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『近代世界システム』の構成 第四巻--長い一九世紀

『近代世界システムⅣ』より 『近代世界システム』全巻の構成

「長い一九世紀」の叙述をめざした本書、つまり第四巻にさしかかると、二つの問題に直面した。時代がすすむにつれて、近代世界システムの地理的範囲は拡大するので、その分、読まなければならない材料も膨大なものとなる。しかも、研究文献の数は、どこか特定の一国にかんしてさえ、少なくとも算術級数的にはふえていく。というより、ほぼ、幾何級数的にふえていく。このことだけでも、これらを読みこなし、得た知識を総合するのに、とてつもない時間がかかる。これこそ、第四巻の刊行がこんなに遅くなったことの、いささか覚束ない申し訳である。もうひとつ、ときが過ぎるにつれて、多くの他の知識人の活動にふれて、執筆にあてる時間がなかなかとれなかったこともある。

二つ目の問題は、この巻の主題をどこにおくか、ということであった。これまでの分析からすれば、主題は産業革命ではありえない。産業革命が資本主義制度を生んだなどということはありえない。というのは、私見では、そんなことは、ずっと以前に起こったことだからである。フランス革命や南北アメリカの諸革命のような、いわゆる大民主主義革命を主題にするわけにもいかない。というのは、どちらの革命も、従来いわれているようなものとはまったく違う、と考えてきたからである。そこで、ここでは、フランス革命が全体として近代世界システムに与えた文化的影響を、この巻のキイをなす主題としたいと思う。それを私は、近代世界システムのジオカルチャーの産物とみなしたい。つまり、この世界システムの全域でひろく受け入れられ、以後の社会的行動を制約することになる一連の思想、価値観、規範などのことである。

フランス革命は、政治変革の正当性と主権在民の概念を正当化したものだ、と私がみなしていることは、いずれ明らかになるはずである。ペアをなすこの二つの信念は、さまざまな影響をもたらした。まず第一に、こうした二つの概念がひろく流布したことへの反動として、近代の三つのイデオロギーが生まれた。保守主義、自由主義、急進主義がそれである。中道自由主義がほかの二つのイデオロギーを「飼い慣らし」、一九世紀が進行するとともに、勝利していくというのが、本巻全体の議論である。具体的には、ことは、イギリスやフランスのように、自由主義国家の創設というかたちをとって進行する。また、この過程は、主要なタイプの反システム運動の誕生を促進したが、同時に、そのインパクトを一定の範囲内に抑える役割をも果たした。反システム運動の概念は、ここではじめて登場する。ここでは、市民権という概念によってもたらされた利点と、こうした利点の程度について抱かれがちな幻想とを扱う。最後に、この過程はまた、歴史的思考にもとづく社会科学の形成を推進したり、反対に抑制したりしながら進行する。時期的には、一七八九年から一九一四年まで、というより、より正確には、一七八九年から一八七三年ないし一九一四年までを扱うことになる。

とはいえ、やがて気がついたのだが、このような重点のおき方をすると、本来ならこの巻で書くはずであったつぎの三つの物語は、第五巻に先送りせざるをえないことになった。すなわち、ひとつには、列強によるアフリカ分割と民族解放運動の勃興、第二に、ヘゲモニー国家としてのイギリスに代わる、アメリカ合衆国とドイツによる経済的こ収治的ヘゲモニー争い、その結果としてのアメリカのヘゲモニーの確立、最後に、[近代世界システム、つまり、資本主義的世界経済への]東アジアの組み込みと、その周辺化、および二〇世紀末以来のその再興の物語とが、それである。

この三つの歴史は、いずれも一九世紀中頃のどこかにその源をもっているが、一九一四年頃に終わったかのように語るのは、どうみても合理的とはいえない。一九世紀の歴史は、すべからく二〇世紀につながっている。一九一四年という年は、これら三つの物語のいずれにとっても、それ自体としては、転換点というわけではない。三つの物語のそれぞれの主要な部分は、勃興と衰退ないし衰退と勃興の激変のなかにあった。とまれ、私としては、これらの物語はいずれも、「長い二〇世紀」の物語であって、つまり、イギリスの世紀の物語ではなく、アメリカの世紀の物語であったと考える。したがって、読者諸賢には、とりあえず、寛容と忍耐をお願いしたい。

目下計画中--書いているうちに変わるかもしれないが--の第五巻は、一八七三年から一九六八年ないし八九年までを扱うことになる。さらに、やり遂げられればの話であるが、第六巻では、資本主義的世界経済の構造的危機が主題となり、一九四五年ないし一九六八年から、二一世紀中頃のどこか、たとえば、二〇五〇年くらいまでが対象となるだろう。私の考えでは、その頃には世界の状況はすっかり変わっているはずで、近代世界システムは決定的な終焉を迎え、代わりのシステムに譲位しているはずである。いまだ知られていない、知りようもない、この後継となるシステムは、単一であるのか、複数になるのかもわからないし、その特徴がどういうものになるのか、まだ素描する段階にもない。
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