2025/03/26 記
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ハッカーさん、こんばんは。母が足がしびれるといいだした。水曜日、整形外科休診日だ。母のもうひとりの主治医は木曜日休診なので、内科・消化器外科だが、診てもらうことにした。
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神経痛ではなく、血流障害もないという。脊柱管狭窄症、2箇所つぶれているから、その影響という。リハをたややすなという指示と頓服痛み止めがでて、整形外科へのつなぎだと、もうひとつの主治医の受診勧められた。
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母は帰宅後、痛み止め頓服を飲んで、眠ってしまった。昨夜、痛みで寝られなかったと言っていた。明日は市議にマンション防災の件で、会いにいく。母の調子次第。つぶされませんように。
(校正1回目済み)
2025/03/25 記
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ハッカーさん、今回は続きだけです。
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高校生の災害ボランティアについて3
☆「災害ボランティア支援」
高校生の場合、発災時、神奈川県全域で単独行動から災害ボランティアを始めなくてはならない高いハードルがある。基本は社会福祉協議会が開く災害ボランティアセンターに出向き、単純小間使いにされないように注意しながら、やりたい内容のボランティアを探す。寄生し友達を呼ぶ。できることなら、「御用聞き支援」に関係したボランティアがのぞましい。なぜ「寄生」かというと、地元ではないボランティアが多数派で、彼らは3ヶ月程度で帰ってしまうので、再び個人に放り出されてしまうから、地元ボランティアが望ましいが、なかなか地元ボランティアはいないのだ。これには理由があって、昔からの自治会・町内会の硬直した活動と重なり、独自性を展開しにくいからであり、外部ボランティアの引き潮を意識していない経験不足によるものだ。愚かなことに、過去の災害時の経験が生かされていないのだ。知らないのだ。
このことは、ボランティアセンターを運営する社会福祉協議会職員にもいえる。過去の災害経験者が少数なので、外部と地元の活動の質の差を知らない。手探りなのだ。長期戦は地元または伝統的災害ボランティア(半プロ)である。
高校生災害ボランティアは、高校生が複数になり、大人や大学生たちの活動に協力しながら自主判断できる輪を早急に作っていく。3人いると安定する。
なぜ「寄生」行動をとるかといえば、発災後、各地で、各専門職・行政・災害ボランティア等の横断連絡会が生まれるが、個人参加は認めていないので、ボランティア団体の名前を借りて、提案。そこで高校生活動の市民権を生み出す機会を得るのだ。
集まれば、独自に活動を始めるのももちろんいい。ただ、「御用聞き支援」の場合、保健師さんなどの医療福祉専門職の外周支援は頭から拒否される可能性が大きく、連絡会の場で、活動作成提案することが、実現の道なのだ。
残念ながら社会人の災害ボランティア活動は、既存の活動の中に、被災後の観点が練れていない。高校生を受け入れる場がないのだ。
当座の類似活動に飛び込み、友達と3人以上のグループをつくり、連絡会にでる。市民権と、活動提案、そして新しい活動を始める。誰かに付き従う道は先がない。せめて活動の中で理解者を見つけることだ。
(完)
(補)高校生には、lineの相談できるグループを常設している。ただ、これは被災地が通信可能なときだけ。初めは単独出発となる可能性が高いが、災害ボランティアの寛容性に委ねたい。
(校正1回目済み)
2025/03/24 記
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ハッカーさん、こんばんは。朝のトイレ通勤中、トイレ内昏睡があり、通所リハが危ぶまれましたが、帰りは、けろりとして、元気に帰ってきて、安心しています。
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高校生の災害ボランティアについて2
「御用聞き支援」の必要性は、在宅避難・車両避難の再評価があって、能登半島災害を頂点にした災害時要支援者支援の必要性という被災者の二重構造を前提にした認識をふまえて、災害時要支援者になじむ非避難所避難者を支える活動として成り立っている。背景を無視しては、価値が伝わらない。
また訪問支援は健康管理の役割から、医療福祉系専門職の仕事とされてきたため、災害ボランティア活動としては未成熟。そこは専門職の外周支援として位置付け開発していく必要がある。
「御用聞き支援」を端的に言えば「物資・情報の仲介支援」である。非避難所避難とは、ワンセットにして考えるものである。
