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自己をならうなり

本が好き

 キンドル・ペーパーの皮のカバー、7千円もするものが即売だったそうです。そこに本好きを感じます。本体の半額です。

お客様との接点

 20年間探してきた答えがこんな近いところにあるとは。

クルマの大罪

 こんな面積を占めるのか? ここに居ない時になぜ、なくならないのか? なぜ、買わないといけないのか? なぜ、今後ともインフラを使わないといけないのか? 

 なぜ、人のペースに合わせないといけないのか? なぜ、運転しかできないのか? なぜ、運転しなければいけないのか? なぜ、こうもトラブルが多いのか? 協調して走っているのに、なぜ、世の中に協調がないのか?

 なぜ、疑問点を残したまま先に進めようとするのか?

 これらは目的が手段になっていることから発生している。クルマには存在する意味を考えてもらいたい。これを最初に明示したのは、入社する前です。車が何をしているのかを考えたら、クルマ自体が変わるだろうと思った。道路に無残に轢き殺された毛虫の身になって考える。

自己をならうなり

 「仏道をならうというは、自己をならうなり」(『正法眼蔵』「現成公案」巻)

 本来、自分自身にそなわっている仏になるべき可能性を実現しようと説いた。人間が本来的に自分自身にそなえている尊厳性や純粋性を確実に把握する。それが自己にならう。パートナーという以上は自分自身を鍛えないといけない。

 道元の行き着いた先は、言語だけでは追い求めて得ることができない、非言語の世界。うわべだけの言葉が横行する時代に、人々の荒廃したこころの豊かさへの回帰を示唆している。こころの豊かさとは、非言語の世界を透過した「愛語」の世界に帰結する。

 愛語は、愛心よりおこり、愛心は慈心を種子とする。愛語には回天の力がある。そして、「愛」はIとなる。

国家とは

 「国家」は、社会が秩序と平和の維持のために組織的暴力を独占できる条件を決定する法秩序の別称である。①人は国家の名において行動し、国家は個人にサーヴィスを要求しそれを受領し、また個人に恩恵を与えるのである。②国家は社会的変革のための制度的機関や手順のたいていのものを提供する。③国家は法の執行のための機関を供給する。

 それが故に内戦が発生する。一八〇〇年から一九四一年の間では、その数は二八の内戦と八五の国際戦となり、比率はまさしく一対三となる。フランスのユグノー戦争、イギリスでは一五世紀のばら戦争と一七世紀の内戦、ドイツでは三十年戦争、スペインでは半島戦争、アメリカ南北戦争、中国の太平天国の乱といったような内戦は、生命と経済の犠牲において、現代の国際戦をはるかに凌ぐものであった

世界国家の縮図としてのスイス

 世界国家がもたらすと期待されているものを、スイスはすでに達成しているようにみえる。スイスは、独自の言語、文化、歴史、忠誠心、政策をもった幾つもの主権国家から新しい連邦国家をつくることができた。世界の一三〇余の国家はなぜこれと同じことができないのだろうか。

 そもそもの国家連合を構成していた一三の加盟国は、領土が隣接し、ドイツ帝国と(プスブルク家に対してともに抵抗するなかで結ばれた。共通の敵として、それらがある。

 スイス軍は、そもそもの国家連合における中心部をなしていた山間の谷によって事実上外国の攻撃を免れていた。スイスヘの攻撃がもたらす軍事的損失に比べると、勝利の魅力は小さかった。

 スイスの誕生と存続を可能にしたのは、憲法協定に表明された意志の力だけではなく、幾つかの特殊かつ独特な状況が結びついた結果である。強大な隣国のまっただなかにあって生きのびることができた。
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