳥の歌は四季の折り節に詠まれており、人々の自然に対する思いというものが現代人とははるかに大きく、それが四季への感触に関わって、歌にも現れているのがわかる。

      ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる                         藤原実定

 この歌は平安時代の末、後白河法皇の院宣により藤原定家の父俊成が選に当たり編纂した『千載集』に初出する歌であるが、この歌に詠まれたホトトギスは今から約千年前のホトトギスということになる。ホトトギスは今も変わりなく子孫を継いで渡って来る夏鳥であるが、「時雨」と同じく「時鳥」と書かれるように、その声は時節を違えることなく、その独特の鳴き声をもって夏の到来を告げるのである。

 花との抱き合わせでは、ショウブのあやめがあり、ミカンの仲間のタチバナがあり、ウツギの卯の花などがあって、みな夏のはじめに花を咲かせるものであるのがわかる。織田信長は「鳴かぬなら殺してしまへほととぎす」という気性の持主であったが、この時期になると、ビールが美味くなる。信長で言えば、昔、「裸にてビール飲みをり信長忌」という句を作ったことがある。ホトトギスのあの烈しい声の勢いを借りて、閉塞した社会を切り拓こうとした信長のような革命児は現われないものかと思ったりする昨今の魑魅なる政治的状況であるが、信長の確信は頓挫した。天正十年六月二日(一五八三年七月一日)であった。信長忌は永遠であり、ビールはほろ苦く、やるせない。

 ホトトギスは「郭公」とも書かれるが、郭公(カッコウ)は夏に飛来するホトトギスと同じ夏鳥で、現代では明らかに区別され、その鳴き声は山岳の鳴き声で、昼間に聞かれ、晴れやかで、牧歌的な響きを持ち、夜にも鳴くホトトギスとは「陽」と「陰」の違いが見て取れる。昔、私は「過ぎがたく闇に迷ひし歩みなり 夢の彼方に鳴くほととぎす」と詠んだ。ダンテの『神曲』かぶれと言われそうな歌であるが、ホトトギスには「陰」の一面を担って人の心に寄り添って来るところがある。ゆえに愛されて来た鳥ではある。

 その鳴き声で心に残るのは前掲の実定の歌である。これは、貴族の衰退してゆく時代を精神のうちに秘めた貴族中の貴族である実定の諦観の歌にほかならない。時は移りゆく有明、月は不動の存在であり、この歌の鑑賞にこれを忘れてはならない。ホトトギスは移ろいゆく時に身を委ねなくてはならない実定本人に重なる精神性を有する。この歌には有原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」に通じる人生観が見える。言わば、ホトトギスがカッコウなどとは違い、人の心の陰に絡む鳥ゆえこの名歌も生まれたと言える。

 写真は今年はじめて本格的なホトトギスの声を聞いた金剛山。ホトトギスの写真が手もとにないので残念ながら紹介できない。ヒヨドリの体形を一回り大きくしたような胸に斑点のある尾の長い鳥である。因みに、植物のホトトギスは葉や花に斑点があり、これがホトトギスの胸の斑点に似ることによってある名である。