この「御用聞き支援」は、残念ながら自治会・町内会の安全避難偏重と避難所集団管理志向活動からは生まれてこないだろう。市民活動の弁当配達や民生委員の在宅高齢者チェックあたりから始まるだろうが、弁当は名簿、民生委員は人数不足と障害者知らずの弊害から、立ち上がりが遅い難がある。協力者が広がらないのだ。高校生の参加の場合、社会人の先行活動の外周支援が現実的だ。そこで、保健師の外周支援と弁当配達・ゴミ出しボランティアとの連携、障害者団体の打診と仲介から、仕事場作りを探り続ける。ドン・キホーテ的ではあるが、高校生の活動が逆に社会人の活動の芽となることもありうる。それほどまでに非避難所型避難を支えるワンセットの活動として重要である。
この「御用聞き支援」と高校生は、微妙な立ち位置に立つ。専門職には足手纏いまたは未成年保護責任忌避、そして定型活動変更の公務手続きがのしかかる。こう考える。しかし、最後は、専門職が自分たちだけで成し遂げる従来のスタイルは、全国の同業者支援を待って、進められてきた。ゆえに迅速な対応ができなかった。ましてや、南海トラフ地震など広域大災害の場合、ボランティア連携抜きには破綻する。外周支援連携は不可欠なのだ。
ゆえに連携自主活動として、ボランティア側は組織する。ここの「連携」とは、「情報共有」である。
地域の若者は地元自営業者ぐらいで、多くは教育機関・企業に組織されており、学生は地域意識は希薄のため、生活圏から逆算して高校生は県分散とはいえ、活動評されるべきだろう。生涯の分岐点を走り抜ける世代ゆえ、生と死・家族の激変を伴う被災とボランティア経験の価値は計り知れない。今までの投げ銭型または余暇利用活動との違いは、広域地震のときは、被災当事者であることだ。この自覚を促す活動デザインを練りたい。
(つづく)
(校正1回目済み)
2025/03/23 記
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ハッカーさん、こんばんは。
母の体調は相変わらずよくないが、今日の状態は、むしろ「疲れ」。冷蔵庫をかき回して、好物を並べて食事を促した。高校生の新年度提案に腐心している。どうしてもPCがみえないので、印刷物が作れない苦しみ、A4用紙手書きの書き損じの山、忍耐の一日に、なった。
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高校生の災害ボランティアについて
納得したことに夢中になれる世代
閉鎖的(仲間の内外)だが内ならやる。)
嘘をかぎ分ける感性の奴が必ずいる
(きちんとむきあうべし)
負の状況
集団行動、安全避難訓練の嫌悪
被災者宅清掃参加無理
友達の無関心、浮き上がるのは嫌。
投げ銭型よそごと支援、自分は外。
家庭崩壊・身近な人物の逝去・家計破綻・被災負傷のリアリティ無し
今は受験が大事、それの3年間(駆け抜ける高校時代)
人は人、自分は自分主義という表層
消費文化のお膳立て上で踊る手の内志向と浅薄な独自性、ファンのような放射状集団形成(横のつながりは二次的偶然)
蓄積しない高校生活動に継続の縦糸を張ること>園訪問防災紙芝居年中行事化(技能継承)
発災時、小間使いをこえて、自主参加の役割イメージ作り。
☆外周支援としての独自性
*避難所運営
・情報掲示配布放送&取材
・食料配達
・所内生活ごみ回収
・洗濯協力
・要配慮者移動協力
*御用聞き支援
別途特記
*子ども支援
・学童年長幼児の遊び支援
・学童年長幼児の学習支援
*被災者ペット飼育支援協力
*災害ボランティア支援
別途特記
「災害ボランティア支援」と「御用聞き支援」は明日に。
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<気になる本>
⚫︎「開かれる自閉―医者・心理学者・当事者のポリフォニー」
⚫︎「無知学への招待―知らないこと”を問い直す」
(校正1回目済み)
2025/03/22 記
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ハッカーさん、春の気まぐれ陽気、困りましたね。昼夜の寒暖差が大きいから、明け方、足がつりました。墓参の坂のせいか、身体が鈍っています。
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墓参からかえったら、弟夫婦は日没前に帰ったという。変だなと直感し、美味しかったかいとカマをかけると、弟夫婦の車で天ぷらを食べてきたと白状したが、お前が再婚しないのがいけないと反撃らしき言葉が返ってきて、見守り役の弟夫婦と、50年も前のむしっかえし話をしていたことがわかってしまった。
崎陽軒弁当4つ買って返ったのに、むだになってしまった。その文句が冷戦を引き起こし、一夜明けた朝、母はむっつり。残った2つの弁当を捨てていると、勿体無い、おまえのやることは、無駄が多いと母。筋論ではない思いつき発言炸裂。寝床に戻って毛布をかぶってしまった。墓参の報告も出来ず、無言の一日となった。
