2017/01/15 記
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母が風呂上りにふらつき、足の小指を椅子の足に引っ掛けて、倒れた。幸い原因の「めまい」は再現せず、私がすぐそばにいたので転倒前に、私の身体をついたてに転倒しないで済んだ。転倒すれば、打撲で二次傷病が発生してしまうところだった。ここが大事なところなのだが、「めまい」がどのように起きたあということだ。母は「ふっと」意識が切れたという。時間かけて意識が混濁するのではないようだ。前回が10月下旬だったから回数は減っている。ただ「ふっと(突然に)」ということから、MRIで問題ないので「脳」だなとは思うが、やんわり克つ要警戒の季節に入ったことを感じている。
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ここ二日、メールチェックを怠っていた。読んでみると、数通、懇話会参加表明が入っていた。初めての方はひとりだが、この時期、早めの連絡が入るのは珍しいことだ。
いつも思うことだが、自閉症といわず発達障がいと言った時、就学前児童の重度ではない認知発達上の困難が主題となり、若年者以降の生活上の困難が論じられない傾向がある。障害者総合支援法施行に伴う就労の議論は、手帳を有する方の支援という旧来の支援枠の中で語られて、その際は自閉症概念で論じられている。自閉症スペクトラムと言ったとき、発達障がいは、広い裾野を持ち、連続している自閉症の総体を包含している概念として語られるが、災害の領域で「発達障がい」を語るとき、それは命の危機への柔軟な対応の困難や、生活上の適応困難の接点が課題となるがゆえに、就学前児童の重度ではない認知発達上の困難を有する方々が、前面に立つことへの違和感がある。
災害領域で問題となるのは、従来、自閉症の諸課題の取り組みの延長上に出てくるのであり、認知発達の課題とは整合性がよくないのだが、災害領域の活動の中で「発達障がい」を課題にする際、一般がイメージするものが、ずれているように思う。
私が担当していた不登校・引きこもりの子たちのなかに、発達障がいを抱える子たちが多いが、被災時状況判断を過つことが大事につながっていく例はあるが、固執が大事に至る例には、はまってこない。今回、懇話会でとりあげるエピソードは、固執による過誤例、生活困難例が主になるように、ゲストの前川さん(ゲスト)にはお願いしてあるが、対象が学童以前が主になりそうなのだ。課題をはっきりさせるために、再度連絡するつもり。
数年前のTBSのニュースの特集に取り上げられたカナー型自閉症の長谷川凌君の被災後のPTSD発症の様子を、2/3の「金曜災害ミニカフェ」で取り上げるが、大災害と発達障がいの論議の場で、かみ合わせのずれが浮かび上がりそうだ。
私の裏の関心事は被災下というアジールの可能性のことだ。災害ユートピアという一時的に現出するやわらかな可能性の場、なしうることによって、肯定的に結びつく組みなおしと協働の場をコミュニティと生活再建の場に、いかに活動として組み込んでいくかという視座にある。
懇話会招請の巡回は、あまりにも落差があるものだ。しかし、要援護者支援の現場論議の方向に過ちはない。各自掴み取ったイメージを各自の活動の場で利用してもらうという,非束縛の組織論も明確にしていくべきものだ。
明日は、ビッグイシューの買取り。巡回しながら残りの特別支援校まわりもしてこようと思っている。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)