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やだねぇ。
弟の話によると、訪問介護の人が来たので席をはずし、藤沢で天ぷらの予約をとって、母を迎えに戻ったという。足湯やった母に外出させたことがわかった。
ばかな、そんなことをすれば、翌日、寝込むに決まっている。何のために東京から、まっすぐ帰宅したか、弟には通じていなかった。母のむっつりは、実は疲れがでていたのだと知る。普段介護をしていない弟夫婦は、母にはお客さん。母がサービスしたことを知った。
この電話をしていなければ、わからなかった。誤判断の怖さ、反省。
毛布を直し、肘鉄を食らう。まぁいいわぃ。
(校正1回目済み)
2025/03/20&21 記
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ハッカーさん、お彼岸のW墓参、してきました。あとから、まとめ書きしています。母は本来母方の墓にいきたいのだろうけれど、駐車場から何百mも傾斜の強い上り坂があったり、斜面の芝生地を歩くので無理と判断し、都内の我が家の墓地の父の墓に、母を弟の車に乗せて、連れ出すことにしました。寺院の脇で下ろせるし、ほとんど歩かないから、こちらにいくことになりました。
翌日は母は必ず寝込むので、弟夫婦に見守りさせて、私ひとりで、母方の墓参をすませました。
公共交通を使って津田沼通院したことに比べれば車移動は楽でも、帰りの外食は無理。弁当を買って家で食事。車を運転するので酒無し。
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(3/20)
弟夫婦は娘宅の介護協力が大変で週2〜3回てつだっている。母の方の手伝いは年数回程度だ。そのほとんど私の重い買い物の運転手だ。
父の墓の前、母はあっさりしていた。さ、済んだ、帰ろうである。
近くの鰻のテイクアウト店で鰻丼弁当を買い込み、直帰。
厚木インタールートは勿論混んでおり、車内では弟ばかりが、娘•息子の話をまくしたてていた。母は寝込み、私は朝から起きていた反動にうたた寝していた。仏はいずこ。
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(3/21)
昔、私の目が発症していなかった8年前までは、春のお彼岸の墓参は原付で往復していた。父が日本では新興宗教の信者となり、激烈な家庭内紛争の神経戦があって、その最前線に私がいた。反仏教を掲げる父は、祖父母•母の墓参を妨害していた。弟夫婦は別居しているので無介入。父の親戚筋は危険を避けるため、我が家と絶交していた。母方は高齢で逝去し、我が家だけになっていた。そんな関係で、母の密使として、私ひとりの墓参を重ねてきた。祖父母•父が逝き、もともと母は持病の「めまい」の頻発期と重なることもあって、母の依頼がないかぎり、弟夫婦も参加することがなかった。同居の義母の介護墓参参加が重なることがあったからだが、私は渋滞の隙間を抜く原付遠出がそれなりに、気に入っていたこともあった。このときばかりは、母も大人しくしていたし、ときどき送る携帯中継を楽しんでいたようだ。私は実は、母の監視をしていたのだが。
こうした原付墓参は、8年前の網膜色素変性症発症で、免許返納してからら、母に連れ添い、電車&タクシー墓参となり、墓苑内の違法駐車対策で坂への車侵入禁止となった5年前まで続いた。高齢者からの反発もあり、駅からの送迎車を坂の頂上まで運転し、坂を下らせる方策を打っているが、下りこそ足に負担をかけるセオリーがわからない。ましてや送迎車は予約制で、予約がとれた試しがない。今年からタクシーのみ侵入可となったことを、墓苑に行って知ったのだが、足元が危うくなった今の母には、むずかしいことは変わらない。
しかし、ひとり行ってみて、知ったことがある。花と火のついた線香を持って坂をあがった先、いままですんなり、たどりついていた墓がわからない、見えないのだ。私の視力の衰えもあるが、母が私の目になっていてくれたのだ。気づかなかった。
整然と並んでいる同じ形の墓石を色以外で見分けられないのだ。愕然とした。
まず花が残っている墓は違う。しかし、後は字数の多いのも違うからと触っていく様は異様である。
その異様さに気づいた家族が、事情を聞き、手伝ってくれて、すぐに見つかったが、お礼を言ったとき、じつは自分の家の墓は、どなたか間違えてお花をあげてくださった。その方のお花がどこにあるかわからないから、天に向かって手を合わせたんですよと笑って、目印がないのは困りますよねと語り、去っていった。後ろ姿に礼をしたのだが、気がついた。線香が燃え尽きそうになっていた。
短い線香をあげ、墓を洗って気がついた。墓石に刻まれた文字が、全く読み取れないのだ。中途失明の怖さが指を伝わってきた。観念しなければいけないらようだよと、墓に語りかけてきた。タイムリミットを超える閃きをくれよと、顔を顰めて、拳を握って墓参を終えた。くたばるわけにはいかないと、格好をつけてみた。こんなことは、母には言えない。
(校正1回目済み)
2025/03/19 記
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ハッカーさん、こんばんは。訪問看護と介護が続く火曜日、ビッグイシュー配達を終わらせました。家に戻ってみると、茅ヶ崎サポセンからロッカー代払えの督促電話があったとのこと。行ってきたばかりなのに、何だろう、その場でいえばいいのに。第一、携帯にかけてこないのが変と思いつつサポセンに行った。
わかったのだ。4月から本採用される窓口スタッフ•ボランティア、新米さんの仕業。研修中の出来事。
3,4月は、入れ替わりの季節ですねえ。いつも4月に入ってからの不良支払いなのに、優等生支払いに、なってしまった。1万円札が崩れてしまった。しかし若いねえ。
明日、明後日は墓参。明日、弟の車に母を乗せて出かけます。準備があるので、今回は手抜き、明後日は、私だけ墓参し、弟夫婦が母の見守り。20日は、書けたら書き込みます。すみません。
手抜き、ごめんなさい。
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<気になる本>
⚫︎「目で見てわかる 移動・移乗の介護」
(校正1回目済み)
2025/03/18 記
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ハッカーさん、昨日は効きました。締め直していきます。
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ビッグイシュー市役所配達ついでに、マンション防災の件で市警防救命課に寄ってきました。
案の定、我がマンションの管理組合は、相談しにきていませんでした。
マンション住民共用出入り口の防犯扉と、各戸玄関ドア緊急開錠の件です。
話は意外なものでした。
各戸玄関予備鍵自身、管理人の信頼度から、鍵を入居者以外つくらないマンションがあること。マンション管理組合が全戸予備鍵を箱に入れて、箱に鍵をかけて、その鍵を管理人が管理する形が一般的で、その鍵を消防が入手するには、各マンション経営者が運営する連絡センター(24h)に連絡して開錠してもらう。連絡センターは、マンション外に設置されていることが多く、連絡センターがマンション各戸予備キーの現場管理者に指示して開錠する。
間に合わない時は、目的のお宅の両隣に協力を求め、ベランダ境の扉を壊して侵入するという。
私:ちょっと待って、隣のお宅が働きにでていてお留守の場合があるでしょう?ベランダの当人宅のサッシがとじていることもあるじゃないですか。
はい、連絡センターに許可を取り、サッシ戸を破壊、または金属カッターで、玄関鍵を壊します。いずれも原則許可ですが、火事の場合などは、通告です。
時間がかかるのにびっくり。予備鍵の現場管理が曖昧なことが判明。
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もうひとつのエントランスの防犯扉。パスワード解除開錠式のパスワードを消防共有する提案は、まず管理責任の問題があるし、その形式の防災扉だけではないから無理。やはり連絡センターから、現場管理者に連絡をとって開錠するという。
火事や心筋梗塞やくも膜下出血等秒分刻みの症状発症独居者の命に関わりますと応答。
結局、対策をとっていないことがわかりました。
ぞっとしました。
マンション防災のおそらくは、主要テーマのひとつだろうに、気になる。
他のマンションは、どうしているのだろうか。
(校正1回目済み)
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<気になる新刊>
⚫︎「開かれる自閉―医者・心理学者・当事ニー」
⚫︎「発達が気になる幼児が療育センターを受診す」
ん、反省ですが、書いている最中に消えるのは、心臓によくありません、あららの感じるです。
2025/03/16 記
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ハッカーさん、寒いですね。嵐というが予報は、はずれたようです。大船渡の知人の息子は高校生になるそうで、中学の卒業祝い、粗品で悪いのですが贈りました。この歳になると、冠婚葬祭の葬ばかりで、少し嬉しかったりします。顔みたこともないのですがね。
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母が回復してきたら、私の目が騒がしい。交通信号をさかしても、白いランドルト環が開いたり閉じたり、また見失ってしまう。花粉の影響というわけではなさそうだ。
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母をリモートナースコールまかせにして、日曜休業ではない茅ヶ崎駅近辺のビッグイシュー読者宅を事前電話して、訪問。昔は確定申告最終日に税務所に並んでたけれど、今はオンラインだからずいぶん楽になったというので、ハッキングされたら知らないよと脅した。私のようにのぞいて欲しいのと違うから、そうだなと、ぞっとしていた。
PC使えなくなって2年をこした。印刷物が作れない地獄。誰かつきあってくれないかなと打診。パートナーは、私の方が欲しいくらいだと拒絶されてしまった。
いい話もあった。次回の市民生協にオブザーバー参加させてくれるよう話をつけてくれるという。印刷物作成、再挑戦してみたくなった。
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母の回復は良いのだが、帰宅時、母はぐっすりと眠っていた。これがまずいのだ。今夜の夜間トイレ通勤、決まりなのだ。夜間は紙パンツの約束も、紙パンツが汚れるからと、パンツはいたまま、トイレにむかうに違いない。
(校正1回目済み)
2025/03/15 記
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ハッカーさん、天気予報どおり、寒くなりました。明日、日曜日は嵐のようです。母の疲労は案の定。
今日は訪問介護がある日。子どもの疲労は、心身にストレートな症状がでるが、高齢者の場合、空元気という困った表現をとるときがあります。母がそうでした。
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今日は夕方から雨が降り出し、明日は嵐ということで、ビッグイシュー販売員さんは、早く引き上げるので、訪問介護員の方に、昨日の津田沼通院で疲れていることを告げ、ビッグイシュー新刊受け取りに急いだ。受け取りを終えて、駅から車混雑を抜け、タクシーで戻ったが、10数分前に終了しているはずの介護員の@@さんがいるので驚いた。
帰宅予定時刻を告げておいたので、私を待っていたという。血圧上が90、下が75。母は虚な表情で寝床に横たわり、@@さんと話をしていた。持病「めまい」だった。あと20分もすれば回復する。
事情を聞いた。きのう外出したので、さっぱりしたいと、洗髪を求めたという。その時点で血圧上が110、下が72だったという。椅子に座った状態の頭部シャワー浴、清拭・着替え後、足湯を始めたところ、異変。
ぐったりしはじめたという。
母を寝床に誘導してバイタルチェック。対話をつづけているものの、朦朧としていたという。不思議なのは、持病の場合、数分の失神があるが、話し続けていたということだった。@@さんがかえってすぐ、母が起き上がったこと。血圧上が120下が90に戻っていた。
すぐに包括のケアマネさんから電話が入り、経過チェック。さらに、緊急延長15分は自費となるという。
近くの薬局で薄手の紙パンツを買ってきた。夜間立ち歩くなとした。
(校正1回目済み)
2025/03/14 記
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ハッカーさん、こんばんは。今日は母にとっては、最後の遠出になるでしょう。戸塚乗り換えで、津田沼のクリニックを受診したのです。歩行速度が遅くなり、不安定で目が離せません。一切寄り道をせず無事帰宅できましたが、緊張の限界。お茶を一口飲んで、寝床に直行、22時まで寝ていました。明日はダメだろうなあと想像しつつ、玉子粥を食べさせて、無理させず寝かせました。
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路線バスが使えないので、駅からはタクシー。乗り降りが一仕事。
受診は久しぶり。だから気がついたらのだろう。足の筋肉が落ち、その方が転倒リスクが大きいと驚いていました。
持病の「めまい」の時期に肺炎入院があり、脊柱管狭窄症がわかっているのに、10日間、仰臥四肢拘束をし、抗議したが自殺念慮阻止が理由。実際は初日の熱せんせん妄時の病院脱出、本人曰く帰宅しようとしたこと。その拘束後、退院3日後めまい転倒、肩骨折。通院治療で、在宅生活だったが、すでに歩行不安定になり、そのまま冬場に入った。
足の冷えを訴え、足湯を始めていること。
ただ、肩骨折時、夜間トイレ通勤途中1回、計2回は持病めまい転倒のようだと告げた。
カルテは書き加えられた。
しかし無茶だと、ぼそり感想が出た。ただ、神経系の病より、老いの闘いがおおきくなっているので、めまいを継続ケアしている方の注意点とし、夏場からオンライン診療の準備テスト要員に参加とし、息子(開業準備中
、現在研究員)を年数回訪問、往診させる方向で調整すること、ただし往診料は自費になるとなった。が、自費、高そうだ。
(校正1回目済み)
2025/03/13 記
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ハッカーさん、こんばんは。母の装具は通所リハ先に話題を提供したようです。整形外科と治療リハ部門と、プライマリー・ケア系リハとの間の情報交換は、案外希薄なのだと知りました。
高齢者の背ではなく肩が丸くなり、まもなく背筋が曲がっていく。この肩の丸みは背の曲がりの初期症状とみなされるのですが、母はまさに初期。それで初期対応の装具は、フレイル対応のリハ施設の関係者の関心を呼んだのです。
母は肺炎治療入院後、急に肩が丸くなり、診断の結果、脊椎の圧迫骨折が確認された。この場所は初期の方によく見られる症状なので、装具から症状進行を防ぐ策のヒントがあるようで、通所リハの看護師から電話がありました。利用状況と使い心地、痛みの変化を、私を経由して、母が答えていました。耳の調子が悪いからです。
私は私で、災害保健に関心があるPTさんを探しているが、いい方法はないかと、脱線していました。さてね。
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ビデオレコーダーが壊れて買い替えた。前のレコーダー内の情報を救い出す方法をコーチすることを条件に、購入をきめました。4時間分さて。
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高座豚の味噌漬けが食卓に。しょっぱい。
(校正1回目済み)
2025/03/12 記
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ハッカーさん、こんばんは。
3/10・11の書き込みがきえましたので、大事な部分だけ残しました。
では。
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3/11(火)
母の訪問看護は、カルシウム沈着促進剤注射が加わった。母は注射液の量が微量で、効くのか怪しんでいる。困ったものだが、いぜんは点滴だったという。あれは生理食塩水やブドウ糖液で、うすめたもの。他に何か、治療薬や栄養剤などを加えたものだから、点滴は効くというのはまちがいだ。ニトロとか、ボスミンなんて、量少なくても効くよ〜
くどい、うるさい、わかったわかったと母。仏頂面して、居間にこもってしまった。
--------------------むかし話17」
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3/09・10に、東日本大震災のとき大船渡・陸前高田両市の弁当配達ボランティアをしていた会役員だった☆☆さんと、夜間長話をしていました。この団体は地元飲食店経営のプロ。中小企業団体の中同協が、岩手県団体からけちなウナ丼の差し入れを受けとったとき、焼き、へただなあと皆に文句つけてました、プロです。
当時は在宅避難単身者や高齢夫婦宅母子家庭をを中心に車配達をしていました。私の問いに答えて、配達リストは、食料品店の配達リストのなかから、相談選択して、口コミ拡大させてきたというなかなか優れたかつどうをしました。活動費は自費持ち出しだったようです。週1〜2回。
私が少ないねといったら、自治会や住民が市の名簿を参考に週数回弁当や食料品配達をしていたので、日程調整して、3〜4回は弁当が届いていたのです。
しかし、市の名簿は個人情報制約があったので、配達時は市職員の緩い許可制だったようです。
一方☆☆さんは、商店会の闇リスト、数も精度も怪しいけれど。それに、非常食弁当飽きるから、美味い弁当の価値があると、自分の役割を自覚し、ていた。
しかも自分の子を乗せて、玄関に届けさせたという。警戒なく受け取ってくれるからだという。私はちと不満があった。相手の健康観察も、仕事だからだ。
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優れた活動していたので、たまにれんらくしていた。
今年の山林火災被災者の様子を聞いた。弁当配達はしていないという。
震災津波は、緊急避難の時間的ゆとりがないため、在宅避難を決めた方がいたが、山林火災は時間的ゆとりから集団避難になったということと、震災経験から、食物確保と共同炊飯体制が迅速に整った。弁当配達が必要になるのは、鎮火し避難所整理後、これからだというのだ。
私は気づいていなかった。
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もう一つの指摘は、三陸町は山が海岸に迫っている地形。津波被災の経験から家を高い場所に移したが、適地が少なく、集落が散ったという。高い土地は山林に近く、焼けた家と無事だった家の差が開き、集落が消えるかもしれないという話や、受験生の疎開や、家族・家計破綻から進路変更に遭っている若いのがいるだろうという。
避難所運営に高校生が活躍しているかという、私の問いは、親がやってたらてつだっているだろうなという。震災と違い地域狭いしな。被災してないのは、関係ないだろうなという。変なやついないかなあと思いつつ、沈黙。
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︎<予約した書籍>
⚫︎「岩波ブックレット
現場発 災害時に子どもを支える - 私に、あなたにできること」
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(校正1回目済み)